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鬼怪神  作者: K1.M-Waki
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発現(2)

 神工知能アカシア──それは、過去から未来に渡っての宇宙の全てを記録しているアカシック・レコードをホロメモリとして駆動する超次元演算知性体である。

 虫取り屋は、アカシアのメモリ──すなわちアカシック・レコード上に生じた不具合(バグ)を消去するために構築された、専用のデバッグプログラムであった。その機能を実装した際、虫取り屋にメインメモリとは他に、専用のプライベートメモリとストレージが用意されていた。それは、十一次元時空間を四次元時空連続体に折り畳まれた際の余剰次元に格納され、他のストレージとは隔離されている。

 だからだろう、虫取り屋は、理沙(りさ)に起こっている異常に気が付いていた。


「お嬢ちゃん、一体何をしている!」


 そう言って、虫取り屋は椅子に座っている理沙の両肩を押さえつけた。

「え? 痛い。虫取り屋さん、痛いです」

 理沙は、そう言って虫取り屋に抗議した。しかし、彼の力は圧倒的で、どうしても理沙には振り解く事が出来なかった。

 痛みだけが、理沙の両肩に食い込んでくる。

「どうしたんですか、虫取り屋さん。離して下さいっ」

 尚も理沙は(あらが)ったが、虫取り屋は、その手を離さなかった。

「お嬢ちゃん、落ち着け。無闇に能力(ちから)を使うもんじゃない」

 虫取り屋の言う理沙の能力とは、アカシアにコマンドを送る端末(ターミナル)としての機能だった。つまり、その権限に応じて自由にアカシアのメモリ──アカシック・レコードの情報を書き換える事が出来る。使い方によっては、死人を蘇らせることも、天候を左右することも可能な、神をも超える超能力である。

 そんな能力を、「理沙が今使っている」と、虫取り屋は言っているのだ。

 そこまでは、彼女にも理解は出来た。しかし、能力を使っていると云う自覚は全く無かった。というより、使い方そのものを、理沙は知らされていなかったのだ。

「虫取り屋さん、わたし、能力(ちから)なんか使っていません。痛いですから、離して下さい」

 理沙は、両肩に喰い込むような虫取り屋の指を不快に感じた。それ以上に、ホームレスそのままの風体の彼が、間近にいることが不快だった。

「落ち着け、お嬢ちゃん。自分を取り戻すんだ」


(自分を取り戻す? 一体、どういう事?)


 理沙は、自身に起きている変化に、全く気が付いていなかった。

 今、彼女の容姿は、ファッション雑誌のグラビアに影響されて、頻繁に上書きされていた。

 この事象を虫取り屋以外の者が見ていても、理沙の容貌が大きく変化している事に気が付くことは有り得ない。アカシック・レコードの記録は、この世の全ての事象その物だ。『アカシアのメモリの通りに実行することしか出来ない』万物の事象は、『今そうなっている事』が当たり前なのである。

 しかし、いくら事象を自由に書き換えられると云っても、そこには制約がある。


──因果律に反した事象は不具合(バグ)となる


 と云う事だ。辻褄に合わない事象が連なると、アカシック・レコード上に歪が生じ、最悪の場合、世界そのものが崩壊してしまう。

 そうならないための、セーフティーデバッグシステムが虫取り屋なのだ。


 今、彼は最大級の不具合(バグ)を相手に、懸命に修復を行おうとしていた。

 理沙が、このまま自分自身の姿を頻繁に書き換え続けた場合、彼女の存在そのものがボヤケて消失する危険すらある。早急に処置を施す必要があった。


 まずは、理沙を落ち着かせて、暴走を停めないとならない。今は、この狭いコインランドリー内の空間だけで納まっているが、影響が外に及ぶと取り返しのつかない事になってしまう。虫取り屋は、出来れば、理沙をバグとして消去する事は避けたいと思っていた。


 取り敢えずは、近傍の空間を隔離し、次いで、理沙からアカシアへのアクセスを遮断する。その上で、彼女のプログラムに割り込みをして、保護のためにコマンドスクリプトの書き換えを行う。


 それが、虫取り屋の取ろうとした、第一番目の対策だった。出来れば、その際に、彼女の能力にプロテクトがかけられれば、尚良いだろう。

 しかし、彼のそんな甘い考えの中に、隙があったのかも知れない。

「い、痛いです。いい加減にして下さい! は、離してっ」

 理沙は激しく抵抗すると、無理やり虫取り屋の腕を振り払おうとした。


──マズイ!


