第166話 「人体実験②」
天幕の中にいるみなさんの視線を受けながら、俺は前の勉強会のように光球を消す実演を始める。
大筋は前と同じで、光球を2つ作り、片方は何もせずに比較用。もう片方には収奪型の魔法を合わせて、そっちがより早く消える――つまり、収奪型がマナを吸い取っている――ということを示す。
しかし、前回の実演と違う部分もある。大きな違いは、消す方に回転型を合わせないことだ。これにはいくつか理由がある。
1番の理由は、回転型を合わせると文の記述が難しくなるから。魔法庁の都合もあって、文を合わせないのを前提とした回転型利用の打ち消しは使えない。
2つ目の理由に、この場での説明の利便性がある。回転型を使うと何をやってるか目視しづらいから、ということだ。勉強会のときは、細部をはぐらかしたいという思いから回転させたけど、今回は殿下がおられるから見やすいほうが好ましいと思う。それに、魔法庁の職員から”魔法の打ち消しという行為”のゴーサインをもらっているのも大きい。
3つ目の理由は、工廠からの頼みだった。回転型を魔道具で使うとなると、生地や媒体への負荷が異常に高まるそうで、使い捨ての道具になってしまうことも多いそうだ。できることならば、回転型不使用での方向性を探りたいとのこと。
そういった種々の事情から、今回は収奪型に殻の追記を合わせたバージョンで実演をすることに。俺が打ち消しとして最初に考えたものだ。また、文なしは困るということで、今回は薄霧を合わせる形で実演する。消される光球の上で、青緑のマナの霞が少しずつ濃くなるという感じだ。
回転型を使わない打ち消しではあるけど、それでも何もしないものとは違いが明らかだ。比較対照と違ってマナを奪われる光球は、みるみるうちにしぼんでいって消えて無くなった。
こうやって魔法に干渉する魔法――というかテク――というのは、やっぱり軍の方もあまり縁がないんだろう。実演が終わると、疲れているだろうにみなさん居住まいを正して拍手してくれた。殿下も、わずかに目を見開いていたかと思うと、表情を崩されて拍手してくださった。どうやら殿下も、こういうのは初見のようだ。
そうやって拍手の波がひとしきり去った後、被験者の方が1人手を挙げた。当てると立ちかけた彼を、俺は笑って座ったままにさせる。
「では、座ったままで失礼……質問ですが、薄霧を使うのに理由は?」
「あー……それはですね」
魔法庁の手前、文無しで使えないというのが一番の理由だけど、それは言わないほうがいいだろう。出向している魔法庁職員の中でも一番偉い女性が、にこやかに微笑みながらも油断のない視線を俺に向けて釘を差してきた。
メルに収奪型を教えてもらった際、やっていたのが薄霧だったから、それに影響されたというのはある。しかし一方で、今回の目的ならではの理由というのももちろんあった。
「……色々あるんですけど、使って邪魔にならない魔法で、かつ効果が出ている確認をしやすい魔法ってことで、薄霧をやってます」
「確かに、鼓空破とか瞬光はちょっと困りますね」
「はい。矢系を合わせて反撃ってのも考えたんですが、魔法を消すのがメインですから、狙いをつけにくいまま矢を射つと、かえって味方に迷惑かと」
「なるほど……」
「それと……これみよがしに瘴気を出されてるところで、それを吸って別の色の霞に変えられたら、なんというかこう、やったぜ! みたいな」
すると、質問した彼ばかりでなく、兵の方々が大きく口を開けて笑い出した。「なるほど、そりゃいい!」なんて声も。思っていたよりも盛り上がってしまったことに少しうろたえ、「消せると決まったわけじゃありませんけど」と付け足した。すると、みなさんがうなずいてくれている。その心情のほどは測りかねるけど、なんとかこの試みを成功させたいなとは感じた。
実演は終わったけど、休憩時間はまだまだある。被験者にまだまだ疲れの自覚があるから、大事を取る意味でも、もっと回復してからの実験再開だ。その間、俺の実演に関連していくつか質問が断続的に飛んできて、こないだの勉強会みたいになっていく。
目ざとい被験者の方は、光球のすり減り方が尻上がり的なことに気づき、言及した。実際にそのとおりで、打ち消しでは吸ったマナを何割か吸引力に回していると考えられる。
「では、対象を吸い上げ終わったものを流用するというのは? そうすれば強力なものを最初から使えると思いますが」
「ああ、それはですね……」
実は俺もそう思って、前にやっていた。しかし、可動型を合わせているにも関わらず、吸い上げ後の打ち消しを動かすことはできなかった。
