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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
41/50

山越え(8)

(……ムシトリヤァァァ。おのれ、キサマァァァァァァ。……イツカ、イツノヒカ、きっとモドッテくるからな。キサマをタオスためにぃぃぃぃぃぃ......)


 胸に真名(まな)を刻まれた巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)は、夢空間に現れた巨大な亀裂に、あっという間に吸い込まれていった。


 後には、薄暗い廊下が、現実(・・)と変わらない佇まいを見せていた。


「こ、これで、……終わったんですか?」

 半裸の理沙が、片手で胸を押えながら、傍らに立つ虫取り屋に訊いた。

「……ああ」

 彼は、そんな事にはもう関心が無い、というような風情で、そう呟いただけだった。

 だが、虫取り屋がそう言うなら、もう大丈夫なのだろう。少女は、「ふぅー」と軽く息を吐いて、廊下の壁に身を預けた。

 夢の中とはいえ、極度の精神的緊張を強いられたのだ。無理はない。


「……やはり、アイツ(・・・)だったか」


 理沙が身体を弛緩させていた時、虫取り屋は、ボソリとそんな事を呟いていた。

「え? 何ですか? 虫取り屋さん」

 微かな声に反応したのか、理沙は閉じていた目蓋を開くと、ボウと突っ立っている帽子の男に尋ねた。

「…………」

 しかし、彼からは、何も答えは無かった。いつもは、どんなに小さくか細い呟きでも、どういう訳か耳に届く虫取り屋の言葉が聞こえない。ごくたまに、こんな事がある。

 理沙は、不思議そうな顔をして、彼の姿をもう一度上から下まで眺めた。

 いつの間にか、必殺の武器である二丁の草刈り鎌は、彼の両手から消えていた。ただその違いだけで、その出で立ちは、やはりいつもと同じだ。ボロボロの古びた黒いコート。帽子を目深に被っていて、その表情はよく分からない。ただ、その腐った魚のようなドンヨリとした瞳が、巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)が消えた方向を、ボンヤリと眺めているだけに見えた。

「あの物凄い鬼は、巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)って言うんですね」

 危機を乗り切った少女は、改めて虫取り屋に尋ねてみた。


──巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)


 虫取り屋は、『やはりアイツか』と言ったような気がする。『アイツ』とは、昨日の街で襲ってきた『巨鬼(きょき)』のことなのだろうか? オオモノヌシの真名(・・)は、確かにそれを示唆していた。少なくとも、全くの無関係ではなかろう。

 今回は、夢世界の中。巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)も実体ではなかった。真名を以って封印を施したとはいえ、いつか再び、その巨大な暴力(ちから)を顕現させるとも知れない。

 当面の目的地である鬼無(きなし)に着くまでは、未だまだ気を抜く訳にはいかないのだ。


(でも、大丈夫。虫取り屋さんが居れば、きっと辿り着くことが出来る。だって、夢の中にまで助けに来てくれたんだもの。どんな時でも、護ってくれるわ)


 理沙が、そんな考えを巡らせていた時、ふと、何かを忘れているような気がした。


(あっ、あれ? なんだろう? 何か忘れているような……)


「あっ、あー! き、き、き、鬼村(きむら)さん。鬼村さんは、どうなったんでしょう。巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)に身体半分吹き飛ばされて……。し、死んじゃったんでしょうか?」

