第592話 「帰還報告①」
8月8日朝。窓から差し込む光で、俺はすんなり目を覚ますことができた。久しぶりの寝床に違和感を覚えることもなく、前夜の酒が変に残ることもなく、ぐっすり眠れたようだ。
腕の骨折は大問題だけど、一つ幸いと言えるのは、この季節だ。薄い半袖で済ませればいい時候のおかげで、着替えの負荷は軽減できている。
それでも、まだ慣れないところはある。四苦八苦しながら着替えと薬の塗布をやってると、下から朝食のお呼び出しがかかった。こっちは、あともう少し。
そうして普段よりも手間がかかる身支度を済ませ、俺は部屋を出た。すると、ドアのすぐそばにリリノーラさんが。少し驚く俺に、彼女は優しく微笑み、「もしよろしければ、お手伝いにと」と声をかけてくれた。
「いや、大丈夫ですよ。自分の部屋に女性を上げるのは、なんというか、恥ずかしいですし……」
「……ふふ、リッツさんらしいですね。でも、あんまり無理しないでくださいね?」
「ええ、ヤバくなったら、その時はお願いします。そうならないようにしたいものですが」
すると、彼女は小さく笑い、「足元に気を付けてくださいね」と言った。そして、彼女は先に階段を下りていき、そこで俺が下りてくるのを見守ってくれた。足のケガじゃないから、降りるのにそこまでの苦労はないけど、心遣いはありがたい。感謝と、ちょっとした気恥ずかしさを覚えながら、俺はゆっくりと下へ降りていった。
今日の朝食は、サラダにパンにスープだった。軽めの献立で、片手でも容易にいただける――やっぱり、こういうところでもお気遣いいただいている感じなんだろうか? 俺の具合に合わせて、他のみなさんがあおりを食っているようで、ちょっと申し訳なくなってくる。
……と思っていると、ルディウスさんが話しかけてきた。
「リッツさん。食べ物について、医師の方からは何か?」
「特には……強いて言うなら、三食きちんと食べなさいってところでしょうか。腕以外は元気ですので」
「なるほど……でしたら、今後は肉や魚は、食べやすいように切って出しましょうか?」
「そうですね、助かります」
本当にありがたいご提案だ。俺の皿に一手間かかるってのは少し申し訳ないけど、俺はご厚意に甘えることにした。
そうして朝食が始まった。あれこれと積もる話は、昨夜杯を傾けながら語らって一段落している。今日のところは落ち着いたものだ。日常に戻ってきた……というか、近づきつつある。
普段よりも時間をかけて朝食を味わってから、俺は仕事へ向かう。「帰ってきたばっかりなのに」と労りの声をもらったけど、俺の帰りを待ちわびていたのは、仕事の関係者も当然いるわけで……。
「まだまだ書類仕事があるんですよ~」と言うと、みなさんすごく同情してくれた。身につまされる部分も多いのかな、と思う。
とはいえ、帰って来たばかりということもあって、色々と配慮はいただけている。部隊として正式に報告会などを行うのは、もう少し後の話だ。今日のところは、隊の代表として事前に顔出しし、次の会合に備える程度のものとなる。
そういうわけで向かったのは魔法庁だ。すでに利害関係者になっているおかげで、受付での話は早い。一度、来客向けの待合室に通された後、係員の方にご案内していただいたのは応接室だった。
中にいらっしゃるのは、魔法庁の中でも特に縁がある、エリーさんと庶務課の課長さん、そして長官であらせられるエトワルド侯爵閣下だ。
まぁ、長官がいらっしゃるとはいえ、課長が同席という時点で、割と格式張らない感じではある。非公式の会合でもあるし。
また今回、俺はお客様扱いという事らしい。席に着いてすぐ、職員の方がやってきて茶の用意をしてくださった。こういう扱いを受けるとは思っておらず、思わず恐縮してしまうと、向かい合うお三方からは含み笑いを漏らされた。
そうして準備が整うと、まずは閣下が労いの言葉を掛けてくださった。
「無事……とは言い難いが、再び元気そうな顔を見れて何よりだ」
「ありがとうございます」
「そこで……さっそくで申し訳ないが、本題に入ろうと思う。とはいえ……」
閣下は書類に手を付けられ、「どこから話したものか」と困り気味の笑みを浮かべられた。
お悩みになられている訳は、身に覚えがある。俺が事前に仕上げた、魔法庁向けの報告書がここにある。ただ、肝心のその中身はというと――「公表できない魔法を使いました」というのがほとんど。
実際、マスキアへ行ってからというもの、ドローンみたいに魔法陣を飛ばしたり、攻城用に物騒なのをぶっ放したり、他人のマナを使えないように差し押さえたり、虚空に潜り込んだり……魔法庁的には、問題行動しかやってない。
そういう諸々の手口は魔法庁所轄外だけに、魔法の組成は当然として、その効果や現場での働きであっても表沙汰にはできない。そのため、はぐらかせる部分はだいぶ濁してある。
また、盗録や虚空の件は、ごく限られた方々、それも国政・軍事の上層に話が留まっているという事情もある。漏れ出す前に、皆様方の手でガッチリ止められている中、ここで緩めるわけには……ってワケだ。
そういうわけで、かなりはぐらかしが多く、報告書と言い張るのが苦しい代物を俺はお出しした。
