旅の始まり(2)
「えーっとぉ、何から検索しようかしら」
インターネットカフェで一夜を明かした理沙は、ずらっと並んだパソコンの内の一台の前に座っていた。
右隣には、無表情の帽子の男が立っている。爽やかな朝だというのに、冴えない顔色をしていた。
彼は、虫取り屋──神工知能アカシアのデバッグプログラムである。
宇宙の全てを記録しているアカシック・レコードをホロメモリとして駆動する超次元演算知性体であるアカシアは、記録媒体上の異常を許さない。そのバグを消去し、アカシック・レコードの内容を正常に維持する事が、虫取り屋の役目である。
今、二人に迫っているのは、日本に古来から存在し幾度も人々を恐怖に陥れたという存在──鬼である。
鬼達が執拗に狙っている少女──東条理沙は、アカシアの端末としての能力を内に秘めていた。アカシアにコマンドを送り、アカシック・レコードを書き換える事が出来るその異能は、虫取り屋をも凌駕する可能性を秘めていた。
彼女の端末としての能力は、昨日の暴走の時に、虫取り屋のセーフティーアンチプログラムにより、深層意識の奥底に封印された。今後は滅多な事では発現は難しいだろう。
しかし、このままでは、理沙が鬼達に追われるという現状は変わらない。何らかの対策が必要である。その為に、虫取り屋が提案したのが、『鬼無』と云う所へ行く事であった。
鬼については、理沙も、図書館で読んだ説話や古史古伝などで、少しばかりの知識はあった。しかし、『鬼無』については、さっぱり分からなかった。
理沙に分かっているのは、『きなし』と云う地名と、『鬼』という字をを冠するその地名の由来だけであった。それだけしか──いや、それ以上の事は、虫取り屋は教えてくれなかったのだ。
「じゃぁ、まずは、『鬼無』についてから検索しましょうか」
理沙はそう言うと、傍らの虫取り屋を見上げた。
だが、グレーのくたびれたジャケットの上に乗っかっている顔は、何の反応も見せなかった。その眼は、いつも通り腐った魚のようで、もう見慣れてしまったと思っていた筈の理沙にも不快感を抱かせた。
「ん、もう。じゃぁ、勝手にやりますから」
反応の無い虫取り屋に業を煮やした理沙は、パソコンに付属のマウスを握ると、『e』の文字をデフォルメしたアイコンをクリックした。
少しタイムラグがあってから、画面全体に最新のニュースが羅列されたページが表示され始める。
「ムー、ウザいわね。……仕方ないか。わたしの前に誰が使ったかも分からないパソコンだものね」
理沙は、二世代程古い動きの鈍いパソコンにも、デフォルトで表示されるニュースサイトのトップページにも、もどかしさを感じていた。
彼女は、右手でマウスを操作して、URLアドレス欄にカーソルを合わせると、おもむろに「www.google.com」と打ち込んで、【ENTER】キーを叩いた。
数秒程して、液晶ディスプレイに、ロゴと入力ボックスでのみ構成されたシンプルな検索画面が表れた。
「ふむ。これでよし」
新しい画面に満足したのか、理沙はニンマリと笑みを浮かべた。
自分用のパソコンなど持てるはずもない彼女であったが、予め組み込まれたブラウザとスタート画面が、使い物にならないくらいの事は知っていた。
「さぁて、まずは『鬼無』について調べましょう。【k】、【i】、【n】、【a】、【s】、【i】、っとして、変換っと」
理沙はローマ字ーかな漢字変換機能で、【鬼無】の文字を入力しようとした。しかし、
「あ、あれ? ちゃんと変換出来ませんね。候補のリストにも出ないし……」
かな漢字変換IMEの貧弱な語彙に、理沙は少しイラッとした。
「当たり前だ。『鬼無』なんてマイナーな言葉が、一発で変換できる筈がなかろう。オレの知る限りでは、地名で『鬼無』と呼ばれるのは、日本全国を探しても四国の高松市にある一ヶ所だけだ。後は、人名くらいだろう。それでも、全国で数十人居るのかどうか。それ以外で、固有名詞の『鬼無』なんて単語は、めったに聞く事は無いぞ」
虫取り屋のか細い呟きのような言葉が、理沙の耳に入って来た。
「そういう事は、最初に言って下さいっ」
彼女は、思わず視線をディスプレイから声の発言点に移した。
そこには、案の定、無表情に宙を臨む虫取り屋の顔があった。彼は、理沙の言動に反応したのかどうか、短く言葉を繋いだ。
