ヘヴンなきこの宇宙で
あれから10年余り。
グルイナード王国に神罰兵器が落とされてからはかつての地には獣人種が集まり暮らしている。
緑は以前より豊かで神の恩恵に満ち溢れた土地へと変わっていた。
人間に迫害されてきた彼等はそこに家を建て、地を耕し、水を汲み、狩りもした。
かつて人間の栄華の国は嘘のように消え、ここは獣人種達の楽園となっていた。
彼等は皆女神ティアマットを崇拝し祈りを捧げている。
かつての部族達がそうしたように。
各国も目を付けてはいたが、そこはかつて女神の怒りによって滅んだ土地。
自らに災いが降りかからぬよう彼等は一切の手出しをしなかった。
「グリフォ……」
彼等の営みを山脈から見守りながら神格と信仰を取り戻したティアマットは寂しそうに呟く。
グリフォが休眠から目覚めた直後、彼は急に宇宙へと飛び立ってしまったのだ。
何度も念話で話を聞こうとしたが全く繋がらない。
通信を拒絶しているのかそれとも念話の届かない所まで飛んで行ってしまったのか。
どちらにしても隣にいない人のことを思うのは女神でも堪える。
それでも待っていたくなるのが自分の弱み。
溜め息を漏らしながら太陽が天頂まで昇るのを確認したとき。
一陣の風がティアマットの長い髪を激しく揺らす。
たなびく髪に思わず目を瞑った。
直後に懐かしい感覚が脳裏を巡る。
忘れもしないこの胸の高鳴り。
目を瞑っていてもわかる安らぎにも似た、自分だけを包んでくれる巨大な影。
今自分の背後に愛おしい存在がいる。
そう思うと嬉しくてたまらない。
『待たせたな』
聞きたくて聞きたくてたまらなかった声が念話となって響いてくる。
ティアマットはゆっくりと瞼を開くも、すぐには後ろは振り向かなかった。
「……一言もなしに突然消えて、また私の前に現れるなんて」
『言葉もない』
「つっけんどんな言い方ね。性格変わった?」
『そうだな……ここ10年……この宇宙にある様々な星に赴いた。……あらゆる国や文明を破壊してきた。皆殺しにはしていない。生かしておかなければ、新しい種を育ませることが出来ないからな。星々に生きる知性達に善と悪の花が乱れ咲く。ようやく見つけたんだ……復讐を終えた先の、俺のだけの役割が』
「……そう。残酷なのね」
『邪竜だからな。あらゆるものにとって俺は害悪な存在だ』
それは悪の力に魅了された者の甘美な告発だった。
自ら憎しみを振りまき悲しみや怒りを誘うグリフォは完全なるヴィランとして再び返り咲く。
人間性の部分もすでに消え去っている。
今あるのは邪竜としての本質か、果ては別の概念と成り果てたか。
しかしこうしてティアマットに会いに来た。
彼女のことは覚えていたのだ。
ティアマットにとってはそれが嬉しかった。
そして彼女は決心したかのように振り向き彼と向き合う。
その瞳は迷いなく澄んだ輝きを持ち彼を見上げた。
「アナタのお陰で私は失ったものを取り戻した。……たったひとつを除いてね」
『夫の存在、か』
「今の私の神格なら夫を復活させられる。でも、それをしなかった理由……アナタにわかる?」
『さぁてな』
とぼけてみせるグリフォ。
だがティアマットは構わず続けた。
「アナタのせいよ。アナタが私をこんなにも思わせてしまったから……。復讐の為に夫と融合したアナタを、女神であるこの私が、まるでまた恋をした生娘みたいにッ! 責任を取りなさい、ずっと待ってたんだからッ! この10年ずっとッ!!」
グリフォに向かってティアマットは思わず叫ぶ。
『……』
人間性が残っていた頃ならきっと狼狽していたであろう彼は沈黙したまま見下ろしている。
それが逆にティアマットの不安をあおった。
だが、返答は意外にもすんなり受け入れられたのだ。
