3-11
カナに続いて鼎神社の裏にある鎮守の杜へと足を踏み入れる。
ここは相変わらず人気がなくひっそりとしていた。時折聞こえてくる鳴き声はキジバトだろうか。
「このあたりでよいじゃろ」
足を止めて振り返ったカナが立った場所は初めて出会ったお社の近くだった。
確かにここなら他人の目を気にする必要はない。
「まずはおぬしの術でどういう事ができるのかを確認するか。それがわからなければ助言のしようもないからの」
「わかった。といっても、あれこれ試したわけじゃないんだよ。実際に使えるのがわかったらそれで納得しちゃってたから」
カナの片眉がひょいとあがる。
「ここで初めて会った時もそうじゃったが、おぬしはおおらかというか物事に頓着しないというか、馬鹿か阿呆か大物かよくわからんところがあるの」
「それは褒めてるのか、けなしてるのかでこの後の対応が変わるわけだが」
「無論、褒めておるぞ。わしの経験上、他人にはない力を手にして平静でいられる者のが少ない。傲慢になったり、力に溺れたりしてろくな事にならん者が多かった。じゃが、おぬしはそういった者たちとは違うようじゃ。単に好奇心が薄いという事も考えられるが、誰しも特別な力があれば試してみたいと思うのは自然な事だと思うぞ」
力に憧れがないわけではない。
胸の底に沈めてある一つの想い。それがこの力を手にした時から浮上しかけているのを感じている。
「そこはほら、俺は分別を知っている男って事さ」
「覇気に欠ける、の間違いではないのか。まあ、戯言はここまでにして術を見せてくれ」
積み上げられた石にカナは腰かけると、お芝居が始まるのを待つような顔をする。
「えーと、高いところに跳びあがるのはやってみせたよな」
「うむ、他にはないのか」
「あとは特定の音を聞き分ける事はできた」
音の聞き分けはライトを探す時に使った力だ。
「他にできる事はないのか」
「うーん、やった事はないけど壁を作るとか」
この能力を手に入れた頃は自己暗示によって自身のポテンシャルを引き上げる事ができるのだと思っていた。
しかし、カナの言うように言葉を介して世界の理に働きかけられるのならば、空間や物質にも効果を及ぼす事ができるはずだ。
「壁を作るか、やってみせてくれ」
頷いてポケットから筆を取り出す。
瞳を閉じ、心の中に壁をイメージする。
高さは2メートルぐらい、横幅が10メートル程度。丈夫で簡単に壊れそうもないブロック塀を思い描く。
『我が眼前にすべてを阻む壁を生み出せ』
イメージする文言を唱えながらゆっくりと目を開き、筆で『壁』と漢字を書いた。
空間に生み出された〈壁〉という漢字は瞬く間に高さ2メートル、幅10メートルにまで広がる。
上手にイメージできたようだ。
「できたよ」
立ち上がったカナは右手を伸ばしてゆっくりと前へ進む。
〈壁〉を思い描いた場所に手が触れたところで立ち止った。俺の目からは〈壁〉という巨大な漢字にカナの手が触れているのが見て取れる。
カナは壁に手を当てたまま、今度は右へと進んでいく。
そしておよそ5メートルほど進んだところで立ち止まった。
「ここまでじゃな」
「うん、そうだよ」
「なるほどの。壁がここまでというのは何か理由があるのか」
「壁を作るときにそのあたりまでの幅って考えたんだよ。高さは2メートルぐらい……俺が手を伸ばしたら届くところあたりまである。やろうと思えばもっと高くしたり遠くまで伸ばす事もできるんじゃないかな」
ふむふむと頷きながら、カナは拳で壁のあたりをノックでもするように叩いた。
「かなり硬いようじゃな。この壁はどれぐらいの力を加えると壊れるのじゃ」
「やってみないとわからないなあ。普通に殴ったりするぐらいじゃ壊れないと思うけど」
ブロック塀をイメージしているから、車が勢いよく突っ込んで来たら耐えられないかもしれない。
だが一般人がいくら蹴ったり殴ったりしたところで壊れる事はないだろう。ましてや小柄で特に力が強いわけでもないカナであれば小揺るぎもしないはずだ。
「この壁じゃが、障子ぐらいの厚さにできるか。それを壊せるかどうか確認したい」
「障子か……やってみる」
再び目を瞑る。
視覚を遮断する事で集中力を短時間で高める事ができる。
障子といったら紙だから薄い。簡単に破れてしまうほど薄い壁だ。壁というよりは紙をイメージした方がいいのかもしれない。
心の中に家にある障子を思い描き、それを形にしようと試みる。
『我が目前に指先で突けば穴が開くほどの紙でできた壁を生み出せ』
目を開いて右手に持った筆を走らせる。再び〈壁〉という漢字を空間に書いた。
さっきの〈壁〉とは違い、薄ぼんやりしている。
「どれ」
伸ばしたカナの指先が〈壁〉に触れる。
しばらくはそこにある不可視の〈壁〉の感触を確認するように手を動かしていたが、腰を落としてぐっと前に体重を預けるような姿勢をした。
その途端――
「おっと」
見えない〈壁〉はあっさりと崩れてしまう。
俺の目には〈壁〉の文字が砕けてキラキラと塵のような粒子をばら撒きながら消えていく様子が見えた。
「あっさり壊れたな。まさに障子を手で押し破いたような感覚じゃった」
「初めてやってみたけど、うまくできてよかった」
