報復へのイグニッション(挿絵あり)
胎児のような……。
それは緩やかでありながらも、確かに感じる力の脈動。
魔女アルマンドの工房より、巨大な筒状内部の液体の中で、ひとつの"巨怪"が眠っていた。
人なのか、あるいは竜なのか。
それとも完全なる別の生命体なのか。
確かなことは、これは留めどない憎しみによる産物であるということ。
この世の不条理への憎しみ。
実をいえば正義も悪も、この憎しみより派生したもの。
憎んだからこそ、正義に成ったか悪へ堕ちたか……。
全ては同じ憎しみから生まれたのだ。
喜びや悲しみ・恐怖・怒りと同じように、知能という深い海の底から生まれ出た、ただそれだけの結末だ。
国家や民族・宗教。
その内にある規範・戒律・イデオロギー等は結局のところ過去から続く憎しみの系譜による所が多い。
たったひとつの憎しみが、国家や民族・組織という殻を被り、思想という黄色い布をまとう。
やがてそれはひとりの指導者のように振る舞い、他者をひいては自分すらも巻き込むのだ。
その憎しみの感情が正しいからこそ、或いは間違っているからこそ後世にて様々な評価が下される。
こうして、次の時代に憎しみが継承される。
過去の憎しみが次の時代にて新たな憎しみを生み出す種となるのだ。
憎しみを克服出来ない人間の宿業である。
人間は憎しみを捨てられない。
国を破壊する兵器以上に捨てられない。
「あれから4日……そろそろ頃合いだな」
かの者は憎しみの系譜よりの使徒。
あらゆる知性体に対する警告にして報復の化身。
いき過ぎた力への怒り。
不条理への憎しみ。
かつての男は……世界に対する悪に堕ちることを選んだ。
自らが"この世の不条理"そのものになることを。
過去・現在そして未来において、人間の知能ひいては異能の力で顕現しうる、ありとあらゆる"暴力"そのものになることによって、復讐を果たすのだ。
憎しみの系譜の使徒、生誕である。
巨怪が、突如として意識を覚醒させる。
どうやら魚のように瞼がなく、目はずっと見開いたままのようだ。
「お、動いた! へへへ、どうだい気分は?」
視界を液体の中より外側へ。
アルマンドが巨怪を見て歓喜している。
そうなると巨怪の次の行動は早かった。
顔をアルマンドの方に向け、口を大きく開いた。
赤白く光る濃密なエネルギーが口内で収束していく。
それもゆっくりではない、ものの数秒程度であった。
「――――……あ、ヤベ」
次の瞬間、巨怪の口から凄まじい轟音を立てて、その息吹が放たれる。
筒をいともたやすく貫通し、アルマンドを含む周りの物全てを粉々に破壊していった。
強大なエネルギーの放出。
最早それは炎ではなく、ビームやレーザーといった高出力の熱光線である。
放ったそれは所々爆発を起こし、ついには工房全体を吹き飛ばすほどの規模となった。
爆発の勢いで巨怪は外に投げ出される。
見渡す限りの空と雲、下には海原。
どうやら工房は上空に存在していたようだ。
爆炎と共に落下していく中、巨怪は意識を背中に集中する。
――――背部より巨大な翼が生えた。
初めてである為ややぎこちないが、翼で羽ばたきながらで向きや体勢を調整し、この大空を滑空していく。
凄まじい速さで海面スレスレまで辿り着き、巨大な水飛沫を上げながら水平線に薄っすらと見える陸地まで飛翔した。
元が竜とはいえ、この速度は尋常じゃあない。
最早音速の領域である。
一気に陸地との距離を詰める、すると目の前は断崖絶壁。
飛行速度は加速していくが、問題はない。
今度は仰け反るように上空へと向きを変えて上昇し、崖をそのまま突破した。
巨怪たるこの強靭な肉体だからこそ出来る芸当なのだろう。
だが、なぜだろう。
素直に喜べなかった。
否、まるでそんな感覚すら無くなってしまったかのように虚ろな気分だ。
まぁ悪い気はしない。
轟音を上げて地面に着地すると、砂埃と揺れが辺りに渡っていく。
片膝をついた状態から直立へと身体を起こした。
頭部はゾンビのように醜く歪んだドラゴンのそれ。
焦点が定まっていないかのような小さくも鋭い瞳。
後頭部あたりから触手のようなものがいくつも生えて蠢いていた。
