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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
39/50

山越え(6)

<ズズズッ>


 闇の奥から何者(なにもの)かが──いや、邪鬼(モノ)が這い出てこようとしていた。

 ここは山中に隠れ潜む温泉。そして、それを禊の儀式として使う隠れ宮であった。

 祭神は、建速須佐之男命たけはやすさのおのみこと高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。そして、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)


 理沙(りさ)の眠りを遮ったモノ。虫取り屋が失わせた記憶を蘇らせたモノ。そして今、膨大な量の邪気を撒き散らして少女を手に入れんとするモノ。


──それが、暗闇の奥にいる


 現在はアカシアの端末(ターミナル)としての能力を封じられている筈の理沙でさえ、その存在を感じることが出来た。

「あ、……あぁ」

 少女の姿をしているが、彼女は虫取り屋(デバッガ)と同等か、それ以上の高位プログラムである。その能力(ちから)の暴走を防ぐために、彼女の深層心理には何重ものプロテクトがかけられていた。その上、虫取り屋が自ら注入した抑制スクリプト(歯止め)もある。

 普通の人間ならば、その邪気に触れただけで、良くて心神喪失状態、運が悪ければ発狂しても不思議ではない。そんな雰囲気でも、正気でいる事が出来るのは、少女がアカシアの端末であるからに他ならない。

 だが、さすがに、その恐怖からは逃れる術は無かった。


<ズン>


 足音にも匹敵する霊波が響いた時、遂に理沙は悲鳴をあげた。

「ヒィ……い、いやぁああぁぁぁぁぁあ」


 その刹那、スチールの雨戸とガラスのサッシが共に粉々に砕け散った。

 そして、彼女の背中側では、疾風が渦を巻いた。


 夜空に光る月も、厚い雲で遮られている。ましてや、ここは奥深い山中の禁足地。全ては、暗い闇と同化し、目を凝らしても眼前の様子ははっきりしない。しかし、そんな光源の無い夜の闇の中でも、少女は、はっきりと彼等の姿を見分ける事が出来た。


 ボロボロの古びた黒いコートに身を包み、鍔広の帽子を深く被った男──虫取り屋(むしとりや)

 きっちりとした背広を着込み、ネクタイを締めた偉丈夫──鬼村(きむら)


 二人の戦士は、理沙の危機に遅滞なく駆けつけたのだ。


「スマン、遅くなった……」

「理沙ちゃん、大丈夫!」


 彼等の声で、さっきまで感じていた不安は、もう消えていた。陣痛のように繰り返し込み上げていた頭痛も吐き気も、いつの間にか治まっている。


(この人達がいれば、何も恐れるモノは無い)


 そう思わせるだけの実力(ちから)を、この男達は備えていた。


「キサマ、何者だ? ここは、呪力結界で封じてあった筈……」

 か細く低い、呟くような声だったが、理沙の耳には、何故かそれははっきりと聞こえた。

「何処から侵入した。ここは、鬼部の民(もののべのたみ)の隠れ社ぞ」

 力強い太い声は、皇宮護衛官──鬼村のものだった。

 そのどちらに反応したのだろう? 社務所の廊下の奥──深い闇の中から、答えが返ってきた。


(ワレこそは、そなたらのおそれるオニ。イニシエからのソンザイ。オニは、モノにして、カミなり。ワレは、オニのシソ、オオモノヌシ。すべてのオニのシソであり、すべてのモノノフのハジマリであり、すべてのモノノベノタミのソシンであるぞ)


 それは、空気の振動で伝わる『声』とは違うようだった。耳ではなく、直接脳裏に響くような『コエ』のように思えた。

「オオモノヌシか……。ふむ、大神神社(おおみわじんじゃ)大物主大神おおものぬしのおおかみということか? おい、オマエ。ここの祭神は?」

 独り言のような虫取り屋の問に、鬼村が応える。

「ええ。物部氏(もののべし)の始祖である宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が祀られています。記紀によれば、宇摩志麻遅は、饒速日命(にぎはやいのみこと)親神(おやがみ)とする、物部氏の始祖です。しかし、大神神社(おおみわじんじゃ)の大物主、つまり倭大物主櫛甕魂命やまとおおものぬしくしみかたまのみことは、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)少名毘古那命(すくなびこなのみこと)を失って国造りに難航していた時に、光り輝く姿で顕現し、三輪山に祀られることで、国造りを為したと伝承される神です。直接の関係は、どこにも明示されていない筈ですが」

