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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
30/50

鬼怪列車(2)

 地方のローカル線を走る列車の中は、閑散としていた。駅で乗り込んだ時、この車両には理沙(りさ)達三人の他には乗客は居なかった。


 それが、とある駅で停車した時、数人の男女が乗り込んで来て、急に人口密度が上がった。

 登山にでも行くのだろうか。彼等は明るい色の分厚いジャケットにニットの帽子を被り、ゴツイ登山靴を履いていた。背中には大きいリュックを背負っている。年齢構成で見ると、三十〜四十代くらいの集まりのようだが、中に二人ほどお年を召した方も混じっていた。

 列車の乗降口から車内に入る時、彼等は年配者を気遣うように手を貸していた。


──どこにでもある町や村の登山の愛好者達


 理沙にはそのように見えた。


 列車は二両編成。理沙達は後方の車両に乗り込んでいた。座っている位置はほぼ中央部。二つある乗降口の両方から彼等は乗り込んで来た。それで、出口は塞がれている格好にある。

 空席だらけだった列車の座席は、乗り込んで来た者達でいっぱいになるだろう。互いに助け合いながら重そうな荷物を下ろして、彼等はめいめいに別れて座席を埋めていった。中には、その重武装を再構築するのを嫌ってか、乗車した時そのままの姿で立っている者も居た。


(ふぅん。どこの山に登るのかしら)


 彼等の姿を見た理沙は、服装や荷物を見て、そう思った。

 目的地を制覇するのが楽しみなのだろう、彼等はにこやかな笑顔で談笑していた。


(これだけ大勢の一般人(・・・)が居るなら、鬼達も迂闊には襲っては来られないわね。それに、わたし達だけってのも何だか寂しかったから、良かったわ)


 窓側の座席から、身体を捻って新たな乗客を眺めた理沙は、そう思った。

 だから、彼女は気が付かなかった。


──虫取り屋の帽子がピクリと動き、その腐った魚のような瞳が、列車内の映像を捉えたことを

──人の良さそうな鬼村(きむら)の細い眼が若干開き、奥に覗いた黒瞳が鋭い光を放ったことを


 彼等には解ったのだ。


──アイツラカラハ、オレタチトオナジ “ニオイ” ガスル


 三分も無い停車時間が過ぎると、再びプシューと云う圧搾空気の音がして、自動ドアがスライドして閉まった。列車内が外部空間から隔離される。

 スライドドアが閉まってから程なくして、列車が動き出した。理沙は、座席に座り直すと、隣に座っている虫取り屋の方へ首を捻った。

「賑やかになりましたね。登山にでも行くのでしょうかね」

 彼女は乗客達の事を虫取り屋に話した。

「そうだな」

 珍しく、帽子の男が返事をした。

「へっ? ああ、ですよねー」

 無反応を予想していた彼女は、逆に驚いて仕舞った。特に意味の無い言葉を発してしまう。

「ねぇ、理沙ちゃん」

 そんな時、正面の鬼村が急に理沙に話しかけてきた。

「え? へっ。な、何でしょう」

 こちらの声も、予想外だった。慌てて前を向くと、座席に浅く腰掛けた鬼村が居た。


 ついさっきまで、数人前の弁当を掻き込んでいたのに、今はきれいに片付けられている。傍らの空席には、白いポリエチレンのレジ袋が、お腹を膨らませていた。袋の口は固く結ばれてある。

