表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼怪神  作者: K1.M-Waki
5/50

端末の少女(4)

 翌朝はよく晴れていた。


 理沙(りさ)は陽の光を浴びて、眼を覚ました。

 彼女は辺りを見渡した。ここは、畑の隅に建てられた物置小屋の中である。明るい時に見ると、思ったより汚れているように見えた。しかし、それだけで、昨夜との違いは虫取り屋が居ないことだけであった。

 理沙は半身を起こすと、大きく伸びをした。気の所為か、いつもより疲れが取れているようだ。きっと、昨夜はぐっすり眠れたからだろう。彼女は、『鬼』に襲われ始めてから、ぐっすりと眠れた夜は数えるほどしかなかった。

 それよりも、理沙は、虫取り屋のことが気になった。いったい、どこに行ったのであろう。

 少女は立ち上がると、服についた藁屑を払い落とした。そして、布団代わりにかぶっていたスタジアムジャンパーを振ってホコリを払うと、袖に手を通した。

 彼女は少し逡巡していたが、意を決して小屋の入り口に近づくと、引戸に手をかけた。木製の戸は、建て付けが悪く、<ガタガタ>と音をたてて、ようやく開くことが出来た。

 入り口を抜けて、小屋から一歩外へ出る。やはり、早朝の空気は冷え込んでいて、肌寒かった。

 理沙は、思わず両肩を抱くと、一瞬<ブルッ>と身震いした。その時、

「どうした、お嬢ちゃん」

 と、低い声が右肩のすぐ側から聞こえた。理沙は、反射的に「ひっ」と悲鳴を上げて、左側に飛び退った。

「何だよ。オレだ、虫取り屋だ」

 声の主は、そう告げると、小さな缶を差し出していた。

「あっ、あのう、これは……」

 理沙が躊躇していると、

「ほれ、コーンポタージュだ。温まるぞ」

 と、虫取り屋が応えた。彼の握っている小さな黄色の缶には、確かにトウモロコシの絵がプリントされていた。

「あ、ありがとうございます。いただきます」

 理沙はそう言って、未だ温かい缶を受け取ると、恐るおそるプルトップを引き上げた。開かれた口からは、煮詰めたコーンの香りが漂って来た。

 彼女は、おずおずと虫取り屋の顔を伺うと、思い切って缶の中身を一口、口に流し込んだ。温かいトウモロコシの味が舌に当たる。

「美味しいですね」

 理沙がそう言っても、虫取り屋は表情を全く変えなかった。彼のその目は、相変わらず腐った魚のようで、覇気が感じられなかった。ただ一言、

「そうか。……美味いのか」

 と、言っただけだった。


──気不味い


 理沙と虫取り屋の間には、そんな違和感が漂っていた。

 自分は、昨日この人に助けられたじゃないか。ハンバーガーも奢ってもらった。襲ってきた『鬼』も撃退してくれた。そして今、コーンポタージュも買ってきてくれた。

 本来なら、彼女は虫取り屋に感謝しなくてはならないはずだ。しかし、彼のホームレスのような『くたびれた風体』と、その『腐った魚のような瞳』に、理沙は無意識に嫌悪感を持っていた。自分から助けを求めたはずなのに。

 そんな理沙の心情を察したのか、

「気にするな」

 と、虫取り屋は一言口にしただけで、小屋の入り口に向かうと、引戸を<ガタガタ>言わせながら閉めていた。


 彼は、少女がコーンポタージュを飲み終えるのを、側で黙って見ていた。いや、ただ理沙の方に顔が向いていただけで、見ていたのでは無いのかも知れない。傍から見ていても、彼の目が何に焦点を合わせているのかは、全く分からないのだ。もしかすると、その瞳には、自分とは違う風景が見えているのかも知れない。理沙はそう思った。


 理沙がポタージュを飲み終わるのを確認して、虫取り屋は彼女にこんな事を訊いた。

「さて、早速だが、お嬢ちゃん。一体どうして『鬼』なんかに追いかけられてたんだ?」

 彼女は、一瞬息を呑むと、おずおずと話し始めた。


「あ、あの、……こんな事を、昨日会ったばかりの人に話していいものかどうか、未だ迷っています。わたしが、この事を虫取り屋さんにお話したら、あなたも巻き込まれてしまいます。昨日見たように、鬼は危険で凶暴です。もし、あなたの身に何かあったら……」

 理沙は、そこで口ごもった。

「それは心配するな。鬼と戦った以上、オレも既に関わっちまった。お嬢ちゃんが追いかけられている理由を聞いとく権利が、オレにはあると思うんだが」

 虫取り屋にそう言われても、理沙はしばらく黙っていた。彼女の両の拳は、堅く握り締められ、ブルブルと震えていた。

「お嬢ちゃんは、オレに助けを求めた。そうして、オレはお嬢ちゃんを助けた。これからお嬢ちゃんを鬼から守るためには、もっと情報が必要だ。じゃないと、オレの方が危なくなる」