そこからいくつか実験を重ねてたどり着いた結論は、自分で注ぎ込める以上の密度――もしくは質量?――を持っている魔法陣を、可動型で動かすことはできないというものだ。追記型に対し、自力でマナを注いでいくとそのうち限界にぶち当たるけど、収奪型はそういう感じではない。その自力での臨界点を収奪型が超えてしまうと、術者では動かせない魔法に仕上がってしまうわけだ。
俺の説明に対し、質問してくれた彼は、俺への感心と自身の閃きがポシャった残念さが入り交じる、ちょっと神妙な表情を作った。
それから、瘴気以外での使用シーンの想定など、勉強会でもあった質問をいくつか片付けた後、工廠の代表者が手を挙げた。まるで、今日初めてあの打ち消しを知ったみたいな顔で。
「もう少し、吸う威力を高める手段などは?」
「ああっと、それは……」
手っ取り早いのは回転型を合わせてギュンギュン吸わせる方法だ。しかし、やると色々面倒なことになる。それは魔法庁の職員も承知で、代表の彼女はにこやかに笑いながらも俺と工廠の彼へ、視線で牽制した。どっちかというと、工廠の彼への当たりの方が強い。
一応、反応を早める策はないこともない。それに対しての懸念事項も、ないこともない。何秒か思い悩んだ末、俺はお嬢様に助力を請うことにした。
「先程やってみせた魔法ですが、構成はわかりますか?」
「Cランクで、継続・可動・殻の追記・収奪、文は薄霧ですね」
「はい。書き終えたら、あとはそのまま放置してください」
コクリとうなずく彼女の前に、俺は青緑の光球を作り出した。そして自分の前にも。それから、2人で顔を見合わせ、なるべく同じタイミングで光球の上に打ち消しを展開するようにした。
できあがった2つの薄霧は、下の光球からマナを奪っていく。しかし……俺の方が少し消していく反応が強い。見てはっきりわかる程度には反応に差があって、俺の方の光球が先に消えた。
たぶん、みなさんにとって予想外だったんだろう。お嬢様が、紫のマナが、一般人に遅れを取ったわけだから。お嬢様も目は少し驚いているけど、どこか楽しそうにも見えた。
驚くみなさんに、「今度は逆をやってみます」と宣言し、今回はお嬢様に光球を作ってもらうことに。つまり、2人でそれぞれ紫の光球を消していくわけだ。
そして光球から吸い上げが始まると、今度はお嬢様側のほうが反応が早い。さっきみたいに、早い方が一目瞭然の差をつけて光球を吸いきった。みなさんの方を見ると、合点がいったという方もいれば、やはり驚いている方もいる。
「吸いたい対象と、マナの色を揃えてやると反応が早い?」
「はい。今の所、そう考えています」
理解が早い方に、思ったとおりの指摘をもらって嬉しさを覚えつつ、俺はもう少し補足した。
マナを吸う側に染色型を合わせるのは意味がない。一方で消される側の魔法の染色型の影響はある。消される側の最終的な色と、消す側の最初というか本来の色が合致していると、たぶん馴染みが早くなって消えやすくなるんだろうというのが現時点での解釈だ。
さて……今回の実験はもともと、瘴気への干渉を目的にやっている。色の話を持ち出し、赤紫の瘴気に対しては赤や紫といった、色合い的に近い高位のマナが有用そうだと判明すれば、お嬢様や殿下にも手伝っていただく展開になりかねない。
俺が少し及び腰だったのはそのあたりだ。まぁ、殿下とお嬢様であれば、臣民のために動くことを厭われることはないと思う。それで実験がうまく行けば万々歳だ。しかし、うまくいかなかったら……そのことを考えると、ご助力願う展開をためらわせるものがある。
しかし、殿下は大いに乗り気だった。一応、他の方に聞こえないように俺の懸念をお伝えしたものの、殿下は俺の心配を認めた上で仰る。
「効果の程がわかりやすいほうがいいだろう? それに、一回の実験で失敗しても、何らかの気づきはあるかもしれない」
「それは、そう思いますが」
「失敗したらしたで、またみんなで考えればいいさ」
そう明るく仰る殿下の表情はあくまで真剣で、楽天的と形容できるようなものではない。もう覚悟が決まっている以上、俺の方からはどうこう言えるものではなかった。
やがて、被験者のみなさんが回復したところで実験に入る。瘴気の中で腕立てをやってもらうのは同じだけど、今度は殿下とお嬢様に打ち消しの薄霧を瘴気に対して展開していただき、みなさんはその薄霧の中で腕立てをやることになる。
しかし、いざ実験と場の雰囲気が張り詰めたものになっていく中で、とある気がかりな点が脳裏をよぎった。コレ、プラシーボ効果とかあるんじゃないか?