「ねぇ、理沙ちゃん。何か暑くない? 窓、開けてもいいかな」

 彼はそう言いながら、左手で首元にあるネクタイの結び目をいじっていた。

「え? 窓……、開けるんですか? 冷たい空気が入ってきちゃいますよ」

 鬼村の提案を奇妙と感じて、理沙は異を唱えた。足元を流れる暖気でさえ、寒さを紛らわすのには頼りないのに、窓を開けたりしたら(こご)えてしまう。

「そっかぁ。何かね、お弁当を食べたら、胃の中が熱くなってきてね。自分、汗っかきなんですよ」

 そう言いながらも、彼は左手をネクタイから外すと、手を広げて顔を仰いでいた。

「何だか空気も悪いような気がするし。窓、開けちゃいましょうよ」

 四角い顔に細い眼のゴツイ男は、屈託のない笑顔でそう言っていた。

「さっき停まって、扉が開いたじゃないですか。わたしは、()です」

 この男の言葉を聞くと、どうしてか、つい喧嘩腰になってしまう。理沙は、強い態度で、再び否の意思を示した。

「そっかぁ。……開けといた方が良いと思うんだけどなぁ、自分」

 鬼村は、少し困ったようにそう言ったが、理沙が態度を改めないので、それ以上は主張しなかった。


 季節の所為で植物が麦藁色をしている平野を、列車はガタゴトと走っていた。車内には、これまでと違って、あちこちで会話が弾んでいる。自分達三人しか乗っていなくて<シン>と静かだったので、人の声があるのは、理沙には心地良かった。

「虫取り屋さん、お茶、どうですか? 少し冷めましたが、未だ温かいですよ。それとも、冷えていた方がいいですか?」

 少し心が暖かくなった理沙は、虫取り屋に飲み物を勧めた。

「ん? 何だ?」

 短いが、虫取り屋から返事が返ってきた。理沙の顔が、パァっと明るくなる。

「えっとぉ、……お茶ですよ、お茶。最近は、PETボトルのお茶も、美味しいんですよぉ」

 彼女は、足元のレジ袋を持ち上げて膝の上に乗せると、中身を弄り始めた。

「ふむ。PETか。ポリエチレンテレフタレート樹脂製のボトルだな。ブロー成形か」

 虫取り屋は、中身よりもボトルの方に興味を示した。

「へ? ぽ、ポリエチレレレ……。何ですか?」

 普通に暮らしていれば、合成樹脂製品の正式な化合物名なんて細かい事を知っている必要はない。マックスウェルの電磁気学方程式を知らなくても、電波は届いてスマホや携帯で通話出来るものだ。

 降って湧いたように突然出てきた専門用語に、理沙は面食らった。

「ポリエチレンテレフタレート。ポリエステルの一種で、テレフタル酸とエチレングリコールを重縮合させた高分子化合物だよ。ええーっと。これは、高校の授業で教えてたっけ?」

 さすがは皇宮護衛官(こうぐうごえいかん)である。鬼村は人の良い笑みを崩さずに、理沙に説明した。

「え? そ、そうなんですか」

 理沙は、「ドキッ」とした。


 鬼に追われる生活の為に、彼女は高校に通った事が無かった。中学も中途である。理沙の知識レベルは、中学二年くらいで止まっていたのだ。

 逃亡生活の中、兄や父が健在だった頃は、隙間時間を使って実用的な事を教わりはした。しかし、教科書があるでもなく、ちゃんとした授業を受けられる筈もなく、彼女が覚えられたのは平易な科学知識と社会常識一般程度だった。後は、片言の英会話とサバイバル技術くらいか……。

 歴史や文学、地理など、テレビのバラエティー番組で出題される程度の雑学問題ですら、理沙には難問であったのだ。同い年の少年少女達と比較して、自分が何も知らない事が、理沙にはコンプレックスになっていた。


 それで、鬼村の言葉を受けて彼女は口籠ると、赤くなって俯いて仕舞った。

「えっ。あーと……、ごめん、理沙ちゃん。困らせるつもりは無かったんだけどなぁ」

 彼女には見えなかったが、鬼村は心底困った顔をしていた。知識をひけらかして、無知な少女をバカにしたかった訳では無かったのだ。

「ごめんね、理沙ちゃん。……えーっと、だいじょぶ。こんな事、別に知らなくっても、全然困らないから。ウルトラスーパークイズ大会くらいでしか使えない無駄知識だよね。ええっと……、そう、構造力学なんて知らなくてもビルはちゃんと建っていて、どこを爆破すれば簡単に破壊できるか? なんてのを知らなくても、マンションで暮らしていくのには、何の支障も無いんだよ」

