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禁秘恋慕

 市街地中を連れ回されて、昼になった。ティダ皇子は皇居へ戻り、私を女官に預けた。それで、テュール皇子を連れて、また市街地方面へ消えていった。


 私は、それはもう複雑な気持ちで春霞局へ戻った。ティダ皇子が息災だったことへの安堵。テュール皇子との婚姻を心から祝福されたことへの絶望、悲壮。むしろ、恨めしい。千本針を飲まされた気分。血を吐きそうな程辛い。恋い慕う相手に、婚姻を大祝福されるなんて、灼熱地獄へ放り投げられた気分。


 ナナリー様と母、乳母ルールーに何があったかを、サラリと説明して、疲れましたと部屋に閉じこもった。


 身が入らないけれど、琴を弾く。曲は、唐紅の唄。ゆったりとした旋律で心を落ち着けたい。


(かずら)姫様、失礼します」


 この声、側女のネージュ。


「しつれいします」


 あどけない声は、いとこ姪のアルセ。


「はい、何ですか?」


 声を掛けると、仕切屏風の向こうからネージュとアルセが現れた。ネージュは手に畳んだ打掛を持っている。


(かずら)姫様。先日貸して下さった打掛を返しにきました。それから、雪姫様をお連れしました」


 琴を弾くのを止めて、二人を座らせる。私はネージュから打掛を受け取った。ネージュの隣に座るアルセは、何故か後ろに手を回している。


「龍詩講義にて、恥をかかなくてすみました。ありがとうございます」


 ネージュからの感謝の言葉に、私は曖昧に微笑んだ。


「肝心の講義は? 少しは学びました?」


 ネージュが苦笑すると、アルセが手を前に出した。冊子を持っている。


「おばさま! アルセは妃がねになりたいです! 龍詩を教えて下さい!」


(かずら)姫様! ティダ皇子が帰ってきたら、確認すると申していたのです。次も失態だと愛でてもらえません」


 ネージュが袖に縋り付いてきて、アルセは私の膝の上に座った。


「ですから、励みなさいと言ったではないですか」


 怖くて聞けなかったが、ネージュがティダ皇子に連れていかれた日、何も無かったのか。それに、失態……。ネージュは何をしたのだろう? ここで、ほくそ笑んではいけない。


「毎度、手厳しいです(かずら)姫様。まあ……苦手だからと、いつも課題を代わりにしていただいていた……しっぺ返しです……」


「はいはい。断って、自分でと言っても聞かないからですよ。好機を逃すのは、それまでの努力の……」


 言いかけて、私は口を閉じた。努力したから何になる。朝から晩まで、それこそ早朝から夜更けまで、私は努力を積み重ねてきた。顔だけ姫と、一族の恥晒しと呼ばれたくない一心で。


 それで、私は好きでもない殿のものになる。


「おばさま。アルセはネージュのようにはなりません。おばさまのように励み、素敵な殿に好かれます」


 雪のように白い頬を、ほんのり桃色に染めて、気合いたっぷりというアルセ。六歳にして、あれこれと話を耳にしているらしい。アルセの手に持つ冊子は、古典龍詩講義用のもののよう。ネージュの物だろう。


「雪姫様……手厳しいことを……。(かずら)姫様が、テュール皇子への文と共に、私に歌を与えてくれなければ、悲惨でした。遅くなりましたが、ありがとうございます」


「いえ……また随分前の事を……」


 膝の上で、アルセが早く早くと私を急かす。しかし、私はネージュの話が気になる。


「随分前? まだ、一月半しか経っておりません。嫌味を言ったのに、助け舟を送ってくれるとは流石、(かずら)姫様。いつも、何だかんだお優しいです。お披露目前で、神経が尖っていたでしょうに、ありがとうございました」


