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いつかの魔法  作者: 紀之貫
第1章 黒い月の夜
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第8話 「あの子が先生」

 2日めの朝、軽い朝食の後、教材一式らしきものを抱えたお嬢様に、裏庭へ案内された。

 裏庭は芝生のようにかなり丈の低い草が生えるのみで、少し殺風景だった。塀にまとわりつく蔦は表よりも密に重なり、向こう側が全く見えないわけではないけど、外目を気にする必要はなさそうだ。


「まずはこちらをお渡しします。どうぞ」


 袋から彼女が取り出したのは、少し厚めの本と、先端にガラス玉のようなものがついたペンだ。受け取った本をめくると、中はかなり薄めのベージュの紙で、まっさらだった。


「今日から毎日、日記をつけましょう。これが上達の秘訣で、”最良の魔道書は日記”とか、”血と汗で書いたことは忘れない”と言われているくらいです」


 彼女はそう言いながら、一見書けなさそうなペンを持つ俺の手に触って、ペン先を紙に付けた。


「これはマナペンと言って、自分のマナの色で書くことができます。森の中で、青緑色のマナを絞り出されたときのことを、イメージしてください。指先、爪の辺りに意識を集中して、体の中の力をそこから外へ通すように」


 言われて、森の中のことと、昨夜少しはしゃぎながらランタンを光らせて遊んだ事を思い出した。

 あの予行演習が活きたのか、ペンから濃淡はまばらながらも、しっかりと青緑の光が出て紙に定着した。

 彼女がこのペンを使うとどうなるのか、聞いてみたら、一筋描いてくれた。予想通り紫色だった。


「色によって違いはあるんですか? 紫の方が強いとか」


 何気なく聞くと、彼女は少し驚き目を見開いた。


「何かご存知なのですか?」

「いえ、勝手なイメージなんですが、紫は偉いとか……」


 色の優劣で、最初に思い出したのは冠位十二階だった。一番偉いのが紫というぐらいの知識しかなかったけど。

 それと、森の中で見た色見本みたいな扇子も気になった。赤と紫が端にあるのは、虹に合わせたのかも知れない。でも、何か特別な色という感じもした。

 他にも……色での性格診断はあるのだろうか、気になる。赤は短気で緑は粗野で青は性悪みたいな……。

 こういう先入観はやめた方がいいな、などと思っていると、彼女は袋から何か取り出した。手のひら大の、ゆるやかに外側へ開いたU字の物体で、端がそれぞれ赤と紫、底は緑できれいにグラデーションしている。


「これは虹の谷と呼ばれる、色どうしの関係性を表すものです。上にある色ほど……希少ですね。底にある色は……」

「まぁ、珍しくもない、と」

「はい、そんなところです」


 色の上端にいる彼女は、言葉選びにかなり慎重に見える。


「珍しさ以外で、何か違いはありますか?」

「各人のマナ以外にも、魔法自体に適正な色が定められていることがあります。それで、自分の色と違う魔法は、使うのにより多くのマナを使ったり、高度な魔法になるとまったく使えなくなったりします。そして、自分の色より低い色の魔法は、違う色でもさほど無理なく使えますが、逆になるとかなりの負担を強います」


 彼女はそこで一息ついた。上の方にある色の方が、力関係的には有利と考えてみて良さそうだ。


「ですので、上の色ほど優位性はあるというのが通説ですが……紫のマナを持つ者は基本的に貴族のみで、貴族は同じ色のマナでも各人の得意不得意の差が激しく、”貴族の師は自分”とか、”親は赤の他人”とか言われています」


 赤の他人というのが、谷の向こう側ということを意味しているのなら、確かに他人だと妙に納得してしまった。


「緑に近い色ほど、勉強会や互助会のような集まりを良く催すという話も聞きますから、色の違いについては、それぞれ良し悪しがあると思っています。それと」


 そこで言葉を切った彼女は、俺の方を羨ましそうに見ながら言った。


「実は、私は自分の色がそこまで好きではないので……どうしても、威圧的な色に感じてしまいます。リッツさんの色の方が、瑞々しくて安らぎますので、そこは羨ましいですね」

