表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼怪神  作者: K1.M-Waki
23/50

発現(7)

 理沙(りさ)と虫取り屋は、白と黒に塗装されたワゴン車の中に居た。事故の事情聴取のためだ。ワゴン車は、事故現場から少し離れた道路脇に停車してあった。現場付近は破壊が激しく、通常車両では近付けないのだ。


「ええっと、東条(とうじょう)理沙(りさ)さんと、……山田(やまだ)一郎(いちろう)さん? ですよね」


 そう広くもない車内で、制服の巡査が、理沙達の身分証明書を見ながら、そう言った。

 理沙の物は、マイナンバーカードの内容からだ。

 一方、山田一郎というのは、虫取り屋の事である。彼は、運転免許証を提示していた。担当の巡査は、免許証と虫取り屋の顔を交互に見比べながら、怪訝な顔をしていた。目の前の、どうしても浮浪者にしか見えない虫取り屋が、運転免許証を持っている事が納得できないようだ。

「えーとっ、……確かに、山田さん……ですよねぇ」

 巡査が不審がっている事にも全く関心が無いのか、虫取り屋──いや、山田一郎氏は、その腐った魚のような覇気のない目で、ボンヤリと目の前の警官を眺めていた。いや、ただ顔が前に向いていただけなのかも知れない。

 虫取り屋から何も答えが無い事で、「巡査の疑惑が更に膨らむのでは」と感じていた理沙ではあったが、結局は苦笑いを浮かべたまま、二人の様子を見ていただけであった。


(もし、不用意な事を喋って仕舞ったら、これからのわたし達の行動に支障が出るかも知れないわ。虫取り屋さんには悪いけど、わたしからのフォローは無いからね。お願い。頑張って)


 この期に及んで何を『頑張れ』と云うのだろうか。それよりも、免許証と、パット型端末の画面を交互に見やりながら、依然として納得できないこの警官の方が、よっぽど気の毒である。

 きっと、虫取り屋がアカシアの機能(ちから)を使った為であろう。警察のデータベースの内容と、免許証の内容には、全く齟齬は無かった。犯罪歴も無い。住所も間違い無し。偽造の可能性──と云うよりも、そもそもがでっち上げの真っ赤な嘘なのだが、アカシック・レコードに「そうあるべし」と記述された以上、それが事実なのだ。むしろ、その事実に疑念を抱くこの警官こそが、脅威の対象だった。

「もう、よろしいですか?」

 永劫のように思える長い沈黙を破って、『山田氏』が言葉を発した。いつもの、か細く呟きのような声に輪をかけて、抑揚のない機械が喋ったような無機質な言葉だった。


(えっ、虫取り屋さんったら、敬語を使ってるわ。凄いわ、虫取り屋さんがTPOに合わせるなんて)


 普段の彼からしたら、およそあり得ない言葉だったが、沈黙が破れたせいで、

「あっと、すいません。もういいですよ。お引き止めして、申し訳ありませんでした」

 と、巡査は、一変してにこやかな顔で運転免許証を『山田氏』へ返した。


──まるで、何者かに操られたかのように


「ええーと、お二人は親戚だという事ですが、こちらにはどんなご用でいらしたんですか?」

 巡査は、書類を見ながら差し障りの無さそうな事柄から、口火を切った──つもりだろう。

 しかし、理沙と虫取り屋にとっては、もう最初から地雷原である。そもそもの出会いが、道端での偶然だったからだ。二人が『親戚』というのも、理沙は今初めて聞いた事だった。

「この娘は、オレの姪だ。オレの可愛い妹の忘れ形見だ。今日は、この娘の母親の墓参りついでに、この辺りを観光していたのだ」

 と、山田氏が応えた。相も変わらず、抑揚のない機械的な言葉だった。いや、最近のゲームマシンの方が、よっぽど人間らしい反応をする。

「あっ、はい、そうなんです。母は、わたしが中学生の頃に死んでしまって……。父は海外に赴任していますし、兄は進学した大学での研究が忙しくて。それで、いつも伯父にはお世話になりっぱなしなんです」

