第12話 自由
「……凛子はなにが好き?」
異世界の面々の目の前の会話のリレーを、ぼんやりとただ眺める傍観者だった凛子は、いきなりリールに話を振られ、どきっとする。
リールの神秘的で美しい瞳は、優しい輝きを宿していた。
「えっ? なにがって、なんですか?」
「凛子はふだん、なにをしてるの?」
「ええと……。本を読んだり、音楽を聴いたりするのが……、好きです」
自分で言ってみて、ありきたりだしなんだか地味だなと思い、少し恥ずかしくなっていた。
「へえー! 素敵じゃない! どんな本を読むの?」
リールが瞳をきらきらとさせ、テーブルに身を乗り出した。
え。そ、そんな反応?
クールで活発な印象のリール。正直リールが関心を持つとは思わなかったので、凛子はどぎまぎする。
「ええと、れ、恋愛の物語とか……」
今度はディゼムが目を輝かせる。獣のような両耳もピンとしている。
「へーえ! 凛子は恋愛の物語が好きなんだ! でも、物語じゃなくて実際に恋愛するのはどう? 例えば、俺とか!」
ごんっ。
リールとミルゼが同時にグラスの底を、ディゼムの頭にぶつけた。容赦ない。
「ひどいなあ! 別に俺は冗談で言ってるわけじゃないんだから! 俺はいつだって本気なんだぜ」
「冗談で言ってるわけじゃないから始末に負えないんです!」
ミルゼがディゼムを睨み付ける。
れ、恋愛……。
凛子は頬を染めうつむく。恋の物語を読むのは好きだけれど、実際に自分が恋愛することはあまり考えていなかった。しかも、目の前の男性が自分を恋愛対象として見てくれているなんて――。どう反応したらいいか、どう答えたらいいのか困惑していた。
ミルゼが凛子の表情をちらちら伺うように見ていたが、凛子はうつむいていたためそのことには気が付かなかった。
「凛子! だめよ! こんな男相手にしちゃ! ディゼム! 凜子に変なこと言わないで! 凛子は物語の世界を楽しむのが好きなんだから! 凛子、私も物語を読むのが好きよ。ふふふ。私の場合、本を読むようなタイプに見えない、っていつも人から言われるけど。失礼しちゃうわよね、いったい私のことどういうふうに見てるもんだか」
リールは自分のことに話の方向を持っていくことで、さりげなく凛子を助けた。
「凛子。私はね、ハッピーエンドの夢のある物語が好きよ。やっぱり幸せな気分でゆっくりと物語から現実に戻りたいじゃない? ディゼム、あんたはどうせ本なんて読まないんでしょう!?」
「うーん。字を見てると眠くなってくるんだよねえ」
「それも楽しいとは思いませんか? 私はよく眠る前に本を読みますよ」
ディゼムの眠くなる発言に、ミルゼも同意だった。さらに、眠るために読むとは、ミルゼのほうが一枚上手だ。
思わず、皆で笑ってしまった。当の本人のミルゼは、ちょっときょとんとしてから、つられるように笑った。
リールも、ミルゼも本を読むんだ。ミルゼは……、ミルゼはどんな本を読むんだろう?
「ミルゼはどんな本を読むの?」
凜子が尋ねる前に、リールが訊いていた。
「冒険する物語ですね。海を越えて諸国を旅するような物語を読むとわくわくします」
「で、すぐ眠っちまうんだろ?」
ディゼムがすかさずツッコんだ。
「そうなんですけどね」
ちょっと恥ずかしそうにミルゼが笑う。そして遠い目をした。
「自由に、憧れます」
「まあな。俺たちは……。自由ってわけじゃないから」
「そうね」
「え……? どういうことなんですか?」
皆、どこか寂しそうだった。憂いを含んだ微笑みを浮かべる三人に、思わず凛子は尋ねた。
「ギフトを受けた者は、生まれた地を離れられないの」
「え……」
「あまり遠くへは行けないんだよね」
リールの言葉にディゼムが続ける。そして、ミルゼが口を開いた。
「妖精は、ギフトを受けた者の使う魔力の残り火――、放出された魔力エネルギーの大気中に残された成分――、を好みます。妖精は、ギフトを持つ人間が使用した魔力エネルギーの一部を養分のひとつとして採取しているんです。妖精が人間にギフトを与えるのはそのためです。妖精は、あまり遠くへは移動しません。そのせいか、ギフトの魔法は限られた範囲に限定されるようです」
「ギフトの魔法の適用される範囲から出ようとすると――、俺たちは消滅するんだ。ギフトの証である角や獣のような耳、尻尾を残して」
思いがけず恐ろしい言葉を、ディゼムが発した。
「えっ!?」
消滅……!?
「人が、消えてしまうというんですか!?」
「ええ。そうなの」
驚く凛子に、リールがさらに説明を加えた。まるで他人事のように事務的な調子で――。
「学者の長年の研究によると、私たちの消滅はどうも妖精が意図したわけじゃなく、魔力の反動というか……。一歩でも適用範囲から出てしまうとエネルギーの暴走が起きて――。そして、ギフトの証である体の一部だけを残して消えてしまうの」
「その適用範囲の境目を、『境界』と我々は呼んでいます」
ミルゼが淡々とした口調で締めくくった。
そんな、そんなことって……!
「まあ、隣接している町や村までは行けるし、俺は生まれたこの地を気に入ってるからいいんだけどねーっ!」
ディゼムが一気に酒をあおる。そして、テーブルに大きな音を立ててグラスを置く。グラスの酒は波立ちあふれ、グラスの縁からこぼれていた。
『普通、といっては語弊があるかもしれませんが――。普通が一番、そう思います』
先ほどのミルゼの言葉が、凛子の脳裏に蘇る。
さっきのミルゼの悲しそうな顔は……、そういうことだったんだ――。
「……私は、海を見てみたいです」
ミルゼが、ぽつりと呟いた。
「おっ! いいねえ! 俺もぜひ行きてーなあ! 海! 潮風ってどんな感じなんだろう? 潮風を全身に感じながら崖から思いっきり海に飛び込んで、遥か遠くまで泳いでみてえよな!」
ディゼムは、夢見るような顔をしていた。叶わぬ夢、本人が一番わかっているはずだった。
それでも、笑っていた。海を目の前にしている少年のように。
「と言いつつ、ディゼムは水着のおねーちゃんが一番楽しみなんでしょ?」
リールがため息まじりの、少し鼻にかかったような声でからかう。呆れた声というより、ディゼムの心の内を知っていて――自分自身もそうだから――、あえておどけて冗談を言っている、そんなふうに聞こえた。
「それもある! おおいに、ある!」
大声で言い放ち、豪快に笑うディゼム。
ミルゼの銀の瞳。美しい銀の瞳は遥か遠くを見つめているようだった。
ミルゼ……。海、私は海が好きだよ? ミルゼ……。ミルゼもきっと、海を見たら――。
『凛子さんのように、なにも縛られることなく可能性が無限に広がりますから』
不思議な力を持ちながら、かごの中の鳥のように定められた生き方――。ミルゼの端正な横顔を見つめていると、凛子はなんだか胸が締め付けられるような気持ちになっていた。




