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いつかの魔法  作者: 紀之貫
第1章 黒い月の夜
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第21話 「長い夜の夜明け」

 オレのもとに、女が2人近づいてくる。思わず舌打ちしつつ、六瞳獣(ヘクサイド)の内、半数をマナへ返還した。こちらへ完全に戻り切るまで多少かかるが、それまでに奴らが持つかどうか、だ。

 それにしても、犬どもの減りが少し遅いと思ったらこれだ。配下の交戦を可能な限り避け、俺を追い返す方を優先する腹づもりらしい。

 取るに足らない連中の首を何個取ろうと、何の手柄にもなりはしないが、帰還が早まるのは問題だ。夜明け前に帰ったとあっては、”目無し”のザコどもに、なんと言って笑われるか。

 思わぬ展開が、なんとも苛立しい。上の連中には、「些細な変化でも感じたなら、帰還を最優先せよ」などと、ガキを遣いに出すときのように言い含められた。犬の減りが少し遅いが、これは異常なのか? 目の前に女が2人近づいてきている。逃げずに殺した方がいいんじゃないか?

 両手を握って、また広げてやると、退屈しきっていた体にマナが走る。腕の紋に赤紫の光が走る。どうせすぐには帰還できないんだ。それまでは遊んでやるとしよう。


 二人組のうち、小さい方が駆け出した。見覚えのあるガキだ。3年か4年か、それぐらい前にあしらってやった奴だ。まだ生きていたらしい。オレみたいな魔人へ駆け出すんだから、よほど死にたいんだろう。

 後ろの女はというと、距離をとって様子を見守っている。立ち会いのつもりだろうが、立っているのも厳しそうだ。低い方のマナしか持たないザコなんだろう。


 死にに来た女が、右手で抜剣する。いかにも頼りなさげな、薄っぺらな剣だ。左では紫の光盾(シールド)を展開している。マナの格だけは、オレたちとやり合う程度の資格はあるんだろうが、剣も触れ合わない間合いから光盾を晒す、そのマヌケぶりに思わず笑いがこみ上げる。


 少し遊んでやるか。軽く左で構えて、魔力の矢(マナボルト)を3発、色を変えつつ立て続けに撃つ。

 どうやら、目はそれなりに良いらしい。初弾の赤は、紫のマナをまとわせた剣で切って落とされ、次の紫の弾は身を翻しつつ回避し、最後の橙の弾を光盾で受けた。それから、何事もなかったかのように、こちらへ突き進んでくる。


 あんな細腕で、魔人に接近戦を挑むらしい。そこまで瘴気を散らしたつもりはないが、すでに気が狂っているのか。あるいは、単に死にたいだけか。

 背負った鞘から大剣を引き抜き、両手で構える。腕に意識を集中して、マナを流してやると、筋が怒張した。

 あまりに目の前の女がかわいそうなので、降伏勧告のつもりで、左手一本に持ち替えた大剣を、女の目の前をかすめるように軽く横へ薙ぐ。

 すると、間合いに入りつつあった女は急停止した。そして、オレが剣を振った先とは逆に回り込むように駆け、すかさず(ボルト)を撃ち込んでくる。

 2……いや3発か。残しておいた右で赤紫の光盾を構えて、矢を受ける。人間のマナじゃ、この光盾は抜けない。本当にかわいそうな連中だ。


 女は、魔法の撃ち合いは断念したように見えた。今度は剣を両手で構えて、懐に入り込もうとする。そして、右下に構えた剣を振り上げ、左腰を狙ってきた。

 オレは後ろに引きつつ大剣を両手で構え直し、大上段から落とす。奴の剣を叩き折ってしまうつもりだったが、剣が触れ合うよりも前に、女は進む足を止めた。すぐさまオレの剣筋から逃げるように剣を引き抜き、腰だめに突きの体勢を取る。胸元か。

