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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
29/50

鬼怪列車(1)

「田舎の列車は、景色が良いですねぇ」


 鬼村(きむら)は、車窓の外を流れる風景を見て、子供のようにはしゃいでいた。

「いいおっさんが、何をはしゃいでいるんですか。他のお客さんに迷惑ですよ」

 理沙(りさ)は、そんな鬼村を蔑むように言った。


 今、理沙達は、ローカル線に乗って、JR線への乗換駅へ向かおうとしていた。

 取り敢えずは、JR東海道本線まで辿り着ければ、岡山経由で瀬戸大橋線で高松まで行ける。もしくは、明石海峡大橋から淡路島を縦断して、徳島経由で香川県に入る事も可能なのだ。


 彼女達は、少し黒ずんだシートの向かい合わせの四人掛けの席に、陣取っていた。

 理沙と鬼村は、向かい合って窓際の席。理沙の横の廊下側の席に、虫取り屋が座っていた。ある程度暖房が効いているというのに、ジャケットの上に古びた黒いコートを羽織ったままである。彼は、両手をコートのポケットに突っ込んだまま、椅子に深く腰掛けていた。鍔広の帽子を深く被っているので、その表情は分からない。ガタゴトと列車が激しく揺れるにもかかわらず、座った時の姿勢から微動だにしていないので、傍目には眠っているようにも見えた。


「理沙ちゃん、ほらほら、カラスだよ、カラス。いっぱい居るねぇ」

 山と田圃(たんぼ)と畑だけの景色がそんなに珍しいのか、鬼村は相変わらず外の景色に見入っていた。

「そーですか。カラスですか。そんなの、カラスの勝手でしょう」

 鬼村の事が鬱陶しい理沙は、ずっと昔にテレビか何かで聞いたような事を言っていた。

「お、うまいね、理沙ちゃん」

 無視すればいいのに、理沙は、鬼村が何か喋る度に、その言葉にイライラしていた。

「理沙ちゃんも景色見ようよ。面白いよ、ほら」

 そんな事を言われても、理沙は外の景色を眺める気にはならなかった。

「ふぅー……」

 彼女は、如何にも嫌そうに溜息を吐くと、傍らの虫取り屋を見上げた。


──止まっている、時が凍ったように……


 しかし、理沙には、彼が急ピッチで何かの仕事(ジョブ)をしているような気がした。

 データ処理? 列車の振動に対しても身体が微動だに動かないのは、脳神経系に制御を集中しているためだろうか?


──神工知能アカシアのデバッグシステム


 彼女には、この虫取り屋という男がどういう存在なのかを分かったつもりでいたが、それも表面的なものだけだったのかも知れない。

 そもそも虫取り屋にとって外面(そとづら)など、テンプレートを交換すればいくらでも変更可能なスマートフォンの待受画面のようなモノなのかも知れない。もっと人間的な容貌を選ぶ事も出来た筈だろうに、敢えてこのようなくたびれた格好(テンプレート)を纏っているのは、虫取り屋が人間と関わるのを嫌がっているからかも知れない。


 対して鬼村は、百九十センチはありそうな大柄な身体に、キッチリとした背広を着込んで、カッチリとネクタイを締めている。一見すると体育会系のサラリーマンであるが、彼は皇宮護衛官(こうぐうごえいかん)──皇居と皇室の警護をするのが本来の仕事だという。それが、休暇を取っているとはいえ、こんな辺鄙な片田舎で油を売っているなんてどういう事だろう。今も、「鴨が川で泳いでいますよ」と、細い糸目を更に細くして外の景色に夢中になっていた。


──皇宮警察、()の字を冠する名前、……皇室、大和朝廷(やまとちょうてい)物部氏(もののべし)


 彼もまた異形の世界の住人なのでは? と考えた事もあったが、これまでの言動から察するに、ただの『子供っぽい変なオジさん』として、理沙の中では定着していた。


(はぁ。いつまで着いて来る気なのかしら。鬼の襲撃の巻き添えにならない内に、さっさとどっかに行って仕舞ったらいいのに)


