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SSS

拳銃

作者: 赤面の迅

 ある穏やかな昼下がりの閑静な住宅街の一角。

 エフ氏の経営するこじんまりとした質屋がそこにはあった。

 自宅も兼ねて隣接された店舗は住宅街の雰囲気に馴染んだ外観で、内装も落ち着いたちょっと薄暗い古風な雰囲気だった。

 エフ氏もまた、あと数年で還暦を迎える中年の男性だった。

 中年にもなって老いを感じるようになってからは欲も少なくなり、閑静な住宅街で時たまにやってくる顔なじみの客を相手にほそぼそと商売を続けている。

 これでも若い頃は精力的に働き、収入は多かった。朝から晩まで働きに出ていて家に帰ってくることも少なかった。

 何においても働くことを優先する、いわゆる仕事人間だったからだろう。例に漏れずエフ氏も仕事ばかりに夢中で恋愛には興味がなく、この歳になっても寂しい独り身だった。

 唯一の趣味と言えたのが貯金だった。働けば働くほど溜まって行く金を見て、また仕事に精を出す。そうして貯めたお金を元手にこうして今は質屋をやっているというわけだった。

 何をするでもなくテレビを眺めて過ごす日々。退屈のあまり若かった頃を思い出しては刺激を求めることもある。

 それでも時々やってくる質屋の客との会話で概ね文句のない老後の生活ができているとエフ氏は納得していた。

 今日もエフ氏はテレビを眺めて平和なニュースを聞き流しながら、カウンター越しに客が来るのを気長に待っていた。

 退屈に負けてついつい欠伸を一つしてしまう。

 平日ということもあってか近所の子供たちのやかましい声も聞こえてこない。また働き盛りの大人も仕事に出ていて、店の外は時間が止まっているのではないかと疑うほど静かだった。

 また一つ、欠伸がエフ氏の口をこじ開ける。

 この様子では今日はもう客は来ないだろう。一度店を閉めてどこか昼食をとりにでも行こうかという考えがエフ氏の脳裏をよぎる。

 それに賛成するようにエフ氏のお腹がぐー、と音立てた。


「やれやれ、節操のない腹だな。仕方ない。ちょっと飯でも食いに行くかね」


 そう言ってエフ氏はテレビを消すと最後に一つ欠伸をしようと大きく口を開いた。

 その時、ガラガラガラ、と戸を引く音がエフ氏の耳に飛び込んできた。どうやら来客らしい。やれやれタイミングの悪い客だ。

 頭の中で文句を言いつつも客は客。エフ氏は身支度をしながらちょっと面倒そうな表情で客の対応を始めた。


「いらっしゃいませ。来て早々申し訳ありませんがちょうど今、ちょっとばかし店を閉めようかと思っておりましてね。質請けでしたら手短に。質入れでしたらまた後でいらしてもらえませんかね」


「いや、手短に済む。あんたが素直に言うことを聞いてくれればだがな」


 来客のわけのわからない返事に初めてエフ氏は入口の方を向いた。

 そこに居たのは目出し帽をかぶって真っ黒な服と手袋を身につけた見るからに怪しい人物。声色から思うに中年くらいの男性だろうか。しかし格好からそれ以上の特徴は見てとれない。