 一度、振り下ろす剣から手を離し、地面に叩きつけるように投げてから、空いた手で矢を撃ち込む。

 すると、女は後ろに飛び退りつつ、剣を構えたまま右手の人差し指を伸ばして紫の光盾を展開し、防ぎきった。予め光盾を構えて走ってきた最初のあれは、未熟に見せる引っ掛けだったのか。食えないガキだ。


 しかし、だんだん面白くなってきた。地に刺さった大剣を左で引き抜き、右で魔法を構えつつ近寄ってやる。両方を受けることなど、人間にはできやしない。それでも、あの自殺志願者が何をするか見届けてやろう。

 女は、両手で剣を構えたままだ。魔法での防御はある程度諦め、両手ならば剣を受けられる。そんな浅い考えで挑むつもりのようだ。腕の数が倍なら、力比べができると。

 取り澄ました顔めがけて、軽く矢を撃つ。それを最小限の動きで身を反らし、女が近づいてくる。次いで左の剣を振り落とす。すると、その場で倒れはしないが、何とか受けきったようだ。薄っぺらい剣も無事だ。


 女の剣の腕がどこまで堪えられるか試してやろう。大剣に右手も加え、上段から何度も打ち込んでやる。右に左に正面に。さきほどまで進んできた女は、剣で受けつつ後退りする。

 目の前のガキの相手をしつつ、後ろの見物客に視線をやると、そいつも距離を取り始めた。何しに来たんだ、こいつらは。本当に哀れだな。

 どうせ生きてたって、この先いいことなんて無いんだ。いや、幸せに生きられない類の連中だ。ここで殺すのが情けってもんだろう。


 解いた犬のマナが、森の四方から少しずつ集まってきた。転移に必要な分はまだだが、圧されつつある女を仕留めるにはもったいないくらいだろう。

 集まったマナを両腕に集中させる。すると、腕を走る紋から光が溢れて瘴気になり、女が一瞬たじろいだ。

 その好機に、オレは大剣を横薙ぎに叩きつける。踏んばりなど効かないのだろう。女は吹き飛ばされた。

 それからも、剣を何度か軽く左右に振って叩きつけてやった。転び回るようなことはなかったが、女は剣を受けるのに精一杯と見える。どんどん後ろに下がって、結局木を背に逃げ場を失った。バカなガキだ。


 女の首筋狙って剣を振る。女は剣で何とか受けたが、腕が震えている。鍔迫り合いになった。このまま押し切ってやろうと力を込めると、女の顔にわずかに苦渋の色が浮かび上がる。顔の我慢が崩れるか、それとも整ったままの顔が跳ね飛ばされるのが先か。

 少しずつ押し込んでやる。この至近距離じゃ、瘴気の影響で魔法も構築できないんだろう。純粋な力押しに持ち込まれた時点で、死んだも同然だった。ペラペラの剣から、少しずつ紫の光が失われる。闘志を失いつつあるらしい。

 やがて、剣の先の方から、形を保てずにへたり始めた。それを見て、思わず吹き出してしまう。つばが女にかかった。それでも、女はオレの顔をにらみ続けている。まぁ、跳ね飛ばしたら拭いてやろうか。

 鍔迫り合いの、剣が触れ合う辺りを残し、女の剣は完全に萎れきった。しがみつき、もたれかかるようにオレの大剣に巻き付くさまが、なんとも滑稽で涙を誘った。剣の形を保ってきた紫の光は、根本あたりに残るだけだ。


 剣の根本に意識を集中する。垂れて下がった剣先は使い物にならない――はずだった。

 剣を構える女の右手が一瞬強く紫に輝いた。そう認識した瞬間、鍔迫り合う剣を架け橋にして、こちらに稲妻が流れ込んでくる。痺れた体を引き離そうとするが、萎れた剣がオレの大剣に絡みつき、容易には離そうとしない。