 虫取り屋にそう言われて、理沙は決心がついたようだ。彼女は虫取り屋の顔を見つめると、口を開いた。


「わたしが初めて『鬼』に出会ったのは、三年ほど前です。わたしは未だ中学生でした。ある日、学校から友達と下校していた時、通りかかった公園で、わたしは何か不自然なものを感じたんです。それを確認しに公園へ入りました。そこには街灯があって、それは途中で折れ曲がっていたのです。金属製の支柱には、強い力で握り潰されたような窪みがありました。それを不自然と感じたわたしは、街灯をジッと見ていたのです。そして気がついたら、街灯の支柱は真っ直ぐになっていました。まるで、『初めから曲がってなどいなかった』かのように」


 理沙の言うことを、虫取り屋は黙って聞いていた。

「わたしは、そのことを一緒にいた友人に訊いてみました。すると……」

「すると」

「友人たちは、「街灯は最初から曲がってなどいなかった」と答えたのです。確かにわたしは「あの街灯、曲がってるよね」と、友達に確認したはずです。間違いありません。そのことも、友達は完全に無かったかのように忘れていたのです」

「ふうん。そりゃ、おかしな話だな」

「そうなんです。そういう事は……、そんな事は、それまでにも、ごくたまにありました。それで、わたしも、そのことは気にせずに「忘れてしまおう」と思ったのです」

「そうかい。じゃぁそれ(・・)は、その時に始まったわけじゃあ無かったんだな」

「はい、そうです」

「で、『鬼』が現れたと」

「……はい」

 理沙が頷いて話した続きは、こうだった。


 公園で不思議な事が起きたその日、家に帰ると、両親が理沙の帰宅を待っていたかのように、急いで家に連れ込んだのだという。そして、「早く出かける準備をしなさい」と、彼女は言われたのだ。

 両親の様子は、何かを恐れているように慌ただしく、身の回りのものを手早くまとめていた。

 理沙は兄と一緒に、自分の荷物を用意し始めた。彼女たちは、両親から「いつでも出かけられるように必要な荷物は一ヶ所にまとめておきなさい」と言われていたのだ。だから、自分の荷物を用意するのに、そう大して時間はかからなかった。

 しかし、移動するために呼んだタクシーが玄関に着いた時、『ソレ』はやってきた。『ソレ』は、紺色のトレーナーと白い運動靴を履いていたが、その頭には一本の捻くれた角が生えていた。その肌は、錆びた銅のような緑色を帯びていた。しかし、何よりも恐ろしかったのは、『ソレ』の顔に刻まれた憤怒の表情(・・・・・)であった。

 理沙が初めて見る異形の生物に驚く間もなく、『ソレ』は飛びかかってきた。そして、その豪腕と醜悪な鉤爪で以って、理沙の荷物をトランクに入れようとしていた運転手を無残に引き裂いたのだ。その姿と人間離れした怪力に、理沙は『ソレ』を『鬼』と認識した。それが、彼女と『鬼』が遭遇した最初の記憶だった。

 その時は、兄の咄嗟の機転で一家は救われた。彼はタクシーの運転席に飛び込むと、車を後退させたのだ。

 タクシーにぶつかって鬼が怯んでいる隙に、彼女ら親子は車に乗り込むと、急いでその場を離れたのだ。

 難を逃れた一家が、まず向かったところは銀行だった。父は、銀行で可能な限りの現金を引き出すと、その殆どを理沙に持たせた。その時、父はこう言ったという。

「理沙。あれは鬼と言う怪物だ。これからも、鬼はお前を襲いに現れるだろう。もしかすると、私たちは、お前を守り切れないかも知れない。その時は、躊躇せずに逃げるんだ。私たちが殺されても、だ。分かったな」

 念を押すように語る父と、自分の目で見た異形の生物の存在のため、理沙はその言葉を肝に銘じた。

 そして、鬼はその後も彼女たちを襲ってきた。襲撃は、町外れの誰もいない所だったが、人混みの中で襲われた時もあった。その度に、両親や兄は、理沙を助け逃し、寸でのところで難を逃れていた。

 鬼から逃れるために、一家は町や都市を転々として彷徨った。

 鬼が襲ってくる頻度はまちまちで、三日間連続して追ってきた時もあれば、半年ほど何事も無く過ごせた時もあったという。

 しかし、彼女たちは鬼から逃れることは出来ず、理沙を守ろうとして、兄や両親は次々と殺されていった。時には、理沙を守ろうとした警官や、市井の人々が巻き込まれることもあったという。


