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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
38/50

山越え(5)

 山中の奥深くに鎮座する神域。

 ローカル線の車内で鬼達に襲われたため、理沙(りさ)達は、ここで一夜を過ごすことになった。


 十畳ほどの畳の間の一室の中央。そこに敷かれた布団の中に、理沙は横たわっていた。傍らに、全財産とも言えるリュックと、丁寧に畳まれた洋服が置いてあった。その他には何も無い、誰も居ない、殺風景な部屋だった。

 屋外は月明かりが照らしていたが、障子の向こうは、廊下を隔てて雨戸が閉められていたので、室内は真っ暗だ。

 布団の中に潜り込んではみたものの、理沙は未だ眠れずにいた。


 ついさっきまで、寝場所を決めることで大騒ぎをしていたからだった。

 そんな風に一悶着があったものの、三人の部屋割は結局は次のように決まった。


 ◎社務所の居間を理沙の寝室とする

 ◎食事をした座敷に鬼村(きむら)が寝る

 ◎虫取り屋はどこか適当なところに居る


 虫取り屋は『寝る』では無いところが、彼らしい。

 だが、女性の理沙を個室にするのは良いとして、後の二人は何処で寝るか? ここで、一騒動あったのだ。


「神社の結界に護られているとはいえ、山奥の夜は物騒です。今夜一晩、自分が理沙ちゃんの護衛をします」

 鬼村がそう言って、なかなか譲らなかったのだ。

「鬼村さんがお部屋の外に居ると、気になって眠れないんです。薄い障子が一枚しか無いんですから」

 そう言って、理沙は鬼村が寝ずの番をするのを頑なに拒んだのだ。

「ここは、神域なんでしょう。不心得者の邪鬼の侵入してくる余地は無いって言ったのは、鬼村さんじゃないですか。もうっ、虫取り屋さんからも言ってやって下さい」

 話を振られた虫取り屋の方は、大して興味が無いようで、

「オレは気にしない。好きなところで寝ればいい」

 と、独り言のように呟くだけだった。

「ん、もうっ。絶対に、わたしは嫌ですからね」

 断固として拒否する理沙に、

「そう邪険に言わないで。自分、信頼できる男ですから。なんつったって、現代の御庭番=皇宮護衛官なんですからね」

 確かに、その腕っ節は列車内での戦いで証明されている。

 しかし、『信頼できる』かどうかと言えば……、

「そんなの、信じられる訳無いでしょう。お風呂場を覗きに来たくせに。そ、それに、偶然を装って、わたし達を監視してたじゃないですか」

 猪鍋(ししなべ)で腹が一杯になったからだろうか、理沙は絶対に譲ろうとはしなかった。

 かれこれ三十分ほど、この繰り返しが続いた。


 そのうちに、虫取り屋が不意に立ち上がった。

「あっ、何処に行くんです? 部屋割が決まるまで、ここに居て下さいよぉ」

 心細くなった理沙が呼び止めたが、虫取り屋は、

「ちょっと、一周りしてくる」

 と言っただけで、座敷の襖を開けて勝手に外に出て仕舞った。

「あーあ、行っちゃった。本当に虫取り屋さんには、協調性というものが無いんだから。ねっ、理沙ちゃん」

 と、天下の皇宮護衛官も、さすがに、この虫取り屋の行動には呆れていた。

「ねっ、じゃありませんよ。他にも部屋はあるんでしょう。鬼村さんは、ここで良いじゃないですか。男の人なんだから」

 そう強い声で、少女が再度訴えた。

「うーん、あるにはありますが……。良いんですかぁ」

 と、鬼村は謎めいた事を言った。

「い、良いです。わたしは、落ち着いて一人で寝るところが欲しいだけです」

 鬼村の言葉に少し怖気づいたものの、強がりもあって、理沙は個室を要求した。

