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いつかの魔法  作者: 紀之貫
第1章 黒い月の夜
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第13話 「この世界のこと」

 お嬢様が閣下を引き連れて戻ってきてから、俺はお二方に今日考えたことについてお伝えした。

 心のどこかでは、複製術を考えついた人がすでにこういう特性を把握していて、結局は車輪の再発明にすぎないんじゃないか、とは思っていた。

 なので、閣下のような、もしかしたら知っているかもしれない方に、まるで自分の功績のように言って聞かすのに、ある種の羞恥心を覚えた。釈迦に説法と言うか。

 説明の間、閣下は眉を寄せて難しい顔をされていた。考え込むときの表情をみると、親子なんだなと思った。

 お嬢様は少し落ち着いたように見える。しかし、目の光は強く、まだ何か考えというか、言いたいことがあるようだ。

 俺の話を閣下が黙って聞かれているのは、かなり緊張して心臓に悪かったけど、なんとか話を終えることができた。とちったり、パニクらずに話しきれたことに、思わず安堵のため息が漏れる。


「アイリス」俺の話を受けた閣下が静かに口を開かれた。「お前の考えは?」

「はい、今回発見していただけた手法を用いれば、もしかしたら効率的に敵兵力を削いでいけるのでは、と思いました」


 閣下は黙って顎に手を当て、伏した犬を見つめられている。


「今までは、敵を倒しても事態の改善につながっているとは、感じませんでしたので……」


 お嬢様が発言を終えると、急に静かになった。

 閣下は静かに視線を動かし、俺、お嬢様、犬を見比べられた。そしてお嬢様に向き直って仰る。


「アイリス、午後の監視任務を代わりに任せる。私は彼に少し話がある」

「お父様?」

「悪いようにはしないから。さぁ、持ち場へ行きなさい」


 お嬢様は何か言いたげだったが、俺と閣下に礼をすると、小走りで駆けていった。


 彼女が見えなくなってから、閣下は小さくため息をつかれると、穏やかな顔つきで俺に話しかけられた。


「あの犬に用は済んだかな?」

「はい。一通り試し終わりました」

「では、私がとどめを刺しても?」

「はい。お願いします」


 閣下は犬に近寄りつつ、俺にも近づくよう手で促される。


「きみは、血なまぐさいのは苦手かな?」

「それは……卒倒しないとは思いますが、苦手です」

「なら大丈夫だな」


 そう仰って笑われると、閣下は腰から抜かれた小さなナイフを、倒れた犬の腹に当てられた。

 そして、俺にもっと寄るよう手招かれたので、それに従い腰を落として、犬の解剖を見る。

 腹に刃が入るけど、血は出ない。閣下が、切り口が見えるようにと指で少し広げられた。暗褐色の毛皮の向こうには、筋も何もない一様な赤紫の肉が見えた。肉といっていいのかも微妙なところで、粘土といった方が適切に思える。

 切り口からは赤紫の、粒子が荒く薄い煙が登る。肉と空気が触れて、何かが蒸発するように。

 閣下はもう少し切り口を広げられつつ、小刀をさらに差し込まれた。深く差し込んでも、臓物に行き当たるようには見えない。ただ、奥側の肉の方が入り口よりもずっと黒く見えた。指で肉を押し広げて、光が届くようにしても同様だった。

 もう少し見てみよう、そんな感じで閣下が小刀を押し込み動かされると、犬の体全体がほんのかすかに振動し、やがて全体が赤紫の砂埃のようになって消え、後に硬貨を残した。


 見ている間、息をするのを忘れていたようだ。心臓もかなりドキドキしている。

 閣下はそんな俺を見て笑いながら、「さっきの授業料だ」といって、硬貨を指ではじき、俺にトスされた。少し慌てて、左手で掴む。


「それで、今のを見ていて、どう思った?」

「……えーっと」

「何でも構わんよ」

「なんといいますか……生き物ですらないと思いました」


 俺の答えに閣下はうなずかれた。


「魔獣に対してわかっていることは、かなり少ない。概ね赤紫のマナで構成されること、おそらくマナを感知する能力があるだろうということ、各魔獣種と硬貨におそらく1対1の対応関係があること、それと魔人側に誰か“造幣担当”がいるんじゃないか……といったところだ」

