第94話 「最終日」
双盾と新しいCランク魔法、空歩を教えてもらってからというもの、その練習に明け暮れる日々が続いた。さすがに目に見えてはっきりと分かる進歩はあまりなかった。ただ、黄色の染色型のときもあまり前に進んでる感じがしなかったけど、それでも練習を続けて完成に持ち込めたんだから、次のもやれると自然に信じられるようになっていた。Dランクの他の魔法を放っといて寄り道してるってのは、冷静に考えるとちょっと余裕かましすぎと思わないでもないけど。
☆
7月24日、今日はエリーさんの監視つき練習の最終日だ。最初はどうなるかと思ったものの、蓋を開けてみれば俺に対してとても良くしてくれたと思う。
16時ごろ、エリーさんはいつもの口調で「そろそろ切り上げましょうか」と言った。何か話すことでもあるんだろうか、練習を終わらせるには少し早い気がする。
案の定、練習後に少し話しておきたいことがあるとのことだ。最終日ということもあって、色々とあるんだろう。
「終わる前に、現状の成果を確認しましょう。まずは双盾から」
「はい」
調色型を用いて、俺は2つの小さめの光盾を作り出した。片方は青色、もう片方は緑色をしている。それぞれの光盾の大きさは、単体で作る最大限度の大きさの7割弱ぐらいか。魔方陣を作る円の大きさが魔法の強さに直結しているから、2つ合わせて普通の光盾の3割から4割増しの強度ってところだ。
調色型は、黄色に染めるよりは簡単だった。”色の谷”を思い浮かべれば簡単な話で、俺の青緑は谷底の緑に近い寒色系で、黄色は上側の暖色系になる。つまり、谷の向こう側に移った上でそこから登らなければならないわけで、黄色の染色系がキツいのは当然ということだ。それに比べれば、同じ寒色系で多少上下する程度の調色型は、覚えてしまえばどうということはない。
作った双盾は、大きさとしてはまだまだだけど、目を細めて眺めるエリーさんはどこか嬉しそうだ。
「では、Cランクの円を」
「はい」
続いて、双盾に並行して覚えてきたCの空の円を描き込んでいく。Dランクとの違いは、外側の殻の部分が増えたことと、内側の器を描き込む円が1つ増えたことだ。つまり、Dランクよりもまた一回り以上大きい円になる。
円の大きさが増すと、正確に形を覚えて描くのが大変だった。しかし、描く時のマナの負担はさほどでもなかった。染色型やらなんやらで、みっちりしごかれたからかもしれない。空の円自体は、覚えた日に習得することができた。問題はここからだ。
「では、型を合わせていきましょう。順番はお任せします」
「わかりました」
空歩のための型を1つずつ円に描き込んでいく。まずは継続型、これは問題ない。続いて描き込むのは”足用”の追随型。これは光盾で使う”腕用”の追随型を先に覚えたということもあって、さほど苦労せずに覚えることができた。今回も特にひっかかるところはなく、無事に円に描き込めた。
次に円に描き込むのは、回転型。これが厄介な型で、型を描き終えてから不用意にマナを流し込むと、そのマナを消費して描いている途中の器が回転しだす。エリーさんに言わせれば「継続型の魔法に合わせると、とりあえず型を見破られにくくなる」らしいけど、全部が描き終わる前から回転させたのでは、後から文を書くのが大変で仕方ない。幸い、回転型を描き込むだけであればマナの負担は大したことがない。染色型のときとは違い、マナの流れを絞って余分なマナを与えないよう、細心の注意を払って円に型を描き込んでいく。
無事に回転型を描き込んだところで、最後に藍色の染色型を合わせる。藍色は、色の谷では青よりもさらに高いところにある色だけど、黄色と違って寒色系で、負荷は同じぐらいかほんの少しきつい程度に感じられた。実際、覚えてから1週間ぐらいでなんとか描くことには成功していた。実戦レベルじゃないけども。
問題なのは、強力に負荷がかかる染色型の反応時に、勢い余ってマナを流し込みすぎると、それを回転に使われるということだ。無駄に与えないように意識しすぎると、マナの流れが細くなりすぎて、染めるどころか器の維持もままならない。そのため、ちょうどいい塩梅の流れを把握した上で、マナの流量をそこに安定させる必要がある。