『ほったらかしにしたのは謝る。だが俺は君を見捨てたりはしない』
「グリフォ……」
『だが俺には役割がある。新たな邪竜としての……憎しみの系譜の使徒としての……』
「……一緒にいたければついて来いってこと?」
『君に任せる。どんな返答でも受け入れるさ』
「だったら行くわ」
『即答か!?』
「私の神格を舐めないで。自分の分身達を作ることぐらい容易だわ」
そう言って手をかざすとふたつの光の球が現れる。
広い場所へと光の球は自ら動き、強い光を放った。
『これは……』
「驚いた? 分霊って言えばいいのかしら」
それぞれの光の球から現れたのはティアマットそっくりの女神と巨大な邪竜。
これからはティアマットの代わりに彼等がこの地に根付く神として信仰を賜る。
『……折角取り戻した神格と信仰だぞ? いいのか?』
「自分でも馬鹿やってるっていう自覚はあるわ。でも、アナタと離れるのはもっとイヤ」
『女神って人間の女より変に強かなところあるよな』
「当然よ。……私はアナタの全てを見守る。アナタのその孤独な戦いを最期まで見届ける」
『敵わないな』
この地の信仰を分霊に任せ自分達は宇宙へと征く。
土着の神が宇宙規模の存在になるとはきっと誰も思いもしないだろう。
ティアマットはグリフォに寄り添う。
分霊達も自分達と同じようにし始めた。
といってもスキンシップが過激すぎるようにも感じるが……。
『……君、昔からあんな感じだったのか?』
「悪い? 夫が大好きなのは分霊になっても変わらないわ。ねぇ夫?」
完全に夫認定されたグリフォ、顔には出ないが内心困り顔だ。
分霊の邪竜が困惑顔でグリフォを見ていた。
――――頑張れ。
その一言だけ送っておいた。
「よぉ、新しい門出を御祝しに来てやったぜ」
突如懐かしい声が後ろから聞こえた。
『アルマンドッ!? ……なんだ生きてたのか』
「ホントだ、アルマンドだわ。生きてたのね」
「こンのバカップルめ……。まぁいい。宇宙へ行くんだろ? だがよぉ、宇宙へ行ったってもう侵攻する星はあるのか?」
アルマンドは見透かしたように問う。
確かにここ10年でかなりの数の星を火の海にした。
知性体のいる惑星を主として燃やし尽くし、憎しみを振りまいた。
これからはより効率よく作業をする為にティアマットも同伴となるのだが……。
「やっぱりな。確かに憎しみは振りまかれ、更なる怨嗟と慟哭が星々に広がった。アンタに焼かれた大地の上で拳を握りしめ正義を抱く者やこれを機に野心を抱く者が現れ、更なる憎しみの系譜が歴史の深くまで根を下ろすこととなる。……だがペースが速すぎたな。もう根を下ろせる惑星はこの宇宙にはないぞ」
『……じゃあどうすればいい?』
「答えは実に簡単だ。――――別次元の宇宙に行けばいい」
『別次元の宇宙? ……あぁ、そういえば昔なんか話してたなアンタ』
「そうそう。……別次元の宇宙はここと違って"特別"なんだ」
「特別? ……宇宙に特別なんていう順位みたいなのがあるの?」
ティアマットの質問にアルマンドは大きく頷く。
なんでもこの宇宙には存在しない"特異点"があるのだとか。
「別次元の宇宙にはそれぞれ……『地球』という名の惑星がある」
『地球……? 変な名前だな』
「まぁ聞け。その宇宙にはここと同じく特異な力をもった知性体が住む世界が多く存在する。地球の人間が色々あってその世界へ行くこともたまにあるらしい」
『ほぅ……』
「地球からその世界に行った者は大抵強い力を得る。それこそレクレスと同等いやそれ以上のな。……どうだ? 興味湧かないか?」
――――面白い。
ひとつの悪としてその地に舞い降り、身体を張って全てを焼き尽くす。
ヴィランとしての血が滾って仕方がない。
