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最愛大華 1

 皇妃ソアレ。その名は国中に広まっている。皇居に自身の名を付けさせ、夫の寵愛を一身に受ける絶世の美女。


 皇妃となると、姿や名を隠す必要は無い。催事という催事にて、私は遺憾無く己の才媛を披露している。そして、有難い事に恵まれた容姿も見せつけている。


 新婚三ヶ月。テュール皇子は私にデレデレしている。浮気をしたと思われたら困ると、公務にて地方へ行く際に、私を帯同させるくらいである。秘密裏にするくらいの理性は残っているようだが、非難の的にならないか、不安である。


「そう言いながら、ソアレ様は実に上手く根回しをされるではないですか」


 明日、西の街へと向かう。窓から差し込む、夕焼けの明かりの中、側女マールがうっとりというように両手を握り締めた。支度をする側女が、ずっと手を動かしていない。


「上手くなんて無いわ。ラン妃に知られたみたいで、嫌がらせの嵐よ。あの方、シエルバ様がまた新しく後宮に寵姫を迎えたから、鬱憤が溜まっているみたい」


「ソアレ様は、すっかりあちこちの方々から、目の敵にされていますからね。テュール皇子の妃がねを目標にしていた娘達。魑魅魍魎渦巻く後宮の妃や寵姫」


 マールがそそそっと私に近寄ってきた。


「威津大社の古い御神木に、ソアレ様の名前が書かれた藁人形が打たれていたとか」


 何だって⁈ 私は手に持っていた半紙の束を畳の上に落とした。マールが慌てて搔き集める。


「ラン妃ですよ。先週から熱発したのは、呪い返しですよ、絶対」


「マール、皇妃が丑の刻に威津大社へ行ける訳ないじゃない。また、根も葉もない噂を仕入れてきて……」


 私が思っていたよりも、女の世界は恐ろしい。レオン宰相長男シエルバ皇子の正妃ランは、お飾り状態のせいか、私を虐めて憂さ晴らし。側室妃や、後宮のシエルバ皇子の寵姫も、標的が自分ではない事に安堵しつつ、火に油を注ぐ。


 私は格好の餌。御所外、皇居の廊下で妃の誰かに会えば足をかけられる。催事においても、あれこれと邪魔をされる。ラン妃はテュール皇子の義姉の立場なので、私の目上。呼ばれれば、会いに行かねばならない。シエルバ皇子は妃とは住まない主義らしく、後宮に住まう彼女に、ネチネチ嫌味を言われ、何か披露しろと言われる。


 まあ、教養をこれでもないかと叩き込んできた私は、澄まし顔で彼女の鼻を明かして帰る。琴、和歌、漢詩、歌、舞、碁、将棋などなど。隙なんてない。春霞局の(かずら)姫の頃から、やっかみの大嵐だった。怖い世界でも、自らの力で生き抜ける。


 政治哲学の勉学の為に官吏を呼ぶのも、男狂いだと噂を立てられている。そんな女なら私は……。私はそれ以上の事を考えるのを止めた。


「噂といえばソアレ様! なんと、ティダ皇子が帰られたそうです。何でも、先週の大嵐にてコウ河が大氾濫した時に現れたそうです。それはもう、素晴らしいご活躍だったとか」


 考えるのを止めたのに、そのティダ皇子の話を聞く羽目になるとは思っていなかった。


「ティダ皇子が……?」


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。私はようやく、テュール皇子に心を傾けかけている。なのに、このように動揺したくない。そんな自分を発見したくなんてない。


「白い狼と共に颯爽と現れ、壊れかけた水路を直す。それに、的確な指示にて被害を減らしたとか。私の姪が、その街に住んでいて、昨日避難してきたので聞いた話です。それはもう、大変格好良かったそうですよ」