3日ほど前からそういった練習を続けてきたものの、俺はまだまだそういったレベルには到達できていないようで、藍色に染める反応に合わせて流し込んだマナが、ちょっとずつ器の回転に使われ始めていった。とてもじゃないけど、文を書けるような器ではない。結局失敗した。
空歩はこうして、器の最終段階でいつも失敗している。型の習得自体はできているものの、合わせる段階で苦労するなんて最初のうちは思ってもみなかった。これもコツを掴めばできるようになるんだろうけど、いつになるやらって感じだった。文を書き込む段階で、また色々苦労もあるだろうし。
先のことを心配している俺とは裏腹に、エリーさんは穏やかに笑っている。
「覚えるところまではできてますから、あとは自習でどうにかできるでしょう」
「そうですね、1人でもなんとか」
「空歩は、使えるようにするのが本当に大変で、使えるようになってからもまた大変な魔法です。だからこそ、早めに取り組むのが重要ですね」
「まぁ、試験の邪魔にならない程度にコツコツやっていきます」
俺がそう言うと、エリーさんはニッコリした。
「では、最後に今まで覚えたDランク魔法をやってみましょうか。水の矢から始めて、砂の矢、黄色の光盾とやっていきましょう」
「わかりました」
なんだか最終試験みたいな感じになってきた。少し感慨深いものがある。
実は、これから使う魔法は最近の練習では、まったく手を付けてなかった。せいぜい、依頼で余裕がある時に試しに使った程度だ。「今やってることに集中するため」らしいんだけど、コツとか忘れてないかちょっと心配ではある。
そんなちょっとした不安を持ちながら、右手を少し上に向けて掲げ、水の矢から書き始める。覚えたての頃よりもずっと安定して書けるようで安心した。少し頑張れば魔力の矢の代わりにだって使えるかもしれない。
気を良くした俺は、続いて砂の矢の記述を試みる。黄色の魔法ということもあって、さっきよりも負荷はあるものの、こっちも問題ない。矢の進んだ軌跡に、黄色いキラキラしたものが見える。無事に砂の矢を射てたようだ。
最後に黄色の光盾だけど、こちらも問題なかった。色変えや文の書き込みでつっかえることもなく、パッと記述が完了して右手の前に魔力の盾ができあがる。
言われた通りの魔法を3つ放つと、エリーさんは笑顔で拍手した。
「大丈夫そうですね」
「はい、おかげさまで」
「……私の口から言うのは、少し問題があるかもですが……」
「どうかしましたか?」
「……いえ、後にしましょう。とりあえず今日の練習は、ここで終了です」
今日の、というか今日が最終日だ。実際に言葉として終わりを告げられると、物寂しい思いに囚われる。
そんな物思いに耽る俺とは対象的に、エリーさんはカラッとした調子で片付けを始めた。なんだか、彼女からは一仕事やりきったみたいな感じがしている。
「片付けが終わったら、ちょっと甘いものでも食べましょうか」
「わかりました……そういえば、色々と食事処を教えてもらいましたけど、甘味は初めてですね」
「機会がありませんでしたから。いいところを知ってますので、今日も案内しますよ」
こうして笑顔で話すエリーさんを見ていると、本当に食べることが好きな人なんだと思わされる。
☆
連れられた甘味処というのは、王都北東に位置する店だった。内装は落ちついた色合いで統一されていて、個人営業の喫茶店を思わせる雰囲気だ
肝心の甘味は、どうやらムースが主力らしい。エリーさんにオーダーをお願いしたところ、ややあって店員さんが持ってきたのは、小さなかわいらしい皿に載せた、薄いピンク色の三角形の物体だった。
「まずは一口どうぞ」とエリーさんに勧められ、フォークで三角形の先端を小さく切り取って口に運んだ。何かの花のような優しい香りがフワッと広がり、続いてベリー系っぽい爽やかな酸味とまろやかな甘さに口が満たされていく。一日の疲れを癒やされるような味に、思わず頬も緩んでしまう。
ふと皿から視線を上げると、テーブルの上に両肘を突いたエリーさんが、俺の方を見つめながらほっこりとした笑顔を浮かべていた。そうやって見られると、恥ずかしくなって少し紅潮するのが自分でもわかる。
照れ隠し気味に茶を少し口に含んでから、俺はエリーさんに”お話”を促した。
彼女はスプーンで茶をゆっくり混ぜながら、真顔になって「そうですね」と言った。
「Dランク試験に関して、詳細は伝えられませんが、恒例になっている情報をお伝えしようかと」
「それは助かります」
