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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
19/50

発現(3)

 ガラス一枚隔てたコインランドリーの外は、地獄絵図であった。

 鬼と化した者に虐殺された人々の血と肉塊が、舗装された街路を埋めていた。不快な悪臭が、建物の中にまで染み入ってきそうなくらいだった。

 屋内からそれを見ていた理沙(りさ)は、あまりの光景に吐き気をもよおしていた。


(酷い。何で? 何で、鬼達は、こんな酷い事が出来るの? そんなにもわたしを……、人間を憎んでいるの)


 彼女の見つめる先──そこには、最初に巨鬼(きょき)と化した男が立っていた。その憎悪に溢れた瞳は、一体何を映しているのだろう? 一睨みされただけで気絶しそうな狂気に満ちたその眼差しが、理沙の方を向こうとしていた。


──あれに見つめられたら、きっと正気ではいられない

──しかし、自分は、その狂気=凶鬼に負けたくはない


 理沙は必死で目を見開いていようとした。しかし、視界はボウとぼやけている。まるで、スリガラスから世界を覗くように、景色がはっきりしない。


(こんなんじゃ、いけない)


 彼女は片手で強く目を擦ると、再度、巨鬼を見つめ返そうとした。しかし、上手くいかない。理沙の意思に反して、首は、外から顔を背けようとしている。どんなに力を込めても、瞼はノロノロと閉じようとしている。

 理沙は深層意識の奥底で、鬼を恐怖していた。どんなに意思を強く持とうとしても、本能がそれを拒絶しているのだ。

 幾度にも渡って鬼の恐怖と隣合わせであった彼女だが、その精神は、十代の少女のそれである。原初の深淵から噴き上げてくる瘴気にも似たソレは、心弱き人間を容赦なくねじ伏せてしまう。

 太古、(オニ)(モノ)であった。小さき人ごときが、(カミ)に逆らうなど、畏れ多い事かも知れない……。

 それでも、理沙は立ち向かおうとしていた。


──こんな惨事はどこかで断ち切らないとならない

──それが、端末(ターミナル)として生まれ落ちた自分の生きる理由ではないのか……


 理沙は、今一度、街路へ目を向けようと心を強く持った。


(もう一度アレを見たら、今度こそ、わたしは気が変になってしまうかも……。でも、あんな酷い事をする(モノ)に、このまま負けたくはない)


 決意した理沙は、その強い眼差しを再び外に向けた。彼女の視線に気が付いたのか、恐怖と憎悪の塊のような巨鬼が、こちらに目を向けようとしているのが目に映った。

「ひっ」

 息を呑むような悲鳴をあげて、今にも閉じそうな瞼を、理沙は必死で開こうとしていた。


 巨鬼と理沙の心の戦いは、ほんの一瞬の事だったのかも知れなかった。

 しかし、それは彼女には悠久の事のように思えた。


──このまま続いたら、わたしは干からびてしまう


 そんな事さえ、彼女の脳裏を取り巻いていた。

 遂に心が折れそうになった時、巨鬼と彼女の間に割って入った影があった。ハッとして、理沙は眼前を塞ぐ人影に、思わず見とれてしまった。

 それは、黒いボロボロのコートを羽織っていた。強い光に曝されれば、細かい塵と化して砕けてしまいそうな程にか弱く見えるその背中こそ、虫取り屋であった。

 彼のその瞳は、きっといつもと同じく、腐った魚のように頼りなく敵を見つめているに違いない。

 飄々としたその影は、容赦なく打ち付ける鬼気をも霧散と化して、相変わらず無関心を装っているだろう。

 一見頼りないその影は、どんな時にも、どんな敵をも、難なく退けてきたのだ。


 だが、今回は少し違った。


──彼の後ろ姿には、在るべき両腕(・・)が無かった!