「あ、ありがとうございます」


 どちらかというと、こちらが持たざる者のはずなんだけど……上には上の苦労があるんだろうな、と思った。


 テーブルに日記とペンを置くと、次に彼女は薄く黒い布を芝生の上に敷き、四隅の穴に杭を打ち込んで地面に固定した。布には大きな円と、内側に幾何学的な模様がある一回り小さな円が、白い糸で刺繍されている。


「外側の円に沿って、マナを出してみていただけますか」


 そのとおりにしてみると、指先から伸びた青緑の光線が、空中にかすかな粒子を残しつつ円の一点を染めた。


「では、円に沿って動かしてみてください」


 指を動かすと、円に沿っているつもりでもフラフラ揺れる。色も少しムラがあって、彼女が先程褒めてくれたのが逆に恥ずかしいくらい、不格好だった。

 それでも、円に沿って描き続ける。すると、彼女は何も言わずにただうなずいて、続きを促した。

 ややあって、彼女が口を開いた。


「円に沿って描いていただいていますが、光ったままマナが残る部分は、円の3割程度ですね」

「はい」


 円に沿って描いている間、マナが当たらない尾の部分が白に戻り、青緑色の弧が環状線の電車のように巡るばかりだった。


「頭と尾が付いて、1つの円になるまでが第1ステップです」


 まだ3割程度しか出来ていない俺が、唖然として硬直していると、彼女はにこやかな顔で言った。


「お昼ごはんまでには出来ますよ。がんばってください」



 無言で円と格闘する。額には汗が滲んできた。上げ続けた腕と、動かし続けた指は、だんだん感覚がおかしくなってきた。

 しかし、感覚がないというよりは妙な浮揚感があって、彼女にそれを伝えると、マナの扱いに慣れてきた証拠と教えてくれた。

 そして、円を描き始めて1時間ぐらい経っただろうか。その間、ほとんど会話はなかった。俺が集中して取り組めていたからというのもあるだろう。

 それに、彼女は静かに微笑みながら見守ってくれていた。それが心強かったし、ありがたかった。


「色のムラがなくなってきましたね」


 色が残っているのは、まだ円周の半分強程度だった。しかし、最初の汚い濃淡はなく、ほぼ1色と言っていい色づきになっていた。これは進歩だろう。


「色を安定して出せるようになると、強く定着させやすくなります。この調子でがんばって。消えていく尾に追いつこうとするのではなく、消えない尾を残し続けるイメージで。そうすれば、気がつけば円になっているはずです」


 それから、たぶん30分もしてないと思うけど、次第に伸びていった円弧が、ついにつながった。最後の方には、もう頭も尾も意識せず、無心に指先に集中していたので、円ができたことには気づかなかった。

