旅の始まり(5)
「どうして、アナタまで着いて来るんですか!」
理沙は、如何にも嫌そうに、すぐ後ろを着いて来る鬼村に言った。
「え? 決まってるじゃないですか。自分も電車に乗るんです」
ネットカフェで、鬼無と鬼についての調べ物をした後、理沙と虫取り屋は、列車に乗るために駅へと向かおうとしていた。
そんな彼女達に、どういう訳か、鬼村ものこのこと着いて来たのだ。その問への答えがこれである。
早朝から、散々付き纏われた挙句に、列車まで一緒というのは、理沙には少々苦痛であった。
虫取り屋が、どう思っているかは分からない。相も変わらず、鍔広の帽子を深く被っているので、その表情までは見て取れない。だが、今も、彼の瞳は腐った魚のように淀んでいて、何れの感情をも抱いていないに違いない。彼は、黒い古びたコートに両手を突っ込んで、ダルそうに理沙のすぐ脇を歩いている。
「理沙ちゃん、カワイイ髪飾りだね。菊の花?」
ゴツい顔に似合わず、鬼村は軽い調子で、理沙に話し掛けていた。
「ヒマワリです! おじいちゃんみたいな事、言わないで下さい」
理沙は、虫取り屋に買ってもらったヘアピンで髪の毛を止めていた。
そう、あの虫取り屋が、わざわざ理沙のために買ってくれたのだ。しかも、「似合うと思って」とまで言ってくれたのだ。彼を知る者が居れば、天地がひっくり返るような気がしたろう。
その大き過ぎる能力──超次元演算知性体=アカシアの端末としての機能を持つ理沙は、鬼という怪物に追われ続ける毎日を過ごしてきた。そのため、洋服やアクセサリーなどに気を使ってなどいられなかったのである。そんな彼女のささやかなオシャレを最初に認めたのが、こんなゴツい粘着質のオッサンでは、理沙でなくとも気が滅入るだろう。
(ふんっ。このオジさんとも、列車を乗り換えてしまえば、サヨーナラだわ。それまでの辛抱よ、理沙)
彼女は、そう思い込む事で、何とか気を紛らわせる事が出来た。
「それにしても、理沙ちゃんは変わった事に興味があるんですね」
そんな鬼村が、唐突に、そう理沙に訊いて来た。
彼女は、その言葉にピクリと反応すると、慌ててこう応えた。
「いっ、いきなり何ですかっ」
理沙は、少し驚いたものの、脇目もふらずに通りを歩いていた。
「あれですよ。……そう、鬼。鬼に興味がある女子高生なんて……」
鬼村は、続けて神妙な声でこう言った。
「そう、何かヲタクっぽくて、可愛らしいと思ったんですよ。理沙ちゃんて、鬼ヲタなんですね」
「はあぁぁぁぁぁぁ」
鬼村のすっとぼけた言葉に、理沙は思わず立ち止まると、意義を唱えた。
振り返ると、すぐ後ろにガタイの良い鬼村が、ニコニコと笑顔で立っていた。
「そう言えば、自分の苗字も鬼村。鬼という字が付いてますよ。しかも、出身は、かの鬼村。由緒正しき、鬼の血を引く者。ねっ、鬼ヲタの理沙ちゃんなら、絶対、興味あるでしょ」
彼のその言葉に、理沙は言い返すことが出来なかった。
「むぅぅぅぅう」
と、ふくれっ面を作ると、彼女は両手の拳を握り締めていた。
鬼村は、自分を鬼村の出身と称していた。
──鬼村とは……
鬼無里、鬼無と同じく、鬼の字を冠する地──と云うよりも、鬼そのものである地名だ。島根県太田市、つまり石見国に位置している。
古くは、『於爾』と表記したらしく、古来よりこの地は『オニ』と呼ばれていた事が分かる。と同時に、『オニ』が倭語であり、大陸の『鬼』とは別起源である可能性を語っている。
更にこの地には、鬼岩なる物が存在している。側面に五つの穴を持つ奇岩だ。古くから崇拝され、穴には起源不明の石仏や祠が見受けられる。
説話としては、物部神社の祭神である宇摩志麻遅命が、鶴に乗って都留夫や忍原、曽保利、於爾の凶賊を平定したとして伝えられている。また、鬼が観音様と相対した『鬼の一夜城』の噺が有名である。
物部神社の存在からも分かる通り、古代豪族である物部氏の拠点の一つであり、古くからの要所であったらしい。
では、そんな『鬼』とは何者であるのだろう……。
──鬼は、恐れられるモノであり、畏れられるモノでもある
鬼の字は、『おに』と読まれる他に、『もの』や『かみ』と読まれる事がある。
その読み方や鬼村の近くの物部神社の存在から、物部氏が鬼の概念を伝えたと説く学者も少なからずいる。『正当な歴史』では、物部氏の祖霊は、饒速日命とされているが、大神神社の祭神である大物主命との関係を連想してしまうのは、素人考えだろうか?