「似通った地名では、長野県にあった『鬼無里』と云う村名だな。むしろ、こちらの方が有名か……」
虫取り屋の声は、か細い呟きのようで、パソコンの冷却ファンの風切り音にすら掻き消されそうであった。だが、その言葉は、何故か理沙の耳にはっきりと伝わった。それが、余計に彼女の癇に障った。
「四国と信州とじゃ正反対じゃないですか。行った後で、「違ってました」じゃ、困ります」
と、理沙は反駁したが、虫取り屋の虚ろな瞳は、それ以上、何の反応も示さなかった。
「ん、もうっ。面倒なんだから。……まず、【お】、【に】、で、変換。それから、【な】、【し】、で変換。……ああ、【し】が余分だわ。一文字消して……、出来た。なら、検索っと」
四苦八苦しながら入力した検索ワードに対して、返って来た結果は彼女が期待した程では無かった。
液晶画面には、鬼無町の地図と三件程の住所が示された表が現れた。
鬼無駅
鬼無植木盆栽センター
高松市立鬼無小学校
そしてその下に、検索結果が、要約と共に列記されていた。
鬼無 ― Wikipedia
鬼無駅 ― Wikipedia
…………
「えと、香川県高松市の鬼無町。他に鬼無と云う地名は、ヒットしませんね。桃太郎伝説の縁の地。……これも、昨日、虫取り屋さんに聞いた事ですね。……盆栽の名産地ですって。おじいちゃん達には、有名かも知れませんね」
理沙は、取り敢えず一ページ目をスクロールしながら、検索結果に付随する要約を斜め読みしていた。
「地元の説話みたいなモノがあれば良いんですけれど。桃太郎と盆栽、後は観光案内ですね」
予想はしていたものの、あまりにも限られた情報に、理沙は少し失望していた。折角、早起きしてインターネットで調べ物をしているのだ。もう少し、食指を惹かれるような検索結果を、彼女は期待していた。
「『鬼無』って、桃太郎と盆栽くらいしか、名物が無いの? ……美味しいうどん屋さんかぁ。まぁ、高松ですからね。名物『讃岐うどん』ですかぁ。他には……と、鬼無駅の写真? あんまり、関係なさそうですね。古くから伝えられているお祭りとか、神社の伝承とか無いのかしら。むう」
理沙は、右手でマウスを操作しながらも、失望感からか、左手で頬杖を突いていた。
「不満か?」
右側から、今にも消え入りそうな呟きが聞こえた。
彼女には、それが、自分をバカにしているようで気に入らなかった。少し頬をふくらませると、理沙は虫取り屋を見上げた。
「じゃぁ、虫取り屋さんなら、もっと色々な事を知ってるって言うんですか?」
睨みつけるように見上げる彼女の目付きにも、虫取り屋は、さして表情を変えなかった。
「そうだな。取り敢えず、オレが今話せる事は、昨日の分くらいだな」
彼の淀んだ眼は、ただ前に向いているだけで、理沙にも彼女以外の何かにも、焦点を結んでいるようには見えなかった。その言葉は独り言のようで、到底、理沙に聞かせるために発せられているようには思えない。
「もう、またそれですか。アカシアで検索すれば、何でも分かるんじゃ無いんですかぁ」
理沙の存在を無視したような虫取り屋の態度に、彼女は敢えて挑発するように、そう言った。そして、言い終わった後に、「あっ」と何かに気が付いたように表情を変えると、こう続けた。
「虫取り屋さん。「今話せる事」って、言いましたよね。と云う事は、わたしには話せないけれど、『鬼無』について、まだ何か知っている事があるんですね」
彼女は、重箱の隅を突くような事を言った。確信が有った訳では無いが、何とはなく、そう思ったのだ。ある意味、「カマをかけた」とも言える。
「好きなように受け取れば良い」
返ってきたのは、そんな短い言葉だった。
しかし、それで理沙は確信した。
(『鬼無』には、わたしの知らない……、と云うよりも、世間に知らされていない秘密があるに違いないわ)
ネットで調べられる程度の情報で、わざわざ四国くんだりまで、鬼に狙われている曰く付きの少女を連れて行こうなんて、あっさりと決められる訳がない。
そもそも、さっき『鬼無里』の方が有名だと言ったのは、彼自身ではないか。
理沙はパソコンに向き直ると、両手の平で頬をパチンと叩いた。
それだけで、意識がはっきりした。彼女は、少し首をひねると検索ボックスに、
【鬼無】、【伝承】