「ふふふっ、……聞いちゃって良いんですかぁ。聞いたら後悔しますよぉ」

 尚も、ノースリーブの背広を着た大男は、不安を煽るようにそう言った。

「なっ。……なら、聞きません」

 相手の術中に嵌るまいと、少女は敢えて聞かない事とした。すると、

「ええー、聞かないんですかぁ。面白い話なのにぃ。残念だなぁ。これ、とっときの(はなし)なんですよ。聞いておかないと、損しますよ」

 尚も絡んでくる鬼村に、理沙は、

「鬼村さんは、わたしに話を聞かせたいんですか、聞かせたくないんですか。曰く付きかどうかは知りませんが、兎に角、わたしはその部屋とやらで眠らせてもらいます」

 と、鬼村をほとんど無視する形で、社務所の居間を占拠する事になったのだ。

「そうですかぁ。面白い話なのになぁ。……残念」

 テーブルの脇で胡座をかいていた鬼村は、細い目を八の字にしていた。本当に残念と思っているかどうかは、謎である。

「今日は散々な日だったんですよ。わたしは、もうお休みさせていただきます。鬼村さんには、ここで警備をお願いします。日本の国民を守るのも、警察官の努めなんでしょう」

 理沙は、そう言い放ってリュックを持って立ち上がった。舞い上がった空気に乗って、華やかな香りが周辺に漂った。

 神社の温泉の匂いか、はたまた髪を洗ったシャンプーの香りか。それとも、十代の少女の持つ若々しい雰囲気なのか。

 鬼村は、しばし、その残香に酔って畳に座していた。


<バタン>


 気が付くと障子を閉める音が響いた。

 後には、袖の無い背広を着た皇宮護衛官が、ポツンと残されていた。


「はぁ、残念。それじゃぁ、お言葉に甘えて自分はここで休ませてもらいましょう。おっとその前に……と。さてぇ、寝る前に一仕事でもするか……」

 鬼村は、ポツリとそんな事を呟くと、足を組み直して結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢を取った。そして、その極細の筆で描いたような両目を瞑る。

 精神の集中でもしているのだろうか? 数秒ほど経った時、<バシッ>という感覚が座敷の中心から弾けるように広がった。もしここに、少しでも霊感のある者が居たとしたら、透明な気の塊が、(やしろ)の敷地へと同心円状に広がっていくのが感じられただろう。


(ふむ。……ナルホドね。宮内庁側も、二派に別れているのかもね。帰ったら、副本部長に相談するか)


 『此泉坐天御魂神社このいずみにいますあめのみたまじんじゃ』は、宮内庁の直轄管轄地である。実際、強力な呪力結界のために、皇宮護衛官である筈の鬼村でさえ、入るのを拒まれたのだ。しかも、あの虫取り屋でさえ、入口を作るのに十数分を要している。尋常では無い何かを、この社は隠してるのであろう。

 鬼村は、事のついでに、その事を調べようとしたのだ。だが、対応は、念には念を入れて慎重に為すべきであろう。今は異常事態なのだ。鬼の大量出現を巡って、鬼部氏(もののべし)の一族も割れている。その上、宮内庁までとなると、任務は『単なる妖怪退治』では済まなくなる。事によると、警察庁、公安、……もしかすると皇宮警察本部にも、鬼の側に従う勢力があるかも知れない。


(一任するとは言われたものの、ちょっとしんどいかな? まぁ、『東条(とうじょう)理沙(りさ)』と『虫取り屋』という飛車角が手元にあるんだから、何とかするかぁ)


 鬼村は、心中でそんな事を思案すると、思考を閉ざした。心を無にし、深い瞑想状態に入る。

 神域に満ちる清浄な気が、丹田(たんでん)を通って体内を巡り、頭頂のチャクラからやんわりと抜ける。こうして鬼村は、昼間の戦闘で消耗した神氣を補い、邪鬼の(けがれ)を浄化していた。

