表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼怪神  作者: K1.M-Waki
46/50

中央本線に乗れ(3)

「これは美味い!」

 丼を片手に、四角い顔の大男が大きな声を上げた。

「ちょ、ちょっと。そんなに大きな声を出さないで下さい。は、恥ずかしいじゃないですか」

 テーブルを挟んで反対側に座っていた美少女が、思わず周囲を見渡して注意をした。

 彼の名は、鬼村(きむら)拓哉(たくや)。ひょんなことから、鬼に追われている理沙(りさ)達と動向を共にしている。

 きっちりとした背広を着込んだ巨体の上には、下駄を大きくしたような四角い顔。そこには、極細の筆で描いたような細い眉と目が有った。

 お人好しで温厚そうな佇まいの彼は、その実、皇宮護衛官を勤めていた。皇室の警備をする特別な警察組織のメンバーだ。だが、牛丼を掻き込みながらでは、その威厳もあったもんじゃない。

「だって、美味しいものは美味しいんだよ。人間、身体が資本。そのために大事なのは食。だから、ご飯が美味いのはいいことなのです」

 曲がりなりにも彼が国家公務員だからだろうか。言い方が説教じみている。


「そうか……、美味いのか……」


 そう小さく呟いたのは、理沙の隣に座っている貧相な男だった。着ていた黒の古びたコートは、脱いで椅子の背もたれに掛けてある。いつも被っている鍔広の帽子は、テーブル席の端に置いてあった。

「そうです。本当に美味しいですから」

 鬼村にそう話しかけられた彼は、虫取り屋。今のところは、隣に座っている少女──東条(とうじょう)理沙(りさ)の護衛役をしている。普段は『食』などには無関心と思える彼も、理沙と行動を共にするうちに、食事に興味を持ちつつあるように見えた。

「折角、牛丼屋に来てるんですよ。しかも、代金は自分の奢り。だから、虫取り屋さんも食べましょうよ。ほら、冷めないうちに」

 そう言葉を続けた巨漢は、左手の牛丼の器を持ち上げて見せた。そこには、柔らかく煮込んだ肉が盛られ、更に紅生姜の山が、これでもかと乗っかっていた。

「鬼村さんに、味の何たるかが分かるんですか? そんなに紅生姜を盛っちゃったら、お肉の味なんて分かんないでしょうに」

 少女はそう言うと、不満気に口を膨らませた。

「もう、理沙ちゃんったら。ツンデレなんだからぁ」

 そう言われた少女は、思わず赤くなって言い返していた。

「デレてません。勘違いしないで下さいっ」

 その声に、店内が少しざわめいた。カウンターの奥の方で、アルバイトと思しき店員がジロリとこちらを睨んだような気がした。

「う……、うぅ」

 さっき、鬼村に対して「大きな声を出さないように」と注意しただけに、彼女は恥ずかしさで堪らなくなっていた。目の前の四角い笑顔と丼から目を背けると、頬を染めて俯いてしまう。


(もうっ、鬼村さんったら。どうして、わたしが恥ずかしい思いをしなけりゃならないのよ)


 これまで、彼女を襲ってくる鬼は、周囲の者達を無差別に巻き込んできた。その為に何人、何十人が犠牲者となったろう。理沙は、これ以上、無関係な人達を巻き込みたくなくて、他人との接触を避けてきた。

 しかし、この人懐っこいオッサンと出遭ってから、調子が狂いっぱなしだ。


「……食べないのか?」


 そんな時、ボソリと囁くような言葉が耳に入った。

 ハッとして顔を上げると、死んで腐った魚のような淀んだ瞳がこちらを向いていた。覇気の一欠片すら感じさせないボンヤリとしたそれは、理沙の顔を見ているのかさえ怪しかった。しかし、放っておけば、いつまでも永遠にこちらを向いていそうで、少女にはそちらの方が不気味に感じられた。

 そこで、理沙は背筋を伸ばして大きく息を吸い込むと、「はぁー」と一気に吐き出した。

「食べましょう、虫取り屋さん。折角の奢りなんですから」

 気を取り直して、彼女は左手首から髪ゴムを外すと、頭髪を頭の後ろでまとめた。ついでに腕まくりをすると、合成樹脂でできた箸を手に取った。

「いただきますっ」

 と、両手を合わせて声に出す。そして、丼を持ち上げると肉とご飯を一気に掻き込んだ。

 口の中で咀嚼すると、甘辛く煮込まれた肉から滲み出す出汁と、炊きたての白いご飯が相まって、口の中に旨味が広がる。暫くの間それを味わうと、少女はゴックンと呑み込んだ。

「うん。美味しいですね」

 理沙はそう言うと、鬼村を見てニッコリと笑みを浮かべた。

「でしょう。グムグム……っくん。いやぁ、やっぱ、美味い。ほら、虫取り屋さんも。冷めちゃいますよ」

 本日のスポンサー殿も、理沙に負けじと牛丼を頬張ると、ボウっと座っている男にも勧めた。

「そうですよ、虫取り屋さん。本当に美味しいですから」

 追い打ちをかけるように、理沙も虫取り屋に声を掛けた。

「……そうか。美味いのか」

 彼は独り言のように小さく呟くと、箸を手に取った。それから、左手で丼を持つと目の高さまで持ち上げる。


<ゴクリ>


 その様子を、相席の男女が固唾を飲んで見つめていた。


──果たして虫取り屋は牛丼にどう反応するのだろう?