 彼女の嬉しそうな声を聞いて、ようやく達成感が湧いてくる。


「やりましたね、おめでとうございます! では、円をまたいで交差するように、ほんの短い線を描いてもらえますか?」


 言われたとおりにすると、円は淡い光の粒になって霧散した。


「描くスピードを速くするのが第2ステップです」



 円を描いては消して、また描いては消して……。先程の円を作るまでとは違い、少しずつ余裕ができてきたようには感じる。

 その余裕を感じ取ったのか、彼女が話し掛けてきた。


「円を作るのは、魔法陣の基本中の基本です。きれいな円でなければ、マナの流れが乱れて、魔法の威力が弱まったり、発動しなかったりしますから」

「そういえば、森の中で戦っていたときは、まったく魔法陣が見えなかったのですが」

「見えないスピードで作っていただけです」


 そう言って笑う彼女に、慢心みたいなイヤらしい感情は感じない。彼女はそのままの、にこやかな表情で言った。


「あなたもできますよ」

「だといいですけど」



 円を何個描いただろうか。まぁ、千は行ってないと思う。数えるのも忘れて、ひたすらに没頭した。

 指で円を描いていると、同じものが頭の中にもちらついた。次第に、地面に円を描いているのか、頭に描いた円が地面に現れるのか、わからなくなってくる。

 そうして円を描き続けていると、不意に肩に手を置かれて我に返った。


「一度、円を描いてみてください。極力落ち着いて、冷静に」

「はい」


 言われたとおりに円を描く。すると、頭の中で思い描いたイメージをそのまま判で押したように、一瞬で色づいた。


「途中から、目の前の円と頭の中で描いているイメージが一緒になって、少し混乱してきたのではないですか?」

「……そうですね、無我夢中でやってると、見てるものとイメージが一緒くたになってた感じはあります」

「最初は思い描くように指で描き、次第に指で描くように思い描き、描くのが速くなるほどに、描くことと思うことが一つになる。これがイメージをそのまま描くという、魔法陣の基本で、極意の一つです」


 俺よりもほんの少し背の低い彼女だけど、そばにいると静かな威厳を感じる。フォースもこんな感じで学ぶのかと、ふと思った。


「円は問題なさそうですので、次は中身に移ります」


 そう言って彼女は、黒い布の横に鮮やかな紫で魔法陣を描いた。二重になっている円の間は狭めで、内側の円の中に直線が走って、幾何学的な模様を作っている。


「これを真似て、同じものを描いてください」


 横を見ながら、同じものを描こうとする。しかし、少し焦ったためか線がずれて、外側の最初の円まで消えてしまった。

 すると、彼女は微笑んで言った。


「焦らなくても大丈夫です。最初の円さえ描ければ、円は消さない限り消えずに残ります」


 確かに、一度描いてしまえば円は残り続けた。落ち着いてゆっくりと線を重ねていく。

 それでも何回か失敗して描き直したものの、なんとかお手本通りのものが出来た。彼女が小さく拍手する。


「思っていたよりも順調で、素晴らしいです。ではお昼ごはんまで続けましょう」



 昼食後も、魔法陣の訓練は続いた。


「今練習している円や線で構成された部分を、俗に器とか皿とか言います。何らかの理由で描いたものが消えた場合は、割れたとか砕けたとか表現しますね」


 ある程度聞く余裕ができてきた俺に、彼女が講釈する。


「外の円を除いた中身の部分に限定して、模様とか陣立てということもあります。表現としては器や模様が一般的で、皿は冒険者の方々、陣立ては軍関係の方が好まれるイメージです」


 その器作りもだんだん慣れてきた。横を見ながら描いていたのが、段々と頭の中に完成図がしっかりと刻まれ、それを現実に描く、そんな流れになってきた。


「最初に描く基準の円さえ出来てしまえば、そこを起点に直線と円を組み合わせていくだけです。頭の中に描く円も線も完璧にして、それを指に伝えるように」


 こうした特訓で指導されていると、森の中で図形の話を振られたのも腑に落ちる。曲面上の三角形について、あの時なんだか熱心さを感じたけど、そりゃ興味出るよなという感じだ。


 器を描くのもずいぶん様になってきた。彼女の見立てでは、俺は図形の認識力が良いらしく、そこは自信を持っていいポイントらしい。


「とはいえ、最後の”文”が一番大変なのですが」


 と言いつつ、彼女は目の前の空中に、俺にわかるように紫の器を描き、先程まで書かれなかった円と円の間に文字が刻んでいく。

 その文の意味を把握する間もなく、言葉があっという間に隙間を埋めたかと思うと、魔法陣全体が細かな粒子になって消え、一瞬矢のようなものが現れて数m先の標的に当たった。響いた衝突音は、先の戦いの中で聞いたものと同じだった。