身を少し乗り出し、メモとペンを取り出す俺を見て、彼女は少し表情をほころばせた。
「Dランク試験は、実技と筆記があります。実技合格者が筆記に進む形ですね。ここまではご存知ですか?」
「はい。Eランク試験が終わった後に、職員の方に聞きました」
「では、実技の内容に関して。必須になるのはいつも水の矢、砂の矢、光盾ですね。それに任意のDランク魔法を、いくつか選択する形になります」
「なるほど、必須の方は心配ないですね」
思わず口をついて出た言葉だったけど、思い上がりと受け取られないだろうか。言ってから少し心配になったものの、彼女はにこやかな表情で「そうですね」と言った。
「Dランクにおいては、必須魔法が一番高難度です。他の魔法は覚えさえすれば、使いこなせるようになるのに時間はかからないでしょう」
「そうなんですか?」
「必須魔法と言うよりは、自分の色と違う染色型に難儀するという感じですね。リッツさんの場合は黄色の染色型に苦労したと思いますが、あれさえ使いこなせるならば他の魔法は問題ないというところです」
「なるほど」
言われてみれば、黄色の染色は結構苦労しただけあって、空歩のための新しい型の習得は、上のランクの魔法だと言うのにそんなに苦戦はしなかった。
「今後の練習でも、双盾と空歩は継続して練習してください。この2つに慣れることで、魔法使いとしての力量が底上げされるはずです」
「それに、実戦でも使えるようになりたいですしね」
「そうですね。ただ、その水準に到達するには、まだまだだいぶ掛かりそうですけど。試験用に他の魔法を一揃い覚える方が早いくらいかもしれませんね」
「まぁ、気長にがんばります」
「そうしてください」
ここで言葉が途切れ、エリーさんはムースを小さくちまちま切っては口に運んだ。いつもの昼食では軽快なペースで平らげる彼女だけに、こうしてゆっくり甘いものを味わっているのを見るのはなんだか新鮮な感じだ。
少しの間、互いに食器がそっと触れ合う小さな音だけを立てて甘味を味わっていた。すると、エリーさんがまた口を開いた。
「リッツさんの欠点ですが」
「はい?」
「今できないことに目を向けすぎるところがあるかもしれません。自分を過小評価するといいますか」
「あー、練習中だとそうかもですね。なんか、あんまり前進してないなーって思うことがしばしばで……」
「逆に、今できることに目を向けることを強く意識したほうがいいですね。工夫するのは得意のようですから、その工夫のための材料を、自分の経験や実力の中に探し求めると言いますか」
「なるほど、わかりました」
こういう話をされると、本当に今日で最後なんだなという気にさせられる。口に含んだ茶が少し苦い。
ただ、俺はそうやって少し寂しくなっているわけだけど、エリーさんはそうでもないようだ。今まで色んな方に教えてきたからってのもあるだろうけど、あまり寂しそうにはしていない。
そうやって色々と考えているうちに、俺は思わず寂しそうな表情をしてしまったようだ。エリーさんはそんな俺の顔を見つめ、にこにこしながら言った。
「ずいぶんと懐かれてしまいましたね」
「いや、そういうわけじゃ……ああいえ、やっぱりたぶんそういう気持ちは、あると思います」
「素直で結構です。今日で一緒の練習は終わりですが、あなたが魔法使いを続けるならば、また何かご一緒することもあるでしょう」
「……そうですね。そのときはまた、よろしくおねがいします」
エリーさんは笑顔でうなずいてから、ムースの最後のひと欠けを口に運んで幸せそうに味わった。
思えば、魔法庁で捕らえられてからの”監視”だっただけに、最初はどうなるのか不安で仕方なかった。それが最終的には別れを惜しむようになっているんだから、我ながら不思議なものだと思う。
さすがに「捕まって良かった」なんて思いはしないけど、それでもこうしてエリーさんに師事できたのは、自分の中ではとても良い経験になった。きっと、あの日捕まってから放され監視役を決めるまでの間に、少しでもいい方に転ぶようにと、陰ながら手を回してくださった方々がいるんだろうと思う。閣下や長官さん、エリーさん自身に、もしかしたらギルドの介入もあったかもしれない。
知らないところできっと動きがあって、そのおかげでこうしてエリーさんに出会えたんだ。そのことに感謝しよう。