俺や上の方々にも立場はあるとはいえ、こちらの方々の立場も思うと、申し訳なくなってくるばかりだ。決して、困らせようと思って、ああいうことやったわけじゃないんだけど……そう言い張るのも言い訳じみた逃げのようで。
どうにも気まずい空気が流れていく。しかし、それは長くは続かない。課長さんが「話せるところからいきましょうか」と、困ったような笑みを浮かべながらも切り出してくださった。
隠し事が多かった一連の戦いの中でも、話せる内容はきちんとある。それも、結構重要なのが。その話を課長さんが持ち出してくる。
「反魔法が大活躍したようですね」
「はい。瘴気からの救助に奏功したとのことで」
反魔法の中でも、吸い上げる色を赤紫に調整したバージョンは、対魔人戦において人命救助に大車輪の活躍をした。魔人と戦うとき、おおむね乱戦になっていたから、本来の使い方である敵魔法の阻害という用法ではそんなに活躍しなかったけど……それはそれだ。
あと、瘴気向けのバージョンはこれが最後の活躍だろうとも思うけど……むしろ、間に合ったと捉えるべきだろう。
反魔法の承認と教練に関しては、魔法庁の庶務課及び、エリーさんに世話になっている。こちらのお二人は、今回の功績を受けて嬉しそうだ。エリーさんが優しい声音で話しかけてくる。
「あなた方のお手伝いをできたのは、本当に光栄に思います」
「いえ、ご協力いただけたからこその結果ですし、お礼を言わなければならないのはこちらの方で……私たちの発議に対し、寛大にもお認めいただいたご恩は忘れておりません」
俺は閣下に向き直り、深く頭を下げた。腕が少し圧迫されて痛みが走るものの、それは……悪くならない程度に我慢だ。王都襲撃から始まり、魔法庁のトップ人事、王都や魔法庁における気風の変化。色々と難しい環境にあって、新たな試みを容れてくださったご決断があってこその戦果だ。
すると、閣下は「腕を大事にしなさい」と優しい声音で仰った。顔を上げてみると、お三方が困った奴を見るような温かな目を向けておられる。
「反魔法の許可については、礼を言われるほどのものではないよ。実を言うと、当時上層部に向けた説得も、そう難しいものではなかった」
「左様でしたか」
その辺の事情は、エリーさんも課長さんもご存じなのだろう。無言で肯定している。そして、閣下は言葉を続けられた。
「当時、新しい流れを組み入れようという空気は、確かにあった。諸機関との関係改善、協調路線を優先しようとも。ただ、反魔法そのものへの評価も、実は当初から大きく期待が寄せられるところがあった」
「と言いますと?」
「向けられた魔法を阻害する以上の働きを持たない反魔法は、荒らす側の魔法ではなく、収める側の魔法だろう? それはまさに、魔法庁が修めるべきではないかと、ね」
確かに……反魔法に関しては、発想の根幹が前世のカードゲームにあるものの、誰かを守って助けたいという意図も多分にあった――と思う。たぶん……。
いずれにせよ、そういった評価をいただけていたというのは、本当に励まされる話だ。実際、望まれる成果を、俺の仲間たちが現実にしてくれた。発案者冥利に尽きる。
しかし、今後の世において瘴気への恐れは大きく解消されるとしても、反魔法そのものの必要性がなくなるというわけじゃない。真剣な顔で、エリーさんが指摘を入れる。
「対魔人戦における活躍が目覚ましい反魔法ですが、これからは対人戦での使用を視野に入れる必要があるでしょう」
「すでに、そういった兆しが?」
「いえ、そこまでは。ただ、こういった備えがあると認識されれば、間違いを犯す者も減るのではないでしょうか」
なるほど。魔法を撃たれた時の抑止力とする反魔法を、もっと前面へ推して、事に至らせないための抑止力にしようと。
こういった政策レベルの話になると、魔法庁のみならず、都政や国家まで絡んでくることだろう。俺の手を離れて、反魔法が旅立っていく。誇らしいような、少し寂しいような……。
いや、完全に手を離れるのか? 心に引っかかるものを覚え、俺は尋ねてみた。
「その件について、今後私に成し得るお役目などは、ありますでしょうか?」
俺にも何かできれば……と思っての進言だけど、返ってきたのは思ってたのと違う感じだ。なんというか、「何いってんだコイツ」みたいな、真顔を向けられている。
そして、含み笑いを漏らした後、エリーさんが答えてくれた。
「第一人者のあなたに、今後も色々と意見を求めることはあるでしょう。考案したばかりでなく、現地でも実践していることですし」
「……では、これまでとさほど変わりない役回りという認識で?」
「ええ。今後とも、よろしくお願いしますね」
そう言って頭を下げてくるエリーさん――だけじゃなくて、お三方が頭を下げてこられる。それに合わせて、俺も頭を下げた。今度は腕に障らないよう、少し浅く、ゆっくりと。
反魔法が今後普及していく。それも、治安を司る方々の間に。それはとても名誉なことだし、世の役に立つことだと思う。そういった流れの中で、俺なりの役目を果たせるのなら、なおさらだ。
まぁ、戦いが終わった矢先、新たな仕事を抱え込んだようだけど……平和を守るための忙しさなら、望む所だ。