「最初に教えるのは魔力の矢(マナボルト)です。横向きでは危ないですし、うるさいので、練習では空に向けて書きましょう」


 彼女は、今度は中身の線がない二重円を描き、その間を文字で埋めていく。きちんとした器じゃないのは、器も埋めると魔法になるからだそうだ。


「今書いている文、成句とも呼ばれていますが、これと器が揃うと魔法陣となって、魔法が発動します……これで、魔力の矢の文が書けましたが、読めますか?」


 この世界に来る前に言語能力を植え付けられたらしく、普通の読み書きは問題なかった。

 しかし、今目にしている文はとても古臭いものに感じた。たぶん、留学生や帰国子女が古文漢文をやる時、今の俺みたいに感じるだろうと思う。

 苦労して、意味が通じるよう解読みたいな調子で読んでいくと、大体こんな感じの文だとわかった。


『欠けなき円に 力満ち 張りたる弦が 機を待てば 言を宣して 標を示せ 意に至らば (まさ)に当なり』


「……どうです?」

「……力いっぱい弓を引いてるところなんで、後は敵を教えてくれれば当てますよ、みたいな……」


 古語風に言う恥ずかしさから、かなり噛み砕いた口語訳っぽく伝える。高校の古文の先生はこういう訳の方が好みで、簡単に点数をくれて大好きだったのを思いだした。


「訳が……男の子ですね」

「男の子?」

「普通、少しいかめしい……ご年配の語り口風の訳で解釈されることが多いので。お父様の書斎も、そういう本ばかりでした」

「訳が、”解釈”なんですね」


 そこを指摘すると、彼女はうなずいた。


「すでに失われた言葉なので、現在の知識では、こういうことを意味しているのだろうと、そういう憶測を立てるしかありません。だからこそ、馴染みにくくて、覚えにくいのですが……」


 そこで言葉を切った彼女は、真面目な顔つきから少し表情を崩した。


「夕食前に器まではと思っていましたが、この調子なら文も行けそうですね。頑張ってください」



 日が傾いていくのと競うように、少しずつ文の記述速度が上がっていった。何発虚空に向けて矢を放ったかはわからない。全身にじんわり汗が浮かんだけど、疲労感がむしろ心地よかった。

「もうそろそろ」と彼女が止めにかかる頃、日はほとんど沈みかけ、夕焼けが辺りを茜色に染めていた。

 矢の方は、この頃には書き損じもなく安定して撃てるようになり、一瞬と言わないまでも一息で書ききれるようになっていた。


「初日としては……たぶん、大成果だと思います、お疲れさまでした!」

「ありがとうございます。お嬢様も、お疲れさまでした」

「今日覚えたこと、気づいたことなどは、忘れずに日記につけてください」

「はい」


 その後、無言になった彼女は、何やら少しだけ照れくさそうに視線を泳がせ始めた。体はややモジモジしている。


「どうかしましたか?」

「あの……変に思わないでほしいのですが、私のこと、一度……先生って呼んでみてもらえませんか?」

「先生?」


 問い返すと、彼女は少し嬉しそうに頬を赤らめて緩めた。何だかドキドキしてくる。そして……。


「……もう一度、お願いできますか?」

「せ、先生」


 はにかみながらも喜んでいるように見える彼女を見ていて、妙に恥ずかしくなってしまった俺だけど、断るのも悪いかと思ってお願いに応えた。すると、彼女はしっとりとした様子で、何か小さな喜びでも噛みしめるように、小さく目を伏せた。


「そ、そんなに良かったですか?」

「はい」


 夕日を背にした彼女の笑顔は、どこか寂しげになった。


「みなさん、お嬢様としか呼んでくれませんから」


 それから、彼女は一礼し、ゆっくりと屋敷の中に歩いていく。その背を呼び止めるように、俺は話しかけた。


「……まぁ、気が向いたらまた先生って呼びます。かなり恥ずかしいですけど」

「明日も、ですか?」


 手を後ろに組んで、彼女は俺の方を向いた。

 会って二日だけど、こういう仕草でドキッとさせてくると、先生と呼ぶのには意外と抵抗感を覚えた。でもまぁ、笑ってくれるならいいか。

 そうやって呼ぶ度に、こちらが顔を赤らめるのも……別にいいかな。

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