 薄暗い店内に目出し帽からかすかに覗く鋭い眼光と大きなカバンを片手に持っていること。

 そしてもう片方の手に握られているものを見てエフ氏は震え上がった。

 黒ずくめの男が握っていたのは同じく真っ黒な拳銃。各部には色々なパーツが付いており、複雑な構造をしていて精密に作られていると感じる。

 洗練されたフォルム。黒くつやのあるボディからは薄暗さもあってか背筋が凍るような冷たい光が放たれていた。

 男の持つ拳銃は静かにその銃口をエフ氏に向けている。

 どこまでも続いてそうな真っ暗な銃口から死が飛び出してくると思うとエフ氏の脚が震えだした。


「ひっ、撃たないでくれ」


 エフ氏はとっさにカウンターの陰に隠れようとする。

 しかし男の


「動くなっ」


 という怒鳴り声でエフ氏は隠れるのを断念せざるを得なかった。仕方なしにエフ氏は両手を上げて立ち上がった。


「お願いだ。撃たないでくれ。なんでも言うことを聞く。何が目的なんだ」


「こんな格好をしているのだから強盗に決まっているだろう。さあ、このカバンに金を詰めろ。妙な真似をしたらどうなるか分かってるな」


 男は入口前に陣取ったまま持っていた大きなカバンをエフ氏の方へ放り投げた。こちらを警戒するように距離を空けたまま拳銃だけをこちらに向けている。


「わ、わかった。だがここはしがない質屋で金目のものはあまりないんだ。それにこんなところで強盗するよりも、もっと割のいい場所があるんじゃないかね」


 実際、ここを利用する人たちのほとんどが住宅街に住む人たちで、彼らが担保に持ってくる物なんて大して価値のあるものではない。ここにある質流れの品を全部持っていっても大した金額にはならないだろう。

 それに町の方に行けばもっと大きな質屋もあるし、何も質屋にこだわらなくても他に金目のものがありそうな場所ならいくらでもある。わざわざこんなところに強盗しにくるのがエフ氏には分からなかった。


「あんた随分察しが悪いな。まあ大方、テレビをボケーっと眺めるだけの退屈な生活でボケちまってるんだろう。いいか、よく聞け。俺はカバンに『金』を詰めろと言ったんだ。質屋ならあるだろう。貸し付けに使う大金が」


 男の言う通り、たしかに金はある。しかしそれは質屋をやっていくには必要不可欠なもの。それに今はその金がエフ氏にとってはライフラインでもある。


「いや、それは困る。あれは私が若い頃に汗水流して貯めた金だ。それに私は年金をもらえるようになるまであと数年かかる。それまではあの金がないと生活できない」


 エフ氏は年金を受け取るようになってからも質屋を続けて行くつもりだった。だが今現在質屋としての仕事が少なく、ちょっとずつではあるが貯金を崩しながらの生活を送っている。少なくとも還暦を過ぎるまではなくてはならない貯金だった。


「そうか。ならあんたを殺してからその金を探すとするか」


 男がエフ氏を正確に狙えるように拳銃を構え直す。


「や、やめてくれ。撃たないでくれ」


「ではさっさと金をカバンに詰めろ」


「うう……わかった」


 エフ氏は渋々カバンを持って普段寝床にしている店舗ではない住居側へ入って行く。

 それを追うように一定の距離を保って男が後ろからついてきた。おそらく逃げたり警察を呼ばないように監視するためだろう。

 エフ氏もなんとか隙をみて逃げられないかと考えたが入口は男に塞がれているし、窓を突き破って逃げる勇気もない。大人しく金を渡すしかないようだった。

 エフ氏はタンスの中に置かれた金庫を開けると中に入っている金をカバンに詰めていく。すると、暇を持て余したのか男がエフ氏に向かって話し始めた。


「そういえばあんた。さっきこんなところで強盗するよりももっと割のいい場所がある、って言ってたな。どうして俺がここを選んだのか、知りたいか」


「え、ええ。まあ」


 ここは素直に話を聞いていたほうが良さそうだと判断したエフ氏は頷きながらさりげなく作業の手を緩める。それに実際、エフ氏もなぜここが狙われたのか理由が知りたかった。


「いいか。町中の大きな質屋で強盗をしようとしてもうまくいく確率は低い。大体そういう大きな店には大抵警報装置やらなんやらが付いてるもんだ。他の金目のものがある店も然り。そんなところにのこのこと強盗しに行ってみろ。あっという間に刑務所行きよ」


「なるほど」


「でだな。じゃあどうするかっていうと、こじんまりとした個人経営の店を狙うしかないってことだ。大抵そういう店はセキュリティがざるだったり、今回みたいに拳銃一丁あれば制圧できちまう。ついでに言うと周りに人気の少ない場所にある店がいいな。ここは住宅街だが今みたいな昼下がりには住民はみんな出かけちまう。他人に目撃されるリスクも減るってことだ。証拠が少なければ少ないほど強盗はうまくいく」