 稲妻に頭の中をかち割られ、こじ開けられる。体の芯から震える。だが、力比べでは負けないはずだ。女の腹に左膝を入れる。

 稲妻の呪縛はオレの足まで来ていたが、それでも蹴られた女は、苦痛に顔を僅かに歪ませる。この瞬間に、女が放つ稲妻に屈しそうな両腕へと、全身全霊の力を注ぎ込み、絡みつく剣からオレの大剣を引き抜く。

 すると、意外にも、滑るようにして剣が解放された。引き抜くついでに顔を斬りつけるつもりだったが、紙一重で首をそらされる。

 オレは全力で剣を引き抜いた。勢いよく、剣を地に叩きつけようかというほどの力で。束縛から抜いた剣が地に触れかけたまさにその時、女の紫電の矢(ライトニングボルト)が左手の甲を襲い、大剣を手放してしまった。剣が右後方の地面に突き刺さる。


 剣を引き抜いた勢いで、オレは左肩を女の前に突き出すようにして、首だけを奴に向けていた。正面に相対していたわけじゃない。

 一瞬、手放してしまった大剣に視線が移った。しかし、オレの中に湧いた正体のわからない感情が、女の方へ慌てて視線を引き戻させる。

 女の剣は、弱々しく萎れていた剣は、情けないほどに姿を崩していた。剣と呼ぶのもはばかられるくらい、刀身が縮みきっている。波を横に潰したような形状に見える。そして形を留める剣先は……オレの左目を捕捉していた。


 体の底から這い上がってきた冷たい恐怖が、オレを動かした。まだ残る痺れを全力抑え込みつつ、足で少しでも距離を取り、左腕を上げて守ろうとする。

 しかし、上げかけた左の上腕に鋭い痛みが走り、視界が半分紫に染まる。左目が、少し遅れてただ痛みだけを伝えてきた。全身を、首を動かしてよじり、奴の剣からなんとか離れようとする。左目を引き抜かれるような感触があった。クソが。


 間に合わなかった左手で目が在った所を抑えつつ、よろめき、後ずさった。波を潰した……畳んで縮めていた奴の剣は、立派な直剣に戻っていた。その剣先に左目がある。

 女が剣を軽く振ると、左目が地に落ちた。すぐに追撃には来ないようだ。ジリジリと近寄ってくる。本能が、女との距離を取ろうと足を動かす。

 ぶちゅんと目玉を踏み潰される音がした。激しい憎しみを覚え、女の顔を見る。感情のさざ波一つ見せない、きれいな顔だった。勝ち誇るでもなく、あざ笑うでもなく。取った目玉など思案の外で、それこそ共に踏みつけている枝葉と同じにしか感じてないようだ。


 気が付けば、オレの左手は赤紫の光盾を構え、足は森の中心へ向けて駆け出した。

 何の感情も見せずに近寄ってくる女に、狂気を感じた。あんな狂ったガキに、逃げの一手を打つことに、恥は感じなかった。奴らの世の中が産み落とした、バカげた狂気が迫ってくる。

 オレの視界を奪ったあの攻撃が、子供だましの一手かどうかはわからない。奴に安易な状況だったとは思えない。油断をすればすぐに命を奪われる、そんな状況で顔色一つ変えず、手練手管で目を一つ奪いやがった。人間離れした心胆に寒気がする。

 あんなガキを、向こうの連中はまだ人間扱いしてるのか?


