第77話 「長官の憂鬱」
辺りから音がして目が覚め、身を起こす。獄中だというのに、割と普段どおり寝ることはできたようだ。不安に負けないようにと自分に言い聞かせたおかげだろうか。あるいは、案外図太くなったのかもしれない。
目覚ましになった音の方に注意を向ける。建物の入口の方で、何か話し声がする――というか、揉めているようだ。見張りの方も、俺の方への注意は切らさないまま入口の方へ視線を向けている。
いよいよか、そう感じた。しかし、そうすんなり事が運ぶとも限らない。今の今までこんな扱いを受けたんだから、また何かわけのわからない想定外が起こるのかもしれない。
入り口のほうが静かになり、足音が近づいてきてから視界に入ったのは、背の高い女性の職員さんと、彼女に案内されるように入ってきた、少しボーイッシュな感じの装いをした子だ。顔は職員さんの影に隠れていてハッキリとは見えないけど、女の子っぽい。
見張りの方が何事かと尋ねようとする前に、やってきた職員さんが用件を述べた。
「確保にあたって、ギルドへの連絡は?」
「私は……知りません。ただ見張るようにと」
「なるほど。ギルドへ様子を見に行ったところ、受注した依頼の集合時間になっても彼が来ないからと、少し騒ぎになっていました。この子は仕事仲間です」
依頼を受注した覚えはない。勘違いか作り話なんだろうけど、作り話をしてまで俺に面会させようと動く、魔法庁の方がいるとは考えにくかった。また何か裏があるんじゃないかと身構える。
見張りの方は、説明を受けて部外者を睨みつけた後、同僚に少し強い口調で言った。
「それで、部外者を連れてきたと?」
「我々とギルドの関係を知らない人などいませんし、彼が我々から注視されているというのは、ギルドの上層では周知の事実です。この状況が、彼らに警戒心を植え付けないとでも?」
「それは……」
女性は、連れてきた子の肩に手を回して、優しく前に出した。帽子のつばで隠れて目は見えない。こういう変装をする人――というか、お方――に一人心当たりはあったものの、彼女とは少し違うように見える。
「この子は、彼の不在であまりに心配そうにしていたので、ギルドへの”説明”をしてもらう事を条件に、面会許可を与えました」
「勝手なことを……」
「長官が戻ってきても、同じことを言えるのですか?」
淡々と言う女性に対し、見張りの方は視線を伏せて押し黙った。
「何か不都合が起これば私が責任を取ります。所属部署が違うと言っても、私の方があなたより権限は強いですから、責は問われないでしょう」
「しかし、次長でも制御できない事態に発展すれば……」
「この子には、安易に事実を広めれば大変なことになると言い含めてあります。軽挙は慎みますよ」
相手の階級と態度、それと主張に根負けしたのか、見張りの方は反論できなくなり、黙って2人に道を開けた。それでも、「どうぞ」とは言わなかった。あくまで黙認するという体裁のようだ。
次長と呼ばれた女性は説得を終えると、傍らの子にうなずいた。面会の子が、一歩こちらへ踏み出し、こちらへ小走りで寄ってきた。
その子が帽子のつばを上げると、女の子の顔があらわになった。見覚えのある顔だった。しかし、記憶の中の彼女と髪型が違う。先に会ったときからほんの数日しか経ってない。この面会のための作り話に合わせて、髪を切ってきたんだろうか?
