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梅愛菜哀

 初指南の夜、になるはずだった日の翌日。


 昨夜、父から「お前は何も心配しなくて良い。皇子に昨夜の事を質問するな」と言われた。


 何だか良く分からない態度を取って、おまけに帰ってしまったテュール皇子。彼は本当に出直してきた。


 朝餉後、父の指示の元、私が身支度を済ませた時である。私の部屋の襖が開かれ、そこにテュール皇子が居たのである。頬が赤く、視線は斜め下。私を見ていない。渋い表情である。


 昨晩は皇族のみが着れる黒装束だったが、今朝は白装束。帯は赤。これは参拝用の衣服だ。昨夜、龍王神社へ詣でると話していたので、正解だろう。


 それで、手には菜の花。


 何故、菜の花?


「おはようございます太陽の君」


 顔を真っ赤にさせて、ぎこちない笑顔を浮かべて、私の目の前にしゃがんだテュール皇子。やはり、目線は畳である。私を見ない。


 私に菜の花が差し出された。


「おはようございます……月の君」


 月と太陽は一緒には並ばない。貴方と並びたくないです。思わず心に浮かんだ皮肉が「月の君」という単語として飛び出していた。


 ティダ皇子になら、私は迷わず梅の君と告げる。我ながら……馬鹿、阿呆。私はこの皇子の妻になるのだ。


 菜の花……菜の花……好きだけど……以前、何か文に書いただろうか?


 素敵な皇子様が、花を持って現れて……とても照れている。神聖さ醸し出す衣装に、凛々しい整ったお顔。


 さあ、ときめけ私!


 ちっとも胸が鳴らない。困った心である。しかし、この方に恋をしないと生き地獄になる。私は死ぬまで、この人だけの女になるのだから。


「月の君?」


 テュール皇子の問いかけに、私は言い訳を考えた。


「月は太陽の光で輝くそうですテュール様。(わたくし)、名に恥じぬように内助の功を尽くしとうございます」


 もう既に赤いのに、テュール皇子は更に赤くなった。どうやら、私はナナリー様や両親の望み通りの娘に育ったらしい。テュール皇子は私を好んでくれている。


 そして、この人は女性にそんなに慣れていない。胸がほんのり温かくなり、自然と笑えた。この人を傷つけたりしなければ、きっと優しく、大切にしてもらえるだろう。そういう予感がする。


 なので、月の君、その言葉の裏の皮肉や私の本音は決して伝えてはいけない。


 私はそっと、菜の花を彼の手から受け取った。


「参拝へ行く前に、飾らせて下さい」


 部屋に……と思ったが、今日は多分この部屋には戻らない。きっと、春霞局の部屋へと帰る。


「ミンメイ。これを春霞局の私の部屋へお願い」


 隣室に控えている側女を呼んで、菜の花を手渡した。母の叔母であるミンメイは、テュール皇子をチラリと見て、微笑ましそうに肩を揺らした。


「……一晩、頭を冷やしたのだが……。この体たらくでして……。それに梅と迷った……。梅は……春霞局の庭にも梅はある。あれより見事な梅園に……共に行く方が良いかと……」


 懐から出した扇で顔を隠しながら、テュール皇子が私の耳元に顔を寄せた。囁かれた台詞に、私の気持ちは沈んだ。


 梅は……梅園だけはこの人と見るのは嫌だ。いや、どんな殿とも嫌。私の聖域を、踏み躙られたくない。


「梅は見慣れていますので、菜の花畑を見とうございます。そうしたら、部屋に飾るこの花を眺めながら……」


 貴方様を思い出せます。いつでも。毎日。


 そう、言うべきなのに、喉に言葉がつっかえた。


「眺めま……す……」


 何が、なるべく嘘はつかないようにしようだ。私は大嘘つき娘だ。


「そう……努めたいのです……。心踊らぬ方と、一生添い遂げるなど……」


 これなら、まあ、割と本当である。しかし、テュール皇子に対して悪い。しかし、無理だ。抑えられない。


 情緒不安定。


 私はほろりと涙を流した。胸が痛い。痛すぎる。しかし、母だってこんな風に父と結ばれたのだ。いや、私の方が幸せな娘に違いない。何せ、このテュール皇子は私を好いてくれている。


 父は母に対してどうだったのだろう? 何にせよ、母は親に指示された相手と契り、兄や私を産んだ。華族の娘は皆そう。自由なんてない。


 私はテュール皇子の扇をそっと奪った。心を痛めたというような、苦しそうな表情。頬はまだ赤い。何か言おうとして、迷っている様子。怒ったり、罵ったりしてこない、優しいこの人を傷つけて良い道理はない。


