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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
21/50

発現(5)

 虫取り屋と巨鬼(きょき)は、わずかに数メートルの距離をおいて対峙していた。


 彼等の他には、動くモノは見当たらなかった。さながら、凍結した時間の中にいるかのような二人だった。


──二人


 人間ではないこのモノ達を、『二人』と称するのは不適切であろう。では、何と呼べば良い?


──はしら→柱


 古来より日本では、神を数える時、『柱』と称していた。かたや神の座から転落した鬼。かたや神を超える存在が創りし装置(プログラム)。共に柱と数えるのに相応しい存在なのかも知れない。


 先に動いたのは巨鬼だった。

 右腕を持ち上げると、手の平を大きく開く。<ギギギ>と嫌な音がして、爪が鋭く伸びて鉤爪のようになった。(はがね)のように黒光りする爪は、鉄骨も、コンクリートをも、豆腐のように切り裂けるかに思えた。

 その様子を見た虫取り屋は、あろう事か歯を見せるほどの狂気に彩られた笑い顔を見せたのだ。


──今の虫取り屋は、何かが違う


 虫取り屋を知る者がその場に居たなら、彼のその姿に恐怖したかも知れない。

 虫取り屋が(バグ)に対峙する時は、いつもどこか面倒臭そうに振舞っていた。いや、怠惰・飽満・無関心と言って良いかも知れない。

 腐った魚のようなその瞳は、何の感情も見せない。ただただ、淡々とスクリプトを実行する自動機械(オートマトン)を見るようだった。

 それで、あの強さである。

 その虫取り屋が、戦いを楽しんでいる。その瞳は眼前の巨鬼をしっかりと捉え、ヤツを粉々に破壊する事を待ち望んでいるように見えた。それこそは、戦闘凶のそれである。今の虫取り屋と対峙すれば、その眼差しだけで、心が壊れてしまうだろう。

 だが、巨鬼は、虫取り屋に見つめられても怯みはしなかった。

 そうだった。巨鬼の精神は、最初から壊れていたのだった。ソイツの精神には、憎悪と憤怒以外は残っていなかったのだ。

 ソイツは、その瞳に強烈な邪気を湛え、凶器と化した右手を大きく振りかぶる。


 ゴウと風が唸ったようだった。


 巨鬼は、一瞬にして、虫取り屋との間合いを詰めると、天高く振りかぶったその手を振り下ろした。

 虫取り屋にかかっている重力は二十G。いつものような俊敏な動きは封じられている。

 あわや、虫取り屋の頭が鉤爪に斬り裂かれようとした時、彼は最小限の動きでこれを躱した。黒光りする鉤爪が、虫取り屋の顔と数センチと離れていない空を切った。

 直撃ではない。しかし、虫取り屋の顔には、四本の傷が走った。


──カマイタチ


 巨鬼の振るう鉤爪は、真空の刃を伴い、触れずとも物体を切り裂くのだ。しかも、傷が治らない。

 斬り裂かれた頬からは赤い血が溢れ、顎へと流れて、地面へと滴り落ちていた。

 しかし、血を拭う手は存在していなかった。

 そう言えば、理沙に分解されたままの彼の両腕は、未だに復元されていなかった。

 手足を切り飛ばされようが、腹を裂かれようが、次の場面では何事も無かったかのように、飄々とした姿を見せる虫取り屋の超再生能力も封じられているのか?

 だが、虫取り屋から笑みは消えなかった。その目は、更なる狂気を帯びているようにさえ見えた。

「へぇ。やるじゃないか、お前さん。いいなぁ。ホント、いい感じだなぁ。お前さんも、そう思うよなぁ」

 虫取り屋の声だけは、相変わらずか細く低く、独り言のようだった。それだけが救いであるように思えた。

 その言葉に誘われたのかどうなのか、巨鬼は二撃目を振るった。大気を切り裂くその鉤爪は、今度は下から虫取り屋の顎を狙った。

 身体を仰け反らせ、辛くも躱した筈であったが、またしてもその凶刃はカマイタチとなって、虫取り屋の胸を切り裂いた。薄汚れたシャツが引き裂かれ、血に染まってゆく。

 虫取り屋に激痛が走ったかどうかは分からない。しかし、再び傷を負った彼は、右足を一歩引いて後退った。二十倍の体重を支え、なおかつ両腕を欠いたアンバランスな態勢を、これだけで立て直した事は、さすがは虫取り屋と言うしか無い。