 博学な鬼村が応えた。さすがは皇宮護衛官である。


 饒速日命(にぎはやいのみこと)──すなわち|天照国照彦天火明櫛玉饒速日命《あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと》は、神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこのみこと──後に神武天皇と呼ばれるようになった大皇(おおきみ)が九州から東征した時に、先に大和地方一体を治めていたと云われている。正式な神名から察せられるように、高天原に出自を持つ天津神(あまつかみ)で、神武天皇の祖父神である邇邇芸命(ににぎのみこと)とは兄弟神であるとも云う。


「だが、本人が、『大物主(おおものぬし)』と名乗って鬼部の民の祖神であると宣言しているのだから、『大物主』=『饒速日』と云う事になるな。神名の『櫛玉』と『櫛甕魂』も被っているし……。案外、同一神かも知れんぞ」

 虫取り屋は、廊下の奥の闇から眼を逸らさずに、意見を返した。

「原田常治氏の説ですか? しかし、宇摩志麻遅の父神の饒速日が、飽くまで神武天皇と徹底抗戦をしようとする長髄彦(ながすねひこ)──別名を登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)を誅殺した人間臭い神なのに、大物主は、海の向こうからやって来て大国主を助ける光り輝く神様です。なおかつ、三輪山そのものを御神体とする大神ですよ。神格が違い過ぎるのでは」

 二人の男の古代大和を巡る神々の話に、理沙は着いていけなくて、キョトンとする他はなかった。

「ふむん。しかし、大物主の『(もの)』とは、物部の『(もの)』ではないのか? 戦をする武士(もののふ)の『もの』もそうであろう。ヤツは、自分が古代から大和に居て、(モノ)鬼部の民(もののべのたみ)武士(もものふ)の原初であると、自ら称したのだ。……それとも、ヤツは狂っているのか……」

「チッ……。相変わらず喰えない人ですね」

 虫取り屋の言葉に、鬼村は舌打ちをした。冴えない帽子の男の言葉の中に、朝廷や皇室に都合の悪い事柄でも含まれていたのだろうか?


<ズンッ>


 またしても、振動を介さない足音が響いた。徐々に闇の奥から這い出ようとしている。

「あんまり、無駄話をしている余裕は無さそうですね」

 既にファイティングポーズをとっていた鬼村が、虫取り屋に言った。

「…………」

 彼は何一つ応える事は無かったが、いつの間にか、その両手には赤錆びた鎌が握られていた。近くのホームセンターにでも行けば必ず売っているような、柄の短い草刈り鎌だ。虫取り屋も、既に戦闘態勢に入っていたのだ。

「虫取り屋さん、鬼村さん……。だ、大丈夫……ですよね。お二人なら、誰にも負けませんよね」

 安全地帯と思っていたところに、いきなり敵の大物(ボスキャラ)が現れて出たので、不安に駆られた理沙は、つい男達に訊いて仕舞った。

「大丈夫だよ、理沙ちゃん。陛下の大切な国民を守るのが、自分の務めですから」

「心配無い。嬢ちゃんは、そこに座っているといい……」

 鬼村は自信たっぷりに、虫取り屋は独り言のように、応えた。


(いつも通りの二人だわ。うん、何にも心配無い。わたしが怖がると、反って二人の足を引っ張って仕舞う。わたしも「鬼達に負けない」って、決めたんだもの。もう、恐れたりしないわ)


 理沙は、心の中でそう決心すると、気丈な眼で彼等を見上げていた。


(ワレにさからうか。オロカモノどもめ。ワレがみずから、テをくだすまでもない。ジャキによってホロブがよい)