覇者である天孫族が、先住者やその信仰の対象を『悪神』『邪神』として『鬼』と称したとは考えられないだろうか?
何れにしても、古代、『鬼』は畏るべき存在であり、『神』と同列の信仰の対象であった。
その意味で、自然の災厄や疫病など、人の力では抗えないモノに対して、恐怖と畏敬の念を込めて、『鬼』と称したのではなかろうか。
また、『幽鬼』と言うように、古くは支那大陸のように、幽霊や妖怪・精霊のような、人智を超えた不可思議でとらえどころの無いモノに対して、『鬼』と呼んでいたような痕跡がある。
それが時を下ると、不可思議な能力を持つモノではあるが、人の手によって制御が可能なモノとなってくる。
役小角は、前鬼・後鬼──一節には戦鬼・護鬼──を使役したと伝えられている。また、陰陽師の安倍晴明は、鬼を式神──式鬼神と称して使役したともされる。
さらに時代が下ると、害悪をもたらす具体的なもの──『賊』や『異民族』に対して、『鬼』と呼称するようにもなる。それらは、人の手によって対抗したり征伐したり出来る対象となった。
鬼無村の鬼伝説は、瀬戸内海の女木島を根城にした海賊を退治する噺であった。彼等は、稚武彦命と地元の三勢力によって成敗され、更には完膚なきまでに根絶された。
大和朝廷は東北の異民族──夷狄=蝦夷を鬼として征伐する征夷大将軍を派遣し、打倒している。現代でも、東北の秋田では、子供を脅す鬼が有名である。
源頼光の鬼退治では、配下の武士が付き従い、討伐に成功している。その時の鬼が、大江山の酒呑童子だ。『鬼』を退治するのが『武士』であることは、ある意味、因縁深いと言える。
更に時代を下るに従って、鬼は神から遠ざかり、悪害を為すが故に英雄に討ち滅ぼされる怪物の一つに成り下がってゆく。その姿も、よく分からない不可視のモノから、角を持つ巨人の姿の妖異へと定着していった。
では、どうして、いつごろから、人──日本人は、霊的存在の鬼を、具体的な怪物の鬼として、認識するようになったのだろうか。
人型ではあるが、頭に角を生やし、牙と抓を持ち、怪力や妖力を使って人に害を為す──そんな鬼は、どのようにして人々の心に根付いたのだろうか?