 聞きたい話から、逸れてしまった。私はアルセが手に持つ冊子を開いて、視線を落とした。私がティダ皇子のことを、あれこれ聞くのはおかしな話。


「何だかんだは余計ですよ、ネージュ。さて、アルセ。妃がねなどより、素敵な官吏の奥様の方が良いですよ。一夫一妻ですし、実家の権力が強ければ浮気もされません」


 え? とアルセが振り返った。


「でも、おばさまは妃がねになられたのですよね?」


「そうよ。それが(わたくし)が生まれた理由ですもの。でも、叔母様は美貌とあらゆる教養で一夫一妻を目指します。泣き寝入りしません。では、アルセ。まずは自分をアルセと呼ばないようにしなさい」


 ハッとした顔をしてから、アルセは両手で自分の口を隠した。しまった、というように赤くなっている。


「はい、おばさま。アル……えっと……わたしも、がんばります!」


 元気一杯な声で宣言すると、アルセは龍詩を真剣な目で見た。可愛い。この頃に戻りたい。まだ、ティダ皇子に出会っていなかった頃。未来の夫である、テュール皇子の幻影に、憧れを抱けていた頃。


 私はアルセの烏の濡れ羽色の髪を撫でた。彼女の未来が、どうか明るいようにと祈りを込めて。


「今日も強気ですね、(かずら)姫様」


「ええ。それが(わたくし)の長所にして短所です。殿の前では、なるべく抑えます。では、ネージュ。この、春眠不覚暁は分かるわね?」


 問いかけに、ネージュが目を泳がせた。


「はい! おばさま! 春は眠くて、起きたら夕焼けでした! です!」


 自信たっぷり、褒めて下さいという、キラキラおめめのアルセ。しかし、違う。


「ネージュ、正解……は分からないのですね」


 ネージュはアルセに小さな拍手を送っていた。


「まあ、ネージュ。講義で何を聞いてきたのですか」


 私の問いかけに、ネージュは肩を揺らして苦笑いした。


「こう、漢字だけなので目がチカチカするのです。それに……これが、どういう時に役に立つのでしょう?」


「どんな時って……ネージュ、あなたさっき龍詩の教養が足りなくてティダ皇子の気を惹けなかったと言っていたではないですか」


「そうでした! 再度、好機があるそうなのです。また見かけたら、声を掛ける。楽しく話せるようになっていてくれと、申してくれました」


 背筋を伸ばしたネージュが、前のめりになる。そのティダ皇子の発言は、建前なのか本気なのか……。建前なら良いのに。


「難しいことは覚えなくて良いのですよ。このように、講義に出される有名な龍詩さえ理解していれば良いのです」


 私は冊子をネージュへ渡した。それから、机に手を伸ばして、筆も渡す。以前、テュール皇子から贈られた墨が仕込まれている筆はとても便利。蓋を開けたら、すぐに文字が書ける。


「春眠は分かりますね。暁は夜明けです。暁を覚えず。覚えずは知らず知らずのうちに。そういう意味です。要は春は気持ちが良いので、朝寝坊してしまいます。そういう詩ですよ」


 私が話したことを、ネージュが冊子へと書き込むのを確認。物凄く、興味無さそう。アルセも眠そう。私は懐から扇を取り出した。


 ペシリと畳を叩く。それから、扇を広げて、ネージュに流し目した。儚げに見えるだろう姿を演じる。多分、上手く出来ている。


(わたくし)……春をとても好んでおります。貴方様と長く共にいられますもの。春眠……暁を……。ずっと春ならば良いのに……」


 これなら、ネージュは興味を持つだろう。私の意図はネージュに伝わったみたい。ネージュが目を輝かせた。


「きゃあ、(かずら)姫様。その台詞……誰に言うのですか?」


「テュール皇子ですよ。講義中ですから、テュール皇子の事は話しませんからね」


 ネージュの目の輝きが、一気に消えた。多分、ネージュが私を訪ねてきた目的は、テュール皇子との話を聞きたいからか。まあ、予想通りである。


「知識を役に立てる方法は色々とあるものですよ。春を気のある方に関する文字に変えても良いです。例えば……」


 梅。そう言いそうになり、私は口を閉ざした。


「月とかですね」


 冬であれ……月と眠れば……暁を……。


 一句出来た。冬であっても、月の君と眠れれば、暁を覚えず。何とも微妙な句。テュール皇子がティダ皇子に、何処へ連れていかれたのか分からないけれど、文にして東狼御所へ送るか。戻られたら、渡して下さいと伝えれば良い。


