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短編

いつか、あなたの隣で

作者: ととり



怜くんは、わたしのお向かいの家のお兄さんの友達で、ピアノ教室でよく出会うお兄さんだ。先生の息子さんなんだって。今高校生で、私よりも7つ年上なんだ。いっつもむすーっとしてるから怖い人なんだな、お話しちゃいけないんだな、って教室でばったり会うことがあっても挨拶ぐらいしかしたことがなかったから、お向かいのお兄さんと楽しそうにお話してるのを見た時にはビックリした。ほんとうに、ビックリしたんだよ。



「怜くん怜くん」



「どうした」



「今日ねー学校で豆まきしたんだよ。わたし、いちばんいっぱい拾った!」




ほらね!って突き出した紙袋の中には小さいパックに詰められた豆がいっぱい入っている。先生が「今日は節分だから、豆まきするぞ!」って言って教室中にお菓子の豆をばらまいて、みんなで一生懸命拾ったんだ。何を隠そう、周りの友達と拾った数の教え合いっこしたら私が一番だったのだ。おかげで袋はずっしりと重たい。




「……節分は、そういう行事じゃないと思うが」



「んー?違うの?面白かったよ!」




先生がわーってばら撒くのにみんな飛びついていくの。夏はプールの中にビー玉を投げ入れて、拾った数の分だけお菓子くれたりもした。楽しい先生なのだ。



「でもねー大事なことがあってね」



「何だ」



「わたし、豆嫌い」



「……。」



そう、何を隠そう、豆は美味しくない。煮ても、焼いても、茹でても、美味しくならない私の嫌いな食べ物なのだ。そう言うと怜くんは気難しそうに眉間に皺を寄せて大量の豆が入った紙袋に手を伸ばした。




「なら何故拾った…と言いたいところだが、小学生ならそんなもんか…」



「んー?なに?」



「いや、なんでも。それ、貸せ。食えるやつに貰ってもらうほうがいいだろう」



「うん!」




やっぱり、怜くんに相談して正解だったなぁ、とわたしはにこにこした。




「お?怜じゃん。…と瑠衣?何してんの」




無事に紙袋が怜くんの手に渡ったところで、誰かが怜くんのことを呼んだからひょい、と体をずらして大きな怜くんの後ろをのぞき込む。そこには、お向かいのお兄さんが制服姿で立っていた。



「あ、はーちゃん」



「よう」




わたしがそう呼ぶと軽く手を上げて目尻をゆるめた甘そうな顔で笑った。そのまま怜くんのとなりに並んで紙袋を覗きこんでいる。




不思議だなぁ、って思うんだ。このお兄さん2人が仲良しなのって、不思議。だって、学校だと明るい子は明るい子と。静かな子は、静かな子と仲良しなのだ。けれど、はーちゃんと怜くんは全然一緒じゃない。茶色くてふわふわの髪に、甘い笑顔のはーちゃんと、黒くて真っ直ぐな短い髪に、きりっとした顔であんまり笑わない怜くん。




お母さんは、「怜君みたいな子は日本男子、っていうのよ!切れ長の一重にクールな佇まい、あと15年遅く生まれていれば……」って言っていて、それをお父さんは複雑そうな顔で見ていた。難しい。お母さんが15年若かったら、わたし、生まれてないよ?って言ったらお父さんにギュウギュウに抱き締められてすこし、痛かった。なんだろう、大人ってよく分かんない。




「はーちゃん、豆、食べる?」



「いや、俺豆ムリ。……ていうか、何この大量の豆」



「学校で、もらった!」



ふん!と胸を張ると、はーちゃんに「ガキは安いなー」って笑われて、髪の毛をぐしゃぐしゃにされた。

なんだよう、もう。さっさと髪を直していると怜くんがふい、と紙袋ごと手を伸ばしてきた。どうしたの?って見上げるとちょっとだけ、唇の角っこがふんわり緩んでいた。



「これ、早めに食ってもらったほうがいいんだろ。行くぞ」



「ん、うん」



「綺月も手伝うか?豆配り」



私の手を掴んだ怜くんが、はーちゃんににやりってした。ほら、わたしにはそんな顔、してくれないのに。なんだか、ずるい。




「…いやー俺、用事あるんだったわ。残念。怜、立派に豆配りしてこいよ」




真剣な顔で怜くんの肩をぽん、って叩いたはーちゃんに怜くんはチッって舌打ち…した?高いところにある2人の顔を見てるとなんだか楽しそうだったから、悪いことじゃないのかな。よく分かんない。

ばいばーいって手を振るとはーちゃんはお家に入っていっちゃったから、怜くんを見上げてみる。嫌、かなぁ。はーちゃんも、怜くんも、お兄さんだから。子供の面倒をみさせられるのは、嫌、かなぁ。




面倒くさい。そう言って、嫌そうな顔をする人がいる。だから、迷惑はかけちゃいけないんだってわたし、知ってる。



「怜くん怜くん」



「なんだ」



「あの、用事、忙しかったら大丈夫。豆、全部お父さんにあげる。だからあの、大丈夫、だよ」




最後のほう、大丈夫って言葉。なんか元気が抜けていっちゃって上手に言えなかった。少し悲しくて地面を見ながら言ったから、聞こえなかったかもしれない。



「あのな、瑠衣」


「ん」



つないだままの左手がぎゅって強く握られた。大きくて暖かいそれにすこしほっとして、顔を上げると怜くんは口元を反対の手で覆ってそっぽを向いていた。その肩が、小さく揺れている。