 左目の再生が遅い。正視に堪えざる存在とでも思って、左目が再生を拒んでいるようだ。残った右で女の様子を確認する。剣を両手に構えて追ってきている。

 少し動揺させられたとはいえ、足はオレの方が速い。追いつかれる心配はない。奴の魔法で光盾を抜かれることもないだろう。大剣を失ったが、時間稼ぎはできる。

 しかし、犬から解いたマナが中々集まらない。これでは転移できない。

 いや、もう潮時だろう。残しておいた半数の六瞳獣もマナに戻す。


 そして、森の中心が見えた。そこ一帯だけくり抜いたように木がなく、空を仰ぐことができる、森の”目”の中心が。

 中心部に進んでから振り返り、女に相対する。まだ木々の中を駆けているところだ。距離はある。戦えない方のザコも、少し距離を開けて追ってきているようだ。そっちはもうどうでもいい。イカレたガキさえ足止めできればいい。


 円弧を描いて立ち並ぶ木々に沿うようにして魔法陣を展開する。赤い魔法陣から立ち上った低木を飲み込むほどの大きさの火球は、熱を増すごとに色を変え、やがて白い火球になった。

 胎児の新星(エンブリオ・ノヴァ)を前に、女が立ち止まる音がした。今すぐに爆発させるつもりはない。ただ、時を稼げればそれでいい。奴もオレの考えは理解できているだろうが、回り込んで迫ろうにも、木々に動きを制限されて近寄れないはずだ。他の魔法で撃たれる危険もある。


 新星を展開してから少し間を置いて、女が動いた。白い火球の表面を覆うようにして、紫電の蔦が白炎の上を縦横に走る。知らない魔法だが、おそらくは紫にありがちな束縛術の一種だろう。マナの力比べで抑え込むらしい。

 しかし、表面を走る稲妻が食い込んだ火球は、女の干渉の直後から不格好に小さく拍動し始めた。束縛にしては未熟すぎる。どうやらコントロールしきれていないようだ。肉弾戦のときもそうだったが、玉砕覚悟で突っ込んで、相打ちでも狙っているんだろうか。ガキの無謀で暴発すれば、時間稼ぎもできない。奴が施す束縛の、力の強弱に合わせてマナを注ぎ込み、なんとか均衡を保たせる。

 ガキが火球を無理に縮めこもうとする。力の均整が取れなくなる。内側から力を整えて、なんとか元の均衡を取り戻す。死にたがりのクソガキを諭してやってる気分になってきた。クソが。

 火球が拍動するたびに、近くの木が蒸発音を立てて削らていく。ついには弧状にくり抜かれた姿に耐えられず、火球に倒れこみ、大きな音を立てて蒸発した。火球に収まりきらなかった、木の先端が木々の闇の中に音を出して突っ込んでいく。

 これ見よがし、聞こえよがしな光景に動揺したのか、また束縛が揺らいだ。オレが急いでバランスを取り戻す。


 互いの顔も見えないまま、火球を挟んで力比べを続けた。帰還用のマナは、まだ戻らない。焦りを覚えた。

 瞬間、束縛が弱まった。外からの圧力に対抗するように、外向けへの力を蓄えた新星が、一線を越えて最期へ向かい始める。

 まずい、このままの勢いでは、オレもただでは済まない。注いだマナを解いて、火球の外層を光の粒子に変換する。

 オレが火球を抑えようと判断し、そう動いて数瞬の後、火球の表面を走る紫電の輝きが強くなった。そして一瞬にして内向きに、爆発的な加速で収縮し、場に閃光が走った。オレが火球を抑える動きに乗じ、束縛を強めて消しに来た、そうとしか思えない手際だった。