 彼は目の前の丼を口元に近づけた。ボンヤリとした瞳の下の鼻腔が、一瞬だけピクリと匂いを吸い込んだかに見えた。

 その状態で右手の箸を口元まで持って来ると、理沙や鬼村のように、一気に肉とご飯を掻き込んだのである。


<ゴトリ>


 器をテーブルに戻す音が、何故か二人には印象的に聴こえていた。それよりも、彼女等は無表情に口中の内容物を咀嚼する貧相な男の様子に見入っていた。


<ゴックン>


 そんな擬音が聞こえてきそうな気さえした。今しがたご馳走を嚥下したというのに、顔色の優れない虫取り屋の表情は、相変わらず大して変わらないように見えた。

 少しだけ気不味さを感じて、理沙は虫取り屋から目を逸らした。その時、二人の視線がかち合った。お互いに、不安そうな瞳をしている。


──やはり、人に非ざるモノの味覚には足りなかったのか……


 そんな時、彼の唇が少しだけ動いた。

 ハッとして、理沙と鬼村が再び虫取り屋の方へ視線を戻す。


「……美味い……な」


 か細く低く、ささやかな店の空調の音にさえ雲散霧消してしまいそうな呟きだったが、確かに『美味い』と聞こえた。


『でしょぉー』


 少女も巨漢も同時にそう口にしていた。

 それに気が付いた理沙は、思わず眼前の皇宮護衛官を見やると、<プッ>と吹き出してしまった。

 そして、それを見た鬼村と一緒に笑い声を上げていた。

「くっ、クスクス。あ、あは、あははは。……もうっ、鬼村さんったら」

「は、はっはっは、はははは。そう言う理沙ちゃんだって」


──人前で声を上げて笑うなんて、何年振りだろう


 そんなことにさえ気がつかずに、少女は久方振りに込み上げて来た感情に身を委ねていた。

「ああ、可笑しい。……もうっ、涙が出てきちゃったじゃないですか。ホントにもうっ」

 そう言いながら、少女はおしぼりを目元に当てた。そして、改めて隣の席を見やった。

「……うん、美味い、もんだな……。この……『ぎゅうどん』というのも……」

 彼は、静かにそう呟くと、丼の中身を箸で口に運んでいた。無表情なその顔の中で、口だけがモソモソと蠢いているのは、ある意味シュールで滑稽でもあった。


(うん、やっぱりそうだ。虫取り屋さんだって、意味もなく人と同じカタチをしている訳じゃない。だって、ご飯が美味しいって言ったもの)


「よおし、わたしも食べますよぉ」

 理沙はそう言って、再び丼を手に取った。

「そうです。ご飯が美味しいのは、健康な証拠です。食べましょう」

 鬼村も応えて、牛丼のメガ盛を頬張っていた。



 そして、十数分後。

 三人は、それぞれに食事を終えていた。

「ふぅ。ああ、美味しかった。ごちそうさまでした」

 理沙は、最後に温かいお茶で口の中を潤すと、箸を置いて両手を合わせていた。

「いやぁ、美味かったですね。ごちそうさまです」

 鬼村は、テーブルに備え付けの紙ナプキンで口元を拭うと、こちらも両手を合わせていた。

 一方の虫取り屋は、牛丼は平らげたものの、未だ口の中の物を咀嚼しているところだった。最後の肉とご飯の味を噛み締めているのだろうか?

 理沙には、彼にそこまでの機能が備わっているかどうかまでは測りかねたが、人間らしい食事を味わっていると思いたかった。


<ゴクン>


 薄汚れたシャツの喉元が、一旦膨らんでしぼむ。口の中のモノを胃袋に送り込んだのだろう。

 虫取り屋は、暫くの間、そのままボウッとして焦点の定まらない淀んだ瞳を中空に向けていた。


(美味しいとは言ったけれど……。本当はどうだったのかしら?)


