誤道突入
梅が散り、桜が咲いて、それも散った。もう、葉桜になる季節。
百夜通い。テュール皇子は本当にしてくれた。毎日、花と文を持って、春霞局へ現れるテュール皇子とは実に穏やかな交流。自然と笑えるし、日増しにこの人にもっと歩み寄ろうと感じる事が出来た。
一方、毎晩、夜更けに現れるティダ皇子とは日に日に険悪になっていった。恋心を口にしたら負け。口説かれたら負け。私の心は、ベルセルグ皇居を守護するユルルングル霊峰よりも強固になった。
「何故にこうも、靡かない女に惹かれてしまったのかね」
呆れ顔で言う台詞を、タコが出来る程聞かされた。口説き文句を告げられ、彼の手が伸びてくる度に拒絶。そういう時、指一本触れるなという私に対し、ティダ皇子は実に律儀なことに、指一本触れない。ほんの少し、触れられれば、容易く決壊しそうなのに、触れてくれない。
ティダ皇子は、初指南の話を全て拒否。皇居内での色恋遊びの噂もパタリと止んだ。異常事態に、街娘や皇居外の華族の娘が相手だとか、噂が噂を呼ぶ。女の情報網は複雑かつ迅速で、ティダ皇子は誰にも手を付けていない。おかしい。妙だ。そういう話が何度も耳に届いた。その意味は、つまり、私に本気だということ。
私に執着してくれるなら、何故、たった一言、嘘で良いのに永遠を誓ってくれないのか?
私は自分の愛嬌のなさ、勝気さ、そういう悪癖を棚に上げて、ティダ皇子を憎悪している。可愛さ余って憎さ百倍とは、まさにこの事。梅を投げた事に始まり、文を千切り、燃やし、桜の枝を突き返し、酷い有様。私は、本当に可愛げのない、最悪な娘である。
そうして、二人の殿と迎えた百夜目。テュール皇子は前夜と同じく現れ、ティダ皇子は現れなかった。
ティダ皇子はそのまま国から姿を消した。十歳の頃より、数えて百度目の失踪。皇居内ではそんなに話題にならなかった。気まぐれ皇太子は、またひょっこり戻ってくる。困った人だ。そんな呆れ声があちこちから噴出しているらしい。
むしろ、この三ヶ月余りの間、ティダ皇子が皇居内の女官に手を付けないことの方が大きな噂になっている。というより、女の私には、女の噂ばかりが届く。
こうして、百夜の翌日がやってきた。
テュール皇子と私の、婚姻の儀式の日である。百夜通いは、表向きは婚儀までの間、単にテュール皇子が通い婚をしている。そういうことになっていた。何せ、国中に妃だと披露されている。
今日の儀式を持って、私はテュール皇子の正式な妃。その座は正妃。皇居内にテュール皇子の屋敷が新設され、私は共に住まう事を許される。正妃にのみ許される特権。
皇族の婚姻の儀式は、四年振り。正妃となると五年振り。
儀式は盛大に執り行われた。テュール皇子と私の結婚は、長い年月を経た初恋成就物語して、多くの娘達の胸をときかせるだろう。しかし、その本人の心中は鉛を飲んだように重い。
婚姻の儀式中、笑顔を顔に貼り付けながら、私は自らの性格を呪うしかなかった。
∞ ∞ ∞
皇居内に建設された新居。名は陽月御所。私の新しい住処である屋敷。白無垢姿のまま、足を踏み入れた。
花嫁は御帳台の中で、花婿は宴会の亭主。宴会はさほど長く続かない。間も無く、ついに、私はテュール皇子に摘まれる。婚姻の儀式の日に初めて契るとは、妃がねにまでなったというのに、何とまあ贅沢な事である。
これから、死ぬまで、テュール皇子を支える。その決意に、微塵の迷いもない。真心尽くせば、倍にして返してくれるような方だ。
しかし、抱かれるのか……。
口付けされて、突き飛ばしたりしたらどうしよう……。
陽月御所付き女官、その筆頭、上葛となった叔母ミンメイが、無言で私の綿帽子を脱がした。
「本当に大きくなられましたね。ミーシェ、感涙して倒れそうでしたよ。勿論、このミンメイもです」
一人娘の晴れ舞台。確かに、母は泣き倒れしそうな勢いだった。
「ありがとうミンメイ。これからも宜しくお願い致します。お母様の期待に応えられて、良かったです……」
私を祝福する両親の笑顔は、前に進む糧である。目を瞑ると、ありありと思い出せる。
「しかし、まあ、驚きましたよ。男に、それも皇子に体を許さず、百夜も通わせるとは、隠すのが大変でした。一夫一妻の強要、御所にご自身の名前を付けさせる……どうしてこう、気が強く育たれたのか」