 それは、普通の人間が眠りで脳神経をリフレッシュするのに似て、それを高度な霊的レベルで行う(ぎょう)であるとも言えた。



 一方の虫取り屋は、月明かりの下、神社の境内をゆっくりと巡っていた。

 時折、眠っているかの如き仕草をする事はあっても、基本的にこの男に眠りは不要であった。食事と同様に……。

 人間の真似事(・・・)をするのは、人中(ひとなか)に出る必要があるからだ。虫取り屋も、それくらいを気にするだけの思慮は持っている。毎度まいど記憶操作をするくらいなら、最初から普通に振る舞っていた方が低コストだからだ。



<ザッ>


 と、境内のとある一角で、虫取り屋は歩みを止めた。

 そこに在ったのは、巨岩を削って作られた碑であった。碑文は、この(やしろ)の祭神についてを語っているのか。はたまた、神社の起源を後世に残したものか……。

 作られてからこっち、一体どれ程の歳月を経て来たのか? 表面は風雨で摩耗し、刻まれた銘文はかすれ、かつて磨かれた筈の岩肌は苔生していた。

「…………」

 石碑に向けられた顔の中で、腐った魚のようなどんよりとした瞳は、何を読み取ったのであろうか。表情どころか、微動だにしない彼の様子からは、碑文にどんな意味を見出したのか──いや、それ以前に文字を読み取れたのかどうかさえも知ることは出来なかった。


「むっ」


 と、不意に彫像のような立ち姿が乱れた。声さえ漏らして……。

 明るかった月が雲に隠れ、山中の隠れ社に真の夜が訪れた。それが、虫取り屋の気に障ったのか? それとも、祀られた祭神が目を覚ましたのか? 風に舞うように黒のコートが翻ると、闇よりも尚暗い人影のようなモノが、微かな足音さえ立てずに、玉砂利の敷かれた境内を飛ぶように疾走していた。



「……あ」

 少し身震いすると、横になっていた理沙は、頭を障子の方へ向けた。

 雨戸の隙間から漏れていた月明かりは、もう見えない。眠りに落ちてから、それ程時間は経過してはいないようだったが、何故か理沙の意識は覚めて仕舞っていた。

「うーん……」

 彼女は、もう一度天井に顔を向けると、両の手足を思いっきり伸ばした。寝ぼけて霞がかかっていた頭が、少しだけすっきりする。

「あーあ。寝そびれちゃったな。今日は散々な日だったし……、ぐっすり眠って忘れたいんだけどな……っ痛」

 彼女が暗闇の中で瞼を開いてボヤいていた時、突然、頭痛が襲った。

「なっ、何これ。あ、頭……たい……」

 少女は布団の中で転げると、枕を顔で押さえつけた。


──原因不明の頭痛


 それと共に、鬼と戦う二人の屈強な戦士の姿が、ボンヤリと脳裏に浮かんだ。


「な……、何よ、……こ……れ」


──呼吸が出来ない、息が詰まる


 彼女の意志とは無関係に涙が溢れ、枕を濡らしていた。

「ぐっ……」

 理沙は、奥歯を噛み締めて、痛みと幻影に耐えていた。


 と、不意に痛みが薄れた。しかし、それは苦痛の終わりを意味するものでは無かった。


 忘れていた──いや、忘れさせられていた記憶が、蘇ってきたのだ。


──列車に乗り込んで来た地元の登山者達

──ミカンをくれたおばさん

──醜怪な邪鬼へと変貌する人々

──それを情け容赦無く肉塊と変えてゆく二人の男達

──汚怪な原形質にまみれた車内を破壊した衝撃波


 全ては、今日、理沙の目の前で起こった事だった。

 たとえ、敵対するモノが奇怪な鬼であったとしても、このような徹底的な破壊を、自分と同じように人間の姿をしたモノ(・・)が行えるのであろうか?


 出来る事なら、忘れたままでいたかった。こんな記憶は要らない。


 しかし、かつて見た情景は、理沙の脳裏にリアルに再現された。

「うっ……うわ。……ぐっ、ぷ。……は、吐きそ、う……」

 人智を超えたあまりの光景に、彼女は強烈な吐き気に襲われた。


(そうだ、思い出したわ。……列車の中。鬼達が襲って来て……。どうして、忘れていたんだろう)


 このあまりにも悲惨な光景で、彼女の精神は、一時、崩壊しかけたのだ。それで虫取り屋は、理沙を昏倒させ、記憶を封じておいたのだ。その筈だった。


──それが、蘇った


 自然に起こった現象ではない。封じたのは虫取り屋。では、思い出させたのは?