魔法への期待感もあるだろうけど、何より殿下とお嬢様に魔法を使っていただくわけだ。心理的に平常時同然とはいかないだろう。そういった心理効果も瘴気への対抗策の1つにはなりけるだろうけど、打ち消しによる効果を測るという意味では切り分けが必須だ。
たぶんプラシーボ効果なんていっても通じないだろう、でも、言葉を選べば察していただけるとは思う。始まりかけた実験に水を差すようで少し恐縮しながら、俺は殿下に進言する。
「殿下とお嬢様に、手ずから魔法を使っていただくとなると、被験者のみなさんがその思いだけで頑張りすぎてしまうかもしれません」
「……ああ、なるほど。実際に魔法が効果のないものだとしても、頑張りすぎてしまうかもと。そして、その頑張りを魔法の効果と誤解しかねない、と」
「はっ、はい!」
御理解いただけることを期待して話しかけたわけではあるけども、こうも飲み込みが良いと、そのご賢察には思わずひれ伏しそうになる。
そうやって殿下の英明さに少し押されながらも、また気づいたことがあって俺は言葉を続けた。
「全員を魔法の対象とすると、必然的に魔法を施していただけるということになりますから、心理的な影響は無視できないと思われます」
「つまり、全員は良くないと」
「はい。無作為に選び、かつ誰が選ばれたのか、事の最中にわからないようにしたほうがよろしいかと」
殿下は俺の話に対し、さもありなんといった風でうなずかれた。お嬢様も似たように得心がいった感じだし、被験者の中で年長の方も、どこか腑に落ちたような表情だ。きっと、士気がパフォーマンスに与える影響とか何とかで、心当たりがあるんだろう。
では俺が提言した、誰が選ばれたのかわからない状況作りをどうするかだけど……殿下は今日2回目になる、少し及び腰というか申し訳なさげな態度で仰った。
「目隠しして、腕立てというのは……済まないけど、これが手っ取り早いと思うんだ」
「ははは、やりましょう」
被験者の1人があっさり快諾し、他の方もそれに続いた。高貴な方の前で度胸試しという側面もあるのだろうけど、怖じる様子なんて毛ほども見せない、タフな男ばかりだ。
それから、適当な長さに切った布を目にあてがう彼らを、少し恥じらいの混ざった表情で眺めながら殿下が口を開かれた。
「いよいよもって、私は暗君だね」
「……あー、確かに暗いですな」
「先輩、寒いっす」
「冬だしな」
「凍死させる気ですか?」
瘴気の中で目隠しをして地に手を付ける、そんな恐ろしい状況だというのに軽口を叩き合う彼らに、殿下は目を閉じ神妙な顔つきで少しうなだれた。それからお嬢様と目配せをされた後、被験者の半数が薄霧の範囲内に入るように魔法陣を展開された。
そして、殿下の号令のもと腕立てが始まる。俺や魔法庁・工廠のみんなが固唾を飲んで見守る中始まった実験は、当初の俺の心配をよそに好調だった。
好調というのは、薄霧の対象外だった方が前と同じぐらいのタイミングで脱落し、薄霧の中にいる方が前よりも持ちこたえる、そういう意味合いだ。殿下のカウントが進むにつれ、記録・計測係を務める、工廠の子の目の輝きが増していった。
殿下のカウントが30に到達すると、まだ3人健在だった。前の実験では2人だったから、それだけでも効果の程はあったんじゃないかと判断しそうになる。この場のみんなも同じ思いを抱いているんだろう、期待や興奮で、にわかにざわついた。
結局、行けるところまで行こうとはならなかった。データ取りの回数を重ねたいという、工廠側の意向もあって、一回一回の実験の負荷を減らすため、今後も30回までというのがとりあえずの基準に。30が物足りなくなったのなら、もう大成功と言っていいだろう。
腕立てが終わり、被験者のみなさんが疲れながらも期待感をあらわにして、工廠のグループへ視線を向けている。そんな視線の中心にいる、記録係の子が高らかに宣言した。
「全体として2割向上しました!」という彼女の言に、一瞬間が開いてから「おお」という微妙な歓声が続いた。2割というのをどう捉えていいのか、よくわかっていない感じだ。
同様の思いは、実は俺にもあった。実験の誤差はあるんだろうけど、効果の程は確かなんだろうとは思う。でも、その2割増しという効果が現実の戦闘でどれほどの影響になるかというと、まったくわからない。それに、赤や紫のマナといった、おいそれとは使えないマナを用いてのこの結果というのも手放しでは喜べない原因だった。
現実味のある進歩なんだろうか。他の方はどう捉えているんだろうか。あまり自信を持てないままにあたりの様子を探る。
殿下とお嬢様は、難しげな表情をして考え込んでいらっしゃった。落胆や失望という感じはなく、ただ純粋に考え込まれておられるだけのように見える。
兵の方々や冒険者のみんなは、俺と同様によくわかっていない感じだ。しかし、年長者の方のほうが手応えを感じているように見受けられたのが印象に残った。
そして、一番反響があったのが魔法庁と工廠のグループだ。中には少し興奮した様子で話し合っている姿も見られた。
少しの間、各自がそれぞれの反応を示した後、殿下は今日の実験の終了を告げられた。
「まずは被験者の皆、ありがとう。申し訳ないけど、今後も同様の実験を重ねるからそのつもりで。上長には私から話をつけるから、十分な休息を取ってほしい」
手当に加え、休養も増えるということで、兵の方の一部が歓喜に湧いた。
それから殿下は「用事があるから」とおひとりでその場を去られた。その去り際、殿下は俺の胸元に軽く裏拳を当てられた。そのことに少し呆気にとられた後、背後から何人かにしがみつかれた。工廠のみんなだ。
「これから面白くなりそうだな~!」
「仕事増やしやがって、この野郎」
変にニヤニヤしながらもみくちゃにしてくる連中に、俺は少し戸惑いつつも確かな安心を覚えた。




