最愛大華 3
私は白無垢。テュール皇子は参拝用の白装束。ティダ皇子の前に、2人で並んで正座。ティダ皇子は私に酌、テュール皇子には将棋の相手を命じた。
私達が現れる前に、ティダ皇子はミンメイに御膳、酒、将棋の準備をさせていた。ティダ皇子に食事を促される。
「似合いの夫婦だな」
将棋の駒を並べながら、ティダ皇子が零した。彼の柔らかな微笑みに対して、テュール皇子が照れ笑い。
「ありがとうございます。自分でもそう思います」
叫び出しそうな気持ちを押し殺し、微笑む。ティダ皇子がもたれかかる白狼が低く唸った。
「ヴィトニル、止めろ」
ティダ皇子が白狼を撫でる。白狼の尾がバシンッとティダ皇子の顔面に直撃した。
「ふはははは! 痒いわ! で、テュール。先日の災害にてあちこちで不都合が起こっているだろう?」
大笑いすると、ティダ皇子は将棋の駒を動かした。彼は振り飛車党なのか。白狼はまだ唸っていて、正直怖い。琥珀色の瞳は、私を見据えている。動いたら、噛みついてくるような雰囲気。
「ああ、対応に追われている」
パチリ、パチリと将棋を打ちながら、どこの街で何があったとか、どこぞの官吏が使えるとか、2人はそういう話を始めた。誰は横領しているから、そろそろ蹴落とすとか、ティダ皇子はそういう事も語る。私の知らなかった政治、統治の話。
聞いていて良いのだろうか?
静かな声色で、将棋を打ちながら語り合う2人。私は黙って耳を傾けて、2人へお酒の酌をする。
「新妻、誰かに琵琶を弾かせて欲しい」
少々劣勢な状態の盤面を、沈思というように見つめる、ティダ皇子に頼まれた。
「それでしたら私が弾きます」
「いや、花嫁は何もしなくて良い」
パンパンッとティダ皇子が手を叩いた。隣室で控えているミンメイが襖を開く。
「熱燗の追加でしたら、今お持ち致します」
「マールでございます」
ミンメイの隣に、琵琶を手にしたマールが座っていた。会釈をしたマールを、ティダ皇子が手招きする。
「朧薄月夜と龍王の調べ。歌は無くて良い」
「はい、かしこまりました」
マールはティダ皇子が掌で示した位置に腰掛けた。私から見て右手側、将棋盤の隣。ティダ皇子とテュール皇子の間。ティダ皇子に目配せされたマールが、琵琶を弾き始める。
寂しげな旋律。ティダ皇子の穏やかな瞳に、つい見惚れる。少し生やした顎鬚を撫でながら、朱色の盃で酒を飲んでいく。
パチリ
パチリ
パチリ……。
静かな部屋に響く駒音。かつて、ティダ皇子と向かい合って、将棋を指した思い出が、鮮やかに蘇る。
「お前には勿体無い娘だテュール。励めよ」
ポツリとティダ皇子が呟くと、テュール皇子は大きく頷いた。
「自ら選んだものは、決して裏切るな。噂によると、新妻は、唯一無二の大華を望んでいるらしいぞ。テュール、お前が裏切ったら、弟分として喉元を噛み切ってやろう。それが大狼だ」
大狼? 問いかけて良いのか迷っていたら、テュール皇子が口を開いた。
「またその話か。それに、あーしろ、こーしろ。大狼は皇族の比喩なんだろう? 言われなくても、私は彼女を大切にする」
「大切に、ねえ……。まあ、好きに解釈しろ。無様な生き様見せたら、容赦しないからな」
張り詰めたような空気に、琵琶の音色が横たわる。
「弟分と言いながら、兄貴面ではないか。なあティダ、市民と深く交流していると耳にした。過ぎたるは猶及ばざるが如し。国を荒らすな」
「父上が身分改革を進めているから、後押しは当然。王や強者に従うのは世の常だ」
「陛下のお気持ちも分かるが……私の父上や取り巻き達がな……」
これは、さっぱり会話の内容が分からない。私は飾り人形のように、2人にお酒の酌をするしかない。
「矜持よりも自己保身を選ぶ愚かな叔父上と、その腰巾着。まあ、適当におだてておく。全く、何故同じ群れの中で争う。人とは阿呆だ」
大きな溜息を吐くと、ティダ皇子はマールからそっと琵琶を奪った。優しい手つきに微笑みだったが、目が笑っていない。
「天女の羽衣にしては、想定以下だな。下がりなさい」
琵琶を少し鳴らすと、ティダ皇子はマールに琵琶を返した。マールは青ざめ、頭を下げて部屋から退室。
「彼女の腕はそう悪くない」