 理沙の態度に慌てた鬼村は、何だかよく分からない事を口走っていた。

「ビルの破壊の方法か……。職務上、オマエはそれを知っていないとマズイんじゃないか」

 何とか理沙の気持ちを引き上げようと思っていた鬼村を、虫取り屋が混ぜっ返した。

「む、虫取り屋さぁん。折角、自分が場の空気を盛り上げようとしていたのに。もっと空気読んで下さいよ。デリカシーが無いなぁ」

 さすがの鬼村も、ムッとして虫取り屋に文句を言った。

「デリカシー? それは……、美味いのか?」

 虫取り屋は、鬼村の方を見向きもせずに、そんなトンチンカンな言葉を発した。

「あ、あのねぇ……」

 これには鬼村も困ったようだ。細い眼が八の字を作って途方に暮れている。

「プッ……」

 そんなやり取りの中で、俯いたままの少女が肩を振るわせていた。

「へ? あ、あれ。……理沙、ちゃん?」

 鬼村にかけられた声に反応したのか、彼女からは「プククク」と云う、噛み殺した笑い声が聞こえてきた。

「プッククッ……、ク……クスクス。……もう、二人共、何やってんですか。……へ、変なのぉ」

 今度こそ上半身を起こした理沙は、両手で口元を押さえていた。しかし、漏れ出る笑い声を止める事までは出来なかった。

「ほ、ホント、おかひぃ。……おかしいですよ、虫取り屋さんも鬼村さんも。それじゃ、怪しい変な人達じゃないですか。……もうっ、何やってんですかぁ」

 彼等を見て笑いを堪え切れない理沙の眼からは、涙がこぼれていた。

「もう、理沙ちゃん。ヒドイなぁ。泣くほど笑うところですか。てか、自分は変じゃ無い(・・・・・)ですよ」

 虫取り屋と一緒にされたのが、鬼村には心外だったようで、『変じゃ無い』と云うところを特に強調していた。

「鬼村さんも充分変ですよ。普通の人がビルの破壊方法とか……、あー、おかしい」

 そうは言われたものの、理沙が元気になったのを見て安心したのか、鬼村もいつもの『良い人』の顔に戻っていた。


 彼女も、いつもの理沙に戻った。


 そんな時、理沙の頭の上からかん高い声が降って来た。

「おやおや、嬢ちゃん達。賑やかだねぇ。三人そろって旅行かい?」

 理沙が首を捻って上を向くと、座席の背もたれの向こうから壮年の女性が顔を覗かせていた。

「あ、似たようなもんです」

 女性の穏やかな顔を見て、彼女は笑顔でそう応えた。

「いいねぇ。あっ、そうだ。嬢ちゃん、ミカン食べるかい。ほら」

 女性はそう言うと、両手で黄色くて丸い果物を差し出していた。

「あ、いいんですか」

 理沙はそれを見て、そう返事をした。

「良いさぁ。おばちゃん()の裏の山で採れたんだよ。おーいしいよぉ」

 そう言って、女性がにこやかにミカンを差し出すので、

「ありがとうございます。いただきます」

 と理沙は言って、三個のミカンを受け取った。皮を剥く前から、柑橘類の独特な香りが漂ってくる。

「わぁ、美味しそうですね」

 理沙は、膝の上のレジ袋を足元に下ろすと、スカートの上にミカンを置いた。彼女は、その内の一つを取り上げて、皮を剥こうとして実を裏返すと、腹の真ん中に親指を差し込んだ。

 さっきよりも強い香りが立ち昇ってくる。

 理沙が次の動作を行おうとした正にその時、彼女の頭上から例えようの無い強い邪気が降り注いだ。理沙は、頭頂に今までに無い怖気(おぞけ)を感じて、瞬間的に身体を硬直させてしまった。


(え? なに? なに、この嫌な感じ。……もしかして、わたし、襲われてる?)