胴体はヒト型でありながら7mほどの巨躯を持ち、戦場を駆ける邪悪な騎士の鎧のような外殻表皮および外骨格上の皮膚に覆われている。
図体もさることながら見た目においても慄然たる気配を醸し出していた。
長い尻尾に巨大な翼はまさに竜種を象徴とする圧倒的なスケール。
しばらくその場に佇んでいると、頭の中に聞き覚えのある声が響いてきた。
『アンタ今なんでオレを殺した? 言ってみろ怒んないから』
頭に直接響く声は、ややドスの効いた低いもの。
大して恐怖心や罪悪感はわかず、軽く謝っておいた。
しかし実に不思議だ。
あんなことをしでかしておいても、なにも感じない。
破壊するべくして破壊した。
そんなあまり人間的とは言えない衝動にかられての行動だった。
『工房まで派手に吹っ飛ばしやがって……、まぁいい。その分たっぷりデータは取らせてもらうからな』
『スマン、まだコントロールが効かないみたいだ。……ところで、ひとついいか?』
『なんだ?』
『普通に……人間のように喋れないんだ』
そう、喋れない。
今のように頭の中に響く声に対し、頭の中で作り上げた言葉を発するしかない。
人間の頃と比べると違和感を感じてならないのだ。
『あぁ……これは念話と言って、ドラゴン同士が会話する際に用いられる技法だ。ドラゴン以外でドラゴンと念話出来る奴なんざ中々いないんだぜ? 喋れるドラゴンもいるがどうやらアンタは違うらしい』
融合の際の変異でこうなってしまったのか……。
アルマンドは興味津々だが、自分にとっては最早どうでもいい。
奴等とのコミュニケーションなぞ不要。
このような巨怪になろうとも、復讐の念は消えてはいない。
先ほどのように、全てを焼き尽くしてやるッ!
グリフォは巨躯を仰け反らせ、天地に響くほどの咆哮を上げた。
そうだ、今より全てを焼き尽くす。
この世の不条理を嘆きながらも、この世の不条理に甘んずる連中をことごとく破壊するのだ。
今日からこのグリフォ・ドゴールが、諸君等の愛してやまない隣人たる憎しみそのものとなる。
『中々いいねアンタ。よし、まずはウォーミングアップといこうか』
『どうするんだ?』
『ここから北東へ3000km行った場所にある平野で、アンタの故郷であるグルイナード王国の軍勢と魔王の軍勢が戦っている』
つまり戦争だ。
グルイナード王国は全面的に勇者を支持している。
勇者の持つ理想を信じて疑わない気狂い共。
そして魔王。
そもそも奴等がいなければ、アグノスもリナリアも……。
『皆殺しだ……全員消し炭にしてやる』
『そうこなくっちゃな。さぁ向かってくれ。今のアンタなら超音速飛行も可能だろう。3000kmくらいあっという間さ』
『……おん、そく?』
『めっちゃ速いって認識でいいよ。……ホラ、モタモタしてると戦争が終わっちまうぜ?』
自分のデータを早く取りたいのだろうか、かなり急かしているようだった。
どちらにしても言われるまでも無い。
今の自分の力なら、どんな敵が現れても負ける気はしないのだから。
『記念すべき瞬間だ、是非オレにカウントダウンを取らせてくれ』
『なんで?』
『離陸前にそういうのあった方がカッコいいだろ?』
『……お前のセンスがよくわからん。まぁいい、好きにしろ』
そう言ってやるとアルマンドは嬉しそうにカウントダウンを取り始める。
なにがそんなに楽しいのだろうか?
恐らく人間の頃の自分でも理解出来ないだろう。
『Ten,Nine,Ignition sequence start』
妙な言葉で妙なカウントダウンを始めた。
思わず内心でため息が漏れる。
だが聞いているとなぜか身が引き締まる思いをした。
『Six,Five,Four,Three,Two,One……』
カウントダウンと共に天を見上げ、翼を広げ始める。
『All engine running,……Lift off! We have a lift off!!』
彼女が言い終えると同時に体中から凄まじい蒸気を体外へと噴き出し、翼を一気に開く。
そして瞬く間に上空へと飛び出した。
それこそ真空波が出て大地と宙を揺さぶるほどの威力で……。