憎しみに噛み砕かれて
グリフォは唸り声を不気味に響かせながら炎と瓦礫に包まれた工房から、未だ放心していたテネシティに近づいた。
しかしまぁ巨躯だけあって足音や地響きはしてしまう。
それに一瞬肩を震わせたテネシティが後ろを振り返った。
眼前には7m近くにもなる巨怪が巨大な口を開きながら見下ろしていた。
思わず悲鳴を上げ、逃げようとするもすっかりと腰が抜けてしまい這いずるように動こうとする。
レクレスの後ろで偉そうにしていたあの頃がまるで嘘のようだ。
――――逃がしはしない。
のろまに地を這うテネシティの足を掴み、宙にぶらさがるようにして持ち上げる。
「ひぃッ!? や、やめてぇええ!! 助けてぇええ! 許してぇええッ!!」
大声で喚き散らし暴れるテネシティ。
不思議だ……、目を覆いたくなるほどに哀れで悲しいこの生き物。
今は吐き気と苛立ちで見るに堪えない。
グリフォは外へ出すまいと崩れた工房の中へと彼女を連れていく。
その度に彼女はバタバタと暴れるが、彼女の足を掴むこの手はビクともしない。
そこは先ほどのフロア。
中央に乱暴に放り投げ、少し脅かすように触手を大きくうねらせてみる。
案の定更に恐怖し、もう一歩も動けないほどになってしまった。
(この身体じゃ俺は喋れない……ならば)
グリフォは触手を高速に動かし切っ先で壁を削り始める。
「ひぃい!? ひぃぃぃいいいいいッ!!」
咽び泣く彼女は身を丸め、雷に怯える童のように縮こまってしまった。
そして、触手で削られた壁に視線のみを送る。
するとそこには文字が書かれていた。
――――"From G・D"、と。
「な、なに? G・Dよりってなんのことよ!? G・D?」
テネシティは巨怪をチラチラと見ながら考える。
誰かの名前だろうか?
恐怖と戦いながら必死に過去の記憶をたどる。
そして、1件だけヒット。
印象的な記憶の中で、このイニシャルを持つ者をひとり知っている。
彼女は巨怪を見上げて蒼ざめた顔で答えた。
「……グリフォ……ドゴール……?」
その名を口にした瞬間、巨怪は一気に身を屈め奴の眼前で大きく口を開いて咆哮して見せる。
大きな口の内部は他の生物とは一線を画していた。
鋭い牙は上顎部分にもびっしりと生えており、弾力のある舌にはその牙が当たっていたであろう小さな跡が規則正しくついている。
咆哮が終わり口を閉じると今度は剥き出しになった目が鋭くテネシティを睨む。
信じられなかった、かつての仲間がこんな未知なる巨怪となるなど。
アンデット化するのならわかる、だがこの形態はどの部類にも属さない。
魔物を超越したなにかであると同時に人間に最も近いなにか。
テネシティは原始的本能によって砕かれた心でそんなことを思った。
彼女の本能は告げる、自分は仔羊だ。
今まさに獰猛なる憎悪によって捕食されるただの肉であると。
だが、そこで彼女のわずかに残った理性がノーと答える。
それが彼女の心に蛮勇を与えた。
「私は……悪くない……」
最初は聞き取れなかったが何度も呟く内に徐々に彼女はかん高い声で叫び始める。
「私は悪くないッ!! 私はレクレス様の御言葉に従っただけ!! 私はなぁぁああんにも悪くない!」
半狂乱で立ち上がり巨怪に向かって駄々っ子のように喚き散らす。
「私は正しい判断をしたのよ! なんの責任もない! 私がここで殺される道理なんてない!! そうよ、アンタなんかに殺されてたまるかってのよ! アハハハハ!!」
(この女……)
「私は正しいの、レクレス様も正しいの。間違ってんのはアンタの方よ!! アンタがちゃんとレクレス様に従ってればあんな追放されずに済んだんでしょうが!?」
(今の自分の立場を……わかってないらしい)
これ以上この女の言葉を聞きたくない。
この身体であっても耐えきれぬほどの醜悪さだ。
グリフォはまだ喚き散らすテネシティの下半身を掴み持ち上げる。
「ひぃいい! は、離せ! 離せぇぇえええ!!」
両腕を振り回しグリフォの掴む手を何度も叩く。
だがまるで綿が当たっているかのような感触だ。
このザマはなんだ?