 虫取り屋は、能力(ちから)を暴走させてしまった理沙を止めようとして、逆に彼女のプログラムに干渉されてしまったのだ。寸での事で存在の消去(デリート)は免れたものの、彼の両腕は、素粒子レベルで微塵に砕け、分解されてしまった。

 虫取り屋の必殺の武器──二丁の草刈り鎌を操る肝心の両手が失われているのだ。

 そんな状態で、どうやって最強レベルの鬼に立ち向かおうと云うのだろう。

「虫取り屋さん! そんな身体では戦えませんっ」

 我知らず、理沙はそう叫んでいた。

 その所為であろうか。虫取り屋が自動ドアの前に立っても、そのセンサーは全く反応しようとしなかった。強い風が吹き付ける為であろう、透き通ったガラス戸はガタガタと音を鳴らして嫌々をしていた。

 虫取り屋は、「ふぅ」と溜息を吐くと、チラリと後ろに目を向けた。

「心配するな。巨鬼(アイツ)は、オレが何とかする。お嬢ちゃんは、安心してそこで待ってるといい」

 そう言う声は、やはりか細く弱く、コインランドリーの換気扇の音で今にもかき消されそうであった。しかし、その言葉は、何故か理沙にははっきりと聞こえていた。

 虫取り屋の声に、理沙は一瞬、「ブルッ」と身体を震わせたが、

「でも、虫取り屋さん。両腕が無いのに……。どうやって戦うって言うんです」

 と、彼を心配してそう言った。両親も兄をも失って、理沙にとっての身近な者は、虫取り屋しかいないのだ。そんな彼を失ったら、自分は、もうどうしていいか分からない。

 折角、鬼無(きなし)と云うヒントが見つかったのに。目指す目的地が、分かったのに。こんな所で終わらせたくは無かった。

「虫取り屋さん」

 理沙はもう一度彼に呼びかけた。しかし、二の句が出ない。彼女は虫取り屋を見つめながら、モジモジしている事しか出来なかった。

 そんな彼女へ、虫取り屋は、

「お嬢ちゃん、あんた、勘違いしてないかい? オレは超次元演算知性体──神工知能アカシアのデバッグプログラムなんだぜ。あの程度の(バグ)なんて、大したこと無いさ」

 と、理沙に話して聞かせた。

「な、そうだろう。だから、何も心配することは無いさ。ただ……」

 虫取り屋が、一旦、言葉に詰まった。

「……ただ?」

 理沙は、オウム返しのように、それだけを口にした。

「ただなぁ……、見ていて気分の良いものじゃあないからなぁ。出来れば目を瞑って、下を向いてろ」

 と、両腕のない帽子の男は、理沙にそう言った。

「は……、はい」

 少女は力なくそう答えると、まだ心配そうな顔で虫取り屋を見上げていた。

「いい()だ。じゃぁ、ちぃっとばかし、ここで待ってろ」

 いつも以上に頼りなさげな影は、そう告げると(きびす)を返した。

 再び自動ドアのすぐ前に立つと、透明なガラス戸は、未だガタガタと音をたてて開くことを拒んでいた。しかし、それも数秒の事。遂に諦めがついたのか、自動ドアはノロノロと左右に移動して、戦士の通り道を形成し始めた。

 自動ドアが開ききるまでに十数秒を要したが、そこを通ろうとする影は、気にしている風には見えなかった。

 ただ、彼は、出入口を通り過ぎる時、もう一度、理沙の方へ顔を向けると、彼女をチラリと見やった。

 理沙には逆光でよく見えなかったが、虫取り屋が、口の端でニヤリと笑ったように思えた。それは、いつもの虫取り屋らしくは無かったが、彼女を安心させるには充分であった。

 その所為であったのだろうか? コインランドリーの椅子に座る少女は目を見開いたままだったが、その黒瞳が不鮮明になっていた。そして、心ここに在らずという感じで、彼女は椅子の背もたれに力なくもたれかかって、そのままぐったりとして動かなくなった。