 しかし、巨鬼は、これを見逃さなかった。

 三度、虫取り屋を、唸りを伴った鉤爪が襲った。さすがに、これは避けられない。今度こそ、彼が斬り裂かれると感じたその瞬間、巨鬼の鉤爪は空中でピタリと停止した。

 その豪腕は、虫取り屋の蹴り足で以って受け止められたのである。


 その刹那、両者を、閃光とともに爆風が襲った。


 巨鬼の腕。虫取り屋の蹴り。そのどちらにも強烈なエネルギーが込められていたのであろう。二つは真正面からぶつかりあい、どんな法則が作用したのか、膨大な破壊力と化して開放されたのだ。

 辺り一面は、爆風で吹き飛ばされ、噴煙で覆い隠されていた。


 しばらくすると、もうもうとうねくる煙の中に、膝まづく巨大な影が見えた。巨鬼である。ソイツは、凶器であった右腕を押さえていた。手首から先が消えている。傷口からは、半ば砕け散った白い骨が覗いていた。そして、そこからは、形容し難い色の体液が吹き出していた。

 その巨鬼を嘲笑うかのように、煙の奥から人の形をした影がゆっくりと近づいてきた。

「どうだい。少しは効いたかなぁ」

 そう言ったのは、誰あろう虫取り屋である。

「治らないだろぅ。そりゃあ、そうさ。特製の破壊スクリプトを組んで、お見舞いしたからなぁ」

 そう言う彼の声は、どこか、巨鬼を嘲っているように聞こえる。

 虫取り屋が止めとばかりに武器を振るおうと右腕を上げようとして、やっと気が付いた。


──腕が無い事に


「そうか。これじゃぁ、出来んわな。……っしょっと」

 そう言いながら、虫取り屋が肩に力を入れると、<ギュルギュル>と不快な音がして肩が盛り上がった。そして、そこから黒光りする大鎌が生えてきたのである。いつもの、赤錆た草刈り鎌とは違っていた。

「ありゃ。やっぱ、プログラムがどっか狂ってるな。まぁ、今のオレにはちょうど良いかぁ」

 虫取り屋は、右肩の大鎌を見上げると、少し皮肉っぽくそう言った。

 鎌を握る腕までは生えてはこなかったが、この大きさと長さがあれば、単に振り下ろしただけで、眼前の巨鬼は両断されるに違いない。黒光りする(やいば)は、それだけの鋭さと切れ味を秘めているように見えた。

 他方、巨鬼は、手首を失った以外に何かしらのダメージを負ったのであろうか。未だに立ち上がれないでいた。

 爆煙が薄らいでくる。爆風の衝撃波によるものなのか、辺り一面は瓦礫と化していた。通りを覆っていたアスファルトが溶解して蒸発したのか、むき出しの焼けただれた地面が露わになっていた。