別次元の宇宙に行けば役割だけでなく純粋な破壊も楽しめるのだ。
まだ見ぬ宇宙が自分を待っている。
憎しみの系譜が更に根深く刻まれる為に。
そうと決まれば行くしかない。
行き方は……いや、わかる、自分になら出来る。
時間と次元の壁を突き破るほどの速度とこの強靭な身体を以てすれば可能だ。
「カウントダウン、してやろうか?」
『……そうだな。記念にもう一回やってくれ』
「オーケー」
飛び立つに当たってティアマットに自分と一体化するよう勧めた。
だが、彼女はグリフォの腕に抱かれていたいとのこと。
一体化は別次元の宇宙に着いてからでもいいそうだ。
『Ten,Nine,Ignition sequence start』
彼女をしっかりと抱きしめ、翼を大きく広げる。
アルマンドはふたりの門出を祝うようにいつもとは正反対に真面目な態度でカウントダウンをとった。
『Six,Five,Four,Three,Two,One……』
天を見上げた。
新たなスタートとして自分達は宇宙へと旅立つ。
青々とした空の遥か向こう側に新天地があるのだ。
きっと全てが未知なる所なのだろう。
『All engine running,……Lift off! We have a lift off!!』
身を屈めて一瞬にして空へと飛び立った。
凄まじい速度で高度を上げようとしたそのとき。
尋常ならざるグリフォの視力が地上にいる"ある人物"を捉えた。
人間の大人の女性だ。
周りには兵士らしき人がたくさんいて、軍服のような出立でこちらを睨みつけるかのように彼女は見上げていた。
金色の長い髪に大人らしい凛とした碧眼。
手にはボウガンらしき武器を持っている。
さてあれは誰だったか……。
どこかで出会ったことのあるような。
だが考えても思い出せない。
記憶に存在しないと判断しそのまま上へと飛ぶ。
『良い旅をッ! ……楽しかったぜ』
『……また会おう』
アルマンドとの念話による通信を切った。
きっともう会うことはないだろうと知りながらも。
宇宙へと飛び出す。
真空の大空間にて一気に加速した。
やがて光を越え、最早人間はおろか神ですらも数値化、概念化することが不可能な領域へと昇華する。
時間と次元の壁を穿つように進み、強大な嵐のようなエネルギーの乱れに翻弄されることなく無事別次元の宇宙に辿り着いた。
元の宇宙からの完全なるアウターサイド。
その壮観は女神ティアマットを大いに感動させた。
「とても綺麗ね」
『……俺にはもうわからんがな。さて準備は言いか?』
「いつでもいいわ。大丈夫、……常に私がアナタの魂を見守っているから。アナタはアナタの役割を果たして。その為に私は着いてきたんだから」
そう、あの土地での女神としての役割を分霊に任せてついてきた。
否、ついてきてくれた。
『……よく出来た奥さんだよ』
「……ッ! き、急に言わないで」
顔を赤らめティアマットは彼の魂と一体化する。
これで完全に一心同体となった。
それはもう何者をも寄せ付けぬほど固く、きつく。
(じゃあ行こうか。……善も悪も全ては憎しみから生まれ出た花。――――もっとだ、もっと咲かせよう。俺はこの世の不条理そのもの……俺という災厄を憎むがいい。そして悪に染まった隣人を、善を振りかざす隣人を憎むがいい。これこそが人間の歴史、憎しみの系譜。……憎しみを抱くことになんの罪があろうか? なんの負い目があろうか? 全ては憎しみであり全ては原初に許されている)
新たなる邪竜グリフォ・ドゴールはターゲットを定めこの宇宙空間を飛翔する。
憎しみの系譜の使徒は誰の目にも留まることなく魔の手を広げていった。
次回、最終回です
投稿日は10/3の夜中となります。
御了承ください