「あの、魔獣とか魔人というのは、一体何でしょうか?」


 その質問に閣下は目を見開き硬直された。

 数秒もしただろうか、閣下は少し平静を取り戻されたように見えるけど、なおも戸惑うようにして俺に問われる。


「もしかして、誰からも聞かされてないのか? あの、白いローブの女性から、魔人のことも、この世の中のことも」

「あの女性は……話すたびに時間が足りないみたいでした。それで、この世界のことはこの世界の方に聞くように、と」


 閣下は左手を顔に当てて深くうつむかれた。胸中をはかることはできないけど、とても沈んでいるように感じる。

 十秒……いや、もっと間があったかもしれない。閣下は申し訳無さと真剣さが入り混じった表情で俺の方に向かれて、口を開かれた。


「大変に、申し訳ないことをした……すでに聞かされているものだとばかり考えていた。あらかた聞かされた上で、承諾して、覚悟して、こちらに来たのだと」


 確認不足とか早合点とか、そういうことなんだろうけど、送り込む側が説明不足なんて普通考えないよな、と思った。

 深刻そうな閣下の顔つきを見て、逆に俺が、重要なことを聞かずにホイホイ話に乗ったように思えて恥ずかしくなる。もっと色々早く聞くべきだったか、とも。


「まぁ、過ぎたことですし……改めてご説明願えませんか」

「ああ、そうだな」


 二人で立ち上がる。閣下が、「森でやり残しは」と問われたので、「特には」と答えると、屋敷に戻る道すがら、この世の中について話してもらうことになった。


「まずは……この世には、魔人と呼ばれる魔法使いの成れの果てのような連中がいる。連中が集まって成した国が1つあり、これと他のすべての人間の国が交戦状態にある。かれこれ500年以上は戦っているらしい」

「1国で、他のすべての国を相手に戦っているのですか?」


 閣下はうなずかれ、腰の袋から何かを取り出しされた。金色に光るそれは、魔獣が落とす硬貨だった。しかしレリーフは犬のものとは少し違うようだ。


「魔人は魔獣を使役する。どうやって作っているのか、詳細は定かではないが、硬貨を核にマナを投じて作っているというのが定説だ」


 閣下はコインを袋に戻され、深くため息をつかれた。


「連中の兵に比べれば、人間の兵というものは、遥かに高く付く。質においても、魔人一人で常人に換算するのが難しいほど、その力には差がある。魔人が放つ赤紫のマナを瘴気と呼ぶが、その影響下では、橙か藍より高位のマナを持たなければ、まともに戦うこともできない。人間側に、数の優位は、無いんだ」


 重い口調で語られるうちに、今こうして歩いている森が、急に敵地に思えてきた。森の少し涼しい空気が、今では肌に刺すほど冷たく感じる。


「この森は……魔人の勢力圏なのですか?」


 この問いに閣下は腕を組み、目を閉じて……うなずかれた。


「半分正解というところだな。奴らの橋頭堡、あるいは飛び地の拠点とでもいうか。魔獣が出没する地所を指して”目”と呼んでいるが、目は外界とのマナの膜が薄いと言われている。特に薄い一点を通して、魔獣を送り込んできているのではないか、と」

「では、ここに魔人が現れることは?」


 この問いに、閣下は口をつぐんまれた。数秒してから、ため息とともに語られる。


「一つの目に一体は魔人が割り当てられていて、それが(くさび)の役目を果たしているようだ。この森にもそういった、向こう側の担当がいる。ただ、人間よりも魔人の方が、連中にとってははるかに貴重で、滅多なことでは姿を現さん。そもそも、よほど規模の大きい目でなければ、奴らはその間を通って行き来できん。だが……」


 そこで言葉を切られると、閣下は目を閉じて一度深く息を吸い込み、長いため息をつかれた。そして再び話される。


「年に一度だが、月が黒くなる夜が訪れる。その夜は、目の絞りが緩み、あたりに赤紫のマナが満ち、魔獣が溢れて魔人が姿を現す」

「この森も、ですか?」

「ああ……この森にも魔人は現れる。黒い月の夜は、特に瘴気の影響が強い。魔人の前に、生半可な人間では立つこともままならないほどに。だからこそ、私達貴族が先祖代々、この地を受け継ぎ戦い続けている」


 あたりに重苦しい空気が漂う。それを嫌ったのか、閣下は少し表情を和らげ、気持ち明るい口調になって続けられた。


「我々は先祖代々律儀にこの地を守り続けてきたが、奴らは自分を希少価値があると思っているようでね、危なくなると見るや、魔獣を盾にしてすぐに転移で逃げ出す。信じがたい臆病者だよ」

「……連中にとっては、この森ってどれぐらいの位置づけなんです?」

「それがわかったらいいんだがなぁ」


 そう仰る閣下は、苦笑いされている。そして目を閉じ、思案された。


「……私見だが、王都に対する精神的な威圧以上のものではないように思う。規模が小さい目であっても、連中が魔獣でちょっかいをかけるならば、我々は動かざるを得ないのでね。侵略というよりも、我が国全体の戦略に対する、牽制策の一つではないかな」


 それから、閣下は何事か考え出された。


 そして、しばらくは言葉をかわさないまま歩いた。

 今の話を聞いて、この森がまったく違って見えた。森はあまり生気を感じさせない、ただ木々ばかり活力に満ちているのが、なんだか不気味に感じた。

 道中、魔獣には出くわさなかった。閣下はどう戦うのだろう。そんなことが気になった。

 無言のまま数分歩いて、また閣下は、静かに話し始められた。


「黒い目の夜、私はこの国の西端、魔人の国との最前線で戦うことになる。これは毎年、国の命を受けてやっていることだ。妻は、故あって戦場には出られない。だから、娘がこの森で戦う指揮官だ」