 閃光が去って、右目で見ると、女が剣を構えてこちらに駆けてきた。帰還のマナがない。走って逃げないと。

 そう思っていると、両膝に強い痛みを覚えた。短剣が突き刺さっている。目の前のガキじゃない、後ろの、見てただけのクソアマの仕業か。

 怒りがマナになり、ガキへ魔法を放つ。しかし赤紫の弾と、奴の紫の光盾が相殺され、光る粒子になって消えた。

 距離を取ろうとすれば、今度は左の膝に激しい痛みが走る。ガキが剣を構えたまま、指で矢を放っては短剣の柄に当てて、何発も押し込んできやがる。

 ガキの顔を見た。口の端が、若干つり上がっている。頭の中が赤く染まった。


「クソがァァッ!」


 激昂し、足を止め、右腕を振り上げる。すると、女の顔が元に戻った。何の感情も見せない、狂人の顔に。全部、謀ってやがった、のか。

 女に殴りかかろうとする、オレの右腕の動きよりも早く、女は剣を振り上げていた。赤紫の空が見える。空を裂いて、女が振る白い刃が迫る。裁かれる。



 アイリスが振りかざした白刃は、魔人が振り上げた右腕を斬り飛ばし、彼の体を袈裟斬りにした。

 彼の体表を走る、隈取りのような紋章から、赤紫の光が次第に弱まり、やがて彼は膝から崩れ落ちた。色を失っていく表皮から、白い砂のようなものが剥落していく。

 切られ、生気を失う全身とは裏腹に、切られた箇所はおぼろげな光が集まって、再生を始めている。生死の狭間を、統制を失った群れのようにうろつく。

 だが、死が勝ったようだ。再生を始めた切断面も、少しずつ砂へ変わって崩れていく。


「クソが……なんでこんな目に……」


 魔人がアイリスに視線を飛ばす。彼女の顔に、勝ち誇る様子も達成感も感じられない。


「……ククク、ハハハ。犬に食われた程度のザコも、おかげさまで気高い戦士扱いされたんだろ……少しは感謝しろよ? 冴えない人生を彩ってやったんだ」


 そう言うと、大気が震えた。かすかな風の音だけが鳴る中、魔人の体表が音を立てて崩れた。

 アイリスは剣を構えたまま動かない。湖面のような顔も。ただ、ほとばしる気迫だけが、魔人を圧倒する。


「やめなさい、アイリス。あなたみたいな子が、手を汚すことはないわ。もう終わってんのよ、そいつ」


 ラナの優しく諭すような声で、張り詰めた空気が少し和らぐ。アイリスは剣をゆっくりと鞘に収めた。


「ハッ…見てただけのザコが、口だけは達者だな」

「残念ながらね。もうちょっと上等な生まれだったらって思うわ、クソ野郎」


 ラナは魔人に近づき、腰を下ろして目線を合わせる。


「無駄とは思うけど、交渉するわ。お前が”口を割らされる屈辱”に耐えられるなら、口が減らない限り永らえさせる用意があるけど、呑めるかしら?」


 崩れ落ちていく体表の白い砂を哀れそうに眺めながら、ラナが無関心そうに問いかける。体を維持できないまでに精神が滅びつつある今、何の意味もなさない問いかけだった。


「クソどもが……」


 魔人は最後の力を振り絞り悪態をついた。体の紋章から光が消え、彼の体から色が完全に抜け落ちる。

 ラナは腰の鞘から黒い短刀を取り出し、魔人の左胸に突き立てた。その後、少し待っても反応がないことを確認した彼女は、短刀を引き抜き鞘に戻した。刺された表面からかすかに砂がこぼれ落ちる。


