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朝のホームルームは全体的にどこかそわそわしているようだった。
「今日、なんかあるのか?」
「さあ?」
隣に座っている昌美も首をかしげる。
首にタオルが下がっているのは、朝練でかいた汗をぬぐうためだろうか。実に男らしい。
「そういや、あそこに机なんてあったっけ?」
目線で教室の後ろの方にある机を示す。
「え、あ、ホントだ。もしかして転校生でも来るんだったりして」
「まだ新学年が始まって一ヶ月ちょっとだぞ。そんな奴いるのか」
「さあ、あたしは知らないけど」
教室に先生が入ってくると、その後ろに見知らぬ女子がいた。
隣の席の昌美がドヤ顔で何か言いたそうに笑っている。
「あー、今日からこのクラスに入った桜井寺和江さんだ。桜井寺、自己紹介をしなさい」
先生に促されて、女子は一歩前に出て背筋をすっと伸ばした。
それだけで好感度アップだ。姿勢がいいのは素晴らしい。猫背だったりするとそれだけ印象が悪くなる。
形よい卵型の頭に、すっとしたなめらかな曲線を描く顎のライン。髪はふんわりと柔らかく波打っており、胸のあたりまで長さがある。光の加減でうっすらと茶色がかって見えるけど、染めた感じではない。
「父の仕事の都合で今日からこの学校に通うことになりました、桜井寺和江といいます。皆さん、よろしくお願い致します」
頭を下げると、長い髪がさらりと音を立てるように流れた。
「おぉ……」
ため息にも似た声が教室のあちこちから聞こえてくる。
単純な話で、桜井寺がかなり可愛かったからだ。おまけに声もいい。鈴を鳴らしたようなっていう修辞があるけど、まさにそんな感じだった。
言葉遣いも丁寧で、育ちの良さが伝わってくる。今のところまったく隙がない。完璧なまでの美少女転校生っぷりだ。
ちなみに俺もため息を漏らした一人だったりする。
「なによ、鼻の下をびろーんってのばしちゃって。やーらし」
「うるさい。これは正常な男子にとっての生理現象だ」
「生理現象ねえ。ただのヘンタイじゃないの」
大きなお世話だ。
「あー、とりあえずだ……」
「はいはいはーい! 桜井寺さんはこっちに来る前はどこにいたんですか?」
先生の言葉を遮って、クラスで一番のお調子者である新田が質問をぶつける。
「東京です」
「おー……」
今度は男女半々ぐらいの声だ。
「好みのタイプを教えて!」
「そうですね、男子も女子も自分をしっかり持っている人は尊敬できると思います」
「ほー……」
優等生な回答に、今度はクラスのほとんどから声が上がった。
転校生に対するテンプレのような質問に余裕をもって受け答えしている姿は実に堂々としており、桜井寺の芯の強さを感じさせた。
「趣味も教えて!」
「こらこら。そういうのはもう少し仲良くなってからするもんだ」
質問を投げかけ続ける新田を笑いながら先生が諌める。
このクラスは先生からしてもうダメかもしれん。
「じゃあ、桜井寺はあそこの空いてる席に座ってくれ。出席とるぞー」
ホームルームが終わると、好奇心旺盛な連中が桜井寺の席を囲む。
先頭にいるのは昌美だ。あいつは好奇心の塊だから、こういうときはほとんどの場合、最前列を確保する。
「ねーねー、カズちゃんはなんでうちにきたの?」
「かずちゃん?」
「うん。和江だからカズちゃんね。いいよね、みんな」
振り返った昌美が同じく桜井寺の席を取り囲むクラスメイトに確認を取ると、全員がうんうんと頷く。
「まあ、三木が言い出したら修正不能だしなあ。悪いけど諦めてくれ」
新田の言葉にまたみんなはうんうんと頷いた。
