4-3
自転車を並走させて鼎神社へと急ぐ。
図書室で思っていた以上に時間を使ってしまったので、そろそろ西の空が赤く染まり始めていた。
逢魔時――人と魔がすれ違う頃合いだ。
「どうかした?」
「あー、いや、ちょっとね。この前のことを思い出して」
この時間帯にすれ違ったクラスメイトの事を思い出していた。
あれはインパクトが強かった。ただ私服なんて個人の好みなんだし、俺がとやかく言うような事ではない。ぎょっとしたのは事実だけど、似合っているいないで言えば間違いなく似合っていたわけだし。むしろ普通の格好をされていたら、これからは物足りなく思ってしまうかもしれない。
「今は……逢魔時ね。もしかして怪異に出会ったりでもした?」
微笑みながら問いかけられる。俺はゆっくりと首を振って否定した。
さすがにあれを怪異とは言えない。ただクラスメイトの一面を見てしまっただけの事だ。
「そういえば、鼎神社の娘さんってこっちに戻ってるんだよね」
強い風に髪が乱される。
イインチョーは何度か手櫛で整えようとしていたが、直した先に乱れていくので諦めたようだ。
「早貴さんの事? 昌美の話によると大学を卒業して戻ってきたらしいよ」
「それはおかしいわね」
「何がさ」
「私が聞いた話だと、早貴さんだっけ? 彼女は四年制の大学に進学したってことだったんだけど。高校卒業してもう四年経ってるの?」
ズキリとこめかみのあたりに鈍い痛みが走る。
片目を瞑りその痛みが治まるのを待つが、一向によくならない。
早貴さんと姉貴は同級生だった。
二人の進学した大学は違うが、京都にある四年制大学に通うために一人暮らしをしている。
通っている大学は――どこだったか。
そもそも、姉貴はまだ大学を卒業してなかったはず……。
「ちょっと待った……」
こめかみの痛みが引いてきたと思うと、今度は視界がぐにゃりと歪み始める。
地面は波うち、電信柱は歪み、空は回り続ける。
ブレーキをかけて足をつける。アスファルトがまるでスポンジになったかのような感触。
踏ん張りがきかない。そのまま自転車ごと倒れる。
「泉君! 大丈夫なの!?」
ゆっくりと世界が引っくり返る様子を眺める。
こちらへ駆け寄ってくるイインチョーの姿も歪だった。まるで水のような不確かなフィルターを通して景色を見ているみたいなぼやけた視界。
自分の体がどうなっているのかすら把握できない。
倒れているのか、立っているのか、座っているのか。
世界は回る。回る。回転する。回り続ける。
「泉君!」
パシリと頬に残る感覚に意識を取り戻す。
心配そうな顔をして覗き込むイインチョーの向こうには藍色に染まった空が見えた。
「い、いいんちょー……おれ、どうして……」
自分の声に違和感を覚える。なんだか声が遠くて、しかも呂律が回っていない。
頬を拭うと小石がぱらぱらと落ちた。ジンジンと鈍い痛みが頬骨の奥の方にへばりついている。
「自転車を止めたと思ったら、そのまま横倒しで顔から倒れたんだよ。大丈夫、痛むところはない? 怪我してない?」
「うん、たぶんだけど……ふー」
ゆっくりと息を吐き出してみた。おかげで少し気持ちがすっきりした気がする。
「よかった。すっごく心配したんだから」
「ごめん……」
イインチョーに膝枕をしてもらっているのに気が付いたが、体の自由がきかないのでしばらくこのまま甘えさせてもらう。
「もしかして寝不足?」
「いや、そんな事はないよ。体調が悪いってわけじゃないし」
頭の奥にまだ鈍痛が居座っているようだが、気持ち悪いとか不快といった感覚は既になかった。ただ頭と体がうまく繋がっておらず、その事に肉体と精神が対応できていないという感じだ。
しばらくぼんやりと空を眺めていると頭の奥の重いものが消えたみたいだった。
「よっと」
今度はふらつく事なく立ち上がれた。さっきまでの違和感が嘘のようだ。
「ごめん、心配かけて。もう大丈夫だから」
「カナさんに会うのは急がなくていいから今日はやめておかない?」
「いや、ホントにもう大丈夫。いったいなんだったんだろ」
倒れていた自転車を起こしてまたがる。
俺の様子が大丈夫そうだとわかると、イインチョーも自分の自転車に乗った。
「まずは神社についたら俺たちが知ってる情報を伝えてアドバイスをもらおう。カナなら俺たちの知らない事を知っている可能性が高いしね。
ただあいつは性格にクセがあるっていうか口が悪いから、キツイの事を言われても気を悪くしないで欲しいかな。俺なんてしょっちゅうアホだのマヌケだの言われてるよ」
これまでに何度カナにひどい言葉をぶつけられた事か。
幼い外見の少女に罵られて喜ぶような趣味を持ち合わせていないので腹が立つ事この上ない。
だが、たった一人で現代で生きていかなければならない心細さとか、まだ小学校に通っていてもおかしくない年齢である事を考えるとあまり強く言えない。
むしろわざときつい言葉を投げかける事で俺との関係を構築しようという意図も感じられるので、甘んじて受け入れるしかなかった。