 一秒の百分の一よりもなお短いその瞬間に浮かんだのは、そんな思考だった。

 だが、それも一瞬の事。彼女が眼を見張ると、そこには背広とシャツに包まれた逞しい肉体が視界を塞いでいた。

 理沙の頭の上からは、ギギギィ、と云うこの世の物とは思えない気味の悪い苦鳴が聞こえたが、彼女はその(ぬし)を見る事は出来なかった。

 何故なら、彼女の目の前で立ち上がった鬼村の頭に向かって、座席の向こうから金属製の杖が振り下ろされるところだったからだ。理沙の眼は、杖に釘付けになっていたのだ。


(あ、危ない!)


 理沙の思考は鬼村の危機を知らせていたが、いかんせん、彼女の身体は、気持ちとは裏腹に、全く動けなかった。それこそ、一ミリ秒よりも短い時間の単位で、事象が進んでいたからだ。

 少女の目の前で、鬼村の四角い頭が潰されると思った時、L字状に見える何か(・・)が杖を受け止めていた。

 <キン>と云う涼やかな金属音が理沙の耳を通って脳内で認識された時、時間的に引き伸ばされた彼女の思考は、やっと元に戻る事が出来た。


──一秒にも満たない僅かな瞬間に、何が起きたのだろう……


 理沙は自分の感覚を再確認するように、眼前の鬼村を見た。


 彼の頭上には、白い登山用の杖を受け止める草刈り鎌があった。その柄を握っているのは、いつの間にか立ち上がっていた虫取り屋の手だった。

 彼女が恐る恐る上を向くと、そこには大きくて頑丈な手の平で顔面を握られているおばちゃんだったモノの顔があった。一体どれ程の握力が加わっているのだろうか。頭蓋骨の発するミシミシと云う軋み音が、理沙にも聞こえる。握られた頭の両側には、湾曲した角が突き出していた。

「お、鬼!」

 思わず理沙が声にした時、鬼村の背後から彼を襲おうとした影があった。額に真っ直ぐな一本角を生やした鬼面(きめん)は、鋭い牙の並んだ口を大きく開き、背広の襟元に噛み付かんとしていた。

 あわや皇宮護衛官の生命が絶たれようとしたその時、もう一振りの鎌の刃が一角鬼の頬を貫き、縫い止めていた。

「……いつから気がついていた」

 まるで独り言でも呟いているような、虫取り屋のか細く低い声が聞こえた。

「初めからですよ」

 応える声は、既に一般人のそれ(・・・・・・)では無かった。

「さすがは皇宮護衛官だな」

「虫取り屋さんだって。猫かぶっていても、誤魔化し切れてませんでしたよ」

 自信に満ちた二人の男達が言葉を交わした一瞬の後、


──一角鬼の顔の上半分が、赤錆た鎌に切り飛ばされていた

──二本鬼の頭は、剛力を誇る手指に握り潰されていた


 頭上で繰り広げられた血生臭い惨劇の余波が理沙に降り注いだ時、両雄は互いに背中を預けて座席の間に悠然と立っていた。


「い、いやぁぁぁぁぁぁ」


 やっと事態を飲み込んだ理沙の悲鳴が、薄っぺらい金属板で形成された(いびつ)な直方体の中に響き渡る。

 それに呼応するように、車内の前後からザワザワとした、異様な邪気が漂ってきた。


 もはや、登山者の顔は人間のモノでは無かった。

 耳まで裂けた口からは、鋭く尖った牙が覗いている。

 人肌を思わせていた血色の良い顔は、独特の吐気を催すような異様な肌の色をしていた。

 そして、その頭には、あるモノは一本の、またあるモノは二本の、更にはそれ以上の醜悪な角を生やしていた。

 だが、お伽草子に描かれたような異界の怪物然としたその風貌以上に恐ろしかったのは、強烈な憤怒の表情であった。


──何に対して怒っているのか? 何を思って憎しみを露わにしているのか?


 鬼を鬼たらしめている、『怒り』と『憎しみ』の感情は、初めて見たその時からずっと理沙を追い詰めていたモノだった。


 両の拳を握って口元を押さえる理沙は、新たに襲ってきた脅威に、ただ振るえて座っている事しか出来なかった。




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