 やっと、理沙は、鬼村が巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)に倒されたことを思い出した。

 彼も夢世界に対応し、鬼道の奥義で立ち向かったものの、巨大な邪気の衝撃波で上半身を吹き飛ばされたのだ。

 彼女は、片手を廊下について身をもたげると、周囲をキョロキョロと見渡した。


 その時、彼女の死角──背中側から突然に声がかけられた。


「理沙ちゃん、自分の事、心配してくれてるんだね。嬉しいなぁー」

「ひゃ、きゃー」

 廊下に静けさが戻っていただけに、理沙はひどく驚いて仕舞った。

「そんなに驚かないでよ。大丈夫。ちゃんと生きてるよ」

 少女が振り返った先には、四角い顔の中に極細の筆で描いた糸のような目が、ニンマリと曲線を作っていた。

「き、鬼村さん。無事なら無事って、もっと早く……。きゃー、なんて格好してるんですかっ」

 一度は彼の無事に安堵したものの、その格好に気が付いて、理沙は急いで目を瞑って顔を背けた。

 鬼村は上半身裸だったのだ。かく言う理沙も、上下の下着だけの半裸だったのではあるが。

「あれえ? 何で? ちゃんと生き延びたってぇのに。そりゃぁ無いでしょう、理沙ちゃん」

 鬼村の顔の中で、細い線が『八の字』を作った。

 さっきは背広の袖を再現することも出来た鬼村だったが、今度は失った上半身を復元するので精一杯だったのだろう。着ていた服までは、気が回らなかったらしい。


「……修行が足りてないぞ」


 そんな彼に、虫取り屋は一言そう言っただけで、後はまるで興味が無いといった感じで、その場に突っ立ったままだった。二人の方へ顔を向けるどころか、一瞥だにすることもない。


「いやぁ、参った、参った。この世界が夢だと認識していなければ、本当に死んでいたところです。皆、無事で何よりです」


 上半身裸の彼は、角刈りの頭を掻きながら、照れ臭そうにしていた。

「あなたが言わないで下さい。虫取り屋さんが、あんな鬼に負けるはずがないでしょう。たとえ、それが夢の中だったとしても」

 相変わらずの脳天気な鬼村に、理沙は、ちょっとキツメの言葉を浴びせかけた。

「酷いなぁ、理沙ちゃん。理沙ちゃんだって、裸のくせに。……セクシーだよ」

 場を盛り上げたかったのか? 鬼村は少女の姿を指摘すると、最後に褒め言葉のような一文を付け足した。

 それを聞いた理沙の顔は、見るみるうちに真っ赤になった。両腕で肢体(からだ)を隠すようにして鬼村から離れると、虫取り屋の影に隠れるように逃げ込んでいた。

「えー、ずっとその格好だったじゃないですかぁ。今更、恥ずかしがられても……、ねぇ」

 彼の言葉は困っている様子を示していたが、その実、視線は理沙から離さずにいた。若干、鼻の下がでれんと伸びている。

「見ないで下さいっ。イヤラシイ」


(くぅぅぅ。何たる失態。お父さんにも兄さんにも見せたこと無いのにぃ)


 羞恥する少女は、黒いコートの影に踞ったまま、身を震わせていた。


 と、そのうち、鬼村が困ったような顔をして、虫取り屋に次のように尋ねた。

「えーと、虫取り屋さん。これって、夢の中ですよねぇ。……どうやったら『目が覚める』んでしょうね?」

 尤もな話である。

「あっ、そうか。……どうしたらいいんでしょう?」

 無事だったとはいえ、このまま夢の世界に取り残されたままでも埒が明かない。

「……そうか。なら、そろそろ起きるか」

 そんな二人の素朴な疑問に、独り言のような虫取り屋の呟きが応えた。

「えっ? 起きるって……」

 理沙が顔を上げて、そう言いかけた時、不意に辺りが真っ暗になった。



「あ、……あれ?」

 理沙が目蓋を開いた時、部屋の中は真っ暗闇だった。

「……な、何なの? 今のは……、夢?」

 一人呟いた理沙は、ハッと何かに気が付いたように布団から起き上がると、両手で全身の状態を確かめていた。

 この部屋に入って、服を脱いで、畳んで……。寝間着が無かったから、下着のままで寝床に入って……。それから……。


 着衣は乱れていない。布団に入った時のまんまである。あの時感じた頭痛と吐き気も……、感じない。


──いつも通りだ


 それが、却って理沙には不気味だった。


(今のって、……本当に夢に見た事なの? やけにリアルな夢? だったけれど)


 彼女が、布団の上でそんな事を考えていた時、ダダダダダッと、廊下を駆けるけたたましい音が聞こえた。そして、その音は彼女の部屋の前で止むと、<ガラッ>と襖を開く音がした。

「理沙ちゃんっ、大丈夫かい!」

 その声は、紛れもなく鬼村のものであった。

「キャー。鬼村さんっ、いきなり女の子の部屋に押し入って来るなんてっ。何やってるんです!」

 理沙は、突然の夜の訪問者に驚き、反射的に危険を感じると、掛け布団を引っ掴んで身体の前を隠した。

「あ……、えーと。……その様子だと、無事みたいだね。でも、念には念を……」

 理沙の声で彼女の無事を確認した鬼村は、それでも部屋の中にズカズカと入ってきた。そのまま、布団を敷いてある部屋の中央──つまりは、彼女の寝ている方まで近づいてくる。