ただ時間がすぎるのを待つだけの状態から急に事態が進展したようで、変化についていけずに困惑していると、目の前の子が口を開いて聞き覚えのある声で話しかけてきた。マリーさんだ。
「リッツさん……」
目の前の彼女は、今まで見たことがない表情をしている。だいたいは澄ました表情でクールに振る舞っていて、たまに静かに微笑んだり奥様と悪ノリしていたずらっぽく笑ったりする彼女だったが、今は痛ましいくらい沈痛な面持ちで俺を見ていた。
言葉を一言漏らした後、彼女は二の句を継げずにいた。俺からも何も言えないまま、時間だけが過ぎた。これまでも、この獄中で時間だけが無為に流れていったけど、今のこの沈黙が一番つらく感じられる。
マリーさんは見張りの方に向き直って、少し声を震わせながら言った。
「手を握らせてもらっても、構いませんか?」
「それは許可しかねる」
「どうか……お願いします」
消え入りそうな弱々しい声だった。見張りの方は少し憮然とした表情で、次長さんの方に向いて問いかけた。
「ボディチェックはされましたか?」
「したと言って、信じてもらえるのですか?」
彼女の切り返しに、見張りの方は顔をしかめて黙った。次長さんは短く息を吐いてから、マリーさんに上着を寄越すように言った。言われたままジャケットを脱ぐと、上はブラウス姿になり、さらにマリーさんはこれ見よがしに袖をまくりあげていく。
彼女が渡した上着が、次長さん経由で見張りの方の手に届く。彼が念入りにポケットなどを検め、問題ないことがわかると、何か言うでもなくうなずくでもなく、上着を次長さんの手に戻した。やはり、ただ黙認するという構えのようだ。
次長さんは、短く「どうぞ」と言った。マリーさんに向けたその一言は、見張りの方とのやり取りと違って、どこか暖かく聞こえた。
マリーさんが、俺の方へ手を伸ばそうとする。しかし、俺は手振りでそれを止めさせた。なんだか、獄中に手を入れさせるのが悪い気がしたし、来てくれたことへの感謝を表したい。俺の方から格子の向こうへ両手をのばすと、彼女の両手が包み込んでくれた。すべすべした彼女の手は、少し冷たくて、でも人のぬくもりがする。
手を重ね合うだけで、言葉は何も言えないでいた。何を言えばいいのかわからない。監視の目もある。それでも、何か言わないと不自然だと思った。手から視線を上げてマリーさんの顔を見ると、唇を固く引き結んで、瞳を震わせ、何かを必死に堪えているように見える。彼女から話させるわけにはいかなかった。
「……ごめんなさい、こんな事になってしまって。迷惑かけましたよね?」
「いえ、いいんです」
声は少し震えているようだったけど、いくらか話す分には問題ないように感じる。
「その……仕事はキャンセルになっちゃいましたけど、みんなどうしてます?」
「……リーダーは、落ち着いていました。サブリーダーも。それでも、2人とも心配そうでしたけど。私の友達は……私と同じくらい心配してて、どうしてもって言ったんですけど、結局は私が次長さんに相談して……」
リーダーもサブも友達も、誰のことかはすぐに分かった。やっぱり、この件はあのお家にも累が及ぶんだろうか。こうならないように色々と手を打っていたはずで、ギルドとも協力していたはずだ。それがこんな事になっているわけだから……俺が心配するのも身の程知らずな気はしたけど、それでもあちらのことも案じずにはいられない。
言葉を切ったマリーさんは、手をかすかに震わせている。でも、俺の方は逆に、自分が意外と落ち着いているように感じた。世間知らずで脳天気すぎて、ことの重大さを図りきれずにいるだけなのかもしれない。でも、俺にできることと言えば、目の前の彼女を少しでも元気づけることぐらいだ。
「俺の方は、とりあえず食事は普通に食べられましたし、寝付きも普通でしたから、その辺は大丈夫です」
「……そうですか、よかったです」
そう言った彼女は、手もとから視線を上げた。格子ごしに目が合った。すると少しずつ、彼女の表情が崩れていく。彼女は消え入りそうな声を出した。「……ちっとも良くないです」と、それだけ言い切ると、目から溢れた涙が一筋、頬を伝って落ちた。
彼女の、いつもの落ち着いた様子はどこにもなかった。素顔に触れたような気分だ。そんな彼女の素の部分にこんなところで触れるのが、たまらなく苦痛で腹立たしくて、悲しかった。
気がつくと、彼女は両手を離して袖で涙を拭っている。両手が急に冷えたようだった。
ややあってから、彼女は気分が落ち着いたのか、静かに言った。
「出られたら、また顔を出してください。みんな心配してますから」
「それはもちろん」
「では。私よりもお元気そうで、それだけは何よりでした」
微笑んで小さく頭を下げると、彼女は俺に背を向けて次長さんの方へ歩いていった。言葉もなく、2人はうなずきあう。それから次長さんは俺の方に顔を向け、少し小さく頭を下げた。俺の方を見ている見張りの方は、それに気づいていないようだ。
来訪者が去ると、また静かになった。いつまで続くんだろうか。
☆