 そこで言葉を切った閣下は、俺の方を向かれた。表情に苦悩と、どこか慈悲のようなものが見える。


「きみが、仮にすべて聞かされていたとしても、それでも、あの夜に戦わせようという気はなかった。しかし、私もあの子も、心のどこかでは、もしかしたらと、そう思っていたのかもしれない。今更になって打ち明ける形になって、本当にすまない」

「いえ、俺は……」


 閣下の謝罪に対し、何か言葉を返そうとするが、次いで出てくるものがなかった。

 閣下は手で俺の言を制し、穏やかな表情で仰った。


「きみが、我々の戦いを知って、それで気に病む必要はないんだ。何年も、きみ無しでやってこれたことだからね。それに、きみには戦ってもらうことよりも、知識や物の考え方について教えてもらうことで、我々に協力して欲しいと思っている。これは本心だ」


 閣下が言葉を切られると、枝葉を踏む足音ばかりが寂しく響く。


「ただ、きみにはこう言ったものの、きみの自由を妨げる権利は、私にはないんだ。あくまで我が家が管理するのではなく、世話をさせてもらうだけだからね」


 閣下は上の方を向きながらそう仰った。


「我々の戦いに対し、何らかの形で手伝いたいというのなら、とても喜ばしく思う。後方で支えるための、様々な雑事の手伝いなどでもね。きみの行いが、我が家と人間全般の幸福を害しない限り、私はきみの選択を支持するつもりだ」


 真剣な眼差しで優しく語りかけられた閣下は、その後急に表情をほころばせて、俺の背を軽く叩かれた。


「犬を寝かせるあれは、本当に自分ひとりで考えたのか?」

「いえ、えーっと、お嬢様との会話の中で得た着想もあって……まぁ、大部分は自分です」

「そうかそうか。きみは面白いやつだな。いつか面白い話を聞けるかとは思っていたんだが、こんなに早く、それも魔法で驚かされるとはな~」


 屋敷までの間、閣下からどうやって気づいたのかとか、気づくまでの顛末などを根掘り葉掘り聞かれた。

 さっきまでの重苦しい話を紛らわすため……というわけでもないようだった。そういう別の意図なしに、本当に興味関心を抱かれていて、そして、俺のことを認めてくださっているのがわかった。

 うまくいくまでの失敗談を話しているうちに、目頭が熱くなって、言葉に詰まって、それ以上話せなくなった。

 ここに来たときの不安と、これからの不安と、新しい発見をした喜び、認められた嬉しさ、それでも役に立てそうにない悔しさ……色んなものが混ざりあって自分がわからなくなって、涙が溢れた。

 閣下は、俺の頭に手を置かれて、少し乱暴に撫でられた。



 この日から、お嬢様は少し変わった。


 俺がそばにいる時は、いつもどおりの雰囲気を作ってくれるけど、少し離れていると物憂げな表情をすることが多くなった。口数も少し減ったように思う。

 マリーさんにそれとなく聞いてみると、「毎年のことです、気になさらないように」と返された。

 当のマリーさんは、表情を抑えたつもりでも、目つきや眉からは少し哀しみのような物が溢れているようで、明らかに気にしていた。奥様だけはいつもどおりだった。


 あの森の中で、俺の発見に興奮してくれた彼女は、もうそんな素振りを少しも見せない。それでも、何か思いついたこととか、見出したことがあったんだろうと思って、勇気を出して聞いてみた。しかし……。


「あなたが気にすることでは無いですよ。私達の戦いですから」

「でも……」

「お気持ちだけでも十分です。ありがとうございます」


 顔は笑っていたが、とても笑っているようには感じなかった。

 超えられない溝を感じた。それまでは、彼女の側から溝を踏み越えるように、親しげに関わってきたというのに。


 暗い雰囲気をなんとかしようと、例のクソ犬どもを見つけては片っ端からぶちのめし、過去一番に硬貨を稼いだ日もあった。夕焼けの中、意気揚々と戦果を見せびらかすと、彼女は一緒にはしゃいでくれた。

 でも……なんだか無理に喜ばせてる気がして、逆に気を使わせている気がして、いたたまれなくなった。


 “先生”とは呼ばなくなった。呼ばれたいとも思ってなさそうだった。


 どうすればいいのか、どうしたらいいのかわからなくない。彼女が俺では立ち入れない領域にいるとしても、なんとか手助けしたい。でも、それ以上に……本気で拒絶されるのが怖い。

 心は煮えきらないままだったけど、魔法の力だけは正確に動いて犬を撃ち殺した。後は俺の気持ち次第と言っているみたいに。


 そんな日が過ぎていって……閣下が最前線へ向かわれる、出立の朝を迎えた。

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