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銀のリボンを結んで  作者: 吉岡果音
第三章 境界
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第18話 海

 凛子とドラゴンの姿が、小さくなっていく――。

 ミルゼは疾風のごとく駆け、黒い毛並みのギルウに飛び乗り、凛子をさらったドラゴンを追う。ディゼムとリールもそれぞれのギルウに飛び乗り、ミルゼに続く。

 ギルウを走らせながら、ミルゼは叫ぶ。


「まさか変異体だったとは……! くそう! どうして私じゃなく凛子さんを!」




「離して! 離してええ!」


 強い風圧の中、なんとか声を上げる凛子だったが、ごうごうと荒れ狂うような風音にかき消される。ついさっきまでいた森は、眼下にある。恐怖のせいか、めまいがする。凛子を掴んだまま、ドラゴンは、空を飛び続けていた。


 あ! あれは!


 すぐ前方に青いきらめき――、凛子の瞳に海が映った。


 海! ということは、このままでは……!


 ミルゼたちは、海を見たことがない、と言っていた。ということは、ギフトの魔力の適用外、このままでは『境界』を越えてしまうということだった。『境界』を越える――、すなわち誰も助けに来ることができないことを意味していた。


「くらえーっ!」


 眼下から、たぶん、ディゼムの叫び声。たくさんの光が、迫りくる。ディゼムの矢に違いない。思わず凛子は身を固くした。飛ばされた矢は、凛子に当たることはなく――ドラゴンにも当たらないようだった――空高く消えた。


 えっ、あれは、なに……?


 緑の合間から見えたリール、小さななにかを投げた。たぶん、カード。たぶん、というのは光を放ちながら、一瞬にして形を変えたからだ。昨日初めてリールに会ったとき、カードに描かれたトカゲが炎を吐いたわけだが、今度はカード自体が姿を変えた。

 炎の鳥。小さなカードが、深紅の鳥に変化していた。しかも、こちらに近づくにつれ、姿が大きくなっていく。


 キエアアーッ!


 鋭い声が響き渡る。飛んでくる炎の鳥ではなく、凛子の頭の上、ドラゴンの口から飛び出した声だった。

 ディゼムの矢が、ドラゴンに命中した。続けざまに五本の矢がドラゴンを貫く。


「あっ」


 ドラゴンの手が、ゆるんだ。


 落ちる……!


 落下する。空から。開いたドラゴンの手から離れ、凛子は、なすすべもなく落ちていく――。


 え……!?


 気が遠くなりそうな凛子だったが、ハッとした。視界に映る、燃えるような朱色。


 炎の鳥……!


 リールの炎の鳥だった。炎の鳥が、無事凛子をキャッチしていた。


「ありがとう、鳥さ……」 


 安堵した凛子だったが、しかしそれも束の間だった。炎の鳥は必死に羽ばたいていたが、凛子を運ぶほどの力はないようだった。支えきれず、どんどん斜めに下降していく。

 落ちていくドラゴンが、見えた。ディゼムの強力な魔力の矢により、ドラゴンは絶命したようだ。ドラゴンは、波打ち際に落下していった。


「凛子さんーっ!!」


 ミルゼ……!


 岸壁を駆け降りる、ギルウとミルゼの姿が見えた。


「だめだっ! ミルゼッ! それ以上は……!」


 ディゼムの叫ぶ声が聞こえる。


「ミルゼーッ!!」


 ディゼムの絶叫。しかし、凛子はそちらに気を取られている時間はなかった。

 岩が見えた。すぐ目の前に。


 ああ! だめだ! 岩にぶつかる!


 視界いっぱい迫りくる、海辺の岩。凛子は覚悟し――、目を閉じた。


 ドサッ……!


 意外な音、感覚。


 あれ……?