と入力すると、再検索してみた。
今度は、少し期待が出来そうな結果が羅列された。
「ふむん。やっぱり、『桃太郎伝説』ですかね。『熊野権現桃太郎神社』ですって。あと、『鬼無里村』ですって。虫取り屋さんの言った通りだわ」
だが、少しはしゃいだような理沙の言葉に応じた声は、虫取り屋のモノでは無かった。
「珍しい事を調べていますね」
理沙が、「えっ!」と思って振り返った先には、ガッシリとした体格の男性が、カッチリとした背広に、キッチリとネクタイをして立っていた。
虫取り屋とは対照的に、低く野太い声の主に、彼女は見覚えがあるような気がした。
「えっと、……あっとぉ」
呆気にとられている彼女を見つめているのは、体格に似合ったゴツくて四角い顔に刻まれた細い目だった。
「あーっと、覚えていませんか? 昨夜、廊下でぶつかった……」
その言葉に、理沙は、やっと合点がいった。
「あー、あの時の!」
そこまで言って、彼女は頬を染めた。彼には風呂上りを見られた上に、尻餅をついた醜態さえ晒したのだった。
「思い出しましたか。自分は、こんな処に可愛らしいお嬢さんが居たものだから、つい見惚れて仕舞いましたよ。……あっと、失礼。名前も知らない女性に、気さくに話しかけるものでは無いですね」
そう言って、件の男性は、角刈りの頭を如何にも申し訳無さそうに掻いていた。
「い、いえ。昨日は、わたしも失礼しましたっ」
彼女は、ようやっと、それだけを言うと、赤くなったまま俯いた。
一方の虫取り屋は、無表情ながらも、首だけを捻って男性を一瞥した。
「あっと、スイマセン。保護者の方ですね。失礼しました。自分は、こういう者です。決して怪しい者ではありません」
そう言って差し出された手には、小さな紙のカードが摘ままれていた。
「名刺? ……ですか」
理沙は、不思議そうにそう言うと、おずおずと名刺を受け取った。
「えっと、皇宮……警察本部? 木村拓哉……さん?」
理沙の言葉に、虫取り屋の眼が、一瞬ピクリと動いたような気がした。
「警察の人? お巡りさんなんですか!」
彼女は、少し警戒すると、木村某と名乗る男性を見上げた。
二人は、昨日の大爆発事故の目撃者として、地元の警官の職務質問を受けていた。
その時には上手く煙に巻いたと思っていたものの、ただでさえ住所不定の怪しいカップルである。しかも、警官には黙っていたが、「鬼に狙われています」などと云う世迷い言まで付属しているのだ。変な嫌疑をつけられて足止めされるのは、絶対に避けたかった。
そんな理沙の態度をどこまで察したのか、キムラ氏は、
「いやいや、そんな大層な者じゃありません。皇宮警察と言っても、自分は警務課ですから。普通に事務の仕事をしてるんです。えっと……、会社でいえば、総務部みたいなもんです」
と、細い眼を更に細くして、あたふたと説明をしていた。
そんな彼と理沙との問答に、独り言のような呟きが割って入った。
「皇宮警察本部。……日本の要、天皇陛下と皇室の方々をお守りする警察官だ」
その言葉に、理沙は思わず声の主を振り返った。
「キムラ、とか言ったか。貴様、『オニムラ』の縁のモノだな」
両手をシワだらけのスラックスのポケットに突っ込んだままの無防備な態勢ながらも、その時だけ、虫取り屋に『存在感』が宿ったようだった。
「分かりますかぁ。参ったなぁ。戸籍とか住民票も、何回もロンダリングしたのになぁ。まぁ、本庁での『身体検査』ではバレバレでしたけれど、初対面で見抜かれたのは二人目ですよぉ。アハハハ、嘘はつくもんじゃありませんね」
と、キムラ氏は、悪びれる様子もなく、相変わらず角刈りの頭を掻いていた。
「本名は、『鬼』の『村』って書いて、『キムラ』と読むんですよ。事務員とはいえ、皇宮警察の者の名前に『鬼』なんて書いてちゃ縁起が悪いってんでねぇ。うちの副本部長にね、「木材の『木』に変えとけ」って言われましてね。アハハハ。内緒ですよ、内緒」
と言いながら、鬼村氏は、唇に人差し指を当てていた。
「因みにね、一人目が、副本部長なんですよ。面接の時にね、目が合った瞬間にバレちゃいました。本当に、心底ビビりましたよ。マイッタ、マイッタ。アハハハハハ」
そう言う鬼村氏の細い眼の奥には、妖しい光が燃えているように感じて、理沙は我知らず<ブルッ>と身震いしていた。




