第208話 「真夜中の練習」
あちらへ向かうための練習の日々が始まった。人目を避けるため、練習は夜間に限定。何か出てきそうなくらい寂れた神社や仏閣に夜訪れ、夜が明けたらネカフェで寝泊まり。そんな生活を繰り返した。
“生身の人間による世界間転移”という、前代未聞の取り組みを行うわけで、最初のうちはかなり心配だった。しかし、入口の門を開けるところまでが2日でできたのには、俺もフィオさんも驚いた。空間の膜に穴を開けるだけであれば、器の働きだけで済ませられるようで、器を覚えるのが得意という俺の強みが生きた形だ。それに、現世の膜が薄いのも幸いした。
まぁ、現世で膜に穴を開けられるからといって、それが向こうの出口を開けられることを意味するわけじゃない。膜が薄くなる黒い月の夜を選んでも、俺の力量で本当に開けられるかは未知数だ。でも、問題を段階的に解決していく中で、最初の取っ掛かりを自分の手で成功できたのは大きい。
それに、自分で穴を開けられるようになったおかげで、虚空へ入り込む練習に取り掛かれるようになったのも重要だ。フィオさんも俺用に入り口を作ることはできるけど、彼女に手伝ってもらうことには、何か重大なリスクのようなものを感じる。だから、なかなか慣れそうにない虚空への突入に、あまり彼女の手を煩わせたくはない。
虚空に入る練習を繰り返して数日で、空歩でおっかなびっくり進めるようにはなった。もちろん、俺が虚空にいる間は釣り糸を付けてもらっていて、いなくなったり落ちたりしないようにしてもらっている。文字通り、釣り糸が命綱になっているんだけど、俺とフィオさんの構図を客観的に見ると猿回しみたいに感じる。ふとした拍子にそのことを告げたら、まず猿回しについて尋ねられ、答えると笑われた。
フィオさんとは、仲良くなった……と思う。彼女は相変わらずウェットというか、気がつくとアンニュイな感じで佇んでいることが多い。もともとそういう方なのかと思わないでもないけど、俺に対する負い目があるようにも感じる。そういう感情を向けられているかもしれない、そう自覚するとなんとなく居づらさを覚え、俺の方から積極的に話しかけるようにしていた。
そういう努力のおかげか、さすがに和気あいあいとまではいかないけど、打ち解けた感じにはなった。お互いに話し相手がいないからこその、傷の舐め合いにすぎないのかもしれないけど。あっちに行けたら、もっと後ろ暗さ無くはなせるようになるだろうか。
☆
練習を開始して1週間。虚空で歩くのには多少慣れてきた。それでも、虚空に長居したいとは全く思わない。虚空には、本当に何もなかった。五感が鈍る空間で、自分が少しずつ揮発するような感覚すらあった。空間そのものに、物や概念まで消化されているようだった。
そんな、名前通りの虚無っぷりはもちろん脅威だったけど、一番困ったのは行き先がわからないことだ。
虚空から帰還し、腰を地につけると、フィオさんが「どうだった?」と聞いてくる。それに俺は、首を横に振った。すると、彼女は力なく笑って言った。
「当日は、もう少しわかりやすくなるはずだわ。あまり気落ちしないで」
「わかりました」
虚空を歩くのは、縁をたどるようなものだとフィオさんは言う。世界を隔ててもなお、強く結びつく縁をすがって進んでいく。その縁を感じ取れるかどうかは、個人的な資質とか色々影響してくるけど、世界の膜の薄さもその1つだ。だから、黒い月の夜を決行日に選んだのは、虚空で道に迷わなくするためでもある。
「呼ばれている感じ、導かれている感じがあれば、その直感に従って。それで、当日までは開けるのと歩くのに慣れましょう。そうすれば、縁を探るのに集中できるはずだから」
「了解です」
つまり、ぶっつけ本番になりそうだ。まぁ、いい日取りを選んでうまくいくかどうかって話だから、当日までに検証できない部分が出るのは仕方ない。今はただ、できると信じて今やれることを確実にこなすだけだ。
しかし、俺が虚空で迷子になるのに対し、フィオさんはすぐに俺を見つけ出す。転移のやり方自体が違うし、力量差もあるのだろうけど、何か参考にできる部分はあるのだろうか。聞いてみると、彼女はちょっと申し訳無さそうな感じになった。
「転移を一度使うと、その場所や相手と縁ができることがあるわ。それをたどると迷わないのだけど、今回は使えないわね」
「縁ですか……俺と?」
「……お顔が真っ赤ね」
指摘されるとますます恥ずかしくなった。しかし、そんな俺を見るフィオさんは、意地悪じゃなくて単に嬉しそうに見える。ならいいか、とも思ったけど、そんなほのかな温かい感情は、次に気がついた考えに吹き飛ばされてしまった。
「俺を飛ばした奴も、そういう縁を持っているんでしょうか」
「そうね……」
真剣な面持ちで考え込むフィオさんからは、少し深刻な感じも伝わってくる。それからフィオさんは、奴との縁が「おそらく、あるわ」と言った。
そう判断した理由は、自身の逃避よりも俺の転移を選んだことだ。当事者ながら気が付かなかったけど、あっち側との情報交換によれば、奴の離脱は自身以外の何物かの介入があったらしい。では、連中にそういう連携の打ち合わせがあったかというと、かなり微妙なところだ。連中全体の動き自体、かなり乱雑なものだったから、奴と俺が遭遇したのも偶然だろう。それに、奴が俺にあそこまで憎悪を向けてきたのも、それが転移させるほどに至ったのも、偶発的な事象という感じがする。
