山越え(1)
「情報が欲しい」
理沙達に援助をする事に対して、鬼村が示したのが、この言葉だった。
先程、鬼達に襲われ、彼女達の乗っていた車両は切り離された。結局、理沙達は、この荒野の真中に取り残されて仕舞った。
虫取り屋と鬼村の活躍で、鬼は撃退したものの、理沙達は移動手段を失ってしまった。
ここで次の列車が通りかかるのを待つのも無理がある。彼女達が乗っていた二号車は、後続の列車の邪魔にならないように、鬼村が脱線させて燃やして仕舞った。そんな事故現場の側に居て、事情聴取をされない筈がない。
──面倒事は、これ以上ゴメンだ
これが、虫取り屋の判断である。
それに、理沙は列車内のあまりにも残酷な戦いぶりを目の当たりにして、心身を共に疲弊させていた。今は意識を奪って眠らせてあるが、取り敢えず、どこかで休息をとらせる必要があるだろう。
皇宮護衛官の鬼村なら、ツテを頼ってどこかに休める場所を知っているかも知れない。そんな淡い期待に対しての対価が、『情報』だった。鬼村の立場を以ってしても分からない事があるのだろうか……。
「何が知りたい」
理沙を抱いている虫取り屋は、今にも消え入りそうな声で、そう訊き返した。
「ふむん、そうですね。まずは、『理沙ちゃんが何者なのか?』を教えてもらえませんか」
鬼村は虫取り屋を真正面から見据えて、そう応えた。
それに対して、帽子の男はボォーっと突っ立ったまんま、暫しの間黙っていた。
その眼差しは腐った魚のようで、何かしらの思考を働かせているようには到底見えなかったが、鬼村は笑みを崩さず、根気よく答えを待っていた。だが、
「それは、大事な事なのか?」
ようやく返って来た答えが、コレである。
「当たり前でしょう。これから保護しようという女の子が、何処の誰で、どういう経緯で鬼なんかに追われているのか。それすら知らずに、どうやって援助しろと? 常識でしょう」
鬼村の声は優しく柔らかであったが、その内容は辛辣であった。
「知らんのか……」
対して、虫取り屋は、一言そう返しただけだった。
さすがにこれには、鬼村もムッと表情を曇らせた。
「知ってたら訊きませんよ」
彼は、肩から肌がむき出しになった両腕を胸前で組むと、憮然とした感じでそう言った。
「今朝、「地元の県警でオレ達の素性を聞いた」と言っていた筈だよな」
虫取り屋が、ボソリと呟くように応えた。腕に抱えた少女は、ピクリともしない。微かにその胸が上下しているので、息をしている事だけは分かる。
「アレを言葉通りに受け取ったんですか? どこまでも能天気ですね。こちらは、事情聴取の内容なんて、まるで信じちゃいません。我々は『本当の事』が知りたいのですよ」
鬼村は、飽く迄、理沙にこだわっていた。
「オマエさん、県警の巡査に聞いたんだろう。全部『本当の事』だよ。聞き込み内容とも、本庁のデータベースとも、矛盾は無かったろう」
しかし、虫取り屋は話をはぐらかせたいようだった。
「アカシック・レコードの内容を書き換えた後の事実なんて、辻褄合わせに過ぎないでしょう。我々は、『アナタが何故そうまでしなければならなかったか』、その理由を訊きたいんです」
この男は、虫取り屋の何たるかを知っている! このまま、白を切り通せるのだろうか。
「…………」
虫取り屋は何も応えなかった。だからだろうか、鬼村はとうとう核心に触れるような話をし始めた。
「昨日、皇宮警察本部の特A級のリーディング能力者達が、相次いで発狂したそうです」
静かに告げる背広の男の言葉に、虫取り屋の帽子がピクリと動いた。
