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エピローグ

 *


 10年後


 ベルセルグ皇国


 陽月御所


 *


 心地良い琴の音色。不安が消えるかといえば、消えない。


「テュール様、次は何の曲に致しましょうか?」


 三年前に正妃に迎えた、表情乏しいアフロディテが今夜も無表情で問いかける。ティダが目をつけ、こっそり気に入りの男へ嫁がせようとしていた、珍しくティダが手を付けていない華族の娘。美貌、教養、申し分無いので、横取りした。


 ティダの人を見る目には狂いがない。アフロディテは、亡き妻ソアレには似ても似つかない、涼しげな顔立ちの麗人だというのも良い。共通点が無いと言う事は、余計な事を思い出さなくて済む。


 例えば、心通じ合う、仲睦まじく愛し合う夫婦だと思っていたら、他の男に恋い焦がれて命を捧げた。とか、そういう事。


 辞世の句と短い謝罪の文。遺品から自分との思い出の品以外の物が出て来て、理解した。


 しかし、私が贈ったものはもっと丁重に仕舞われてあった。残されていた日記もそう。戸惑いながらも、必死に私に寄り添おうという気持ちが綴られいる日記。そこにはたまに、梅への憎しみが書かれていた。


 そういう女性だから、自由に生きる道を選べず、死を選んだのかもしれない。皇族との政略結婚から逃げる。その気概を持てる華族の娘など、この国には居ない。


 ソアレがティダを見つめる眼差しに宿る色には、結婚して間もなく気がついた。


 しかし、歩み寄ると口にした通り、彼女は私に歩み寄ってくれていた。目に宿るのが、愛情ではなく、まるで兄弟への親しみなように感じられて寂しくもあったが、いつか月日が経てば変わると信じていた。


「木枯らしの唄を頼む。」


「はい」


 徳利一つと盃二つを手に持って廊下へ出た。手摺をお盆代わりに酒を盃に注ぐ。ぼんやりと空を眺めた。


 命日に共に飲んでくれても良いものの、相変わらずティダは孤高を貫いている。余程、ソアレの死に傷ついたらしい。粗暴で凶暴だが、その裏側は実に繊細。


 深く縁を結ぶと、相手を破滅させるとか、そういう事を思っているのだろう。国民に想像以上に慕われて、想定外に惑わし、国を荒らしたせいで、余計にだ。


「本当に……ティダはソアレの望みとは真逆を行くな……」


 独り言が冷えた風に攫われて霧散していく。心を隠し、口から出まかせばかりの孤高の大狼兵士。志はユルルングル山脈やナルガ山脈の岩峰よりも遥かに高い。


 革命軍を背負わず、裏切り者の烙印を押され、それでも皇族側に立った。


 帝位継承権を放棄。首謀者を捕まえ、皇帝拒否を提示し、皇帝にレオンを祭り上げた。過激なパフォーマンスで、血が多く流れる前に、恐怖で内乱を鎮めた。


 目を瞑ると蘇る、聖龍の塔に火が焚かれ、闇夜に浮かび上がった、唐紅の皇帝装束を纏った父親レオン。その隣には皇帝側近を示す白装束を着たティダ。


 帝継承権を捨て、国民を裏切る形を提示して、何もかもを捨ててしまった。いつか国を出るのだから、徹底的に嫌われ者になろうということらしい。


 影でこそこそ中央政権を整備。皇帝となった父は、ティダの息のかかった者達に囲まれていっている。


 ティダに脅され、殴られ、蹴られた者達の手により、ベルセルグ皇国は豊かさを増していく。ティダ皇子への感謝を口にしようものなら、ボコボコにされる。おまけに他国から侵略戦争を仕掛けられると、いつの間にか最前線に現れて、返り血を浴びて圧勝してくる。


 血塗れの孤高の大狼兵士。大狼の背に乗る彼が現れれば、敵は即座に引き下がるようにまでなった。その名は、近隣諸国に轟いているとか。逆にこの国が侵略戦争へ出るとなると消える。味方が大敗でも絶対に姿を現わさない。まるで憎め、蔑めというように、皇居で酒盛りや女遊びをしていたりする。