 おそるおそる、目を開ける。どういうわけか、痛みもない。


「よかった……。なんとか間に合いました」


 そこには、ミルゼの優しい笑顔があった――。凛子は、ミルゼの腕に抱かれていた。

 炎の鳥が、ミルゼに凛子を受け渡したようだ。


「ミルゼ……!」


 よかった! 私、助かったんだ――!


「凛子さん。大丈夫ですか? ケガとか痛いところは?」


 心配そうな、ミルゼ。泣き顔に見えた。


「ありがとう……。大丈夫……。痛いところも、ないよ」


「怖かったでしょう。とても危険な目にあわせてしまってすみませんでした」


 大丈夫。ミルゼが来てくれたから――。


 怖かった。怖かったけど、今は嬉しさでいっぱいだった。

 ミルゼのぬくもりに、包み込むようなほのかな甘い香りに、安堵した。

 

 本当に、よかった……。もう、怖くない……。


 ミルゼの全身が、光り輝いていた。


 あれ? どうしてミルゼ、光っているの……?


 きっと海辺のまぶしい朝日のせい、凛子はそう思い込もうとした。

 ミルゼは、凛子を腕から降ろしてあげた。


「本当に、綺麗ですね。これが海、なんですね――」


 ミルゼの瞳にも海が映っていた。潮風が銀の髪をなでる。


「ミルゼ……?」


「よかった。凛子さんと一緒に海が見られるなんて――」


 ミ……、ルゼ……?


「凛子さん。早く見つかるといいですね。凛子さんだけの特別な道――。いえ。凛子さんなら大丈夫です。すぐに見つけられると思いますよ」


 光が増し、ミルゼの輪郭がぼやけて見える。


「ミルゼ? へ、変だよ……? なんだかミルゼ……」


 ミルゼは笑っていた。


 あれ? ミルゼはなんて言ってたんだっけ。ミルゼが海を見ることができなかったのはどうしてだっけ――。


 その答えは凛子も知っていた。でも頭が、心が、答えを拒絶していた。


 あれ。なんでだろう。ミルゼの姿がにじんで見える。


 凛子の頬を、涙が伝う。


 いやだ! そんなの、私は認めない! 絶対信じないんだから!


 ミルゼは優しく凛子の涙を指で拭い、頭をそっと撫でる。


「ありがとう。凛子さん。本当に」


「ミルゼ! な、なんでそんなこと言うの!?」


 どうして今、ありがとうなんて言うの!? それじゃまるで……!


 お別れみたい、凛子はどうしても浮かんでしまうその言葉を、必死で頭から振り払おうとした。


 そんなわけない! 絶対、ありえない! ありえないんだからっ!


「凛子さん……。会えて本当によかっ……」


 潮騒――。よく聞こえないよ、と凛子は思った。ミルゼの声が聞きとりにくいのは、きっと潮騒のせいだ、と凛子は信じたかった。


 ミルゼ……? どうして……? 空の青が透けて――。


 空は、澄み渡っていた。


「ありが……、と……、う……」


「ミルゼ! だめだよ! ミルゼ! だめっ!」


 凛子は激しく否定するように首を振り、ミルゼに抱きついた――、はずだった。


 カシャーン。


 銀のバングルと、衣服、そして一対の巻き角が、落ちた。


 え。嘘……。ミルゼ……?


 どういうわけだろう。脳が理解を拒む。

 自分の心臓の音が、耳に響くようだった。ひやり、血の気が引き全身が冷たい。

 凛子の腕に、ミルゼの感触は、もうなかった。


「ミルゼ……」


 その名を呟く。

 ひときわ強い潮風が吹いた。実際はずっと波の音がしていたが、そのとき凛子の耳には届いていなかった。世界が静寂に包まれていたような気がした。

 岩の上に落ちた銀のバングルにそっと触れてみる。その冷たさに、凛子の指が震える。そして角――、頭にあるはずの角が、どうして岩の上にあるのだろう――。


「ミルゼーッ!!」


 ミルゼが、消えていた――。優しい香りを残して。

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