「丁度、さっきの街で大爆発事故が発生した時間帯と、ほぼ重なります。『アカシック・レコードに大規模な改変が行われた』と云うのが、我々の出した結論です。そして、近年、まれに見るほどの多数の鬼の出現。この二つに彼女が関わっている──と云うよりも、鬼の襲撃から理沙ちゃんを護るために、アナタがアカシック・レコードの改変をしたのでしょう。うちの能力者達は、そのとばっちりを受けたんでしょうね。だが、どうしてアナタほどの人が、理沙ちゃんの護衛に付いているのかが分からない。アナタは、ここ半年、各地に出現する鬼を滅しては、その痕跡を抹消してきた」
彼は淡々と語ったが、その声には若干の怨嗟がこもっているように思えた。
「虫取り屋さん、アナタは鬼の存在を抹消しながら、理沙ちゃんを探していたフシが有る。アナタほどの能力者が、ここまでして護るどんな価値がその少女にあるのです」
鬼村の言葉を受けて、虫取り屋は、チラと腕に抱いている理沙を一瞥すると、視線を目の前の偉丈夫に移した。
「オレの足取りも、ヤツラの活動した痕跡も、残らず消しておいた筈だが……」
虫取り屋は、ボソリとそう呟いた。
「我々を見くびらないでもらいたい。鬼の存在も、アナタの存在も、千数百年以上も前から把握済みです。我々は、皇室の伝承と、その血統を守るために受継いできた優れたリーディング能力者達によって、この国に起こり得る危機を察知し、未然に防いで来たのです。そして、今世紀に入ってからは、それらの情報をスーパーコンピュータで解析することで、更に精度を上げる事に成功しました」
鬼村は毎度の如く饒舌だったが、今のそれは朝とは様子が違っていた。まるで、理沙と虫取り屋を責めているような口ぶりだった。
「そして先月末、恐るべき予測が弾き出されました。『近く、鬼達による大規模な破壊活動が起こる』と……」
鬼村は、そこで口を噤んだ。
「ふむ、成程な。で、それにも『嬢ちゃんが関わっている』、と」
虫取り屋の声は、か細く低かったが、鬼村の耳にははっきりと聞こえていた。冴えない帽子の男の言葉にもかかわらず、皇宮護衛官は小さく頷いていた。
「で、金子の爺さんは、どっちについたんだ?」
その虫取り屋の問に、鬼村は唇を噛み締めた。
金子とは、物部神社神主家の金子氏の事だろうか? だが、鬼村からの返答は無かった。そして、それが全てを物語っていた。
「そうか。鬼の末裔には厳しい選択だな。純血の鬼を支持する者と、皇室の下で護国鎮守を唱える者……。物部の民は、その二つに割れたということか……」
その言葉に反応したのだろうか。鬼村から目に見えない猛烈な疾風のようなものが、虫取り屋に吹き付けたような気がした。
「で、オマエさんは、それもこれも、嬢ちゃんが原因だと思ってる訳だな」
その言葉には、何の感情もこもっていなかったが、鬼村の表情を動かすのには充分だったろう。
「そうですよ。……その通りだ、虫取り屋さん。アナタとその娘さえ居なければ、一族が割れる事は無かったし、同僚が苦しむ事も無かった筈だ。その娘は一体何者なんだ。どうして今更、同じ鬼部の民同士で殺し合いをしなくてはならない。力づくでも応えてもらうぞ」
四角い顔に極細の筆で描かれたような鬼村の目が、僅かに開いたように見えた。そして、その奥の瞳は、妖しい朱に光っているように思えた。
「力づくか……。それは堪らんな」
虫取り屋の口調は淡々としていたが、どこか疲れたような雰囲気があった。
「仕方ないかぁ。……この嬢ちゃんはな、端末なんだ」
少女を抱いた帽子の男の言葉は、短い独り言のようだった。
「……え?」
鬼村は、その答えを聞いて複雑な顔をしていた。
「解説が必要か?」
そう言った虫取り屋の腕の中で、理沙が微かな呻き声を上げた。
「端末……。まさか、アカシアの端末の事ですか!」
今度こそ、皇宮護衛官は驚愕した。
「まさか、……そんな。松戸アカシア以外にも、端末の能力を持つ者が居たとは。でも、何故、理沙ちゃんが……」