 理沙は、再び、『コエ』のようなものを感じた。それと同時に、闇の奥深くから、不快な感じを伴った黒い塊のようなモノが多数、飛び出してくる気配があった。

 その瞬間、ソイツ等は、理沙達の目の届く範囲に形を現した。黒っぽい影は、人のような輪郭をしていたが、それはボヤッとしていた。ふわふわと不安定で、自らの形状を維持するのも困難なようだった。ただ特徴的だったのは、頭部に相当する部分から、角のような突起物が何本か見えるところだろうか……。

「な、なに? アレは……」

 理沙は、新たに出現した黒い影に心を乱されかけていた。

「邪鬼? いや、邪気かな」

 鬼村が、細い目を更に細くして、影の正体を探ろうとしていた。

「…………」

 対して、虫取り屋は沈黙したままだった。相手が誰であろうとも、ソレが何であろうとも、敵対すれば消去(デリート)する。それが、虫取り屋だった。

 それを分かっているのだろう。鬼村は、二丁鎌の男をよそに、構えた両拳を更に握りしめた。


──それが合図ででもあったのだろうか?


 突然、黒い影が音も無く跳んだ。見た目通りにボンヤリとした身体には、それ程質量が伴っていないのだろうか? 素早い動きに、身体が着いていかないからなのか? それらは奇妙に微妙に形を変えながら宙を飛んで、理沙達に襲いかかってきた。

「や、やだっ」

 不快と恐れで、少女が身を捩ろうとする前に、幾体もの影達は、あるモノは鎌で分断され、あるモノは拳で砕かれ、小さな破片と化していた。

 瞬殺と言っていい程の、あっという間の出来事だった。しかし、敵を倒した筈の男達は構えを崩していなかった。のみならず、理沙を庇うように彼女の周りに集まったのだ。


──どうして?


 その疑問は、すぐに解を得た。

 破片となった黒い塊は、うねうねと蠢いて互いに身を寄せると、元の人型に戻ろうとしていたのだ。のみならず、更に集合して、巨大な邪鬼となろうとしていた。

「ふむ……。厄介だな」

 言葉の内容とは逆に、何の問題も感じていないような呟きが、虫取り屋の口から漏れた。

「そのようですね。人喰い虎でも即死する筈なんだがなぁ。ちと、鈍ったか?」

 鬼村の方も、自分の拳が敵にダメージを与えていないのを、全く気にする様子は見られない。

 だが……。

「……気づいていたか」

 棒立ちのように両腕をダラリと脇に垂らして少女を守るように立つ虫取り屋は、謎の問い掛けをした。

「ええ……。さっき虫取り屋さんがぶっ壊した筈の雨戸もサッシも元通り。どうやら、鬼部の民(もののべのたみ)の祖神は、キレイ好きのようですね」


 そうなのだ。鬼村の言葉を聞いて、理沙は慌てて目の前の廊下を凝視した。


(本当だわ。今さっき、虫取り屋さんが飛び込んできた時に壊れてしまった雨戸やガラスサッシが元通りに。壊れた跡も、破片なんかも全く無いわ。直っている。いつの間に……)


「これって……、『起こった出来事を、無かった事にする』能力。あっちにいるモノは、アカシアの力の一端を持っているのでしょうか」


 であれば、一大事である。宇宙の全ての事象を記録しているアカシック・レコード。その内容を書き換える事で、事象を自由に改変してしまう。それが、アカシアにアクセスできる上位デバイスや能力者の持つ、超常能力だ。端末(ターミナル)である理沙や、デバッガである虫取り屋が持つ異常な能力(ちから)だ。


「ま、そこまで気にするような能力(しろもの)とは、違うようですね」

「だな……。だが、もしそうなら(・・・・・・)、ちぃっとばかし厄介だな……」

 敵対する(モノ)の見せた能力に、毛ほどの驚異も感じていないような二人だった。


 では、()のモノの能力とは?


