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いつかの魔法  作者: 紀之貫
第2章 独り立ち
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第40話 「水をやるのも一苦労」

 4月7日、朝。今日はいつもの裏庭ではなく、玄関側の庭で魔法の訓練をすることになった。先生と二人で水を一杯に張ったタライを庭の中心に運ぶ。タライには注ぎ口のように狭めた縁のある、洗面器のようなものが入っている。洗面器の底面は少し平たい部分が大きい。


「今日の訓練は水やりです。まずは見ていてください」


 そう言って彼女は、視導術(キネサイト)で洗面器を宙に浮かせた。それから、一度注ぎ口から水を落とし、タライから少し水をすくって花壇に水をそっと注いでいく。その動きに淀みはなく、至極当然のようにやってみせる。

 最後に、空になった洗面器を足元の石畳にそっと置き、彼女は俺に向き直って言った。


「まずは、この水差しに適した大きさの魔法陣を書く練習からですね。底面にちょうどよい大きさの円を書きましょう」


 言われたとおりに、右の人差し指で青緑の円を描く。無意識に書いているいつもの大きさの円とは違うけど、意外にもすんなりときれいな円を書けてしまった。

 大して苦もなく書き上がったことに、自分のことながら少し困惑していると、彼女が微笑んで話しかけてくる。


「大きさを変えて魔法陣を描くには、円を正しく書くのが一番大事ですが、これなら一安心です」

「案外簡単にできてしまいましたが……」

「器を覚えるのが得意な方は、円の大きさを変えるのにも適性があるとされています。初めての図形も頭の中でキレイに描けるということですね」


 適性的にはかなり有利らしい。念の為、円を消して何度か書き直してみても、書き損じなく洗面器――ではなく水差し――に円を書くことができた。彼女が穏やかな笑顔で「次は器ですね」と促してくる。


「難しいのがここからです。器の大きさを変えて覚えようとしてしまうと、円の大きさを変えるたびに器を覚え直す癖がついてしまいます。目の前の円に合わせて器を縮める、そういうイメージでいきましょう」


 そのとおりにやってみようとするけど、円に対してちぐはぐな大きさの器になり、何度もやり直すことになった。「大きさを変えるのは難しいですから、めげずに頑張りましょう」と彼女が優しく励ましてくれるのは救いだ。


「何か、コツとかありますか?」

「円を見ながら大きさを合わせて書くよりも、頭の中で先に大きさを合わせる方が向いているかもしれません」

「というと、今書いているのと同じ大きさの円を頭の中でイメージして……」

「その横に、すでに覚えている器を並べ、小さい円に合わせて縮める感じですね。リッツさんは図形のイメージが得意だと思いますから、こちらの方が早く慣れるかもしれません」


 さっそく、最初に円を書くところからやってみる。見たものに合わせて無意識に円を書くのではなく、頭でもそれをなぞるようにして意識的に円を書く。そうやって出来上がった円に器を並べ、縮めるところをイメージして先に書いた円に落とし込む……。


「かなり近づけましたね! いい調子です」


 書き上がった器は、少し外側の円と中側の円の間が空いていた。器を小さくしすぎたということだけど、見た円に合わせて縮めるよりは今のやり方が向いているようだ。


「ところで、今のは少し円の間が開いてましたけど、使えませんか?」

「魔法として使えないこともありませんが、少し不安定になりやすいですね。特に継続型で用いると変な癖が付きかねないので、正しい形を徹底しましょう」

「わかりました」


 覚え方に関しては、複製術を早くに教えてくれたりして、案外横着を許してくれる先生だけど、正しく覚えることに関しては妥協がない。これも、「覚えたことを確実に」という教えの一環なんだろう。


 大きさを変える練習を続けて、1時間ほど経過しただろうか。水やりどころか水差しを持ち上げる段階にすら進んでいないけど、ようやく進展しそうだ。


「縮小のコツは掴めてきましたね。そろそろ持ち上げる段階に進みましょう」

「はい」

「基本的には紙を動かすのと同じ感覚です。少し重たくなっただけですから、あまり難しく考えないようにしましょう」


 しかし、水差しに書き込んだ魔法陣に意識を集中しても、なかなか動かない。なんとか動かそうと指先に力を込めると、紙のときよりも、腕から指先へ向かうマナの流れが強くなるのを感じた。

 やがて、水差しは少し浮き上がり、石畳に影を落とした。やった、そう思ったのもつかの間、油断したのだろうかマナの糸が切れ、水差しはカランと軽い音を立てて地に落ちる。

 俺は少し落胆したけど、彼女は小さく拍手した。


「持ち上げられなかったものを持ち上げられるようになる、これが1歩目です。2歩目は、持ち上げられるようになったものを、安定して浮かせ続けることです。焦らずコツコツいきましょう」

「わかりました」


 そこから浮かせ続ける訓練が始まった。石畳の上はやめて水を張ったタライの上で、水差しを宙に浮かべたり落ちたりの繰り返しだ。


「視導術の訓練は、少しずつ持てるものを重くしていく必要があります。ですから、途中で持ち上げられなくなるのは当然です。失敗と考えず、『ここまで持てるようになった』と、一歩一歩の前進を前向きに捉えていきましょう」


 訓練自体はハードで、腕から指先にかけて疲れていく感じはある。でも、彼女の教え方や励ましのおかげで苦にはならない。自然と訓練にも身が入るのがわかる。

 やがて空の水差しを浮かせ続けられるようになった。彼女は笑顔で「おめでとうございます」と祝福してくれた。そして、笑顔のままで「少しずつ負荷を加えていきましょう」と促してくる。