「時間が掛かるとは思いますが……真心には真心を持って歩み寄りとうございます。私は貴方様の為だけにこの世に生まれたのです……」


 そっと、彼の身体に体を預けた。ティダ皇子と会った回数、時間。それを超えた時に、きっとテュール皇子との間にも何かが芽生える。自分の人生を彩る為に、この人の気持ちから逃げては駄目だ。


「宝だと大事にする。なるべく不自由がないようにするし、不安を与えないように他の誰も囲わない。そう、約束しよう」


 抱きしめられるかと思ったが、テュール皇子は私の肩に手を乗せて、すぐに離した。もう、彼の顔は赤く無い。凛々しい表情に、真摯な光を帯びた瞳。穏やかな笑みは春の陽射しみたい。


 嫁ぐ相手がこのような誠実そうな人で良かった……。素直に好きになろう、大事にしようと思える。


 次の瞬間、テュール皇子の顔は、ボッと火がついたように真っ赤になった。


「そ……そなたの笑顔は……本当に……愛くるしいな……」


 絞り出すような声。私から目を逸らすと、テュール皇子は立ち上がった。左手が私の右手を掴む。かなり、熱を帯びた手。かなり緩く握られている。


 私は繋いでいる手を、ギュッと握った。少し、胸が弾んでいる。貴女を好きですという態度を取られるのは、心地良いものらしい。


 私は歩み寄る姿勢を、常に見せるべきだ。


「人目がないところではソアレとお呼び下さいませテュール様。褒められて、嬉しいです。私は、テュール様の優しい眼差しをとても気に入りました」


 彼の顔を覗き込んだ。


 テュール皇子はゆで蛸みたいに赤い。自分の発言に、こんな風に一挙一動反応するなんて……嬉しい。



 ∞ ∞ ∞



 さて、私は夫となるテュール皇子に恋されているよう。


 初夜も済んでいないのに、初めてのお出掛けをする。薄桃色に桜柄の打掛、それから白詰草と四つ葉を模した冠垂れ衣を贈られた。


 今朝の支度、テュール皇子の迎えを待つというのに、やけに地味な薄着にされたと思っていた。この打掛に合わせる為だったらしい。


 今まで贈られた、高級志向で大人びた品とは違い、私の趣味に合った打掛。冠垂れ衣もそう。この方向転換は正直嬉しい。


 誰かに私の好みを聞いたのだろうか? それなら、今までは何だったのだろう? とても謎である。


 行き先は本当に龍王神社だという。皇族同伴でしか参拝できない、霊峰ユルルングル山脈にある神社。


 皇居から少し離れた、旧皇居から石段で続く龍王神社。旧皇居自体が参拝地となっている。


 旧皇居は、毎年年始に一族総出で詣でている。この旧皇居は遠い。牛車や馬車で二日はかかる。しかし、テュール皇子は昨日、一日予定を空けたと言っていた。一日で、どうやって旧皇居まで行くのだろう?


 屋敷から籠で移動。一人、籠の中でテュール皇子の手の感触に気持ちを集中させる。それから、目を瞑って、菜の花を思い浮かべる。


 チラチラ、チラチラ、美しい梅園の景色が私を襲ってくる。それに、力強くて大きな手の感触。


 ティダ皇子は元気だろうか……。死んだと思い込もうとしても、あの堂々たる姿で帰国する場面ばかりが頭に浮かぶ。


 私は目を開いた。両目を閉じて内にこもると、現実逃避ばかりしてしまう。


 籠の中を観察して、現実を受け入れる。今の私に必要なことは、テュール皇子の恋心と真剣に向き合って、恋に落ちること。


 籠の中の飾りは、ベルセルグ皇国の皇族紋、三頭(みつあたま)ハイエナが刺繍された織物。意識していなかったが、これは皇族用の籠。


 何故、ベルセルグ皇国の紋様はこの異形のハイエナなのだろう? 三は神聖な数だと言われているが……。


 わあああああああ!


 籠の外で、大歓声がして、私は小窓から外を覗き見た。


 何?


「よう、テュール! 馬くらい乗れるようになったか!」


 この声!


 私は小窓な掛かっている衣を思いっきり開き、小窓の格子に頬をつけた。


「ティダ! おい、止めろ。馬くらい以前から乗れる。おい、人前でこのような……止めろ!」


「ふははははは! 参拝服とは、俺の帰国祈願か。先週も見たぞ。お前はかわゆい男だな」


「だ、だから止めろ! さ、酒臭い! 先週も見たとは、何処かで油を売っていたんだな? どれだけ心配したと……」


「やる事が色々あったんだよ! 心配してくれたのか。そうか、そうか」


 ティダ皇子とテュール皇子の声はするが、籠の隣を歩く馬の脚、籠の前を歩く馬の脚しか見えない。


 ティダ皇子とテュール皇子は政敵側なのに、かなり親しいと聞いていたけれど、本当に仲が良さそう。


 見たい。ティダ皇子を見たいし、テュール皇子の素も知りたい。


 思わず格子を掴んで揺らしたら……あっ……え? 外れ……外れた! 皇族の籠を壊した! そんなに力を入れてないのに!