 マール以外の若い側女が全員手を止めて、興味深そうに彼女を見つめる。


「まあ、それではそのうち皇居にも戻られるでしょう。まだ見た事が無かったのですが、ついに噂のティダ皇子を見れるのですね」


 私の結婚に際して、皇居に出仕したアイラが頬を赤らめた。夢見る乙女全開の瞳。


「どうしましょう。ソアレ様、ティダ皇子はテュール皇子と懇意ですよね? この御屋敷でティダ様に見初められたら……大変。漢詩の勉強が足りてません」


 私に縋り付いてきたのはネージュ。またいつか、ティダ皇子のその言葉を励みに、嫌いな漢詩に打ち込んでいる。


「テュール皇子とティダ皇子が並ぶと……。大変目の保養です。ソアレ様、ティダ皇子がこの屋敷を訪ねてきておもてなしする際は、是非座敷にて雅楽や舞を披露させて下さい」


 マール、ネージュ、アイラが顔を見合わせて、きゃあきゃあ騒ぎ出す。


「無駄口叩いていないで、早う支度を進めなさい!」


 叱責したのは、上葛ミンメイである。彼女と同じ年頃のユニとイリーは澄まし顔。


「「「はーい」」」


「返事は短く、伸ばさない!」


 若い側女が、上葛に怒られる図。見慣れた日常。


「ソアレ様、また文が……」


 側女メアリが現れて、おずおずと私に近寄ってきた。


「また文ね……。ラン妃は本当に懲りずに……」


 蘭柄の半紙を帯紐にした文の差出人は一目瞭然。また、後宮に呼びつけられるのか……。ため息混じりに文を開いた。


「ひっ!」


 黒い物が転がり落ちて、私は文を手放した。畳に落下したのは、蜘蛛の死骸。


 文を摘むと、茶会のお誘いだった。


「今日という今日は許せませぬ!」


 気の強いマールがダンッと脚を踏み鳴らして立ち上がった。


「おやまあ、ソアレ様が全く気にしてないように見えるからと、可愛い悪戯だこと」


 蘭柄の帯紐を拾ったミンメイが、その帯紐半紙にて蜘蛛の死骸を摘んだ。


「ミンメイ様、可愛いだなんて!」


「ソアレ様が可哀想でございます!」


 マールとネージュが私を庇う発言。アイラはミンメイから蜘蛛入り帯紐半紙を奪い、捨てに行く。


「偶然、文に蜘蛛が紛れていて恐ろしかったです。蜘蛛にまで恋慕われているのでしょうか? 生憎、(わたくし)は唯一無二の大華ですので神の使いといえど、身も心も開けません」


 懐から扇を出して、私は自分の顔をあおった。驚いて熱くなったが、落ち着けば嫌味がポンポンと浮かぶ。


「ソアレ様! そのような発言を茶会でしたりしてはなりませんぞ!」


 ユニが私を睨む。


「言いません。内心、ほくそ笑むだけにしておきます。閨で言おうと思います」


 ふふふっと自然と笑えた。何を言っているんだと呆れながら、テュール皇子は私を愛でてくれる。照れ照れしながら。


 自分の旦那の相手でもない女に対して、嫉妬に狂う女達。一歩間違えば、私も向こう側だった。私は、正しい道を選んだのだ。こういう時に、そう思える。


「テュール様も、ソアレ様に夢中になっていないで、少しはラン妃や後宮の動向に目を向けてくれれば良いのですけどねえ」


「ソアレ様が一切言わないからですよ!」


「私達からの告げ口も禁止されるからです!」


 私は首を横に振った。


「良いのです。テュール様が側室妃に局、もしくは後宮にご自分の局を作られたら同じ様な事をするでしょうから。まあ、陰湿な事はせずに、真っ向勝負で叩き潰しますけどね」


 先日、街へ出掛けた際に、揃いの扇を買った。その扇を見つめる。未だ恋しいかと問われれば、頷けないのだが、嫉妬心は巨大である。私という娘は、独占欲の塊である。


 日没を告げる、鐘楼の音が鳴り響く。


「お喋りばかりで、荷造りがちっとも進まないわね。後は頼みましたよ。(わたくし)は夕餉の確認をしてきます」


 本来、食事の最終確認も上葛の仕事だが、最近は自分でしている。こっそりと料理人の手伝いという名の、少々邪魔をする為の名目。料理をすることは、華族令嬢の嗜みではなかったので、とても関心がある。