 誰がこの国の支柱なのか、見抜くものは見抜く。阿呆な父は、忠臣となったティダに盲目かつ寄りかかり過ぎ。


「あれはいつか食われる……で、私か……」


 父が死ねば、次の皇帝は長男シエルバである。政治に興味のない、面倒臭がりな男。プライドの高さや、少々非情で残忍な所など、父に良く似ている。


 自分がレオンを操るように、兄を上手く操縦しろ。そういう圧力を毎日のように感じる。仕事も膨大。情け無い姿や、気弱な所を見せると、ティダに殺されかけた。兄より目立ちそうになると、兄よりも皇帝に相応しいなどと噂が立つと、やはりボコボコ。


 私はぼんやりと月を眺めた。


 最悪な兄貴分め。かつてのように隣に立って欲しい。共に前へ進みたい。なのに、ティダはあらゆる人間関係を拒否している。


 最悪な前妻め。あそこまで人一人を壊すとは、恐ろしい女。


——時間が掛かるとは思いますが……真心には真心を持って歩み寄りとうございます。私は貴方様の為だけにこの世に生まれたのです……


 儚げに泣いたソアレの姿を思い出す。私の母に「息子の正妃」として育てられ、道を選べなかった憐れな娘。


——笑って下さると、ホッとします。決して裏切りたくないと思うのです……


「裏切れないから死ぬとは最悪だな……散り方も酷い……。後宮で虐められても言わないしな……」


 十年も経てば、色々と気がつくし、今ならと思う事も数多。眩しくて可愛い新妻に溺れていた。ティダの事もそう。今なら、彼が国を爆発させる前に先回り出来ただろう。


 十八歳だったソアレが、隙間時間に皇居をうろついて、この国やティダの行く末を見抜いた。なにもかも、後悔ばかり。


 ティダは住んでいた御所も捨て、部下を捨て、街にぷらぷらと出掛けることも止めてしまった。陽月御所で将棋を打ち、語り合った夜が懐かしくてならない。


「夫となる方と……恋をしてみたいと思ったのです……か……何が嘘で本当なのかサッパリだ。死人に口無し。堪えるな……」


 口をつける者のいない盃へテュールは微笑みかけた。それから盃の酒に懐から出した多色に輝くサファイヤを入れる。不在のティダの盃に、彼の宝石ソアレ。


 ソアレの命日に必ず墓に供えられる、種々の希少な宝石と花。


「完全に隠さないのが、小憎たらしいというか……可愛げがあるというか……阿呆な兄め」


 私はグッと酒を飲み干した。


 不意に、琴の音が止んだ。


 衣擦れの音がして、振り返る。アフロディテが無表情のまま、凛と立っている。


「なんだ、酌をしてくれるのか? このように、友は今日も来ない。かつては呼んでもないのに押し掛けて来たのにな」


「ティダ皇子でございますか?」


「左様。たまにちょっかいを掛けられているようだが、無視しなさい。あれは間も無くこの国から消えてしまう」


 来月か、来年か、そう思っていたらもう十年。その間、かつてのように失踪する事もなく、全身全霊で中央政権や国内整備、後継教育に励んだ。そのティダが、ついに去る。


「西の醜姫に婿入りと聞きました」


 流石、後宮を牛耳る女。秘密情報をもう仕入れているのか。皇居内の女の情報収集能力は恐ろしい。


「ああ、あの国へ行くのは危険そうなので挙式の際はこの御所にいるように。もしくは後宮」


 私はアフロディテを手招きした。ツンと澄ました表情で、おもむろに近寄ってくる。


 揶揄いたくてバッと抱き寄せると、アフロディテの鉄仮面が剥がれた。照れ顔に、嬉しそうな微笑み。やっと自分を見たというような歓喜の笑み。


 実に可愛い反応。そして、こうして比較対象があるとソアレの演技が際立つ。初恋に夢中だった、若い私が気がつかなかったもの。


 表向き、病死と処理されたソアレ亡き後、ティダや家族に執拗に押されて側室妃を娶ったが、心揺れる事は無かった。彼女達も、寵愛が無いと分かると、あれこれ手を回して浮気。皇妃が浮気とは死罪ものだが、そんなもの形骸化している。