 理沙は、即興で話を作った。何故だか、『そう答えるのが正しい』ような気がしたからだ。

「ふむふむ、姪御さんねぇ。……学校はお休みですか?」

 それを訊かれて、理沙はビクッと身を震わせた。


(そうだったわ。学校は、未だ長期休暇の季節じゃないし。どうしたものか……)


 理沙はどう応えたものかと悩んでいた。

「創立記念日なんだ」

 虫取り屋──山田氏が、呟くように応えた。

「ほう、創立記念日ですかぁ」

 巡査は、疑いもなく書類にペンを走らせていた。

「オレは、公立の高校を薦めたのだが、義弟(おとうと)のやつが、キリスト教系の私学が良いと、折れなくてな。ちょうど、命日と創立祭が重なったんで、こっちを優先しただけだ」

 と、『山田氏』は能面のような顔で、独り言のように語った。

「なるほどねぇ」

「そうなんです。わたしは、どっちでも良かったんですが、伯父が、「下らない創立祭に参加するくらいなら、墓参りに行こう」と強引に誘われたもので」

 理沙は、内心で慌てながら、辻褄を合わそうと話を付け足した。

「まぁ、その通りですね。で、墓参りのついでに、この町に来たと……。で、どうしてコインランドリーなんかに居たんですか?」

 理沙は、またビクリとした。今度は、どうお話を作ろう。虫取り屋は、どう応えるのだろうか?

 彼女は、広いとは言えない車内で、傍らの『山田氏』を見上げた。

「電車に乗り遅れたのだ。ついでに、路線も間違って仕舞ってな。最近の、……なんだぁ、……スマートフォンってのは、よく分からんな。ちゃんと検索して、指示通りの電車に乗ったつもりなんだが」

 虫取り屋は、憮然とした感じでそう言った。実は、彼に表情など全く無かったのだが、顔の角度や影の具合で、たまたまそう見えた。

「結局、こんな何にも無い田舎町に来ちまった。ラブホテルの他にはちゃんとした宿泊施設もないし。仕方がないから『インターネットカフェ』なるものに泊まる事にしたのだ。コインランドリーに居たのは、当然、洗濯をしていたからだ。本来なら、一泊二日の予定だったからな。オレは気にしないが、コイツは色々と物入りらしい」