「ふうん、そうかい。それで、オレに助けを求めた、という訳か」

「そ、そうです……」

 理沙は蒼い顔で頷いた。

「本当は、あなたに助けを求めてはいけなかったのかも知れません。また、見ず知らずの人を危険に晒すことになってしまいました」

「じゃぁ、あの時、どうしてオレに助けを求めたんだい」

 虫取り屋の問に、理沙は上手く答えることが出来なかった。

「何故って……分かりません。強いて言うならば、勘……みたいなものです」

「勘か……。ふむん。オレはそういうの、嫌いじゃないぜ。直感は大事だ。特に、お嬢ちゃんみたいな場合はね」

 そう言う虫取り屋の言葉にも、理沙にはいまいち納得がいかなかった。


「それじゃあ、オレからの質問だ。まず、一点目。襲ってくる鬼は一人だけ、もしくは一種類だけだったかい?」

 理沙はその問に対して、少し考えると、こう答えた。

「いえ。複数でした。角の数とか、肌の色とか、背格好とか。着ている服が違うというだけではなく、明らかに複数の種類の鬼に、追いかけられていました」

「そうかい。なるほどね。鬼は複数。と言うことは、一匹倒したくらいじゃ安心できない、って事だな」

 虫取り屋のその言葉の意味を見抜いて、理沙は驚愕した。

「も、もしかして、虫取り屋さん。あの鬼を倒したんですか!」

 理沙の問に、

「ああ、『昨日のヤツ』だろう。オレがやっつけておいた。多分、もう生き返ってはこない(・・・・・・・・)はずだぜ」

 と、貧相な男は無表情に答えた。

「倒したって……信じられません」

「信じられなきゃ、それでいいよ。じゃあ、二つ目の質問だ。どうして、お嬢ちゃんは生き残れた(・・・・・)んだい。と言うか、奴らはお嬢ちゃんを殺そうと(・・・・)していたかい?」

「ど、どういうことでしょうか?」

 帽子の下から届く質問の意図を、少女は測りかねていた。この人は、いったい何を問うているのだろう? 自分は鬼に襲われ続けている。彼女は、ずっとそう言っているではないか。

 回答が得られない為か、古びたコートの男は、質問の仕方を変えた。

「つまり、何だな……、鬼はお嬢ちゃんを狙ってはいるが、『生命を狙ってる』んじゃなく、『拐おうとしていた』んじゃないか、って事だ」

 この質問に、理沙は戸惑った。

「わ、分かりません。鬼はいつも、……あの怒ったような顔をして、襲ってきました。わたしが憎くて殺そうとしているとしか思えませんでした。襲われているわたしを守ろうとした人達は、全て鬼に殺されました。その人達のお陰で、わたしだけ(・・・・・)は、寸でのところで逃げることが出来て……。そう言えば、確かに変ですね。言われてみれば、わたしが重傷を負ったり、殺されかけたりしたことは……無かった……。え? どういう事ですか?」

「そうだろうなぁ。でなきゃ、今の今まで、お嬢ちゃんだけ(・・・・・・・)が生き残れたはずがねぇからな」

 彼のこの言葉に、理沙は血の気が引いていくのが分かった。

「そ、それじゃぁ、わたしが……、わたしが素直に鬼に捕まってしまっていたら、こんなに人が死ぬことは無かったってことですか? そ、そんな……。わ、わたしの所為で、父さんや母さんが……そして兄さんや、わたしに関わってしまった沢山の人が殺されて、……そんな、そんな」

 少女の両目からは、涙が溢れて頬を伝っていた。今まで、鬼たちは自分たち一家を殺そうとして追ってくるのだと思っていた。それで必死に逃げていた。しかし、実は、鬼は自分を『捉えようとしていた』だけだなんて。

「お嬢ちゃん、そう嘆く事もないぜ。もし、お嬢ちゃんが捕まってたら、『もっとヒドイこと』になってたかも知れねぇじゃないか」

 虫取り屋のこの言葉に、理沙は俯いていた顔を上げた。

「もっとヒドイことって……」

「そいつは分からねぇな。お嬢ちゃん、あんた、親御さんから『自分の事』を何か聞いてないかい?」

「わたしの事……ですか? いえ、特には……。ただ、「鬼から逃げろ。逃げ切るんだ」って言われていただけです」

「そおかぁー。何にもなしかぁ」

 虫取り屋は、棒読みのように呟いていた。

「も、もしかして、虫取り屋さんは知っているんですか。わたしが、『何故鬼に追われている』のか。その理由を知っているんじゃないですか」

 理沙は溢れ出る涙を拭わずに、虫取り屋を追求した。もし、それさえ分かれば、もう鬼から逃げる事もない。いや、自分の為に誰かが死なずに済むかも知れない。そう思ったからだ。

 少しの間をおいて、虫取り屋は答えた。


「お嬢ちゃん。あんたが追われている理由。それは、お嬢ちゃんが『端末』だからだよ」


──端末


 しばらくの間、理沙の頭の中を、この言葉が駆け巡っていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