「な、な、な、何してるんです。聞こえなかったんですか」

 少女が声を荒らげたものの、気にする様子のない皇宮護衛官は、彼女の直ぐ側に立っていた。

 一呼吸おいて、天井にチカチカと白色光が瞬いた。程なくして、蛍光灯の光で部屋の中が明るくなる。その眩しさに目が眩んだ少女は、思わず片手を挙げて光を遮った。

「ああ、理沙ちゃん。本当に何とも無いようだね。はぁ〜、安心したぁ」

 ホッと胸を撫で下ろす鬼村の腕は、肌がむき出しになっていた。夕餉(ゆうげ)を食べた時と、何ら変わることはない。やはり、夢を見ていたのだろう。

「しっかし、あんな巨大な邪気が顕れたと思ったら、夢を通じてだなんて……。どおりで、ここの呪力結界を抜けられた訳だよ。とんだ盲点だった」

 右手の拳を握りしめて、鬼村は悔しそうにしていた。

「って事は……。さっきのは、本当にあった事──いえ、夢だったんですね」

「らしいねぇ〜」

 深刻そうに考える理沙の言葉に、鬼村は、すぐに気持ちを切り替えたらしい。声が明るくなっている。

「らしいねぇ、って、鬼村さん。あなた、上半身吹き飛ばされてたんですよ。どうもないんですか?」

 思わず理沙は、両手を掛け布団の上に突いて、身を乗り出した。

「上半身無くなった、って言っても……。結局、夢の中の事でしょう。……まぁ、死にそうなほどびっくりしましたけれどね。夢で良かったです」

 あっけらかんとした鬼村に、少女は呆れて仕舞った。


(もう、この人ったら。人の気も知らないで……)


 この男、何も考えていないのか、それとも単にタフなだけなのか。理沙は、目を細めて彼女を見下ろす偉丈夫を、どう捉えたら良いか考えあぐねていた。


 そんな時、聞き覚えのある低い声が、彼女の耳の奥に響いた。

「……その様子なら、大丈夫だったようだな」

 それは、か細く微かな呟きのような言葉だった。虫取り屋のものである。

「虫取り屋さん!」

 最強のボディーガードの姿を認めて、理沙の顔はパァと明るくなった。

「虫取り屋さんも無事だったんですね。良かったぁ」

 どうやら三人は、揃って同じ夢を見ていたようである。

 これこそが、結界を乗り越えた巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)の精神攻撃だったようだ。

「あらあら、理沙ちゃん。自分の時とはエラい違ってますね。キムタク、ちょっとショックです」

 彼我の扱いの差に、さしもの皇宮護衛官も意気消沈したらしい。見かけは別にして、実質的な頼り甲斐という点で、天と地ほどの差があるのだから仕方がない。

「虫取り屋さん、遅いですよ。あんな危険な事があったのに、理沙ちゃんに何かあったら大変じゃないですか」

 鬼村は、何とか名誉挽回のために、重箱の隅をつつくような細かい事をネチネチと言い始めた。

「……ん? ああ、さすがに現実世界では、雨戸を破壊するのは気が引けるからな。……玄関を回って来た」

 彼の返事は、全く理路整然としていた。


──虫取り屋ほどの異能(ちから)の持ち主ならば、雨戸を壊しても、後で元通りに──無かった事にすれば良い。それだけの事ではないのか?