「節分は、年の数だけ豆を食べることで、健康であれますように、って意味がある。だから、この40袋近くある豆を全部お父さんにあげると、お父さんは400歳まで頑張って生きないといけなくなるんだ」



「えっ」




口元を抑えたまま真剣な、硬い声で怜くんがそう言うものだから、わたしは慌てた。近所で一番長生きのおばあちゃんは、今年で106歳だ。それでもあんなにしわしわなのに、400歳まで生きていたらお父さんはどうなってしまうんだろう。しわしわでよぼよぼで、近所のおばあちゃんみたいに、にゃんこに向かって自分の子供の名前で呼んだり、冬場になると玄関先で乾布摩擦を始めておまわりさんに必死で止められたり、突然姿が見えなくなったと思ったら大量の山菜を抱えて戻ってきて家族に涙ながらに騒がれたり、大変なことになるんじゃないかな。




わたしはぶるりと震えた。近所のおばあちゃんは、学校の男子に「スーパーババァ」なんて呼ばれているすごい人だからまだいいのだ。でも、お父さんは「しがないサラリーマン」なのだ。きっと大変なことになってしまう。「しがないサラリーマン」で「うだつのあがらない中年」のお父さんは、きっと近所のおばあちゃんみたいな元気なお年寄りにはなれないと思うのだ。



「だ、だめ。そんなに長生きできないもん。お父さん、可哀想だよ」



「そうだろ。だから、この豆は健康で過ごしたい、豆が好きな奴に食べてもらうのが一番いい」



「うん!」



怜くんは優しい。ちゃんとお父さんのことも心配して、わたしがいっぱい拾った豆も欲しい人にあげようとしてくれるんだ。




「だから、何も心配することなんかない。豆好きな奴なんて腐るほどいる」



真面目な顔して私の手を引いて、怜くんはピアノ教室の生徒を片っ端から捕まえて豆を配った。それでも余った分は部活の後輩にやろう、といって怯える高校生のお兄さんやお姉さん一人ひとりに表情ひとつ変えないまま、健康の大切さを説明しながら渡していったのだ。






















「節分、かぁ」


苦々しく幼い思い出を懐古しながら、私は喫茶店の窓から白で彩られる街を見つめていた。なんでそんな昔のことを思い出したのかといえば、お茶目なナイスミドルなマスターが本日は節分ですから、と大豆のケーキをサービスしてくれたからなのだけれど。



豆、豆である。




昔ほど徹底的に苦手ではないものの、好き好んで食べようとは思えないそいつがでん、と眼の前に鎮座している。あぁ、人の善意が裏目に出ることがあるなんて、悲しい現実だ。



つんつん、とフォークでそれをいじっていると、カラン、と入り口の方から入店音が聞こえて、その気配はまっすぐにこちらに向かってきて、私の真横で止まった。待ち人、来たれりか。



「……遅い」


「悪かった」



頭上から低い声が落ちてくる。その人からは冷たい外の、冬の気配がした。顔を上げずに豆ケーキをつんつんしている私を尻目にコートを脱いできっちりとしたスーツ姿となったその人が対面の席に座る。



「何、してるんだ?」



その問いかけに答えるかわりにずい、と豆豆しいケーキをお皿ごと突き出した。



「私、豆苦手」



「……。」




呆れたような、そんな気配を漂わせるその人に顔を上げて視線を向ける。切れ長の一重に薄い唇。冷たそうなその顔立ちは、いつかの節分の日に大量の豆を抱え込んでいた私の手を引く仏頂面と重なって消えた。




「なら、なんで頼んだんだ。瑠衣、本当は豆好きなんじゃないか?」




きりりとした目線が和らいで、薄い唇が弧を描く。



「それは、ない。サービスでもらったの。今日は節分だから」



「あぁ、それで」



「……健康でいて欲しい人が。目の前にいるわけだし。ちょうどいいかなって」



「言うようになったな」



くす、とかすかな音を立てて怜は笑ってくれた。あの頃からしたら、結構な進歩じゃないかな。



「まぁ、これぐらいなら俺一人でも食べられなくはない」



「……その節は、大変お世話になりました」



ついさっきまで一人浸っていた幼い記憶を、今の彼が共有してくれることがむず痒くて、複雑な思いでぺこりと頭を下げた。



ブレンドコーヒーを注文して、若干フォークの跡の残る豆ケーキを口に運ぶ彼を真正面から見つめてみる。頬杖吐いてまじまじと眺めるわたしに、何を思ったのか豆ケーキの欠片が乗ったフォークを差し出してきたから、彼の腕を引き寄せて、ざらりとした複雑な食感のそれを口に含んだ。



「…やっぱり、美味しくない」



「そうか。まだ、子供だな」




唸るように呟いて、なんとかそれを飲み込んだ私に向けられる視線は、あの頃とそうかわらない、優しい温度を含んでいる。



もう、子供じゃないよ。


そうやって、笑ってくれるようになったのは、誰のため?




口に出せない言葉も一緒に飲み込んで今はまだ、向い合っていられるこの距離で。








初恋の君との未来を、今日この日に願ってみよう。














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