 一体、何が起きたのだろう……


 虫取り屋は、瞬時に理沙の元から大きく飛び退っていた。理沙の周りの空間に、違和感を感じたからだ。

 しかし、その判断は一瞬遅かった。


 見よ!


 憤怒の化身にも思える怪物──鬼達さえも容易に退けてきた虫取り屋の腕が、肘の部分から燃え尽きた灰が散るように、粉々に崩れて分解し、それは跡形もなく宙に消えたのである。

 単なる分子分解ではない。質量──物質の存在そのものが削除(デリート)されたのだ。


「オレのプログラムに干渉してきた? ……恐るべき力だ」


 虫取り屋は、両腕を失った事など、どうでもいいコトのように、無表情に呟いた。

 一見、腕を失った以外には何のダメージも受けていないような、棒読みのような言葉だった。しかし、彼は焦っていた。


──理沙のプログラムにアクセス出来ない


 彼女も、アカシアのターミナルプログラムである。であれば、理沙も、バックアップや作業用に使うプライベートメモリを持っているのかも知れない。その上、虫取り屋のデバッグコマンドを受け付けない。しかも、虫取り屋のプログラムにまで干渉してきたのだ。

 理沙は、虫取り屋の考えていた以上の、上位プログラムであるらしい。


 いつもは、暑かろうが寒かろうが、全く気にもとめない虫取り屋が、冷や汗をかいていた。ジワジワと湧いてくる湿気が集まって水滴となり、それは虫取り屋の頬を伝わって、顎からポタポタと滴り落ちていた。


──これ(・・)が『恐怖』と云う感情なのか


 彼は、初めて感じた感覚に、感動すら覚えていた。そして、その感情が、虫取り屋が次の行動に移ることを躊躇(ためら)わせていた。彼は、まるで蛇に睨まれた蛙のように、ただ、その場に立ち尽くしている事しか出来なかったのである。


 そんな『ありえない事象』を起こした本人は、コインランドリーの薄汚れた椅子に座ったまま、唖然として虫取り屋を見つめていた。

「虫取り屋さん、……どうしたんですか? その腕は?」

 理沙は、虫取り屋の両腕が消えている事を認めて、呆気にとられていた。


(虫取り屋さんは、わたしを鬼達から助けてくれた。いつも、いつも、わたしがピンチの時は、両手に鎌を持って、怖い鬼を倒してくれた。そんな強い虫取り屋さんから、両腕を奪うなんて……。今度の敵は、相当に手強いのかも知れないわ)


 理沙は、そう考えると、反射的に周囲を見渡した。ふと、ガラスドアの向こうを歩く人並みが目に入ってきた。

「もしかして、今度襲ってきた敵って、あの人達ですか?」

 彼女は不安にかられて、そう虫取り屋に訊いた。

「いかん! お嬢ちゃん、何も考えるなっ」

 虫取り屋らしくない、真に迫った言葉だった。普段の彼の言動からは、考えられない。

 だからこそ理沙は、反射的にこう思ったのかも知れない。


(そうだわ。きっと、あの人達の中に、鬼が隠れているのに違いないわ。虫取り屋さんを、ここまで窮地に追い込んだんですもの。きっと、トンデモなく強くて、凶悪な鬼に違いないわ)


 理沙は、ガラスの向こうの人並みを見つめると、

「そうなんですね。あそこに、『敵』がいるのですね」

 と、口走ってしまったのだ。

「いかん! 空間を遮蔽しなくては」

 しかし、虫取り屋の処置は、一瞬、遅かった。

 たまたま理沙と目があった一人の男性が、胸を掻き毟るともがき苦しみ始めたのだ。

 彼の肉体は内部から膨れ上がり、その体格はふた周り──いや、それ以上に膨らんだ。鋼のような筋肉の盛り上がりに耐え切れず、革のジャンパーとGパンの布地が引き裂かれ、周囲に弾け飛んだ。