これが一流の魔術師テネシティなのか?
レクレスを肯定し続け常に威張り散らしていたあの女なのか?
グリフォはある意味で幻滅した。
これでは本当にただの小娘ではないか、と。
グリフォは彼女を持ったまま直立し口を大きく開く。
そして彼女の上半身をゆっくり、それはもうゆっくりと口の中へと入れていった。
「嘘……やだ、ねぇやめてよ。お願い……死にたくない、私はまだ死にたくない!」
決して逃れられない死がそこにある。
口を開き、牙にまとわりつく唾液が炎の揺らめきを捉え更に不気味さを醸し出す。
「やだ、やだやだやだやだッ!! お願いやめてぇ! 食べないで……食べないでぇ!!」
絶叫の中、とうとう彼女の上半身は口の中へ。
唾液でぬら付く舌の上に無理矢理へばりつかされる彼女の身体。
そして口に入れようとするときと同様、かなりの遅さでゆっくりと口を閉じていく。
上顎に生えている牙が今にもテネシティに突き刺さりそうだ。
「う、うわぁあ!! うわぁあああああ!!! やめて、お願い止めて!! 死んじゃう! 死んじゃうからぁああ!!」
下半身をしっかりと掴まれている為逃げることは出来ない。
まともに動くのは上半身。
両腕を駆使しなんとかくちが閉まるのを防ごうとするも、ドラゴンの咬噛力に人間が叶うはずがない。
押しても押しても近づいてくる上顎。
死の恐怖に絶叫しながらヌルヌルと滑るこの空間で圧死されないようにもがく。
だがもうすでに彼女の死は決定していた。
「いだぁああああああッ!! 痛いよぉおおおおおおお!! やだぁ、やだぁああああッ!! 助けてッ! 誰か助けてッ! レクレス様ぁあああああッ!!」
大声で泣き叫びながら凄まじい力で突き刺さっていく無数の牙。
体中に痛みが走り最早安定な思考は生物的に不可能の領域まで達した。
ギリギリと音を立てテネシティの身体は圧し潰されていく。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
完全に口を閉じたと同時に牙と牙の隙間から大量の血液が噴射する。
滴り落ちる血は炎の赤と混ざり跡形もなく消えていった。
……。
まずはひとり。
グリフォは残った下半身も口腔内へ放り込み咀嚼を始める。
なるほどこれが人間を食べるという感覚か。
感覚だけだ、味がしない。
どうやら味覚までも失っているらしい。
肉と骨の感触が舌と牙を伝って感知できる程度でどんな味なのかはわからない。
ミンチ状態になったテネシティだった物を滝のように口から吐き落とす。
(さて、最後の仕上げだッ!)
身を屈め、ジャンプすると同時に翼を開くと天井を突き破り天高く飛翔する。
黒い煙を所々噴き出す山、そこに隠された魔術工房。
グリフォは口を開きエネルギーを溜める。
それを熱光線として、工房に向かい一気に解き放つと巨大な爆発と覆いつくさんばかりの大光に包まれ、工房とその周囲一帯が轟音を上げて吹き飛んだ。
瓦礫やら岩やらが転がるように散っていった。
『アルマンド……グリフォだ。テネシティを殺した』
『見てた、最高にイカしたショーだったよ! やっぱ面白れぇなぁアンタ。まったく仕事中に笑い堪えるの必死だったぞ?』
『魔術の一切は遮断したはずだが見えていたのか?』
『魔女を舐めるな、オレはなんだって出来る』
コイツが言うと説得力があるのはなぜだろう。
まぁいい、それよりもこれからの動きだ。
今回の件で自分への注目はかなりのモノとなるだろう。
きっと復讐どころではない大騒ぎになるに違いない。
だが――――。
彼は内心、どこか楽しそうだった。
もう人間の頃の優しさは消えうせ、その空白にドス黒い念が浮き出ているのだ。