 虫取り屋に、『コイツ』呼ばわりされて、ムッときた理沙は、

「だから伯父さん、『コイツ』なんて言い方しないでって、いつも言ってるでしょ。わたしも、もう高校生になったんだから、ちゃんと『理沙』って呼んでよ」

 と、思わず虫取り屋に文句を言っていた。考えて言った言葉ではない。何故だか自然に、こんな言葉が口をついて出てきたのだ。

「はぁ。なんて云うか、それは、……災難でしたねぇ。まぁ、ちっちゃな町ですからねぇ」

 と、巡査は、苦笑いをしながら、チマチマと書類に文字を書き込んでいるようだった。

「で、お怪我はありませんでしたか? なにしろ、『あり得ない程大規模』な爆発事故でしたからね。あんな事がすぐ目の前で起きて、よく生命(いのち)があったものです」

 巡査は、書類から顔を上げると不思議そうな表情で、訊いてきた。

 虫取り屋の咄嗟の行動が無ければ、二人共無事では無かっただろう。

「あ、あのう……わたしには突然の事で、よく分からないんですが。……どうも、伯父が庇ってくれたらしくて」

 理沙は、やや挙動不審になりながらも、納得してくれそうな言い訳を考えた。

 言われた方の巡査は、虫取り屋の顔をジッと見つめた後、こう言った。

「ほう……それで、上着がボロボロになってしまったんですね。それは、まぁ、お気の毒に」

 言われた方の虫取り屋は、ただ黙っていた。しかし、理沙からすると、ちょっとムッとした表情を示したように見えた。

「えーと、わたしは、一張羅がこんなになったので、新しいのを買おうって言ったんですが……」

 彼女は、何とか話の整合性をとろうと、言葉を繋いだ。

「オレは気にしない。これは、オレの誕生日に妹が買ってくれた物だからな」

 と、突然、虫取り屋はボロボロのコートを着続ける理由付けをした。

 それを聞いた巡査は、

「あっ、はぁ。そう云う事情でしたか。これは失礼しました。お嬢さんの方も、大変でしたね」

 と、頭をボールペンのお尻で掻きながら、今度は理沙の方を向いて、そう言った。本当に気の毒そうな顔をしている。

 彼女は、顔も服も、未だ煤で薄黒く汚れていたからだ。

「はぁ。まぁ、仕方が無いです。生命あっての物種ですから。早くネットカフェに戻って、シャワーを浴びたい気分です」

 理沙は、今度こそ正直に話した。

 出来れば、汚れた服を洗濯したかったが、この町にもう一件のコインランドリーがあるとは思えなかった。また、お古を着よう。洗濯機が頑丈で助かった。こちらは、あの爆炎の中でも無事だったからだ。

 理沙は、取り調べ担当の巡査を上目遣いで見つめると、

「あのお……もうよろしいでしょうか? わたしも伯父も、この町の人間じゃ無いんで、これ以上は、何にも分からないんです」

 と、聴取の終了を乞うた。正直言って、本当にこれ以上は知らないのである。かと言って、自分達が、『鬼』と云う化物(ばけもの)に狙われているとか、神工知能アカシアとコネクト出来る能力を持っているとか、真実を告げても、どうせ信用してもらえないだろう。

 もう暗くなったし、彼女はそろそろ開放して欲しかった。

「ああ、これは気が付きませんで。……そうですねぇ。町内の者じゃなくて、偶然にアソコにいたのなら、事故との関連性は無いでしょう」

 巡査は、そう言って書類にさらさらと最後の文を書き込むと、それを二人に見せた。

「えっと、この内容で間違いありませんよね。問題が無ければ、署名をお願いします」

 理沙は、書かれた内容を確かめると、傍らの虫取り屋を見上げた。彼は、憮然とした顔で、僅かに頷いた。

 それを見て理沙は、「ふぅ」と溜息を吐くと、ポールペンを手に取って署名を始めた。

「ホント、すいませんね。お時間とってしまって。まあ、こんだけ被害の大きな事故なもんで、上司がうるさいんですよね」

 二人が署名をしている間も、巡査は言い訳がましく、内情を吐露していた。

「お巡りさんも、大変ですね」

 理沙は同情して、思わずそんな言葉を口にした。

「まぁ、公務員ですからね。普通のサラリーマンよりも、上下関係は厳しいですよ。こんな小さな町、ただでさえ常駐している警察官が少ないのに、この大事件でしょ。おしっこに行く暇もありません」

 これも、彼の本心だろう。


(やっぱり警察官って、大変なんだ。「鬼から護って下さい」なんて世迷言なんて頼めないわ)


 理沙は、心中、巡査に同情していた。虫取り屋は──どう思っているか分からない。きっと、何とも思っていないのだろう。彼が気にするのは、(バグ)とそれに関わっているモノだけだ。それ以外は、どうでも良いのだろう。邪魔さえしなければ……。


「はい。オッケイです。いやぁ、長い事引き止めて、申し訳なかったです。もう、帰っていいですよ。お疲れ様でした」

 書類を一通り確認した巡査は、そう言って、ワンボックスのスライドドアを開いた。

 理沙は虫取り屋と共に、車外に出た。ああ、やっと開放される。

 ひょいと地面に降り立った理沙は、両手を頭の上に挙げて、「う〜〜〜ん」と大きな伸びをした。

 虫取り屋は、相も変わらず、一張羅の黒いコートのポケットに両手を突っ込んで、ボーッと突っ立っていた。

「山田さんに東条さん、ご協力、ありがとうございました。だいぶ暗くなりましたので、お気を付けてお帰り下さい。……ああ、それと、あっちの道を通れば報道には見つからないと思いますよ。これ以上、何やかやと訊かれるのは煩わしいでしょうから」