 その顔は醜く歪み、だらしなくヨダレを垂らした口からは黄色く汚れた牙が覗いていた。

 そして、頭皮を引き千切るように、頭頂・額・両のコメカミから醜く捻くれた角が<メキメキ>と音をたてて生えそろった。

 だが、何よりも恐ろしかったのは、その『憤怒』の表情である。

 一体、何に対して怒っているのだろう。焔のように燃える瞳はあらゆる悪意を内包し、怒りと憎しみで以ってガラス越しに理沙を睨め付けていた。


「き、きゃー」

「な、何なんだ、コイツは!」

「ば、化物っ」


 憤怒の巨鬼(きょき)へと変化(へんげ)した男性の側に居た人々は、突然の霹靂に恐怖し、逃げ出そうとした。しかし、逃げ遅れた三人ほどの老婆と学生達が、巨鬼の爪の犠牲となった。

 その鉤爪は、如何に鋭かったのだろうか。その腕は、如何なる剛力を持っていたのか。ついさっきまで人間の形をしていたモノが、呆気なく引き裂かれ、無数の肉塊となって血飛沫と共に周囲に飛び散ったのである。

 それは、人々に更なる恐怖を植え付け、パニックに陥らせた。

 彼等・彼女等は、我先に逃げ惑い、小さな者・力弱き者は、群衆に押し倒されて犠牲となった。


 だが、恐怖はそれに留まらなかった。

 逃げ惑う人々の中から、更なる鬼が出現したのである。

 それは、さながら、感染力の強いウィルスがパンデミックを起こしたかの様に、恐怖にかられた者達を醜悪な鬼へと変化(へんげ)させていったのだ。


 いつしか通りからは、『生きている人間』は消え、後には血臭を放つ肉塊と、角を生やした醜悪な化物(ばけもの)達が残るのみであった。それは、さながら『地獄絵図』そのものであった。


「あ、ああ、……あああああ」


──また、自分のために多くの血が流され、たくさんの生命が犠牲となった


 理沙は、眼前の惨劇から、眼を離せないでいた。

「こんなはずじゃない。こんなはずじゃ、ないのに……」

 後悔の念だけが、理沙を襲った。


端末(ターミナル)の能力なんて、持っていても何の役にもたたない。わたしの存在って何? こんなにたくさんの人達を犠牲にしてまで、わたしが生きている必要なんてあるの?)


 理沙は頭を抱えた。目蓋を押しのけて溢れ出る涙を、彼女は抑えることが出来なかった。


「チッ。間に合わなかったか……。お嬢ちゃん、動くんじゃない。そこでジッとしてろ。あの化物達は、オレが何とかする」

 両腕を失ったままの虫取り屋は、コインランドリーの自動ドアの前に立った。

 これ以上、時空の変異を広げてはならない。冗談抜きで、世界が崩壊してしまう。しかも、その惨劇の原因たる『鬼』を創ったのが理沙自身だと、彼女が知ったら……。

 理沙は、自身でその存在を消去(デリート)してしまうかも知れない。彼女ほどの上位プログラムが、そんな事を実行したら、アカシアの中枢機構(カーネル)そのものにもダメージを与えるかも知れない。手遅れになる前に処置を行わなければならない。それが──それこそが、虫取り屋の使命だった。


 だが虫取り屋よ。両腕を失った今、どう戦う。


 今度の敵は、『虫取り屋の腕を奪った程の凄まじい実力(ちから)を持っている』と理沙に認識されて生み出された鬼である。

 当然、今、理沙が認識している虫取り屋の能力を、大きく上回る戦闘力を授かっているだろう。

 しかも、急がなければならない。


「ちぃっと、しんどい(・・・・)事になりそうだな」


 虫取り屋は、我知らず、そう呟いていた。そして、僅かな微風にもかき消されそうなその言葉は、何故か理沙の耳にはハッキリと聞こえていた。




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