「き、きゃあ!」


 私は両手が掴む格子をぼんやりと眺めた。これは、手打ちになる案件ではないだろうか。淑女のしの字もない行為。


 ここは、たぶん市街地。


 テュール皇子の籠に乗る華族のお嬢様は、籠を破壊する豪傑。そんな噂になるのは最悪の事態。テュール皇子の顔に泥を塗る。


 怯えて固まっていたが、大歓声とティダ皇子の名の合唱が猛風のように飛び込んでくる。それで、私は外れた格子を籠の中に放り投げて、小窓から顔を出した。丁度、頭が出るくらいの大きさ。


 籠を壊した事実は消えないので、もう野となれ山となれ。


 体が勝手に動いて、止められない。冠垂れ衣がひらひら、ひらひらと視界の邪魔をする。


「ぶっ、ぶわっはっはっはっ!」


 不意に、目の前に黒い影が落ちた。見上げた先には、ティダ皇子。途端に顔が歪む。一気に、涙が込み上げてきて、風に雫が飛んでいった。籠の壁がなければ、抱きつきたい。


 ティダ皇子は微笑みながら、私の額を揃えた指で押した。


「ソアレ。庇ってやるから酒の酌をしろよ」


 小さな声だった。あっと思ったら、籠の扉が引き剥がされた。開けたのではなく、破壊された。


 庇うって……代わりに壊して……。


「ん? わざわざ初指南の夜の後に帰国したのに……。まだ手を出されてないのか。テュールは変人か?」


 しげしげと私を眺めるティダ皇子に、私はポカンと口を開いた。


 まだ、手を出されていないのかって……どうしてそんなことが分かる。


「テュールを焦らして、更に夢中にさせるつもりか。既に骨抜きなのに、更に何を抜くつもりだ。流石、唯一の大華を目指す女。男を振り回す魔性の女め」


 何ですって⁈ それは貴方だ! と叫びたかったが、私は口を貝のように閉ざした。公の場で、妙な事を口走ってはいけない。


 既に骨抜き? テュール皇子が? まあ……そうかもしれない。昨日と今朝の態度。骨抜きとまでは思えないが、テュール皇子は確かに私を好んでいる。


「お前の天女、見せびらかせテュール」


「おい、何をするティダ!」


 ティダ皇子が私の腕を掴み、籠から出した。とても優しい手付き。このまま、攫って欲しい。私の腕は無意識にティダ皇子の首へと伸びた。


 抱きつく前に、ティダ皇子は私を持ち上げて、テュール皇子の馬に乗せた。最悪な事に、顔を隠す冠垂れ衣を奪った。体がぐらぐらと揺れる。テュール皇子が慌てて私の体に腕を回した。


「噂のテュール皇子の天女、(かずら)姫。この皇太子をつれなく振る娘はこの国でそなたくらい。一度くらい天女と遊んでみたいのに、酷い話だ」


 ティダ皇子がトンッと跳ねた時、黒い影が降ってきた。黒狼が着地し、ティダ皇子はその上に仁王立ちした。


 何処から手に入れたのか、国旗を右手に掴み、空へ高々と掲げる。黒地に銀刺繍の三頭(みつあたま)ハイエナが、風に翻り、生き物のように動いて見える。


 光り輝くような、凛然とした立ち姿。見つめていたいが……また、遊びたいなどと……私の純粋な恋心を踏みにじくる台詞。腹が立って仕方がない。


 しかし、眼前に群衆。大勢の者が私を注視している。怒りを露わにした表情を見せてはならない。そもそも、顔を見られる事は、はしたない。


(わたくし)以外の女性を誰も愛でない。そのように約束してくれる方の、永遠かつ唯一の華となるのです……」


 私はテュール皇子の胸に手を添え、彼の胸に顔を埋めた。


 絶対に、私はこのテュール皇子に恋してみせる。そして、それこそ彼を虜にする。それを、女を渡り歩くティダ皇子に見せつけてやる。


 口が裂けようとも、貴方に恋してやまなくて、愛しています。そんなこと言うものか!


「さあ、祝いだ! 我等ベルセルグ皇国皇族の祝言に歓喜せよ! 我が友と永華に幸あらんことを!」


 龍王神社への参拝は中止。


 ティダ皇子は、黒狼に立ったまま、テュール皇子と私が乗る馬の手綱を引いて、市街地中を移動した。


 初夜もまだ、婚姻の儀式の日取りも決まっていないのに、こうして私はテュール皇子の妃だと国中に披露された。

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