テュール皇子がティダ皇子へ告げた。
「遅い。もっと早く庇え。可哀想に、真っ青だったぞ」
ピシッ。テュール皇子の額が、ティダ皇子の指に弾かれる。自分がマールを蒼白にしたのに、ティダ皇子は何を言っている。
「痛っ」
「試したことに気がつかない阿呆め。こんな半人前以下が嫁取りか。全く、しっかりしろ。新妻をチラチラ見てはニヤニヤ、ニヤニヤ。腑抜けのままだと、背負う群が全滅するぞ」
チラチラ? 私がテュール皇子を見ると、彼は頬を赤らめて苦笑い。ティダ皇子がテュール皇子の額を、またしても指で弾いた。
「痛っ」
「そういう目は褥でしろ。本当にどうしようもねえな。この国を背負うという気概を見せろ」
「何度も言っているが、器の大きさが違う。ティダ、お前が皇太子だぞ」
「俺は誉れ高い大狼の帝になる男だ。こんな国要るか。酒と女とごく一握りの気に入りがいるから、ちょこちょこ居座っているだけだ」
先程から、私にはティダ皇子の発言内容が理解出来ない。皇太子であるし、次の皇帝だともっぱらの噂なのに……。
それにしても、この2人は本当に親密そう。私は蚊帳の外で、まるで楽しくない。それに、ティダ皇子の顔をみているだけで、胸が苦しい。
自ら選んだものは、決して裏切るな……か……。私に告げられた訳ではないのに、貫かれたように胸が痛い。
ティダ皇子の中の優劣は、私よりもテュール皇子。
ティダ皇子が、九十九夜、通ってくれているうちに素直になれなかった。折れる事が出来なかった。私は、もう永遠に彼を手に入れる事は出来ないだろう。
テュール皇子と私が、白装束と白無垢で並んだ後から、ティダ皇子は私と目を合わせなかった。名前も呼ばれていない。
この日、ティダ皇子とテュール皇子は政治の話や、2人だけにしか分からないような話をしながら、夜中まで対局を続けた。
ティダ皇子は負け、大笑いしながら、上機嫌で私達の屋敷から去った。宿泊を促したテュール皇子の髪をぐしゃぐしゃにし、額を三回指で弾いて。
去り際、ティダ皇子は私に小さな耳打ちをしていった。
「後宮の毒花も、更に強い毒花と競い合いか。負けた振りとか、もっとあしらいを覚えろ」
え? と思ったら、私はテュール皇子へと軽く押されてた。後宮? 戸惑いのうちに、ティダ皇子の姿は消えていた。
「手加減してわざと負ける。結婚祝いがそれとは小さいな」
玄関で、テュール皇子はクスリと笑った。ティダ皇子同様に機嫌が良い。
「将棋も囲碁も、私がティダに教えた。なのに、あっという間に追い抜かれ、五年振りの白星だ」
テュール皇子は私と手を繋ぎ、ニコニコと笑いながら歩き出した。二人だけしかいない廊下に、テュール皇子の微かな鼻歌が響く。
「それで、ソアレ。唯一無二の大華とは何だい?」
理解しているような、照れ臭そうな笑み。私はテュール皇子に必死に微笑み返した。
「数多の星の中の一番星ではなく、二つ並びの北極星のようになりとうございます」
二つ並びの北極星は、決して隣から離れない夫婦の星だという。そういう神話がある。
薄明かりでも分かるくらい、テュール皇子は赤くなった。
「そうか……」
「貴女様なら、願いを叶えてくれると信じて選んだのです」
——自ら選んだものは、決して裏切るな
私は、目の前の夫を裏切らない。ティダ皇子に縋り付いたり、泣きついたり、テュール皇子を拒否したりしない。そう、自分に言い聞かせる。
「ああ、約束しよう。そうか、北極星か。あの神話は女性に人気がある」
「死後も寄り添う夫婦ですもの」
テュール皇子は私を抱きしめて、そっと優しい口付けをしてくれた。
全身が引き裂かれそう。強情な理性と、狂っている本能。私という娘は口から出まかせばかり、イカれている。誰にも言えない想いを胸に秘め、死ぬまで、身の内側に激しい葛藤の火を燃やす。
その夜も、テュール皇子に抱かれながら、私は彼への可愛い恋を騙った。貴方がとても好きで、大切にして欲しいというおねだり。
愛は無くても快感は得られるのだなとか、愛は芽生えなくても情はすくすくと育っているとか、そういうことばかり考えてしまう。
時が去れば葛藤の火は消える。
永遠に燃え続ける火、この世にそんなもなはない——……。




