新たな
短いお話しです。
深い森の中。ぽつぽつと降ってきた雨にせかされた少女が走っている。
道というにはひどいありさまな、時々腐った木が道を遮るような獣道。それでも迷わぬようにと、木には赤い矢印が描かれている。
それを目で追って、少女は矢印の方向へと走った。
そういえば。
少女は、この森のアヤカシについて思い出す。昔寝物語に聞かされた、子供に話すのは眉をひそめるような話。
昔々、それは心根の優しい青年がいた。彼は村の誰からも愛され、彼を嫌うものなど誰一人としていなかった。
しかし、青年は森の神様へといけにえに差し出され、人の心と優しさを失ってしまった。
そんな元青年、アヤカシが、この森にはいるらしい。
少女の前に、古ぼけた建物が現れた。
木造の、神社と似た造りだが、賽銭箱などはない。ただ、扉が開け放たれていた。
強い風が吹き、バタンと扉が勢いよく閉まる。
「わっ!・・・驚いた。」
先ほどより風が強くなり、雨の粒も大きくなる。
少女は、建物の中に駆けこんだ。
湿っぽく、かび臭い空気が充満する建物だが、中に入れば雨と風から少女を守ってくれる。風が吹くたび嫌な音も立てるが・・・
「もう、びしゃびしゃ・・・こんな時に降らなくてもいいのに。」
「それは災難だったね、大丈夫?」
「わっ!?」
誰もいないと思っていた建物の中、薄暗い畳の部屋の奥に誰かがいた。
少女は驚いて固まったが、すぐに息を吐いて落ち着いた。
ここに来るまでに何度驚かされるのか。少女は、急に降った雨も、風でしまった扉も、奥にいる人も、もう少し少女の心臓をいたわって欲しいものだと、心の中でこぼす。
「驚かせたようでごめんね。濡れてしまったから寒いでしょ?扉を閉めて入ってきたらいい。」
「う、うん。お邪魔します。」
少女は出入り口の扉を閉めた。風の音がわずかにおさまって、身体を冷やし続けた風が当たらなくなる。
靴を脱ごうか迷い、腐りかけた畳を見て顔をしかめ、靴のまま中へと踏み込む。
中に入って部屋の中央まで進むと、比較的安全な畳を見つけて、そこに座った。
「ここは、あなたの家?」
「村の所有物だから、好きに使っていいよ。こうやって雨宿りするのも自由だ。」
「そっか・・・でも、このあたりは村の人間は近づかないって、聞いたよ?」
「そうだろうね。だから、こんなありさまだ。」
風に吹かれてぎしぎしと音を立てる建物。畳には、日焼けの跡か、雨漏りの跡かシミができているし、ささくれ立っているところも多い。
きれいとは言えない状況だ。正直、息を吸うのもためらわれる。
「息を吸ったら、肺にカビ菌がたまりそう。」
口元を袖で覆って眉をしかめる少女に、奥に座っている人物は声を上げて笑った。
「君は綺麗好きなんだね。」
「普通だと思うけど・・・それより、なんでそんな奥にいるの?壁の近くだと、隙間風がすごいと思うけど?」
「心配してくれるの?ありがとう。なら、少しそっちへ行ってもいいかな?」
「いいよ。」
少女の了承を得て、青年は少女の目の前に座った。にっこり笑う青年は、稀に見る美青年だったが、少女の顔に変化はない。
それは、この青年が人ではないと、少女が見抜いているからだ。
「あなたが、昔いけにえにされた、可哀そうな人?」
「・・・君が言っているのは誰のことかな?昔いけにえにされた可哀そうな人は、たくさんいたよ。最近は全くいないけどね。」
昔々の話に出てくる森の神様は、今少女がいる森の神のことだ。そのような曰くのある森に入ろうとする村人はおらず、そのような場所で出会う見知らぬ人間など、人と思わない方が自然だった。
「私が聞いたのは、誰からも愛される青年のいけにえの話。でも、いけにえにされたことで人の心と優しさを失って、アヤカシになるの。」
「へー・・・それが僕のことかはわからないけど、僕はここにきて長い間存在しているから、人ではなくなったのは確かだね。そう、アヤカシなのかもしれない。」
含み笑いをする青年を見ても、少女は特に驚くことなく青年を見返す。
「私、もしもそのアヤカシに会ったら、聞きたいことがあったの。」
「なんとなくわかるけど一応聞いてみようかな?そのアヤカシに会ったら、何を聞きたいの?」
「なんで、あなたはいけにえにされたの・・・て。」
この話を母から聞いたとき、少女は母に同じ質問をした。すると、母は話の内容を変えてしまう答えを教えた。
この青年は、自らいけにえになったのだと。
心の優しい青年は、いけにえになる人が可哀そうで仕方がなく、自らをいけにえにしたと。でも、それはおかしい。
最初に、青年はいけにえにされたと言っていた。それに、少女は青年が人の心と優しさを失ったのは、自分がいけにえに選ばれて絶望し、村人を恨んだからだと思った。
しかし、誰からも愛された青年がいけにえに選ばれるとは到底思えない。母の答えも一理あるかもしれないとは考えている。
昔の話だ、多少話が削られたり変えられたりなどはあるだろう。
「やっぱり。なら、その話をもっと詳しく僕に聞かせてくれるかい?僕なりの意見を君にあげたいから。」
「いいけど・・・それほど長い話ではないから、改めて聞いてもわからないと思うけど?」
そう前置きをして、少女は母から聞いた話をそのまま青年に話した。青年は静かにそれを聞くが、短い話は1分も経たずに終わって、これでわかるのかと疑問顔で青年に問う。
「昔、似たような話を聞いたよ。とは言っても、優しい青年がいけにえになったという話で、その青年は自らいけにえになったんだけどね。自分からいけにえになったって来たのは、僕が知る限り母親か老人だけかな。どっちも、誰かの身代わりになって、自分を差し出した。」
「青年・・・若い男の人はいなかったの?」
「僕が知る限り、自らいけにえになった人はいないね。誰か人質にとられてやむなくといった感じの人は何人かいたけど。」
「・・・ひどいね。」
「そうだよ、いけにえなんて、酷い文化だ。」
青年は立ち上がって、扉を少し開ける。
ザァザァと降る雨はまたさらに強くなって、遠くでは雷の音がする。
「ひどい雨だね。この前の地震のように、村に被害が出るかもしれない。」
「そうだね・・・でも、仕方がないよ。」
青年は扉をしっかり閉めると、少女の前に座りなおした。
「それでは、僕の話をしようか。昔話だなんてあいまいなものではない、当事者の実体験を。」
少女は答えを知ることができるという予感の前に胸を高鳴らせて、青年の話に耳を傾けた。
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