8、木下
8、木下
うちの甥っ子は無表情だ。普段何を考えているのかよくわからない。怒られるとウジウジして、すぐ謝る、すぐ逃げる。
弱い。
隼人はその一言に尽きる。こいつがあの、プライドの塊の姉貴から産まれたとは……到底思えなかった。
旦那の方に似たのか?だとしたら最弱の旦那だな……。
隼人をいじりながら、そんな事を考えていると、インターホンが鳴った。
「石守~!いるか~?」
なんだ。木下か。木下は、勝手に俺の部屋まで入って来た。
「相変わらずの部屋だな~石守~!」
「何の用だよ」
木下は俺に事情を説明し始めた。
「この前言ってた絵画教室やらないか?」
「あー、絵画教室?」
「ああ。田中先生が亡くなったの知ってるよな?その後任が必要なんだよ。お前暇だろ?」
いやいや、暇だとはいえ、ハイ!やります!とはならないって。
「俺にそろそろ働けってか?」
「まぁ、そうじゃないと奢ってもらえないからな」
「働いてても奢らねーよ」
木下は俺とは違い、早々に夢を諦めて公務員になった。今は役所で働いている。普通に働いて、嫁と子供に囲まれて、普通は普通なりに幸せだと笑っていた。
「暇じゃねーよ!これをよく見ろ!」
俺が隼人を木下の前に出すと、木下は隼人を見て言った。
「あ~!子育てで大変だったな。まぁ、そんな事より……」
「ちょっと待て!まず、こいつがどこの誰か聞け。そこの所スルーか?スルーはおかしいだろ?」
木下は俺が結婚していない事を知っているハズだ。結婚もしていなければ、彼女すらいない事もよく知っている。
「いや、この子供が誰の子供だろうと絵画教室には関係無い。生涯学習課としては、今ある絵画教室は継続させたいと思ってるんだよ」
「相変わらずだなお前……」
「求められた事にはできるだけ答える事をポリシーにしてるからな」
そうだ。木下はそうゆう奴だった。就職する時も、結婚する時も、嫁や親の願いに答えるためだった。
そんな木下が、哀れな様な、羨ましい様な…………複雑な気持ちだった。
「田中先生は……もっと長生きすると思ってたのにな……」
「おいおい、田中先生の事何だと思ってんだよ。もう88だぞ?」
「そうか……もうそんな年だったんだな」
田中先生は、俺に初めて絵を教えてくれた先生だった。絵画教室なんか通わせてもらえなかったから、町の絵画教室に毎週通った。
「初めて会った時からじいさんだったから、年の事とか気にした事なかった」
俺がどんなに成長しても、絵画教室に行けば、そこには田中先生の笑顔があった。
子供の時、何度も思った。田中先生が親父だったら良かったのに……と。木下も多分、そう思っていたと思う……。
俺に、田中先生みたいになれって?無理だろ?器の大きさが違う。俺に子供や老人の扱いなんて無理だ!
「俺、別に大してちゃんと勉強してきた訳じゃねーし、人に教えられる自信ねーんだけど?」
「いいんだよ。肩書きとかじゃ無いんだ。俺は、ちゃんと人を見て決めたいんだ」
「自分が通った事がある事業だからって肩入れし過ぎじゃねーの?絵画教室なんて今時流行らないだろ。何ならお前が漫画教室でもやったらどうだ?」
口が…………滑った。まずい。言い過ぎた。
「…………すまん。言い過ぎた」
「謝るな。お前に謝られると余計しんどいわ……。まぁ、今日はこの辺で帰る。また今度来るから、考えておいてくれ。とりあえず今週の教室は休みにしてあるから、来週に間に合うように……頼む」
そう言って木下は帰って行った。
俺は、嫌な奴だ。1人でいると、急に嫌な奴になる。俺の世界に、誰かを入れるのがしんどくなる。絵画教室となればそれが何人もだ。
そう思うと……隼人ぐらい主張がない方が、今の俺にはちょうどいいのかもしれない。