鬼村は、虫取り屋の事を知っていた。当然、彼がアカシアのデバッグプログラムである事も承知している。理沙については、鬼を引きつける何らかの能力者の一種というくらいの想像はしていた。だが、彼女がアカシアの端末であるとは……。
「嬢ちゃんが、アカシアの人型端末である事は本当の事だ。だが、どんな経緯でそんな能力者になって仕舞ったかまでは、オレにも分からん。だが、鬼どもは、どうしてか嬢ちゃんの事を知って、この能力を狙っているらしい」
虫取り屋の言葉は、まるで独り言のようだったが、鬼村はその言葉の持つ意味の重大さに驚愕して、言葉が出なかった。
「どうした? 意外だったか。まぁ、本当のところ、オレも驚いてるさ。こんな無茶苦茶な力を、嬢ちゃんみたいな小さな女の子に突っ込んだまま、野放しには出来ないからな」
端末とリーディング能力者との違いは、後者がアカシック・レコードにアクセスしてその内容を読み取る事で、リモートビューイングや予知に似た能力を発揮するのに対して、端末は読み取りのみならず書き込み──アカシック・レコードの改変やそれ以上のことをも可能にする事だ。この世界をどうにでも出来る、神の如き能力だ。
「しかも厄介な事に、この嬢ちゃん、どうもオレよりも上位の能力者らしい」
珍しく虫取り屋が感情のこもった声を発した。それは、『少々面倒な事になった』くらいの心情の現れだったが、内容は天地がひっくり返るようなモノだった。
「え……、まさか、そんな……」
彼の言葉を聞いた鬼村は、今度こそ驚愕の表情を見せた。それこそ、四角い顔の細い目が大きく見開かれる程の。
「本当……ですか」
あまりの事に、鬼村の声は上ずっていた。
「本当、なんですね」
尚も確認を求めるような鬼村の言葉に、虫取り屋の帽子が僅かに上下した。
「なんてこった。一族どころか、この国──いや、世界そのものの問題だ……。どうする」
再び目を細くした男は、巨匠の『考える人』の上半身のようになった。
「何だ、オマエさんには手に余るか。だが、お偉いさんに報告しても、事態は変わらんぞ。それとも、陛下の御聖断を仰ぐか?」
黒いコートの高く立てた襟の向こうから、呟くような声が聞こえた。そして、その内容は、皇宮護衛官の逆鱗に触れた。
「そんな事を軽々しく口にしないでもらいたい。たとえ虫取り屋さんでも、許しませんよ」
その言葉を放った男の両拳は、強く握り締められていた。まるで大地をも砕かんと云うばかりの神氣を込めて。
「アナタ方の処置は、自分に一任されています。場合によっては、二人共居なかった事にしてしまう事も含めてです」
まるで虫取り屋がいつも口にするような台詞だったが、そこには有無を言わせぬ鬼神の言霊が宿っていた。
「ほう、それは物騒だな……」
対する虫取り屋は、相変わらず冴えない浮浪者のようだったが、彼こそは、人を、神をも超越した、神工知能アカシアのデバッガである。その腕には、更に上位の理沙を抱いている。
「で、正直な話、オレ達を助けてくれるのかい。それとも、この場で抹殺するつもりかい」
抑揚のない、機械人形が喋ったような言葉だった。第三者が居たら、とても助けを乞うているようには聞こえないだろう。
「……ふぅ」
とうとう観念したのか、鬼村は大きな溜息を吐いた。隆々とした筋肉で覆われた腕を上げると、ガリガリと髪の毛を掻きむしる。
「自分も、運が無いですねぇ。仕方無いです。取り敢えず、どこか休める処に移動しましょう」
皇宮護衛官の声には、さっきまでのような張り詰めた鬼氣は含まれていなかった。
彼は、背広の内ポケットからスマートフォンを取り出すと、神妙な顔をして画面に指を走らせていた。
「オマエさん、良いモノ持ってるな」