 そこで、この訓練の意味を悟った俺は、タライの水面にそっと水差しを近づけ、注ぎ口から水を少しすくった。彼女は穏やかに微笑んだままで、真剣な眼差しはタライの水面に注がれている。


「ある程度水をすくい終えたら、水面から離してみましょう。それから何回か水面から目線の高さまで往復させます。これを苦もなくこなせるなら、持てる負荷だと考えて下さい。そして、すくった水を花壇に注いで、また水をすくいます」

「持てない重さだったら?」

「水を減らして様子を見て、少しずつ水やりを進めていきましょう。最初にすくうときは、気持ち多めに取って、常に自分の限界に挑む感じで頑張ってください」


 ようやく水やり本番までたどりついたわけだ。これがやはりハードで、指導に従い少しずつ負荷を増すように水をすくっていくけど、やればやるほどに疲労がたまるのがわかる。


魔力の矢(マナボルト)のような単発の魔法と違い、継続型を力の限り使い続けると、消耗は激しくなります。しかし、この訓練で体内のマナを効率よく引き出せるようにもなります。一種の体力作りに近いかもしれませんね」


 つまり、これは継続型の訓練になるだけでなく、魔法使いとしての基礎能力を高める訓練でもあるということだ。そっちの基礎能力の方は、いまいち向上がわかりにくいものの、視導術の方の熟達はわかりやすかった。水差しですくう水の水位は、少しずつ上っていく。満杯には程遠いけども。


「先生はどれぐらいの重さまで持てます?」


 何気なく聞いてみたところ、彼女は手を腰の前で組んでモジモジし始め、顔を横に向けてつぶやくように言った。


「私のは……いいです。少し自慢っぽくなってしまいますし」

「目標にしたいので、ちょっと手本でも」


 つとめて明るい口調で言ってみると、彼女は遠慮がちに視線を合わせてきた。あまり気が進まないという感じだけど、とりあえず見本になってくれそうだ。

「水差しの水を戻して、少し持っていてください」と言われたのでそのとおりにすると、彼女はタライの方に魔法陣を描いた。

 そして、彼女は水いっぱいのタライを腰の高さまで、力む様子も見せずなめらかに持ち上げ、また地面におろした。設置音がほとんど聞こえないくらい、精密な動きだった。

 格の違う技を見せつけた彼女は、少し恥ずかしそうにしている。「手が止まってますよ?」と照れ隠し気味に言う彼女に急き立てられて、俺はまた訓練を開始した。


 昼前には一通りの水やりが完了した。結局水差しに汲める水位は3分の1ぐらいの高さまでで、先は長そうだ。


「継続型の習熟は魔法使いとしての力量に直結する部分ですから、この訓練は毎日やる価値があると思います」

「そうですね、やりましょう」

「雨の日はできませんけどね」


 訓練が一段落したけど、昼食までは少し間がある。彼女に勧められ、庭のテーブルに着いてちょっと休憩しつつ、昼食まで雑談することになった。


「この訓練法って、有名なんですか? よくできてるなーって感心したんですけど」

「……私のオリジナルです」


 彼女は照れくさそうに言った。


「視導術の訓練法は、重さの調整がしやすいということで水や砂を用いるのが主流ですが……家に花壇がたくさんあって、毎日の習慣にはちょうどいいと思って始めました」

「なるほど」


 彼女の教えは書物ベースらしいけど、妙に実感のこもったアドバイスをしたり、こういうオリジナルの訓練法があったりして、色々工夫しながら努力してきたんだなぁと思わされた。


「今日は訓練ばかりになってしまいましたけど、他に何か気になることはありましたか?」

「……継続型の魔法ってことで視導術を教えてもらいましたが、継続型って魔法陣を動かせるものばかりなんですか?」


 そう聞くと、彼女は難しそうな顔をして少し考え込み、口を開いた。


「実際には、視導術は継続型と可動型を足した器でできています。魔法を維持するための部分と動かすための部分があるわけですけど、最初のうちは分けて覚える意義が薄いと思いまして……混乱させてしまってごめんなさい」

「いえ、いいんです。それで、継続型で可動型ではない魔法は、その場で動かず効果を発揮し続けるわけですね」

「はい。少し待ってください。今それぞれの型を書きますから」


 彼女はメモに継続型と可動型それぞれの模様を書いた。これらを重ね合わせると、確かに視導術の器になる。メモを取り出し、自分でも書き込む。「差し上げますよ」という彼女には「書いて覚えます」と言葉を返した。

 しかし、こうして手を動かしていると、色々と疑問が湧いてくる。気になったことをメモに色々と書き込んでいくと、彼女が話しかけてきた。


「6月にEランク魔導師の階位認定試験がありますけど、どうしますか?」

「どれぐらいの難易度ですか?」

「そうですね……視導術よりも簡単な魔法を、あと2つも覚えれば合格できる程度だと思います」


 あと2ヶ月ほどあることを考えると、余裕で間に合う気がする。

 問題は、出自がバレたりとか魔法庁に関わり合いになったりとかそういう点だ。でも、彼女に言わせるとたぶん問題ないらしい。


「Eランクでしたら、そこまで目立つこともないと思います。そのあたりの世情については、ギルドの方に相談するのが一番かと思いますけど……とりあえずの目標には丁度いいと思いますし、どうでしょうか」

「もう少し情報を集めてから決めますけど、とりあえずやってみようと思います」


 俺がそう答えると、彼女はにっこり笑った。


「では、昼食の後さっそく新しい魔法を教えますね」

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