プロローグ
僕はよく、あの日の夢を見る。父の葬式の日の夢を。忘れてはならないと何度も何度も思い出させるように繰り返し見る夢だった。
いつ降り出してもおかしくないような曇り空、ジリジリと体を蝕む真夏の蒸し暑さ、黒い喪服姿の見覚えはあるが名前は知らない多分遠い親戚にあたる人達、何度も顔を合わせた事のある、祖父、祖母、叔父、叔母、従兄弟。
そして初めて見た、母の取り乱した姿。大声で泣きわめく姿。そんな母の背中を祖母が優しく撫でながら支えていた。
その光景をただただじっと静かに僕は遠くから見つめていた。母に声を掛けてやる事もせず、親戚に挨拶もせず、泣いて悲しむ事もせず、あの日の僕は長男としてやるべき事を何もしていなかった。足が竦み、手が震え、その場から一歩も動く事なんて出来なかった。震えが止まらない自分の手をもう片方の手で抑える。
後ろの方から、大人達の話し声が聞こえてきた。父の会社の人だろうか。聞いたことのない声だった。
「突然でびっくりしちゃった」
「まだ、若かったのにねえ」
「かわいそうに、奥さん。あんなに泣いて」
「息子さんも、相当ショックだろうねえ」
「きっとまだ実感がないのよ。父親が死んだなんてすぐには信じられないもの」
……果たして、そうだろうか。
僕にそういう感情はあっただろうか。
人形のようにただただ立ったままの僕は周りから見て父親が死んだのを受け入れてないように見えたみたいだった。だから、僕は涙を流す事をしなかったのだろうか。体が震えるのはそれが原因だったのだろうか。僕は未だに分からない。父が死んで、本当に悲しかったのか……。自分の気持ちなのに、ずっと分からない。
急に、景色が変化した。
目の前に広がる、青。
僕は、海に溺れていた。何故か思い通りに手足が動かない。まるで泳ぎ方を忘れたみたいに体が言う事を聞かない。
必死にバタバタと手を動かしていると、ふと、目の前に足が現れた。誰かが、裸足で海の上にふわっと立っているみたいだった。
助けてくれるんだ、と安堵し、手を伸ばす。だが、いくら待ってもその人は一向に僕を引き上げてはくれない。
早く、早く、早く、
どうして助けてくれない。
僕は、苛々しながら目線を上に上げた。
目が合った。そこにいたのは、僕だった。冷めた目でこっちを見下ろしている。
たすけて、と僕はもう1人の僕に叫ぶ。聞こえてないのだろうか。もう1人の僕はただただ僕を見つめるだけで何もしてくれない。その表情は、苦しんでいる僕を楽しんでいるようにも見えた。
やがて、口の中に、耳の中に、水が入ってくる。意識が遠くなっていく。景色が歪む。必死に踠き、もう一度手を伸ばしたが、結局もう1人の僕は僕を助けてはくれなかった。
僕は大きな悲しみに包まれて、ゆっくりと海の底に沈んでいく。
「はぁ、はぁ、」
途端に息苦しくなり、僕は夢から目が覚めた。必死に今見た情景を頭の隅に追いやる。
だんだんと呼吸が早くなる感じがした。胸に手を抑え、深呼吸をしてそれを沈める。
スマホで時刻を確認するとまだ5時にもなっていなかった。二度寝しようと胸に手を抑えたまま目を瞑る。しばらくすると呼吸も落ち着いてくる。
実際、夢に見なくともあの日の事は忘れるはずはない。それくらい僕の人生において大きな出来事だった。目を瞑ればいつだってあの日を思い浮かべられる。