そういった感情の激発を前提とするのであれば、奴が俺に対して縁を感じている可能性は高いというのが、フィオさんの見立てだ。
「転移に際して、相手に強い感情を抱いているのなら、その後に縁を感じる可能性が高いわ」
「強い感情ですか」
奴からどう思われているかを考えると辟易するけど、一方で俺のことが縁でわかるというフィオさんの胸中を思うと、なんだか落ち着かない気分になる。そこまで明るい話題でもないんだろうけど、何かしら期待とか思い入れがあるのなら、向こうに行った後で聞いてみたい。
そんなことを考えていると、フィオさんは不意に話題を変えてきた。
「あちらに行ったら、やりたいことって何かあるかしら?」
「……やりたいことっていうか、やらなきゃいけないことが」
「例えば?」
「挨拶回りとか……」
「律儀ね……」
そう言ってフィオさんは笑った。でも、俺にとってはとても大切なことだ。現世との縁を切って、あちらの世界を選ぶんだから。俺を心配している方はいるだろうし、待っている方もいるだろう。そういう方々に再会して、直に言葉をかけないと、自分の存在を肯定できなくなってしまうと思う。
挨拶以外にも、やらなきゃいけないことがある。ブライダル事業だ。俺無しでやってるとある意味安心なんだけど、なんとなく滞ってそうな予感がしている。そのことについて触れると、フィオさんは身を乗り出して話に食いついてきた。
「魔法を使って、結婚式の演出というか、飾り付けみたいなことをやってまして……最近、お仕事として認められたんですけど」
「そう。面白いことしてるのね」
柔らかな表情でそういったフィオさんは、ちょっと間を開けてから、わずかにためらう感じを見せて口を開いた。
「そういう話を聞くと、あなたをあちらに呼んで良かったって思うわ」
「そうですね。色々キツイこともありますけど……」
「例えば?」
「今とか」
苦笑いしながら答えると、俺の言葉に一瞬悲しげな表情をしたフィオさんも、すぐに合わせてくれた。キツかろうが、ツラかろうが、前向きにやるしか無いんだ。
あっちについたらやらなきゃいけないことは、だいたいそんな感じだ。一方で、やってみたいことも結構ある。というか、現世に戻ってから増えた。
というのも、連日のネカフェ暮らしでついついマンガを読んだりネットサしたり、あるいはこっちの図書館で調べ物なんかをしていると、あっちの魔法で再現してみたいことがわんさか増える。マンガやゲームで憧れた技や魔法をこの手で使ってみたり、あるいはあちらにない着想で新しいことを試みたり。
そういう、あっちへついたらやってみたいことが、今のモチベーションに繋がっているのは、間違いないと思う。実際できるかどうかは別にしても、あっちへ行ってから新しい魔法を覚える助けにもなるだろう。
しかし、その前に片付けなければならない問題もある。奴のことだ。
「縁があるって、実際にはどんな感じなんですか?」
「そうね……離れていても、相手の安否がわかったり、いる方角がなんとなくわかったりするわ。近づけば、方角も距離もはっきりしてくる感じね」
「奴も、俺のことがわかると?」
フィオさんは、そこで考え込んだ。言いづらいことを迷っているのではなく、純粋に思考している感じだ。それからいくらか考えた後、彼女は言った。
「世界を隔ててもなお、はっきり感じ取れる才覚があるかどうかはわからない。でも、あなたに向けた感情を推し量ると……同じ世界であれば、あなたの存在を強く感じ取れると思う」
「つまり、俺があっちに行ったら、奴はそれを感じ取れると」
「その可能性は高いわね」
「それで、始末に来るでしょうか?」
またもフィオさんは考え込んだ。ただ、今回は答えにたどり着くまでが早い。あまり迷うこと無く、彼女は告げた。
「始末するつもりで、自身の離脱よりもあなたの転移を優先したのだから、あなたが戻ってきたら血相を変えて消しに来るのではないかしら」
「……まぁ、憎まれてそうだとは思ってましたけど、やっぱりそうなりますか」
ただ、俺の居場所に直接やってこれるかどうかは微妙なところだ。転移は場所と場所をつなぐもので、俺がいるあたりがなんとなくわかっても、そこを出口に定めるだけのイメージを得られるわけじゃない。だから、転移で直接殴り込んでくるってことはないだろうけど、帰還して早々に奴が動く懸念はある
「フィオさん」
「何?」
「奴は白いマナを使ってましたけど、そういうのってありえるんですか?」
「……よほど特殊な体質か、そういう特性を植え付けられたかのどちらかだと思うわ」
「……俺も、そういう白いマナを使えるようになれませんか?」
奴と再戦することになった場合、奴と同じマナを使えるようになっていれば、もしかしたら奴の魔法に干渉したり抵抗したりできるかもしれない。そういう考えがあっての発言だ。
俺の言葉を受けて、フィオさんは再び黙り込んだ……即座に否定されたりはしなかった。それどころか、表情はシリアスだけど前向きな感じすらある。
「そうね。知っておくくらいは、いいかしら?」
「ありがとうございます!」
周りに聞こえない程度に抑えつつ感謝を伝えたものの、それでも彼女は少し驚き、それから笑った。口では「知識として知っておくぐらいは」なんて言っているけど、それが言い訳じみて聞こえるぐらい、彼女はいたずらっぽい表情をして、俺に期待感のある視線を投げかけていた。