 理沙は、強引に同行してきた鬼村に嫌気が差して、そう考えた。


(えっ? 鬼? わたし、鬼が襲ってくるなんて事、すっかり忘れていたわ。どうして『鬼の襲撃』の事を忘れていたんだろう。……どうして)


 虫取り屋に出逢ってから三日目。たったそれだけの間に、何度となく鬼に襲われた。

 自分と一緒に居れば、たとえ警察学校で厳しい訓練を受けた鬼村と言えど、ひとたまりもないだろう。虫取り屋と違って、彼は『普通の人間』なのだから。


──もう無関係の人を巻き込みたくない


 それが理沙の行動理念であった筈だ。だからこそ、彼女は意識して他人と関わらないようにしてきた。だが、鬼村については、その事をすっかり忘れていたのである。彼が、あまりにも執拗に理沙達に絡んできたからかも知れない。

 昨日までの理沙なら、彼が鬼の犠牲にならないように、無理をしてでも遠ざけただろう。


 それが、いつの間にかパーティーを組んだ冒険者達のようになっている。


 理沙は、これが何か大事な事を覆い隠しているようで、急に怖気(おぞけ)を感じた。血の気が引いてゆき、腕に鳥肌が立つ感覚……。


──もし、この車内で鬼が襲ってきたら!


 不意にそんなイメージが理沙の脳裏に浮かんだ。彼女は、慌てて立ち上がると、車内を見渡した。


(他に誰も乗っていないわ)


 車内に他の人影は見られなかった。

 大手鉄道会社から中古で払い下げられ、更に改造されて小さく切り詰められた金属の箱は、時にガタガタと揺れ、レールの湾曲部に差し掛かればミシミシと軋み音を発している。そこも、外界から切り取られた日常の一コマであった。


「……ねぇね、理沙ちゃん」

「え?」

 鬼村に声をかけられて、理沙は現実を取り戻した。

「もう、理沙ちゃん。何をぼおっとしてるんだい。さっきから話しかけているのに」

 ゴツイ身体(ボディー)の上に乗った四角い顔が、理沙の目の前にあった。

「な、な、何ですかっ、いきなり。近い。顔、近いです」

 彼女は驚いて、身体を座席に押し付けた。

「うー。だって、いくら呼んでも、返事してくれないんだもの」

 顔に描かれた細い眉毛と糸のような目が、揃って八の字を作っていた。

「な、何のご用です? 景色を楽しんでいたんじゃないんですか」

 今まで考えていた事を誤魔化すように、理沙は反論した。

「うーん。何かお腹空きません? お弁当、食べましょうよ」

 きっと、車窓から外を眺めるのにも飽きたのだろう。今度は、食事をしようと言う。

「んもぅ。今何時だと思ってるんですか」

 理沙は鬼村の発言に呆れると、そう言い返した。

「でも、ほら……」

 しかし、鬼村は左手を理沙の方に差し出すと、手首を捻った。そこには、銀色のフレームにはめ込まれた文字盤があった。長針は真下を指している。短針はと云うと、

「え。もう、十一時半ですか。いつの間に……」

 理沙は、鬼村の腕時計から時刻を読み取った。

「壊れてません? この時計」

 理沙は、尚も疑念を持っていた。

「ええ、ヒドイなぁ。これ、高かったんですよ。太陽電池と電波受信機を内蔵。電池交換いらず。時刻合わせも全自動のスグレモノですよ。ぴったり、しっかり、合ってます。その上、耐圧・防水も完璧。壊れるはずもありません」