「なら、少し本気を見せましょうか」

 細筆で描かれたような鬼村の眼が少し開き、ギラリと光ったような気がした。

 それと共に、周辺の大気から、熱い何かが彼の身体に取り込まれているような雰囲気を、理沙は感じた。

「……神氣招来鬼氣合一しんきしょうらいききごういつ。はぁぁぁぁぁあ」

 裂帛の気合が迸ると、皇宮護衛官の身体が一回り大きくなったように見えた。実際に、肌がむき出しになっている両腕の筋肉は、大きく力強く盛り上がった。それは、(くろがね)の如き硬さと(はがね)を思わせる強靭さを秘めているに違いない。彼の得意とする鬼道の技だ。

 それに反応したのだろうか。多数の黒い破片が寄り集まって、更に大きな鬼のような姿に変貌した濃密な邪気が、再び襲いかかってきた。

「破邪、木端微塵拳(こっぱみじんけん)!」

 宙を襲い来る黒影を、先程とは桁違いの力を秘めた拳が迎え撃った。


<パシッ>


 水で膨らんだ風船が破裂するかのように、鬼の形をとっていた影が、微塵に砕け散った。


<ババッ>


 すぐ隣では、無限とも思われる二丁鎌の斬撃に、邪鬼が微細に刻まれていた。


 さすがの邪気も、ここまで散り散りになって仕舞っては、復元は叶わなかったのだろう。廊下に散らばった黒い粉末は、しばらくざわざわと蠢いていたが、十数秒もすると、溶けるように色を失い、大気の中に蒸発するように消えていった。


「……ふむ。『この世界』でも、取り敢えず、オレ達の力は通じるようだな」


 廊下の奥を探っているのだろうか? 腐った魚のような覇気のない虚ろな眼を闇に向けたまま、虫取り屋は、謎の言葉を呟いた。

「の、ようですね。……で、あれば、こんな事も出来るかな、っと」

 鬼村もそう言うと、両腕を両手突き(もろてづき)のように正面に突き出した。

 その途端、肩口で破けて失われていた背広の袖が、みるみるうちに再生していったのだ。

「おう。出来たできた。やってみれば、出来ちゃうもんなんですね」

 彼は、自ら再生させた背広の袖口を、満足気に見つめていた。

「えっ。ええっ! き、鬼村さんまで。あなたも、アカシアの能力を使えるようになったんですか!」

 理沙が驚くのも無理はない。鬼道を使えるからと言っても、それ程簡単に事象の操作が出来る訳が無いからだ。

 アカシック・レコードを改変する能力を誰しもが持てば、世界は無秩序に書き換えられ、あっという間に崩壊してしまう。そんな事をアカシアが──そのデバッガである虫取り屋が許す筈がない。


(わ、わたし、()でも見ているのかしら。こんな事があって良いの?)


「ほう。上手いもんだな。……似合ってるぞ」

 しかし、理沙の思考に反して、虫取り屋は悠長に鬼村のした事を眺めていただけだった。

「そうですかぁ。いやぁ、虫取り屋さんに褒められちった。どう、理沙ちゃん。似合ってるっしょ」

 戦闘中だというのに、普段の人の良いオジサンに戻ったような鬼村に対し、理沙は言葉を失っていた。


(オヌシラ。なかなかデキルな。そして、そこのオトコ。そのカマ。そのワザ。そのチカラ。おぼえているゾ。ワレのシュクテキにたがいない。イマこそ、ほうむりさるべし)


 闇の奥から溶岩の塊にも似た、熱い怨嗟が溢れてきた。それは、容易には耐える事の出来ないような、怒りと憎しみを伴っていて……。


──『怒り』と『憎しみ』


 それは、鬼を鬼たらしめている根源のような感情である。


<ズズッ>


 又しても闇が動いた。それは、『怒り』と『憎しみ』が、質量を伴って自我意識を持ったモノででもあったろうか。

 突如、理沙達に、さっきとは比べ物にならない強烈な邪気が吹き付けて来た。それは、触れた物の全てを腐らせ、原初の塵に還してしまうだろう。それ程の禍々しい巨大な鬼気の塊だった。


 だが、それは虫取り屋の目の前で、何事も無かったかのように雲散霧消した。


(キ、キサマァ。ムシトリヤァァァァァァァァーーー)


 闇は知っていた。虫取り屋の事を。


 だが、彼が怯む事は無い。いつも通り、飄々と無関心に、独り言のように囁いただけだった。


「やはり、キサマだったか。『()の中』の世界だからといって、全てが自分の思い通りになるとは思わない事だな」




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