珍しく虫取り屋が、他人の持ち物に興味を示した。
「アナタには、こんなオモチャは要らないでしょう。……これは国からの貸与品ですから。あげませんからね」
声をかけられた方は、くるりとそっぽを向くと、何かの検索を続けているようだった。
「…………」
そんな鬼村を、虫取り屋は無表情に見つめていた。いや、その腐った魚のような死んだ目は、ただ前を向いていただけなのかも知れない。
そんな中、しばらくスマホを操作していた鬼村は、何かを見つけたようだった。再び虫取り屋の方へ向き直ると、こう告げた。
「ありましたよ。この近くに、温泉が在ります。管轄は宮内庁で、禁足地となっていますが。もうこの際です、内緒で入っちゃいましょう」
そう言う皇宮護衛官の顔は、イタズラ好きの子供のようであった。
「ほう……。この世には、オレにも知られていない名湯が、未だ在るもんなんだな」
その様子を見ながら、帽子の男は大した感銘を受けた様子もなく、そう返事をした。
「本当は神社なんですよ。温泉は、その付属施設です」
スマホで詳しい情報を探りながら、鬼村はそう応えた。
「なら、開けた土地なんだな。オレ達なんかが押しかけて、大丈夫なのか?」
虫取り屋はそう言ったが、その口調には全く抑揚がなく、心配事など一つも無いような素振りだった。
「大丈夫ですよ。二〜三年に一回、ひっそりと神事を行うくらいで、建っている場所も人里離れた辺鄙なところです。温泉は、その時に身を清めるために使うらしいですね。理沙ちゃんにも、ひとっ風呂浴びさせてあげなくちゃ、ですから」
彼はそう言うと、貧相な腕に抱かれた少女に目をやった。
自らの吐瀉物で汚れていた筈の洋服は、いつの間にか、洗いたてのように綺麗になっていた。
彼女の出で立ちの変化に気付いた鬼村は、少しばかり眉をひそめたが、続きを話し始めた。
「二ヶ月毎に管理人が手入れをしに来るぐらいで、普段は無人ですね。えっと……、設備の方は、と……。食料以外は整っているようですね。貯水タンク、太陽光発電パネルと蓄電池、暖房器具と燃料、宿泊施設。……ふむ、災害時用の非常食くらいは有るみたいですね」
小さな液晶画面に表示されている内容を告げる鬼村を、虫取り屋は無表情に見ているだけだった。
その無反応さにもめげず、鬼村は続けた。
「お風呂どころかシャワーも何も無いような山小屋よりも、よっぽどましでしょう。まぁ、当然ですが、鍵がかかっているし、監視カメラとかもありますが。まぁ、その辺は自分が何とかします。さすがに監視衛星までは手に負えませんので、虫取り屋さん、お願いしますね」
スマホから目を上げた彼は、そう言ってニッコリと笑みを浮かべた。
「ふむ、よかろう。この際、贅沢は言ってられんからな。で、その神社、何と言う?」
取引成立という事であろうか。虫取り屋は承諾すると、目的地について尋ねた。
「ああ、社名ですね。『此泉坐天御魂神社』ですね。祭神は、建速須佐之男命、高御産巣日神。それから、宇摩志麻遅命の三柱です」
最後の神名を言って、鬼村は、その細い目を曲げてニヤリとしていた。
宇摩志麻遅とは、物部氏の始祖である。石見国一宮である物部神社の主祭神で、鶴に乗って降臨し、その地で没したと云う。鬼村の出身地である鬼村は、その近くにある。
「物部系の神社か。厄介な事にならないと良いがな。で、近くと言ったな。どのくらい離れている?」
度重なる因縁に何を感じたのか。虫取り屋は、最後に目指す神社=温泉までの距離を訊いた。
「すぐそこです。だいたい、三十キロくらい」
「なるほど。すぐ近くだな」
この男達にとって、それだけの距離も『すぐ近く』なのか。新たな道行きは、まず三十キロメートルを歩く事から始まった。