「ギルドに連絡するわ」とラナが言うと、神妙な顔つきになったアイリスがうなずいた。ラナは腰に吊るしたブレスレットを右腕にはめ、話しかける。


「左腕より頭へ」

「頭より左腕へ。火急の件か?」

「魔人を一体撃滅。事後処理ちょうだい」

「冗談で言っているのか?」

「まさか。お嬢様に言わせてもいいけど?」

「わかった……事前の予定通り、みなを屋敷へ向かわせる。それまで腕輪を外すなよ」

「了解」


 通信を終え、ラナは目を閉じ空を向いて息を長く吐いた。

「あらかじめ、備えがあったのですね」と静かに問うアイリスに、ラナは微笑んで返す。


「最良の事態にも備えよってのが、ウチの教えでね~。あなたの頑張りに、ウチがまごついて台無しにしたんじゃ、あんまりにもあんまりだし」


 微笑みながら近づき、ラナはアイリスを優しく抱きしめた。


「お疲れ様」

「……まだ、終わっていません」


 アイリスの言葉を受けて、ラナが少し体を離すと、地に目を伏せうつむき加減の顔が見えた。

「そうよね」ラナは左腕を胸元に上げて、各班へ声を飛ばす。


「7班より各班へ。魔人を撃滅した。これより帰還する」


 静かになった少し後に、歓喜の大波がやってくる兆しを感じ取り、ラナは通信を切った。

 それから、胸元でなおも心配そうな顔持ちでいるアイリスに、ラナは優しく語りかける。


「怪我人も大丈夫よ……っていうか、あんまナメないでね。あなたの凱旋を見るためなら、病床から這ってでも出るような連中よ?」


 どこまで本気かわからない励ましに、アイリスは少し弱く笑って返した。



 頭がガンガンする。フラフラしてて辛いのも忘れて、冒険者のみなさんと大声を出して騒いでいたからだ。

 今は流石に静かになった。例のお二人を迎えるために、一言も発さずに待っている。


 すると、前の方に動きがあった。波のように動きが伝わり、冒険者のみなさんがひざまずく。その先に例のお二人が見える。

 そんな中で、俺は重ねた荷物を背にもたれかかっているので、一人だけなんか楽そうというか、浮いて見える格好だ。しかし、みなさんに言わせれば殊勲賞の一人とのことだし、周りのみなさんみたいにキビキビ動こうとすると、胃の中が大変なことになりそうなので、結局はこうするしかない。


 お迎えが静まり返って礼儀正しくしているのを見て、ラナレナさんは呆れたようにため息をつき、「アンタらさぁ、そーゆーのいいっつってるでしょ~?」なんて言った。お嬢様は、どこか心配そうな顔で、辺りに目を走らせている。

 ラナレナさんは白い人型の何かを背負っていた。たぶん、魔人の遺骸だろう。あんなのよく触れるもんだと思った。

 すると、彼女と目があった。いぶかしげな視線を送られ、思わず作り笑いをしてしまう。


「リッツ・アンダーソン氏が具合悪そうにしてるけど、状況報告を。私達が出撃する前に、そういった様子はなかったはずだけど?」


 ラナレナさんが担いだ白い荷物をおろしつつ、場のみなさんに問いかける。

 俺の名前なんて言って、誰なのか伝わるんだろうかと思ったけど、俺以外の全員は顔なじみというか、互いに名前を知っていたらしい。

 それに、そもそも、"具合が悪い"で認識されるのが俺ぐらいしかない。俺と、霊薬をくれた彼に視線が集まる。

「バートン」ラナレナさんの静かな声で呼ばれ、霊薬の彼が「はい……」と小さく返事をした。


「えー、マナの補充にと思って霊薬を渡したんですが、1本空けさせちまいました」

「あのね……初めてだったんでしょ? アレって飲み口軽くて誰でもグイグイいけるから、注意しろって……」

「申し訳ございません。私も注意が足らず、このような事態に」


 ラナレナさんの叱責に、マリーさんが割り込んだ。ラナレナさんはそれ以上続ける気を削がれたらしい。眉間にシワを寄せつつ、目をつむって考え込んだ。


「バートン、あんたは8班の報告書を手伝いなさい」

「あー、それ助かります」


 8班の司令塔の方がすかさず逃げ道を防ぎに回り、バートンさんは「はい……」と少し弱々しく返事した。


「次、負傷者! 顔は揃ってるけど……誰だったの?」


 いよいよ、負傷者探しの段になった。おずおずと当人が手を挙げると、ひざまずいた彼のもとに、お嬢様が駆け寄った。そして、深刻そうな顔つきをしたまま片膝をつく。その行動に、彼はたじろいだ。


「モーリス、あんた元気そうじゃない。報告!」

「……あー、怪我したのは本当なんですが……夕方に気付けの薬酒を一杯やったのがどうも悪くってですね。気血のめぐりが良くなりすぎて、瘴気が回りすぎたとかで。それで、傷も表面を少しやられた程度だったんですけど、なんか血が流れすぎちまって。んで、その血を見て、なんかフラっと……」