「ちょっと、どーゆーことよ、それー」
凄む昌美の周りから誰もいなくなる。まさに蜘蛛の子を散らしたような展開で思わず吹き出す。
みんなの考えている事は手に取るようにわかった。さわらぬ神に祟りなし、だ。
「ほら、そろそろ一時間目が始まるからみんな席に戻って」
イインチョーがぱんぱんと手を叩くと、みんな大人しく自分の席へと戻っていく。
それでも離れようとしない昌美をなんとかして欲しいと言いたげにイインチョーが俺を見た。
「はいはい、わかったよ」
最後まで桜井寺の机にかじりついていた昌美の襟首を掴んで自分の席まで引っ張っていく。
「ちょ、ちょっとケージ、なにすんのよー」
「授業が始まるって。それに転校生が戸惑ってるだろ。そういうのはもう少し仲良くなってからやれ。悪いな、桜井寺。こいつに悪気があるわけじゃないんだ。許してやってくれ」
「いいえ。気にしないでください。素敵な愛称をありがとう。えーと……」
何か問いたげに彷徨う視線を捕まえる。
「俺は泉圭二。こっちのうるさいのは三木昌美。これからよろしくな」
「よろしくね! 仲良くしてね! 友達になろうね!」
「うふふ。こちらこそ、よろしくお願いします。仲良くしてくださいね」
昌美の友達になろう攻勢も笑顔で受け入れられる余裕があるらしい。
これはなかなかの逸材ではなかろうか。
今日の話題は転校生の独り占めだった。
可愛い女子がクラスに増えたのだから男子は当然として、思っていた以上に女子の反応もよさそうだ。
転校生のおかげで昌美が昨日の事を聞きに来ないでくれて俺としては助かった面もある。
昨夜はぐっすり眠れなかったので授業も集中して聞く事ができず、ぼんやりしていたら放課後という有様だ。
「ねえねえ、ちょっといい?」
昌美の猫なで声に教室を出ようとした足が止まる。
「先に言っとくけど、桜井寺に校内を案内するのならお前が付き添ってやれよ」
「それは別の子がやるっていってたから任せちゃった」
珍しい事もあるものだ。ああいった役回りは率先して引き受けるキャラなのに。
「んとね、早貴おねーちゃんにお手伝いを頼まれちゃったんだけどさ、ケージもいっしょに神社までいってくれない? 龍城英雄隊としてさ」
そういう事かと納得した。というか、その単語を他に人がいるところで口にしないで欲しい。恥ずかしいから。
早貴さんは俺たちの住んでいる龍城市にある鼎神社の一人娘、井奈早貴さんの事だ。小さい頃に早貴さんの実家でもある鼎神社をよく遊び場にしていた俺たちとは面識がある。ちなみに早貴さんは俺の姉貴と同学年でクラスが同じだった事もあった。
面識があるとは言ったが、実のところ様々な迷惑をかけてきたとした方が正しい。そういった過去があるので早貴さんからの頼まれ事は断りにくかった。
だから昌美も転校生の桜井寺の事よりも早貴さんからの頼みを優先したのだろう。
「じゃあ、早貴さんはまた巫女さんやってるのか」
実家が神社のためか、小さい頃から早貴さんは家の仕事の手伝いをしていた。具体的には巫女装束を着て境内の掃除をしたりとか、お守りやおみくじを売ったりとかだ。そういう意味でも久しぶりに会うのは楽しみだった。
「なんか、鼻の下がのびてない?」
「……気のせいだろ」
「どーだか」
初めて巫女装束を着た早貴さんを見た時はまるでお人形さんかと思ったぐらいに綺麗だった。
あの光景は今でもはっきりと思い浮かべる事ができる。
「早貴さんのお願いは断れないな。仕方ない」
「いってくれるの?」
「お前だけに任せておくと小さい頃の二の舞になりそうだからな」
ぶくっと昌美の頬が膨らむが、自覚があるのか口をへの字に曲げるだけだった。