虫取り屋には、『それ』に心当たりがあった。
昨日、彼は、暴走した理沙がその能力により生み出した最強の鬼──巨鬼と相対した。その時に虫取り屋は、巨鬼に『しっかりと歴史に刻んでやる』と宣言してしまったのである。
この世の全てを記録するアカシック・レコードをホロメモリとして駆動する神工知能=アカシアのデバッグシステムである虫取り屋が、そう断言したのだ。歴史に、巨鬼の存在が記入されなかった筈がない。
現実に数多く存在して仕舞っている鬼を消去しきれない理由は、デバッガである虫取り屋が、その存在を確定して仕舞ったからかも知れない。
それ以上に、巨鬼が鬼の起源となった可能性すらある。
その意味では、鬼は、虫取り屋を父とし、理沙を母として、生まれ落ちた存在なのかも知れない。
そんな存在が、アカシアのコントロールを奪取するために理沙を求め、それを妨害する虫取り屋を敵とするのは、大いなる自己矛盾であると言えた。
──有り得ない
だが、『有り得ない事』を超越して『実現してしまった事』にして仕舞うのが、アカシアという存在である。しかし、アカシック・レコードへの無理な記述は、アカシアの存在──即ち宇宙の存在そのものを危うくする。絶対に消去しなければならない。その為に、理沙の存在そのものに手を加えてもだ。それこそが、虫取り屋の行動原理であり、その為にこそ彼が存在しているのだ。
では、鬼を滅するにはどうしろと言うのであろう。
理論的には、巨鬼が存在した時空からトレースして、鬼の存在そのものを時空間から隔離すれば良いのだ。しかし、鬼の存在は、日本の歴史と大きく絡み合って仕舞った。鬼の存在を隔離する事は、日本をこの時空間から分離・消失させる事に繋がりかねない。
──そのような改変は大きすぎる
鬼を消去する改変が、アカシック・レコードにどれだけの歪を生じさせるか、見当もつかない。
既にアカシック・レコードは、数々の改変を受けてきた。その度に新たな歪が生じ、それを修正するために、更なる改変を行ってきたのだ。
デバッグに際しては、アカシック・レコードへの負担を最小限にする必要がある。
だが、それ以上に、虫取り屋は理沙の身を案じていた。
──理沙が鬼の存在を生み出したかも知れない
そんな事を彼女に知らせる訳にはいかない。
そんな事をすれば、『理沙の能力が暴走してアカシック・レコードに想定以上の歪を生じさせるかも知れない』からだ。
自身は人間的な感情などとは無縁であると信じている虫取り屋は、『理沙の存在を危惧する』自らの思考の結果を論理的に解釈するために、そう思い込んでいた。
「ねえねぇ、理沙ちゃん。鬼の謎の探訪に行くなら、自分も是非々々ご一緒したいのですよ」
「まぁ〜っぴらですっ。皇居の護衛はどーするんです。いつまでも皇宮警察のお仕事をお休みしている訳にもいかないですよねっ」
「まぁまぁ、そんな事を言わずに。自分の代で鬼村の血筋を絶やす訳にはイカンのですよ」
「何で、わたしが鬼村さんのお家の心配をする必要があるんですか!」
「いや、……だって、子孫を残すなら、自分、理沙ちゃんみたいなカワイイ女の子が良いなぁって」
「嫌ですっ。まっぴらオコトワリデス」
「大丈夫。子作りに関しては、かなり勉強しましたから。自分、理沙ちゃんに失望されるような事は、絶対ありません。むしろ、いっぱい喜ばせてあげる自信アリ、なのですっ」
「こ、こ、こ、子作りなんてっ。そんなハレンチな事、鬼村さんと出来る訳無いです。っていうか、絶対にイヤ! です」
「そんな事言わずに。もう、理沙ちゃんの恥ずかしがり屋さん」
「気色の悪い事、言わないで下さいっ」
尚も、漫才のような言い争いを続ける理沙と鬼村を、今し方気付いたかのように、虫取り屋は眺めていた。
「そろそろ列車がくる時間だぞ」
時計などを見る事もなく、虫取り屋は、そう告げた。その声は、独り言を呟くような、か細く消え入りそうなものだったが、何故か理沙達の耳にははっきりと聞き取る事が出来た。
「え? もうそんな時間ですか。……っん、もう。鬼村さんが変な事ばっかり言うから、遅くなったじゃありませんか」
虫取り屋から列車の事を聞かされた理沙は、そう言って尚も気を損ねると、
「さあ、こんな人、放っといて、さっさと駅へ行きましょう。切符だって駅弁だって、先に買っとかないとならないですからね。虫取り屋さん、早く」
そう言って、理沙は虫取り屋の袖を掴むと、早足で強引に彼を駅の方へ引っ張って行こうとした。
「おいおい、嬢ちゃん。忙しいな……」
そう言いながらも、大して気にした風でもない虫取り屋は、理沙に引きずられるままに駅へと進んで行った。
「あっ、理沙ちゃん、待って下さいよぉ」
情けない声を上げながら、鬼村も後に続いて行った。
この町を含む時空間にどれ程の災厄を落としていたかなど、とうの昔に記憶の彼方に置き去りにしたような理沙達は、もうすぐこの地を離れようとしていた。