 鬼村は、これでもかと言うように、自分の腕時計の優秀さを主張した。

「そうですか。立派なお時計ですね」

 彼女は、自分の意見を否定されて、少しムッとしていた。

「でしょ。だから、お弁当。お昼にしましょうよ」

 そんな理沙の態度にもめげず、鬼村はランチタイムを提案し続けていた。

「もう、駄々っ子ですか、鬼村さんは。……仕方ありませんね。お弁当、食べましょう」

 もうすぐお昼というのなら、しようがない。

 理沙は、足元の白いレジ袋から、ペットボトルのお茶を取り出した。

「やった、お昼だ。お弁当、お弁当」

 理沙の許可を得て、鬼村は嬉しそうに袋の中から駅前のコンビニで買った弁当を取り出し始めた。

「あれ、理沙ちゃん、お弁当は? お腹空いてないの?」

 彼女が緑色のペットボトルのキャップを捻るのを見て、鬼村がそう言った。

「喉が乾いたんです。お昼まで、まだちょっと時間がありますから」

 そう言って、理沙はボトルに口を付けた。苦いが少し甘みのある爽やかな液体が、口内に広がる。

「ふぅ」

 彼女は、お茶を飲んで一服すると、隣の虫取り屋に話し掛けた。

「虫取り屋さん、お腹空きましたか? お弁当、食べます?」

 理沙は普通に話したつもりだった。しかし、返ってきたのは、ただの一言だけだった。

「いらん」

 予想通りに期待はずれの返事だった。

「お茶だけでも、どうですか?」

 もう一度、彼女は虫取り屋に訊いてみた。

「いらん」

 他に語彙を持っていないのか、同じ単語が繰り返された。

「そうですか……。お腹が空いた時には、教えて下さいね。虫取り屋さんの分のお弁当も有りますから」

 理沙は、少しがっかりはしたが、これが虫取り屋なのだ。旅行の車中で、皆でお弁当を食べる。たったそれだけのささやかな楽しみも、彼にとっては何の意味も持たないのだろう。

「ようし、わたしも、お弁当にしようっと」

 理沙は、もう一口、お茶を喉に流し込むと、袋からコンビニ弁当と割り箸を取り出した。

 片田舎の寂れた駅には、その土地名物の駅弁などは売っていなかったのである。

「理沙ちゃん、そのお弁当、美味しそうだね。おかずの交換こする?」

 不意に正面の鬼村が、そう訊いた。

 彼は、透明なポリ容器に入った『唐揚げ弁当』を広げていた。箸の先には、褐色に色付いた鶏の唐揚げが摘ままれている。

「結構です」

 当然ながら、理沙はにべもなく断った。

「もう、理沙ちゃんったら、ツンデレ。唐揚げ、美味しいよ」

 ややぬるくなったとはいえ、一度、電子レンジで温めてもらった弁当からは、食欲をそそる芳ばしい匂いが立ち上っていた。

「ウスターソースもいいけれど、自分はレモン汁派なんですよ。これがまた、美味い」

 そう言う鬼村の弁当には、残念ながらレモン汁は付属していなかった。その点を指摘して、ツッコミを入れる事も出来たが、敢えて彼女は無視することにした。

「うー」

 無反応な理沙の前で行き場を失った唐揚げは、しぶしぶ四角い顔に刻まれた大きな口の中に消えた。

「レモン汁が無くても美味い」

 咀嚼音が聞こえてきそうなほど豪快に噛み砕かれ、鶏肉は唾液と一緒に彼の喉の奥へと流れ込んだ。残った油っこい口内は、続いて投入された烏龍茶で洗われ、これも鬼村の胃へと送り込まれる。

 呆れるほど幸せそうに弁当を頬張る鬼村を見て、「この一割でもいいから虫取り屋も食欲を見せたらいいのに」、と理沙は思った。

 それで彼女は、隣の帽子の男を見やった。相変わらず、微動だにせず座ったままだ。まるで、少しでも動いて余計なエネルギーを浪費するのを嫌うように、じっとしている。

「はぁ」

 そんな虫取り屋の様子に、理沙も諦めがついたのか、目線を自分の膝に戻した。こちらは、『和風お好み弁当』と云う物だった。


 少し紫色に色付いた雑穀ご飯。菜の花のお浸し。薄味の高野豆腐と切り干し大根。塩抜きした焼き鮭。わさび漬けとおこんこ。などなど……。

 冷めたままでも、温め直しても美味しいおかずだったが、理沙は温めてもらった。冷蔵ケースに陳列されたままの弁当は、()めていたというよりは、(つめ)たい。それでは、身体に悪いような気がしたからだ。それは、逃避行を続ける彼女には贅沢なのかも知れなかったが、こんな時くらいは人間らしい事をしたかった。