 市民の妻は、毎日家族の為に腕を振るうという。私が始めたら、華族の娘も料理を出来るかもしれない。仕事にする娘も出てくるかも。市民文学に憧れ、密かに料理に興味を持つ娘は絶対にいる。マールもその一人。


「ソアレ様。本日は何に触れてみますか?」


 私の我儘にもう慣れた、料理長コムが竹ざるに野菜を並べて、私に差し出した。トマト、茗荷、きゅうり、それにトウモロコシ。


「今日こそ包丁を……」


「怪我をされて、クビになりたくありません。勘弁して下さい」


 期待の眼差し攻撃は無駄だった。コムは私から目を逸らしている。父親より少し年上の彼には、私の美貌は通用しない。娘をあしらう様な態度を取られてしまう。天女と褒めそやされても、何もかも思い通りにはならないと、こうして何度も痛感させられる。


 ティダ皇子との事も……また考えそうになり私は顔を横に振った。久しぶりに名前を聞いたからと、考えてはいけない。


「クビになんてしません。激怒したテュール様がそんな事をしそうになったら、こう言います。コムの料理でないと、喉を通りません」


 私は悪戯っぽく笑ってみせた。


「しかし……出来る出来ると言う割に、ソアレ様は不器用でございます。指を少し切るならともかく……指そのものを切断しそうなので駄目です」


 確かに、私は不器用娘だ。人の何倍も努力してきただけ。だから、励めば料理だって出来る。


「まあ。何でもこなせるからと、少々天狗になっていましたが、もう反省しています。ね?」


 かなり可愛いだろう仕草と笑みを浮かべたが……無駄みたい。


「ではソアレ様。こちらのトウモロコシを岩石揚げにしますので、身を取っていただきます」


「揚げ物?」


「竃にも近寄らせませんぞ! ガンさん、ソアレ様の見張り……コホン。指導を頼む」


 呼ばれた料理人ガンが、くすくす笑いながら、私に近寄ってきた。一度もしていないのに、揚げ物禁止令とは解せない。


 私は渋々、トウモロコシの身を取る作業に勤しんだ。


 ふと気がついたら、上葛ミンメイに見張られていた。仁王立ちしている。


「ソアレ様、大変です。来客でございます」


 見張りではなく、呼びに来ただけだった。


「大変? 来客……」


 ミンメイの後ろに、次々と側女が集まった。キラキラ輝く若い側女の嬉しそうな表情に、私は嫌な予感がした。


「ティダ皇子です! ソアレ様!」


「ソアレ様! 雅楽ですか? 舞ですか?」


「将棋です?」


 きゃあああああという小さな黄色い声。浮かれ過ぎだ、君達。主の一人である、私を怒らせたいのか? 既に、苛々が津波のように押し寄せている。


「テュール皇子が、戻るまで待つと……」


 失踪していた皇太子が突然現れて困った。ミンメイの目はそういう目だ。チラチラと夕餉の確認もしている。皇族にしては質素な内容の夕餉なので……確かに困る。


 私の足が小さく震えた。折角、虐め以外は順調な生活だったのに……。


 鎮火したはずの、ティダ皇子への激しい恋心がもう燃え盛っている。今すぐ、走り出して、姿を見たい。


 ミンメイや側女達の声が、とても遠くに聞こえる。


——恋のまさる頃かな


 夏に梅など咲かないのに、梅の香りがした気がした。私は必死に床に足を貼り付けた。

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