 と言った巡査は、暗がりの中に浮かぶ細い路地を指差した。

 まさしくその通り。メディアなんぞに絡まれたら、堪ったもんじゃない。理沙も、もうクタクタだった。早く、シャワーを浴びたかった。

 彼女は、隣に立つ虫取り屋の顔をそっと覗き見た。暗がりでも、彼の目は、腐った魚のように淀んでいるのが、何故かはっきりと分かった。

「さ、行きましょう、『伯父さん』。わたし、疲れちゃった」

 理沙は、わざとらしく少し大きな声で『山田氏』に声をかけると、その袖を掴んで引っ張るようにして、路地の奥へ連れて行った。




 巡査は、二人が見えなくなるまで、ワンボックスカーの脇に立っていた。

「何か、聞き出せましたか?」

 唐突に、彼の背中から声がした。

 巡査が反射的に振り返ると、グレーのカッチリとした背広を着た男が立っていた。キチンと締めたネクタイを止めるネクタイピンが、大して灯のない暗がりにもかかわらず鈍い光を放っているのが印象的だった。

「あの二人ですか? 事件に関する事は何にも。墓参りの帰りに、間違った列車に乗ったんで、この町に来たそうです。事故の起きた時間にコインランドリーに居たのも、偶然だそうです」

 彼は、理沙達から聞いた事柄を要約して話した。やれやれという感じで、左手に持ったバインダーを肩の高さに持ち上げて、軽く振っていた。

「で、キミはそれを信じた──と?」

 そう言う男の顔は、宵闇と逆光で、よく見えなかった。

「はぁ、……。そうですねぇ、半分以上ウソでしょう」

 巡査は、何でもないように、そう言った。

「でも、記録上、疑念を挟む余地は無かった」

 男は、彼が続けようとした言葉を代弁した。

「そ。これ以上は、引き止めておく理由がありません」

 巡査が応える。

「それで、彼等を開放した。証言がウソと分かっていて。……どうしてです?」

 男が、少し強い口調で理由を尋ねた。

「どうしてって……、どうしてでしょうね。……分かりません」

 巡査は、制服の胸を手の平で押さえながら、そう言った。

「分からない? しかも、理由が分からない事に、何の疑念も持っていないと」

 警官の報告としては、決して褒められたものではない巡査の口ぶりに、男は静かに問い正した。

「あ、……あれ? 確かに、そうですね。でも、自分は、彼等は開放されるべくして開放されたとしか、言いようがありません」

 こんな事を直属の上司の前で言ったら、普通は一喝されるところだろう。だが、背広の男は違った。

「通りにタンクローリーが飛び込んで来て、ガソリンが一瞬にして『爆発・完全燃焼』した。一見有り得そうで、しかし、物理的には有り得ない事が起きた……。燃料気化爆弾のように、ガソリンと空気が適切な比率で充分に混ざり合っていなければ、如何に大量の可燃物があったとしても、一瞬で燃え切る大爆発には至らない。タンクローリー如きで、このような大規模な爆発事故など『科学的に起こり得ない』のです。それが起こった。……キミは、この事をどう思いますか?」

 男の追求は、容赦なかった。

「起こり得ない爆発ですか? 確か、鑑識のおっちゃんも、そんな事を言ってましたねぇ。……自分には、よく分かりません。彼等を開放したのは、正しい判断だと思っています」

 巡査は、正直に心のままを答えたのだろう。

「ふむ。『有り得ない爆発』。現場の直近に居て『無傷の男女』。彼等の『ウソとしか思えない真実の証言』。……そして、『コレ』か」

 そう言って、男は数枚の写真を、トランプのカードのように開いた。


 そこに写っていたのは、醜く引き千切れた人体の部品だった。しかし、コレが真っ当な人間の一部なのか! 『鋭い鉤爪を有する手』、靴のサイズなら六十五センチはありそうな『巨大な足』、そして極めつけは、『捻くれた角を生やした頭部』。