「なるほど。つまり私の店は強盗にうってつけの場所だったというわけか」


「その通り。わかってきたみたいだな。だがこじんまりとして人気のない場所にあるからと言ってどの店でもいいわけじゃあない」


「と、言うと?」


「結局はこじんまりとした店なんかにある金は、はした金だってことさ。そんな立地にある店の収入なんてたかが知れてる。だが何事にも例外はある。ここみたいな質屋は別だ。儲けは多少少なくとも貸し付けに使う現金が必ずある。それを狙えばいい。そして今、まさにそれが成功している。どうだ。勉強になっただろ」


 たしかに、と悔しがりながらも半分納得してしまう自分がエフ氏の中にあった。

 自分としてはのんびり老後を軽く仕事をしながら過ごして行ければいいかなと思っていた程度だったのだが、まさかこんなにも無用心だったとは。これでは強盗に来てくださいと言っているようなものではないか。


「ああ、勉強になった。随分と高い授業料だったけど」


 どうにかチャンスが来ないかと出来るだけ時間をかけてカバンに金を詰めていたが残念ながら男に隙はなかった。

 また男は自慢げに披露した強盗術に満足したのかそれ以上話すつもりないようだった。

 これ以上時間を延ばすのは無理と判断したエフ氏はある程度の金を詰め終わったカバンを閉じようとする。すると男が声をあげた。


「なんだ、まだ金庫の中に金があるじゃないか。カバンの中にもまだまだ金は入るだろう。さあ、もっと金を詰めろ」


 男は催促するように拳銃を構え直す。

 するとエフ氏は涙ぐみながら頭を下げ始めた。


「お願いだ。これ以上は勘弁してくれ。全ての金を奪われては還暦を迎える前に死んでしまう。この質屋も本当の意味で閉じなきゃならなくなる。このぐらいで勘弁してくれないか」


 拝むようにエフ氏は頭を何度も何度も下げ続ける。そんなエフ氏を見て男はため息をついた。


「はあ。俺だってあんたみたいに平穏な老後生活を送ってる奴から金を巻き上げたくはない。だが俺もまだ年金を受け取れる年齢じゃないんでな。こうしなきゃ俺も生きていけないんだ。強盗を働いた以上、一円でも多く巻き上げる。悪く思わんでくれ」