 二人の脳裏に、そのような疑問が浮かんだ。


 しかし、虫取り屋には、虫取り屋としての行動原理があるように見える。

 無闇にアカシック・レコードを書換える事は、出来るだけ避けようとしているらしい。それは分かっている。虫取り屋は、神工知能アカシアのデバッガであるのだから。

 でも、夢の中とはいえ、これまでにない危険な目に遇った直後である。理沙としては、誰よりも早く駆けつけて欲しかった。

 そんな少女の心の内を解って欲しい、という事も虫取り屋を知っているモノならば、無駄な足掻きでしかない事は明白ではあるのだが……。


 そうやって、ボウッと突っ立っていた彼は、

「ああ……。オマエも無事だったのか。何よりだな」

 と、今更気が付いたように、部屋の中に立つ鬼村に言った……のだと思う。いつもながら、彼の口調は、か細く低く、独り言のような呟きだったからだ。

「当然です。なんたって皇宮護衛官ですから」

 鬼村は両腕を胸の前で組むと、「フンスッ」と鼻を鳴らすように応えた。それに対して、虫取り屋は、

「それにしては、ここの呪力結界には穴があるようだが。……今度、担当に言っといてくれよ」

 と、痛いところを突いてきた。

「あーっ。今、それを言いますか。……ぐぐ、仕方ありませんね。報告書には、何か適当な理由を作って記しておきます。……虫取り屋さん」

 その指摘に鬼村は、苦し紛れに言うと、最後に虫取り屋に済まなさそうにこう言った。

「あのう、……すいませんが、この件は、何卒内密に……。どうか、お願いします」

 少し腰を屈めて、拝むように顔の前で両手を合わす彼の姿は、まさしく公務員そのモノだった。


(そっかぁ。そういえば、鬼村さんって国家公務員なんだったわ。やっぱり、宮仕えは気を使うのね)


 そんな皇宮護衛官の姿に、理沙は一瞬、公務員の悲哀を見たような気がした。


「……ところで。おい、オマエ。今、何時頃だ?」

 と、虫取り屋が、ふと気がついたように、袖の破けた背広の男に訊いた。服やシャツの布地は破けて失われていたが、自慢の銀色の腕時計は、左手首に健在だった。

 彼は、おもむろに左腕を胸の前で水平にすると、文字盤に目を走らせているようだった。

「ええーっと、未だ夜中の二時過ぎですよ」

 鬼村の答えに、

「そうか……。ズレは、約三十分……。と言ったところか……」

 と、帽子の男は謎の言葉を残した。

「まぁ、そんなもんか……。どうりで、未だ暗いはずだ。さぁて、オレもそろそろ寝るかぁ」

 虫取り屋はそう言って、邪気も、夢も、巨鬼怒蘇(オオモノヌシ)にも、何の関心も無いと言った感じで、理沙達に背を向けた。

「あ、もうお休みですか?」

 鬼村と二人きりにされそうになって、寝床の上の少女は、思わずそう呼びかけた。

「子供は、とっくに寝る時間だ」

 返ってきたのは、映画やドラマでお馴染みの言葉だった。

「んー、もうっ。そうですけど。……心配じゃないんですか?」

 彼女は、またさっきの邪鬼が夢に出てきそうで、少し眠るのに躊躇していたのだ。

「大丈夫だ。巨鬼(ヤツ)は封印した。たとえ夢の中でも、もう出てはくまい。安心して眠れ」

 虫取り屋は、廊下側を向いたまま、素っ気無く淡々とそう言っただけだった。

「分かりました。どうせ、わたしは、お子様ですよ。もうっ、わたしは寝ますから。鬼村さんも、出て行って下さい」

 虫取り屋の言葉にカチンと来た理沙は、傍らに立つ男に八つ当たりをした。そして、してから後悔した。


(ああ……。また、変なところを見られちゃった。わたし……、嫌な()だよね)


 そうやって、少女は少し凹んでいたのだが、虫取り屋の最後の言葉で、気が変わった。


「嬢ちゃん、やっぱり……、パンツは黒いのの方が大人っぽいと思うぞ」


「ーーーーー……」


(何てこと言うのよ。虫取り屋さんったら。鬼村さんだって居るのにぃ)


 彼女は心の声を言葉に出来ずに、真っ赤な顔で歯を喰い縛って、虫取り屋の背中を睨みつけていた。

「どうした……」

 何の感慨も含まないその言葉も、理沙の怒りに油を注いだ。

「何でもありませんっ。もうっ、寝ます!」

 それだけ言うと、彼女は掛け布団を引っ掴んで横になると、頭から被って仕舞った。

「明るくなったら出発するぞ。しっかり眠っておけ」

 布団を通して、独り言のようなか細い声が、理沙の耳に届いた。

「分かってますっ。もうっ。わたしは寝ますから、二人共、早く出てって下さい。女の子の寝室ですよ」

 最後に語気も荒くそう言うと、理沙は不貞寝を決め込んだ。

 数秒程して、

「理沙ちゃん、お休み」

 という野太い声がした後、襖を閉める<すぅー>という音がした。


(寝てやる。絶対、寝るんだ。今夜は、徹夜で寝るんだから。そう、今すぐによ)


 寝床の中で歯噛みしながら、そんな事を思っていた少女は、五分後、静かな寝息を立てていた。

 そして、雨戸を隔てた社務所の庭には、黒いコートに鍔広の帽子を被った男が、明るい月の下、ただ静かに立っていた。




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