 不自由な皇居の女達により不自由を強いると、爆発してしまう。


 ソアレが生きていたら、上手く背中を押して、大切な友と幸せになるように出来たかもしれない。ティダの気持ちにも気がついてなかった間抜けな過去の自分。


「そなたは本当に可愛い女だなアフロディテ」


 褒めても、ムスッとされるので、彼女の本心が何処にあるのか分からない。


「はい。端麗さには自信があります」


 興味無さそうな、つれないそぶり。しかし、彼女の耳は赤い。


「ははっ、そういう意味では無い。その中身だ。老いれば女は醜くなるが、そなたは年を重ねる程に光を増すだろうな」


 一瞬、ぱああああああとアフロディテの顔が明るくなった。大輪の花のような笑顔。


——ニコリともしない氷のような妃。正妃ではなく側室妃にしろ。お前の唯一無二の花になると言っていた菜花妃に呪い殺されるぞ


 婚姻の儀式の際に、珍しくティダが昔のように突っかかってきた、朝まで酒を飲んで、将棋を指した。


——いや、絶対に正妃だ。天邪鬼なんでな。 極寒にも花は咲くと証明したら、誉れ高いだろう?


——咲くか阿呆。地獄や極寒に……いや……地獄には咲くか……


 相当酔って、演技を忘れたらしい。ティダは突然泣いた。親しみこもった空気に、懐かしさで狂いそうだった。ソアレの気持ちの代弁や説教をしたら、逃げられた。


 翌週には婿入りの話が出てきた。この国から、ソアレから、私から、うっかり気に入りそうになる女達から完全に逃亡するらしい。ソアレの従姉妹姪の初指南後から、様子がおかしい。ソアレの面影を発見して慄いたのだろう。


 ティダの今の姿は、ソアレの望みでは無い。


 必ず、私が気がつかせて、元に戻す。


 そして、この国で共に生きるのだ。


 なのに、逃げられる。どうにかして、帰るしかない状況にしてやる。


 他国に婿入りして何をするつもりか知らないが、またこの国は荒れる。ティダ皇子が居ないと困ると爆発する気配。隠しても、背を向けても、国を守ろうという彼の姿勢は大勢の者に見抜かれている。


 見事にこの国を導き、頂点に君臨し、ティダを安堵させる。その上で、連れ戻す。


 ソアレに怒っているので、ティダと共に二つ並びの北極星となる。夫婦の星から友情の星。実に良い。あの世で再会したら、あの可愛い顔を悔しさで歪めてやる。


 ティダを連れ戻したら二人で墓参り。それで酒盛りだ。菜の花と梅のどちらを墓に飾るか喧嘩。将棋でひと勝負。朝まで語り、二人で並んで岩窟ベルセルグ皇国を守っていく。かつて、その身をこの国に捧げた愛しい人の為にと墓前で誓う。誓わせる。


——忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命とならん


 ソアレの辞世の句。謝罪の文には、死者は生者には決して勝てません。しかし、逆も然り。この国の繁栄と幸福、何より貴方様の幸せを祈ります。自分なりに内乱の防波堤になる事と、謝罪に加え、そのような事が書かれていた。


 その文には見事な胡蝶蘭(アマビリス)が描かれていた。花言葉は「幸福が飛んでくる」である。日記に綴られた、テュール皇子の妻は果報者、幸せ、そういう台詞の数々。勝手に「貴方のような方には幸せが飛んでくると思っています」という意味だと解釈した。私の知るソアレという娘は、そういう女性だ。


 ソアレが、今のティダを見たら、さめざめと泣くだろう。


 それから程なくして、ティダは西の国へ婿入り。根回しの甲斐もなく、まるで逃げるように岩窟ベルセルグ皇国を去った。


 岩窟ベルセルグ皇国は至って平和で、国民からもティダ皇子が去る事への不満は、かつてのようには噴出しなかった。


 

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