「お願いだ。お願いします。物ならなんだって持っていっていいですから。お願いします。お願いします」


「さあ、さっさと残りの金もカバンに詰めろ。さもないと撃つぞ」


「お願いします。お願いします……」


 男は拳銃をエフ氏に突きつけて金を入れるように催促する。しかしエフ氏にはもうどちらにせよ生きてはいけないと悟ったのか、ただひたすらに頭を下げ続けるだけだった。

 そんなエフ氏にしびれを切らした男はついにエフ氏に駆け寄ると泣きながら抵抗する彼の手から残りの金を奪い取ってカバンに詰めた。


「よし。これで全部だな。悪く思わんでくれよ。俺も必死なんだ。まさか成功するとは……いや、当然といえば当然か。とにかく俺はここら辺でお暇させてもらうぜ」


 男はそう言うと重くなったカバンを持って入ってきた出入り口へと向かう。


「お願いします。お願いします。お願いします……」


 しかしエフ氏は無我夢中で懇願するあまりひたすら同じ言葉を繰り返していた。

 そんなエフ氏の様子を見た男は一度開きかけた戸をもう一度閉めると店舗側から住居側にいるエフ氏に向かって最後の声をかけた。


「あー、まあ、ここは質屋だからな。担保になるもんを置いてってやるよ。俺にはもうこいつは必要ないからな。もちろん、金を返す気はないけどな」


 そういって男はカウンターの上に拳銃を置くと今度は足早に外へ出ていった。

 おそらくこのままどこかへ身を隠すのだろう。そして目撃者もいないまま、彼の足取りを追うことは不可能に近かった。男は雲隠れし、奪った金で還暦まで優雅に暮らすだろう。

 一方、一心不乱に頭を下げ続けていたエフ氏はやがて男がすでにいないことに気づいた。

 それと同時に金庫の金も全てないことに気づき、がっくりと肩を落とした。

 もうおしまいだ。この先、生きては行けない。そんな言葉ばかりが頭の中を渦巻く。

 さっきまでのんきに腹と昼食の賛否をとっていたのが嘘のよう。一瞬にして全てを失ったエフ氏にもう生きる気力はなかった。

 そんな時、ふと目を向けた先にカウンターの上に乗った拳銃あった。エフ氏は藁にもすがるようにその拳銃のもとに駆け寄り手に取る。

 ずっしりと重い。遠目では分からなかったが金属でできた拳銃は恐らく本物だろう。

 本物であれば高く売れるのではないだろうか。もしいい値段で売れたらその金でこれからはほそぼそと生きていかねばならない。

 それは辛く、ひもじいものだろう。しかし、エフ氏にはもうそうする以外に生きていく方法が思いつかなかった。


「いや、もう一つあるだろう」


 不意にエフ氏の口からそんな言葉が飛び出した。まるでエフ氏ではないなにかが彼の口を借りてそう発したように。

 しかしその言葉は間違いなくエフ氏が発した言葉だった。

 そう、もう一つある。

 もっと楽で、もっと一気に稼げる方法。


「そうだ。他人から奪えばいいんだ」


 エフ氏は自身が言ったことがどれほど悪いことか分かっていた。

 しかし、自分の言ったことを後悔はしていない。

 今、彼の手には拳銃が握られている。

 重い拳銃。その重さを感じるほど、エフ氏の中で抑えきれない高揚感が生まれていた。

 懐かしい、若かった頃の精力的な人生。多忙な中にもあった人生の刺激をこの拳銃があればもう一度味わえるかもしれない。

 エフ氏の頭の中を次から次へと強盗の作戦が飛び交う。そして彼にはそれを実行に移せるだけの知識を持っている。

 この拳銃を使って強盗をしよう。

 まず必要なものは目出し帽に真っ黒な服と手袋。それで身元が分からないようにする。店にある物を売ればそれくらいは買えるだろう。

 次にどこへ強盗に行くか。これは簡単だ。

 大きな店ではセキュリティが厳重で危険が伴う。こじんまりとした人気の少ない場所に立っている店がいい。あるいはここのように住宅街の昼下がりでもいけるだろう。

 もちろん、どんな店でもいいわけじゃない。現金の置いてある個人経営の質屋がいい。相手が一人ならこいつがあればたやすいものだ。この拳銃を突きつけて誰もが震え上がるのは実証済みだ。

 そうだ、金を詰めるカバンもいる。大きさはでかい方がいいだろう。入らないとか理由をつけて金を渡すのを渋るかもしれない。

 大体の大きさは実際に詰めたエフ氏自身でわかってる。また質屋をやっていたから狙う店にどれくらいの貸し付け用の金があるかはある程度わかる。

 カバンを放り投げ、店員に金を詰めさせる。自分は抵抗されないように距離を空けて拳銃で威嚇していればいい。

 移動するようなら距離を空けてついて行き、変な気を起こさないように注意して監視する。金を渡すのを躊躇するようなら拳銃で脅せばいい。

 どれも自分自身で見てきたものだ。

 身をもって体験したことだ。

 しかもちゃんとした成功例を見ている。

 むしろ失敗する気がしない。

 エフ氏の中にかつてないほどの電流が走る。今までにないくらい刺激的で楽しい。一日中ずっとテレビを眺めていてボケきった脳が若返ったかのように回転が速い。

 人生最後の大仕事。一円も負けることなく根こそぎ奪い、年金を手にするまでの数年間安心して暮らしていこうじゃないか。

 ああ、楽しみで仕方ない。我ながら完璧すぎる計画でむしろ誰かにこの話をしてしまいたくなる。しかしそれはできない。そんなことしてしまえばせっかくの計画がパアになってしまう。

 頑張って我慢しなくては。せめて強盗を決行する、その時まで……

 いつのまにか口元に笑みがこぼれていたエフ氏はその楽しそうな笑顔を拳銃に向ける。

 それに呼応するように黒くつやのある拳銃は、艶かしげにエフ氏に向かってウィンクをしているかのようだった。

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