 一応、今晩は二晩目。待っていますというような、文を認めないとならない。しかし、これでは違う。まだ共に朝まで過ごしていないからこの句では悪い。


(かずら)姫様? 月? 月とは何です?」


「月の君。穏やかで、優しい光の皇子様をそう呼んだので……。月眠不覚暁。本人が見た時と、他人が見た時で印象が違いすよね? ネージュ、基本あっての応用です。しかし、逆覚えでも良いのですよ。好きなものや人と結びつけると覚えられたりします」


「おばさま! アル……わたしは、秋が好きです! 秋はご飯がおいしくて、つい寝てしまいます! 紅葉も好きです!」


「雪姫様。秋や紅葉よりも、月の君という皇子様のお話しを聞きたくないです?」


 興味津々そうなネージュ。アルセは「んー」と唸って、首を横に振った。


「アルセはおばさまの、流星の祈り唄を聞きたいです!」


「まあまあ。雪姫は、その唄が本当に好きね」


 子供というのは、直ぐに興味の矛先が変わる。頑張っていたが、また「アルセ」と口にしているのも微笑ましい。


 ネージュはがっくりと肩を落としている。


「机の上に飾ってある菜の花。月の君が(わたくし)のようだと、贈って下さいました。ネージュ、今日から菜花姫と呼んで下さいませ」


 え? とネージュが顔を上げる。もっと話せという眼差し。私は避けるように目を閉じた。


 瞼の裏には、春霞の中に浮かぶ梅の海。


 テュール皇子の茹でたこみたいな顔を思い浮かべようとしても、菜の花畑を想像しようとしても無理みたい。


 まあ、心の中だけは自由だ。


 けれども、私は膝の上の可愛いアルセや、私を慕ってくれるネージュみたいな、身内を守らなければならない。守りたい。いや、守るのだ。


 私は、絶対に皇妃にならないといけない。小娘一人の初恋くらい、実に小さな犠牲ではないか。


「流れて輝く星は、叶えてくれる」


 私の歌に合わせて、アルセが楽しそうに歌う。


「わたしの願い、あなたの想い」


 いつ探しても、流星を見つけられたことはない。だから、自分の幸せは自分で作るしかない。私は誰よりも努力できる娘。初恋を忘れて、新しい恋をする事だって、きっと出来る筈だ。相手が……あのような殿ならきっと、大丈夫。


 いつか……菜の花畑の夢を見たい……。今夜テュール皇子に抱かれることで、その日に近づくようにと、今歌う流星の祈り唄に願いを込める。


 閉じた目の内側は、眩しく煌めくティダ皇子の笑顔と、満開の梅の映像。初恋前よりも、あの日に戻りたい。あの桃源郷の中に永遠に閉じ込めて欲しい。


 私はいつの間にか、祈り唄に願う想いを変えていた。


「祈って欲しい その為に輝くのが流れ星」


 幸福を作る流星は、闇夜に散って消える。その流れ星は誰が幸せにするのだろうか? ただ消えていく流星は何を思っているのだろう?


「おばさま?」


「あら……雪姫があまりに上手に歌うので、感激してしまったわ。この歳で、素晴らしいことよ」


 振り返ったアルセが、私の頬に流れる雫を袖で拭ってくれた。泣いて、アルセの首に涙が落ちていたようだ。アルセの首が濡れている。


 照れたように、はにかみ笑いをしたアルセを、私はギュッと抱きしめた。

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