「う、……うぐっ」


 理沙は吐き気を堪えながら、布団から這い出た。寝間着の類は持っていなかったので、上下のインナーに丈の短いキャミだけの姿だったが、気にしている余裕は無い。片手で口元を押え、何とか障子のところまで這って行くと、(さん)に指をかける。力が入り過ぎて障子紙に穴が空いたが、躊躇している場合ではなかった。

 入る時は滑るように開いた障子なのに、今はそれがとても重い。


<ズッ>


 何とか障子戸に隙間を作ると、半裸の少女は狭い廊下に転がり出た。

 たったそれだけの事をしただけなのに、脂汗で肌が湿っている。肌に当たる廊下の冷たさが、心地よい。


(どこか……お手洗いとか……。これ以上、あの人達に迷惑は、かけられない……わ)


 理沙は、そのままくるりと仰向けになって、背中を廊下に預けた。少し呼吸が楽になったので、首を振って廊下の左右を確かめてみる。

 社務所(ここ)の様子はよく知らない。右か? 左か?

 どちらも三メートル先は暗闇で、その向こうに何があるのか全く分からない。


(どうしよう……)


 お手洗いを探すという目的が出来た事で、忌まわしい記憶が少し薄れる。完全に治まった訳ではないが、吐き気の胸苦しさは緩和された。

 理沙は、尚も口元を押えながらではあるが、なんとか片手を突いて上半身を起こした。何の気無しに、廊下の右手側に顔を向ける。匂いや空気の流れを感じたのでは無い。何らかの気配に感応した訳でも無い。

 しかし、理沙には分かった。それは、アカシアの端末(ターミナル)としての能力の一端ででもあったのだろうか? 彼女には、これから起こる事を、どうしてか知っているような気がした。


(誰か……いえ、何かが、来る)


 そんな予感に囚われて見つめたその先は、依然、深い闇であった。


──いや、何か居る


 何か──濃い闇よりもなお暗い──底知れぬ恐怖を抱かせるモノ──(モノ)が。


「あ、ああ……」


 今度こそ鬼の気配を感じて、少女はその場で固まって仕舞った。口元を塞いだ手は、握り拳になっている。


──どうやって、どうして、この呪力結界の中に入り込んだのだろう?


 しかし、今の理沙には、そんな事を考えている余裕は無かった。

「…………」

 悲鳴を上げたつもりだった。

 しかし、どんなに絞り出そうとしても、声を出す事は叶わなかった。

「…………」

 もう一度、叫んだ。叫ばずにはいられなかった。しかし、少女の声帯は、脳脊髄からの司令を受け付ける事は無かった。


<ズン>


 音にならない足音が、闇の奥から響いたように感じた。それは、物理空間を無視して、社務所全体に広がったように、理沙には感じられた。


──その時、結跏趺坐をとっていた鬼村の眼が、カッと見開かれた

──その時、境内を疾駆する虫取り屋が宙に舞った


<ズン>


 もう一度、足音が響いた時、スチールの雨戸とガラスのサッシが共に粉々に砕け散った。


「ヒィ……い、いやぁああぁぁぁぁぁあ」


 今度は出た、声が。

「スマン、遅くなった」

 か細く低い呟きのような声は、虫取り屋のモノだった。


 そして、彼女の背中側では、風が渦を巻いた。

「理沙ちゃん、大丈夫!」

 疾風と共に駆けつけたのは、皇宮護衛官──鬼村だ。


「あ、ああ……」

 理沙の危機に駆けつけたのは、やはりこの二人だった。


 清浄なはずの神域に出現した謎の『邪鬼』。対する理沙達の運命は……?




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