 両側に建っていた筈の建築物はあらかた破壊され、僅かに基礎を残すのみであった。

 虫取り屋が、戦闘で、このような大規模な破壊を行うことは、これまで見たことがなかった。


──何かがチガウ、ドコカが間違っている


 誰かが、そう思った。

 しかし、それが誰かなのかは分からなかった。


 コツコツと足音を立てて、巨鬼に虫取り屋が近づいてきた。

 巨大な鬼がその顔を上げた時、虫取り屋は既に目と鼻の先にいた。宙空を見上げると、遥か高くに、黒光りする大鎌が見て取れた。

「よぉ。お前さんさぁ、最後に言い残す事は無いかい。と言っても無理かぁ」

 そう言って、クククと含み笑いを漏らす虫取り屋に、巨鬼が初めて言葉を使った。

「……こそ……だ」

 かすれ声ではあったが、それは明らかに人語であった。

「何だぁ。よく聞こえないぞ」

 虫取り屋が不満げに言うと、巨鬼は、今度こそはっきりとこう言った。

「オマエこそが最大のバグ(・・)だ」

 これを聞いた虫取り屋は、一瞬、眉をひそめた。

「そっかぁ。『オレこそが最大のバグ』かぁ。言われてみれば、そうかも知れねぇなぁ。鬼の分際で、良い事言うじゃねぇか」

 そう言った虫取り屋の唇から除くのは、鋭く尖った牙であった。

「そんな事を言ったのは、お前さんが初めてだ。その言葉に最大限の敬意をはらおう。お前さんの事は、しっかりと歴史に刻んでやるよ」

 そう言って、ニッと笑った虫取り屋は、今度こそ大鎌を巨鬼に振り下ろした。

 黒光りする(やいば)が、轟音とともに巨鬼の頭を割ろうとした寸前、閃光が辺りを包み込んだ。

 まるで時間そのものが停止したかのように、虫取り屋の影は静止していた。


──そこまでです、デバッガ


 廃墟と化した通りに、音声を発しない言葉が響いた。


──これ以上の破壊は、アカシック・レコードに取り返しのつかない(ひずみ)を与えます


「あ、アカシア……」

 我知らず、巨鬼が呟いた。


 超次元演算知性体──アカシック・レコードをホロメモリとして駆動する神工知能アカシア。アカシック・レコード上に大きな不具合(バグ)が生じることは、アカシア自身の存在を左右する。

 アカシアは、単なるアカシック・レコードの管理者ではない。自己保存本能と自由意志を持った知性体なのである。

 自らの存在を脅かす存在(モノ)に、アカシアが容赦する事は無い。



──この時空間を、一旦リセットします


──全ては始まりへ還り、全ての終わりは無に


──歪は消え去り、平坦なデータに


──今こそ還れ、生まれ出るその前に



 それは天から響く神の声のようではあったが、それには一欠片(ひとかけら)の愛も、慈悲も、含まれてはいなかった。と同時に、怒りも、憎しみも、欠いていた。

「ワシも、還るのか? 原初の、その前に」

 再度、巨鬼が言葉を発した。


──オマエはナンだ? オマエなど知らぬ、なるようになればよい


 声は非情だった。

 元より、人を超え、神をも超えた存在である。そこに、何かしらの人間らしい感情を求めてはならないのかも知れない。

 巨鬼の言葉は無視され、煌めく光が、物体を分子へ、分子を原子へ、原子を核子へ、そして核子は素粒子へ。そして更に、素粒子はそれ以前の状態へ還元され、無へと消えて行った……。




「虫取り屋さん、この髪形、素敵だと思いません?」

 理沙(りさ)は、洗濯が終わるまでの待ち時間に読んでいたファッション雑誌から目を上げると、自動ドアの前にポツンと立つ虫取り屋に問い掛けた。

 黒いボロボロのコートを羽織った彼の後ろ姿は、あいも変わらずヨレヨレで、とてもまともな返事が返ってくるとは思えなかった。

 しかし、

「その髪形かぁ。お嬢ちゃんの髪の長さじゃあ、結えないだろう」

 と、か細く、弱々しい声が返ってきた。

 一体、どこに眼が付いているのだろう? 振り返りもせずに応えた虫取り屋に、理沙は「ムウ」とふくれっ面を作ると、

「そんな事、訊いてませーん」

 と、言い返した。


(もうっ、虫取り屋さんたら。女心ってものが分かってないんだから)


 虫取り屋としては、普段通りの返事をしたつもりなのだが、理沙には納得がいかなかった。

 彼女が、再び誌面に視線を移そうとした時、いきなり視界が流れた。

 理沙には何が起こったのか全く分からなかったが、監視カメラの録画データを見る限り、その時に起こった出来事は、次のようであったと推察される。


 外を見ていた虫取り屋が突如振り返ると、椅子に座っていた理沙を抱きかかえて店の奥に飛んだ。そして、瞬時にテーブルを倒してその影に入ると、彼女を覆い隠すように蹲ったのである。

 その一瞬の後、コインランドリーのガラス面は粉々になり、爆風とともに屋内に雪崩込んで来た。紅蓮の炎が店内を襲ったのは、その直後であった。



 駅から程近い商店などが並ぶ通りに、ガソリンを満載したタンクローリーが突っ込んで来て大爆発を起こした事が、翌日の朝刊の一面を飾ったのは言うまでもない。




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