6月23日、10時。魔法庁長官、ウィルフリート・ローウェルが前線拠点の訪問から帰還すると、彼に今回の確保の件が告げられ、あらかじめ用意のある会議室に長官は帰還早々通された。室内には各部署の責任者クラスの面々が揃っている。
長官は少しくたびれた雰囲気のある青年だ。年は30台と言われているが、詳細な情報は誰も知らない。魔法庁からの出世ではなく、国家上層部からの推挙で現在のポストにある。魔法庁内では縁故によるものと見る者が多い。
強権を以って治安を保つ魔法庁にあって、物腰低く少し柔弱とも言われる彼は、外回りが多いことや縁故採用の噂もあって、魔法庁の内部ではかなり軽んじられている。
よって、彼がこういった重大な案件を扱うことになるのは、実は初めてのことだった。
会議室の上座に座る彼に、今回の確保に関して動いた治安維持部門の長が、事の顛末を読み上げるにつれ、その場の空気が少しずつ凍りついていく。役立たずと侮る者さえいた長官は、話を聞いても身じろぎしない。しかし、張り詰めたような緊張感、威圧感を放つのは紛れもなく彼だった。同席する部門長の大半は、組織の長が静かに放つ気に圧され、身を硬くした。
「報告は以上か?」
「はい」
魔法庁の力を象徴するとも言われる、治安維持部門の長も、気が付けば額に汗をにじませていた。近くの席の者がそれに気づくと、ますます長官に恐れを抱いた。弱腰の若造などとはとんでもない風聞だった。
しかし、遠くの席にはプレッシャーが届いていないのか、あるいは見掛け倒しと映ったのか。状況の解説が終わると、長官から離れた席に座る者が手を上げ、進行役に名を呼ばれてから声を上げた。
「すでに状況は動いております。伯爵家、冒険者ギルドが事態に気づくのもそう遠くありません。ご判断を」
「……君たちは、私に最後の判断を委ねるためだけに動いたのか?」
「いえ、そのようなことは」
「最終的にどのような形へ進めるべきか、具申できるものは?」
長官が静かに言うと、雰囲気に飲まれて怖じていた者たちも、腹をくくったのか手を挙げるのも忘れて声を上げ始めた。
「まずは、長官に方向性を定めていただかなければ!」
「組織として定まった方向性もないまま、君たちは動いていたのか?」
「長官も、違法行為があった件についてはすでにご存知だったはずです。何かお考えがあったのでは?」
「こうなるまでは黙認のつもりだったが、その道は潰えたようだ。それで、君たちはどうなんだ」
「黙認はなりません。今回の戦勝が前例となり、法を軽視する風潮が広がりかねません」
「用法外で使わねばならない、特段の事情がどれだけ起こりうると思う? 我々に抗しうるだけの権限を持つ者が幾つもいて、みなが無責任に濫用するとでも?」
「そのようなことは……」
語気強く言い出した彼も、長官の答えを受けて少しずつ尻すぼみになると、ここまでと判断したのか別の若い職員が声を出す。
「すでに容疑者の確保はしてしまいました。なかったことにはできません、今後のご対応が必要です」
これこそ無責任の極みとも言える発言だが、一方で魔法庁の下々を代表する勇敢な発言でもあった。今回の会議の目的は、そもそもそこにあった。
意図を察したのか、長官は長く息を吐いて上を見上げた。彼が見上げた天井は真っ白だった。
「私が出向いて、伯爵を説得する」
室内がどよめく。声が落ち着いてから、一人静かに手を挙げ、視線が集中して座が静まり返った。手を挙げたのは長官補佐室の室長だった。陰ながら部下に情報を与えては、この状況を作った張本人だ。彼の暗躍を知るものはいないが、その暗然としたカリスマ性には誰もが一目置いている。
場の空気を支配した彼は、静かに立ち上がって長官に言い放つ。
「よろしければ、この案件は私が処理しましょうか」
「理由は?」
「長官では荷が重いかと」
会議室に、小さな笑い声が漏れた。長官から離れた席からだ。しかし、その笑い声が逆に、場の空気を一層凍てつかせた。声の主は非難がましい視線を感じて身を縮めた。
しかし、笑われた当人は一切気にしていないようだ。ただ、自分を補佐する者に真剣な眼差しを投げかけた。
「私では、荷が重いと」
「そのように考えている者が、私を含め大勢を占めるかと」
「君たちに、理解できる重さの荷だと?」
「長官も、持たれたことはないのでは?」
言葉を重ねるほどに、座は静まり返り、わずかな物音ですら大きく感じられるようになっていく。
長官は、不意にフッと微笑んだ。重々しい雰囲気には似つかわしくない表情に、一同が呆気にとられた。
「外務は私の仕事だろう? あまり張り切って私の仕事まで取らないでほしいけどね。君にこういう仕事まで任せると、いよいよお役御免になってしまう」
少し声を和らげた彼に、ほんの少し表情を柔らかくする者もいたが、いまだ立ち続ける補佐役は冷たく言った。
「この会議が招聘されるまでに至った経緯を鑑み、正当な処置をなされますよう、よろしくお願いいたします」
「了解した」
会議はそれで閉会となり、長官は手もとの資料に視線を落とした。
頭を下げて部屋を出る部下を見送りながら、長官は一人部屋に残り続け、他に誰もいなくなったところで大きく長いため息をついてから机に突っ伏した。