──たとえ殺されないと分かっても、鬼に捕まれば、人間らしい事はもう出来ないかも知れない


 そんな心情が、理沙を動かしたのかも知れない。


 鉄路を進む列車の中で、理沙はゆっくりと噛み締めるように食事を続けていた。そんな中、ふと思いついて、彼女は正面の大男に声をかけた。

「鬼村さん、今、何時くらいですか?」

 その問いかけに、『牛カルビ弁当』を突っついていた鬼村は、

「え、何? 時間? うーん、ちょうど十二時くらいかな」

 彼は、自慢の腕時計をチラと見ると、そう応えた。

「ありがとうございます」

 理沙は礼を言うと、再びレジ袋の中を弄った。目的の物が指先に触れる。彼女は、袋から透明な包装紙に包まれた三角形の物体を取り出した。パッケージの説明通りに、封を切り、器用に左右の包装を引き抜くと、乾いた海苔に包まれたおにぎりが完成した。少女はそれを、傍らの帽子の男に差し出すと、こう言った。

「虫取り屋さん、お昼ですよ。はい、おにぎり。中身は梅干しです」

 先程、昼食を薦めても一言で断られたにも拘わらず、彼女の声は元気だった。


──だからだろうか? 奇跡は起きた


「何だ? それも喰い物か?」

 襟を立てているために表情はよく分からないが、呟くような声は虫取り屋のものだった。

「はい。おにぎりです。中の具は梅干しですよ」

 繰り返される言葉には、屈託のない笑顔が伴っていた。

「それも、美味いのか?」

 列車の騒音で今にも掻き消されそうだったが、彼ははっきりとそう言った。

「はい。勿論、美味しいですよ」

 そこに居たのは、昨日も一昨日も、虫取り屋に『食事をする事』を教えた少女だった。

「そうか……」

 虫取り屋の返事は短く単純なものだったが、その言葉を起点にして彼は再び動き出した。黒いコートのポケットから片手が引き抜かれると、おもむろにそれを理沙の方に付き出した。

「はい、これ。おにぎりですよ」

 彼女は、その手に、海苔に巻かれた握り飯を握らせた。それを掴んだ手は、握り飯をゆっくりと顔まで運ぶ。続いて<パリパリ>と海苔の裂ける乾いた音が聞こえた。多分咀嚼をしているのだろうが、帽子も、コートの襟も、微動だにしないので、「また動かなくなったのではないか」と、理沙は心配になった。少女の笑顔に、幾ばくかの不安が混じる。

「これが、おにぎりか……。美味いな……」

 ようやく返ってきた呟くような声に、理沙は、

「はい」

 と言って、にっこりと笑った。それだけで、少女は嬉しかった。

「いいなぁ、虫取り屋さん。自分も、理沙ちゃんのおにぎりが食べたいです」

 二人のやり取りを羨ましがって、『やきそば弁当』をすすっていた鬼村が、『お願い』をしてきた。

「ダメです。こっちのは虫取り屋さんの分ですから。ってか、いったい何人前食べてるんですか、鬼村さんは。ほんとに、もう」

 そう応えたものの、少女の顔は笑っていた。


 そんな時、彼女は背中に加速度を感じた。減速している。次の駅に停まるのだ。<ガックン>とした感触があって列車が停まると、シューと云う圧搾空気の漏れる音がして、自動ドアがスライドして開いた。

 理沙が乗降口に目を向けると、数人の男女が乗り込むところだった。

 分厚いジャケットにニットの帽子。大きなリュックを背負い、足元は、ゴツイ登山靴に包まれていた。片手には、杖やガイドブックを持っている。


(どこか、山にでも登るのかしら)


 彼等の出で立ちから、理沙は、そう理解した。


 だが、彼女には分からなかった。


──列車の揺れにも微動だにしなかった虫取り屋の帽子が、ピクリと動いた事を

──弁当を貪っていた鬼村(きむら)の瞳が動くと、鋭い眼光を放った事を


 異形のモノの感覚。

 彼等は自分達の同類を察知していた。




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