 食事の直後だと云うのに、相変わらず無表情で、いつもと変わらずボンヤリとしている虫取り屋に、理沙は幾ばくかの不安を感じた。

「ど、どうでした、虫取り屋さん? 美味しかった……ですよね」

 恐る恐る掛けられたその言葉を、彼はどう捉えたのだろう。虫取り屋は、ゆっくりと少女の方へ顔を向けると、

「『ぎゅうどん』ってのも……、なかなかいける……な」

 と、今にも消え入りそうな声で独り言のように呟いた。

「はぁー」

 と、理沙は大きく息を吐くと、胸を撫で下ろした。

「でしょう、虫取り屋さん。やっぱ、牛丼は良いっすよね〜」

 虫取り屋がどう応えようと、この人はきっと似たような反応を返すのだろう。細い目を更に細めると、片手を挙げて、

「すいませーん、お勘定、お願いしまーす」

 と、大きな声を出した。

「はぁーい、ただいまー」

 店の奥から返事が来ると、パタパタと足音がして店員がやってきた。

「ええーっと、全部で三千八百六十円になります」

 伝票を見ながら、店員は金額を述べた。

 しかし、標準で一人分五百円ほどもしない牛丼屋で、どうやったら三人でこんな金額になるのだろう。値段を聞いた理沙は、少し驚いていた。

「あー、じゃ、これでお願いしまぁす」

 鬼村は懐から千円札を四枚取り出すと、店員に渡した。

「はい。……百四十円のお返しになります」

 そう言いながら小銭を差し出す店員に、

「あっと、領収書をお願いできますか」

 と鬼村が声をかけた。

 一瞬、店員が怪訝な顔をしたが、すぐに、

「はい、かしこまりました。お名前を頂戴できますか?」

 と対応した。

「えーっと、じゃぁ、『皇宮警察本部』で」

「……え?」

 今度こそ、店員は驚いた顔を見せた。『皇宮警察本部』と聞いて『警察関係者』とまでは分かるだろう。しかし、一般人で『皇宮警察本部』がどんな組織かなどを詳しく知っている者は、そう多くはないと思われる。

 芳しくない店員の態度に気が付いたのか、鬼村は片手を背広の内ポケットに入れた。暫くゴソゴソとした後、戻ってきた指先には、一枚のカードがあった。

「これでお願いします」

 名刺を見せながら、人の良さげな細い目には愛嬌さえ感じられる。

「あっ……、ああ。分かり、ました」

 店員は目を見開き、名刺と首っ引きで堅苦しい漢字を書き写していた。

「お、お待たせしました」

 おどおどとした態度で、店員は領収書を鬼村に手渡していた。

「はい、どうも。さてぇ、理沙ちゃん。そろそろ行こっか」

 そう言いながら、鬼村はズイと立ち上がった。

「あっ、はい」

 その様子に、少女も慌てて傍らのリュックとスタジャンを手にすると、席を立った。

 少し遅れて、虫取り屋も立ち上がる。いつの間に身に着けたのだろう。既に古びた黒いコートと鍔広の帽子を纒っていた。

 そして、スライドした自動ドアを通って店から出て行く三人組を、店員は不思議そうに見送っていた。



「今度こそ駅に行きますからね。わたし達は先を急ぐんですから」

 国道の端っこをJRの駅を目指しながら、理沙は先を行く大男に声をかけた。

「お土産とかが欲しいんなら、別行動でお願いします」

 寄り道をさせないように、更に釘を刺す。

「分かりました。分かりましたから」

 先頭を歩きながら、鬼村は済まなさそうに頭を掻いていた。

 そんな二人の後ろには、鍔広の帽子を目深に被った黒いコートの男が続く。追われる身でありながら、影から垣間見える瞳は腐った魚の目のようで、生気を欠いている。だが、両手をコートのポケットに突っ込んでトボトボと歩くその姿は、どこか近寄り難い雰囲気を漂わせていた。その弛緩しきったような四肢は自然体で、いざという時には神速の動きで以て敵を迎撃することを知るのは、連れの二人だけだ。

 一方、先頭の巨漢は、その表情こそ温和で人が良さ気であった。しかし、こちらも只者ではない。

 その名の通り『鬼道』を極めた彼は、自らの体躯を依代として神氣(かみのき)を呼び込み、鬼神の如き強さを見せる豪傑なのだ。

 そんな頼もしい護衛に挟まれた美少女には、何の気の迷いも無いように見える。


──この二人が居れば、どんな怪物も撃退してしまうだろう


 そんな確信が彼女にあったに違いない。

 時折吹く冬の木枯らしが、セミロングの髪をたなびかせる。歩みを進めるごとに、背中のリュックはゆんゆんと嬉しそうに上下に揺れていた。


(もうすぐだ。駅に着いたら、四国に行ける。そうすれば、鬼達との悪縁を断ち切ることが出来るわ。きっと)


 理沙の頭の中は、楽観的過ぎるとも言える考えで占められていた。

 だが、四国の鬼無(きなし)への旅程は、実はその端緒にさえついていないのだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