 こんなモノを寄せ集めて復元しても、ちゃんとした人体が再構成される筈がない。


 逆光の中であるのに、巡査には、その写真にプリントされた『異形』の身体の一部を鮮明に見て取る事が出来た。しかし、次の瞬間、その記憶も理沙達への疑念も、彼の脳裏から跡形もなく綺麗に消え去っていた。

 後には、痴呆のような虚ろな目をした警官が、立ち尽くしているだけだった。

「なる程、更に『マインドコントロール』か……。一筋縄ではいかないようだね、鬼村(きむら)くん」

 男が後ろを振り返りもせずに、そう問いかけると、

「そのようですね」

 と、背後の闇の中から、若い男性と思しき声が返って来た。

「彼等はキミに一任する。後は頼むよ」

 背広の男が、そう言って写真を内ボケットにしまった時、一陣の旋風(つむじかぜ)が彼の背後で唸った。それきり、人の気配は消え去っていた。

 気が付くと、背広の男も、初めからそこに居なかったかの如く、消えていた。




「あー、しんどかった。やっと、自由になれましたね、『虫取り屋』さん」

 ネットカフェへの道行(みちゆき)で、理沙は、本当に清々した様子で、虫取り屋に話し掛けた。彼は、もう『山田一郎』では無かったし、『理沙の伯父さん』でも無かった。

「そうだな」

 珍しく、虫取り屋が返事をした。そして、更に驚くべき事に、こう続けたのだ。

「今日は悪い事をしたな。オレが『ヘマ』をしたばっかりに。大丈夫か?」

 最後のフレーズには、若干の気遣いさえ感じられた。

「わたしは大丈夫です。若いですから。虫取り屋さんみたいな『オジさん』じゃありません」

 少し先に立って歩いていた理沙は、元気よく身体を反転させると、にっこりと笑って虫取り屋を見た。

 冷たいLED照明の街灯の下、虫取り屋の姿は、何故か昨日とは違っているように理沙には感じられた。そのまま黙って立っている虫取り屋に、理沙は、

「どうかしましたか?」

 と、声をかけて、小走りで駆け寄った。

 すると、虫取り屋は、

「ちょっと、そこにじっとしてろ」

 と言って、理沙を立ち止まらせると、彼女のすぐ目の前に立った。そして、彼は、右手をポケットから引き抜くと、理沙の頭の上に、そっと置いた。


──ただ、それだけだった


「ようし、これで良い。キレイになったぞ」

 虫取り屋の言葉は、最初、理沙には何の事か分からなかった。彼女がキョトンとしていると、虫取り屋は、すぐ側のショーウィンドウを指差した。

 そのガラス窓に映っていたのは……、

「わぁ、服が新品みたい。煤もホツレも、跡形も無いわ」

 理沙が、感嘆の声を上げた。

「何だぁ、そのう、危ない目に遭わせた……お詫び? みたいなものだ」

 虫取り屋の言葉は、いつもの抑揚のない呟くような声だったが、そこには何かしらの感情が含まれているように、理沙は感じた。

「あっ、またアカシアの能力(ちから)を使いましたね。使い過ぎは厳禁じゃなかったんですか」

 理沙は、クスクスと小さく笑いながら、虫取り屋に話し掛けた。

「今回は特別だ。……それと、コレだ。手を出してご覧」

 虫取り屋に言われて、理沙は両の手の平を上にして、彼の方へ差し出した。その上に置かれたものは、小さなひまわりの花の飾の付いたヘアピンだった。

「わぁ、どうしたんです、これ?」

 理沙は、その手に乗せられた物をマジマジと見つめると、虫取り屋に理由を訊いた。

「売り場で見ていたろう。……に、似合うと思ってな。きっと、カワイイぞ」

 彼は、そう言ったきり、押し黙ってしまった。

 ボロボロのコートを羽織った帽子の男に『有り得ない行動』を起こさせた少女は、目を大きく見開いて彼の顔を見上げた。そして、

「嬉しい。ありがとうございますっ」

 と叫んで、男に抱きついたのだ。


 昼間よりも冷たい風が時折傍らを通り過ぎる路地で、少し青みがかった街灯が、しばし、二人の男女を照らしていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