「やっと、『抗体』が効き始めたか。ふぅ、えらく手間取ってしまったな」

 謎の言葉を口にした虫取り屋は、改めて、消去すべき『バグ』を見やった。


 それは、元はごく普通の若者であったが、今は身の丈三メートルに近いかと思われるほどの巨漢と化していた。

 ゴツく隆起した筋肉は、その四肢に驚異的な剛力を与えるだろう。

 指先の爪は鋭く伸び、鋼鉄(はがね)をも切り裂けるように思える。

 そして、頭部には醜悪に捻くれた角を生やしていた。

 口からはみ出ている牙は、黄色く変色してはいたものの、猛獣のそれにも劣らないように見えた。

 更に、何よりも恐ろしかったのは、憎悪を蓄えた瞳と憤怒の表情であった。『怒り』と『憎しみ』──それこそが鬼の本質であり、力の源であった。


 だが、今回の鬼は、これまでとは違う。

 アカシック・レコードを編集する能力を発現させた理沙が、人間をベースに生み出した特別な巨鬼である。


──筋力・俊敏性、共に最強クラスを遥かに超える

──憤怒の力も三十パーセント以上は強いだろう

──その上、何らかの超能力(ちから)を秘めている気がした


 虫取り屋は、瞬時に巨鬼のパラメータを見て取った。高いスペックを持っている。心してかからねばならない。だが、引っかかるモノがある。ヤツの持つ、秘められた超能力とは……。

 虫取り屋は、いつになく慎重であった。それは、両腕を無くしている所為だけでは無いようだった。


 と、その時、巨鬼が咆えた。


 その咆哮は耳をつんざき、街路に面した店舗のガラス窓を──いや、周辺の空間と大地をも大きく振動させた。


──来るか


 虫取り屋は、敵の接近を察知して移動しようとしたが、何かに足を取られたように動きを止めた。否。動けなかった。その不安定な姿勢の眼前に、巨鬼がいた。その瞬発力で、瞬時に移動してきたのだ。


──マズイ


 と思う間もなく、虫取り屋は巨大な拳に殴り飛ばされていた。およそ十数メートルほども宙を飛んだ虫取り屋は、力なく地面に転がった。

 いつもなら、残像を残すほどの移動速度で敵の攻撃を躱し、カウンターを返す虫取り屋の戦法が通じない。

 しかも、身体が重い。打撃のダメージか? いや、これは……、


──重力


 そう。巨鬼は、バトルフィールドの『重力』を操っていたのだ。

 重くなった身体を両足だけで支え、虫取り屋は何とかその場に立ち上がった。だが、数倍になった重力が、容赦なく彼を地面に貼り付けようとしていた。顔を上げたその先には、巨鬼を先頭に、十数体の鬼がゾロゾロと集団を成して、虫取り屋に近づいて来ていた。

 重力は、巨鬼自身や、他の鬼達には作用していないのだろうか。彼等の憤怒の表情からは、それを読み取るのは難しそうだった。

「さぁーて。思ったよりも難儀だな」

 虫取り屋は、さしてダメージを負っていないように、こう呟いた。相変わらずか細く、独り言のようだったが、それは何故か鬼達の耳にはっきりと聞こえた。

 それでだろうか。先頭の巨鬼は、再び、その獰猛な咆哮を天に向かって放った。


──その途端、虫取り屋の膝が崩れた


 さらに重力が増した。八G、十G、十二G、……まだまだ強くなる。

 今やそれは二十G──普段の二十倍の重力が虫取り屋を捕らえ、その場に膝まづかせようとしていた。足下の地面が<ピシリ>と音を立てる。彼の立っているコンクリートの地面が、その重さに耐えきれなくなって、自らを砕いたのだ。過大な重力は、そのまま地の底まで虫取り屋を引きずり込もうとしていた。

 鬼の群れはすぐ側に迫っている。しかし、虫取り屋には、武器を振るう腕がない。俊足の移動も、怪鳥のような跳躍も封じられた。


 誰の目にも、虫取り屋は鬼の一団に虐殺されてしまうものと映るだろう。


 もしかして、理沙を昏倒させたのは、自らの無惨な死を彼女に見せない為だったのだろうか?


 虫取り屋は、今、最大のピンチを迎えているように見えた。巨鬼も、自分達の勝利を確信していただろう。

 重力を操る──そんな超能力を持つ巨鬼が、虫取り屋に止どめを刺そうと近づこうとした時、その歩みがピタリと停まった。

 狂気に彩られた巨鬼の瞳は、一瞬、何かしらの感情めいたモノを宿したように見えた。その瞳の見つめる先にあったのは……、


「くくっ。なかなか便利な超能力(ちから)じゃないか。まぁ、これも、いいハンデか。本気(・・)を出すのは何十年、……いや、何百年ぶりかなぁ」


 そう呟きながら、歯を覗かせるほどに笑顔を見せる虫取り屋の顔がそこにあった。




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