 彼の説明を聞いているうちに、ラナレナさんはどんどん無表情になっていく。


「……屋敷で奥様に見ていただいたんですが、見られた瞬間に一杯やったことまで見抜かれて……パパっと処置された後、奥様にケツ叩かれて、『さっさと戻ってラナレナちゃんに怒られて来い』って……」

「私は……まぁ、優しいから。我らの総大将に怒ってもらいなさい」


 皆の注意がお嬢様に集中する。すると、彼女は誰にも顔が見えないくらい、深くうなだれて、「よかった」と消え入りそうな声でつぶやいた。静かな場に、ただその声だけが、みんなの心に響いたようだ。モーリスさんには深くぶっ刺さったと思う。


「モーリス!」

「はいぃ!」

「明後日から3日間掃除当番!」

「はいっ! すみませんでした!」


 それから、ラナレナさんは周りを見渡して手を何度か叩いた。


「現時点での賞罰は以上! 正式な論功行賞は、ギルドとフォークリッジ家の協議のもとで行うわ。ひとまずの基本報奨はギルドから出るからそのつもりで。それと、極秘作戦については公言しないように。特に、知らない魔法については決して公言しないように……っていうか、私が全く見てない魔法のこと、勝手に言いふらして問題起こしたら、ほんと許さないからね!」


 ラナレナさんも色々あって大変だったんだろう。連絡事項の最後の方は、若干キレ気味にまくし立てていた。


 「では撤収!」というラナレナさんの号令で、皆さん立ち上がり、片付けに入った。とはいっても、お二人が来られる前にだいたい終わってたので、俺がもたれかかるために残してもらった、ちょっとした資材ぐらいしか片すものは残ってない。

 問題は、歩いて帰れるかどうかだ。マリーさんが目で問いかけてきたので、首を振って否定すると、彼女は周りの方と何か話し合った。話が終わると、何人かが俺を持ち上げに来た。


「おーい、荷車に上着適当にならべといてー、なるべくフカフカのやつー」


 誰かがそう言うと、荷車にぽいぽい上着が投げこまれていく。その上に、俺は優しく放り込まれた。

 そうして寝かされた荷台の傍らに、マリーさんがやってくる。


「具合はいかがでしょうか?」

「なんか、申し訳ないです」

「いえ、当然の権利です」


 彼女はどこか嬉しそうな声で、そう断言した。言った後は、どこかへ駆けていったけど、たぶんお嬢様のほうだろう。

 程なくして、マリーさんに担がれたお嬢様が、少し手助けしてもらいながら、よろよろと荷台に上がりこんできた。恥ずかしそうに、頬を朱に染めている。目が合うと、「お邪魔します」と、小さな声で言われた。


「その、力が抜けて、うまく立てなくて」

「こっちも似たようなものです」


 そう言って、お互いに力なく笑い合う。彼女の顔に、少し泣いた後が見えたような気がした。

 お嬢様が荷車に乗り込み、帰還の準備が整ったところで、荷車がゆるゆると動き出した。


「凱旋の御車にしちゃ、なんだ……」

「当家の備品に、何かご不満でも?」

「滅相もないです」


 荷車を引く男性と、マリーさんのやり取りにみなさんが笑った。


 それから、お屋敷へ歩を進めつつ、みなさんは思い思いに談笑した。視覚も聴覚も、そんなにはっきりとはしなかったけど、荷車を喜びが包んでいるのがわかった。輪の中心で、お嬢様が潤んだ目を閉じて、俺に微笑んだ。


 空はまだ赤紫に染まって、黒い月が登っていた。夜明けまでまだまだあるんだろう。

 でも、やりおおせた実感があった。

 色々あったけど、今自分の前で彼女が微笑んでいる。


 本当に良かった。

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