「磨きに磨いた才色兼備の私に、自信を持っているからです。虐められ、悔し泣きする私に気高く強くあれと、そう教える乳母がいたからです」
振り返り、ミンメイを見て、歯を出して笑った。彼女は温かい眼差しを潤ませている。
「今夜はその自信を抑えて、愛らしい態度で……。まあ、百夜見ていましたけれど、可愛い態度でよろしかったです。そのくせ、昼間はツンと澄まして、好意に惚ける姿を一切見せず。昼と夜、どちらが本当の姿なのやら」
どちらも本当の姿だ。私を恋しい、愛しいというテュール皇子の誠実な態度には癒される。しかし、姿を見ていない時に、思い出す事はない。私は四六時中、ティダ皇子の事ばかり考えている。
白無垢を脱がされ、寝巻きへと衣装替え。サササッと側女ネージュとマールが現れて、白無垢を持って消えた。二人して、興味津々、早くも話を聞きたいという様子で、私は辟易した。あの二人、本当に私とテュール皇子の話が大好きである。まあ、おしどり夫婦の噂を広めてくれるので、有り難い事だ。
「湯浴みの準備は整えてあります。幼い頃のように、このミンメイが背中を流しましょう。洗い残しがあっては困ります」
「まあ、逆ではなくて? 一人で入ります。洗い残しなんてしません」
くすくす笑い合いながら、私達は一度御帳台から出た。打掛を羽織り、廊下を進む。宴会場から官吏達の声が薄っすらと届く。
私はふと気がついた。これからは、この屋敷内を自由に使える。ここは、私とテュール皇子の屋敷。テュール皇子の側近も暮らす。女ばかりだった局とは違う世界を垣間見れる。
「ソアレ様?」
「ミンメイ……花嫁修行は終わりました。明日から、官吏修行をします。政治経済、他国情勢などを学びます。テュール皇子の役に立てるかもしれません」
え? とミンメイが頬を引きつらせた。
「官吏? 確かに女性官吏も増えてはいますが……ソアレ様。貴女様は……」
「子を産みますし、表舞台にも立ちません。テュール様の役に立てるような女であり続けたいのです」
半分本音で、半分嘘である。私を縛った両親やナナリー様のように、私も外堀からテュール皇子を捕縛出来るようにしておきたい。
「その強情そうな目……。言っても止めても聞かないのでしょうね」
大きな溜息を吐くと、ミンメイは私に背を向けた。
「風邪を引くので、そろそろ舞の練習は止めなさい。もう、夜更けです。明日もあるのだから、勉強は終わりにして寝ましょう。いつも聞きませんでしたね。ソアレ様には、何を言っても無駄です」
「馬の耳に念仏。そう、笑って。単に飾りになったら、私は人形になってしまいます。テュール様の心も離れてしまうでしょう……」
「まさか。政事に口を出すなど、煙たがられるのが関の山ですよ。まあ、お好きにして下さい。聡い方ですから、押したり引いたり
は、ご自分で判断出来るでしょうからね」
歩きながら、自分とミンメイの判断は、どちらが正しいのか思案した。しかし、分からない。余計な事をして、守ろうと思う一族に破滅を与えたらどうしよう……。
しかし、ティダ皇子に告白されたあの晩、私は何もかもを忘れていた。それは、捨てたと同意義だと思っている。故に、あの夜を境に義務を義務と感じなくなった。
腹を括って嫁いだのだから、テュール皇子の支えとなりたい。彼の支援をしたい。そうすれば、家族や身内などだけではなく、この国の全ての者の幸福を与えられるのではないか?
一度は一族を捨てた。知られていないが、私は裏切り者である。蝶よ花よと育てられ、贅沢に身を置くのだから、そこに溺れる浅ましい女にはなりたくない。今の、この最低さから、更に堕ちるのは許せない。
屋敷の浴室は檜だった。皇居背後に聳えるユルルングル霊峰から、温泉を引いているという。春霞局の、大浴場も好きだったが、良い香りの中で一人で湯浴みはとても落ち着く。本当に、贅沢な身分を得たものだ。
窓を開けると、ユルルングル霊峰がすぐそば。この地の神、岩窟龍王神が住まうという大陸一の山脈。岩から生き生きと生える木が見える。
あれは……梅の木ではないだろうか?
私はピシャリと窓を閉じた。
「梅の君……今は誰ぞに……」
お湯の中に、顔を半分まで埋める。自分で手離した恋を引きずってはいけない。私の阿呆、馬鹿、強情、愛嬌無し……。
自らを延々と責めていたら……私はのぼせ、浴槽から出る際に壁に頭を激突させた。