イメージをより明確化する事で効果を制御できるのがわかったのは収穫だ。
「ところで最初の大きさの壁を作ったとして、どのぐらい維持する事ができる」
「具体的な時間は計った事がないな。多分、俺が維持をしようと集中を続ける間は保てるんじゃないかな。もっともその前に壊されちゃう可能性もあるけど」
「壁が壊れた時、おぬしになんらかの影響はあったのか」
「いや、特になかった。〈壁〉って文字がバラバラに砕けていくのが見えたぐらい」
「それならばわしも見えていた。おぬしはなかなか綺麗な文字を書くのじゃな」
「そうなんだ。てっきり書いた漢字は俺にしか見えてないのかと思ってたよ」
「壊れる前まではそこに壁がある事もわからんかったし、文字も見えておらんかった。おそらくじゃが、発動させた本人にしか書いた漢字は見えんのじゃろう」
つまり、どんな力を使おうとしているか事前にばれないという事だ。
集中さえ続けば、事前に仕込んでおく事もできる。
「ちと実戦形式でやってみるか。ほれ、そこで構えよ」
「実戦って、カナと戦うのか?」
仮に取っ組み合いになったとして、さすがにカナに負ける事はないはずだ。
それにさっき言っていたじゃないか。カナの能力は戦闘に向いてないって。
「直接やりあうわけではないぞ。おぬしの相手をするのはこいつじゃ」
カナの右手があがると、シュルシュルと周囲に生えている蔦が伸びた。
一本一本はたいした事はないが、いくつかの蔦が絡み合うと結構な太さになる。
「わしが攻撃を仕掛けるから対応してみよ。ほれ、いくぞ」
「いくって……うわっ」
絡み合った蔦が打ち出された砲弾のような勢いで地面に突き刺さる。
長い年月を経て幾層にも積もった枯葉が頭の高さまで舞い上がる。
慌てて距離を取ろうとするが、行く先を遮るように別の蔦が伸びてきた。
「ちょ、ちょっとそんないきなり言われても……」
「ほれほれ、おぬしは逃げ回る事しかできんのか」
今度は地面を這うように蔦が迫る。
ジャンプして足元の蔦をかわそうとすると、頭上に太い蔦が待ち構えていた。
「痛てぇ!」
目から火が出た。
頭を押さえて蹲った隙を逃さずに這ってきた蔦が俺の右足を捕える。
「うわっ!?」
そのまま罠にかかった動物のように吊り上げられてしまった。
自由になる左足で絡み付いた蔦を蹴ってみるがびくともしない。
「おぬしの手にある筆は飾りではあるまい。少しは知恵を働かせよ」
「あ、そうか」
そもそも俺の能力がどんなものかを確かめるためのテストだった。とりあえずこの状況をなんとかしなければならない。
蔦の太さは3センチぐらいあるので引きちぎるのは難しいが、切断ならやれそうだ。
目を瞑りイメージする。切れ味のある刃物がいい。
『なんでもすっぱりと切る事ができる刃物を生み出せ』
筆で『刃』と書く。
このままでは手が届かないので何度か体を揺すり、その反動を利用して上体を曲げる。
「よっと」
〈刃〉の力を宿した右手を伸ばして蔦を切断した。
「やったぜって、うわ!?」
引力に従い、吊るされていた俺の体が落下する。
「おおおぉぉぉわあぁぁぁぁ~~~~っ!?」
咄嗟に体を丸めて受け身を取った。ごろりごろりと二回転してようやく止まる。
「……死ぬかと思った」
「はあ……やはり阿呆じゃったか」
カナは首を振りながら、でかいため息をつく。
これには反論できなかった。もう少し後先考えて能力を使う必要があるよな、さすがに。
「なかなか使い勝手のいい能力じゃが、いくつか問題もあるようじゃな」
「言いたい事はわかる。術を使う時に目を瞑って集中するのと、漢字をその場で書かないといけない事だな」
体についた枯葉を叩きながら答える。
あえて発想力については触れないでおいた。それは後から一人で反省すればいい。
「目を閉じるのはどうしても必要か。あれがないだけで随分違うと思うのじゃが」
「うーん、イメージ――心の中に思い描いたものをより具体的にするために目を瞑ってたんだけど、そうしない方がいいのかな。目を開いてもちゃんとイメージできれば問題はないんだけど」
「目を瞑らなくてもよいのであればそうした方がよいな。戦いの場では常に状況が変わる。いちいち目を閉じていては判断する事すらままならなくなるぞ」
要するに具体的なイメージをちゃんと思い描けるかという事なのだから、これは訓練でどうとでもなるだろう。
「あとは漢字を書く事だけど、こればっかりはなんともならないからなあ」
「それは慣れるしかないかもしれんな。少しでも時間が短くできればよし」
筆を取り出し、空間に漢字を書く。
この一連の工程を如何に早くできるか。それを磨く事で俺の能力はかなり使い勝手がよくなるだろう。
「あとは状況に合わせて適切な漢字を選ぶ事ができるかじゃな。こればかりはおぬし自身が蓄積してきた知識と経験によるしかないから助言はできそうにないが。少なくとも吊り上げられた状態で考えもなしに縄を切るというのは、ない」
身を以て思い知らされたので、憮然とした表情をするしかなかった。
「でも具体的な目標ができたのはでかいよ。曖昧としてたら動き出しにくいし、頭でいちいち考えてちゃ駄目って事だよな。しばらくはカナの助言に従った訓練をしてみる」
「ある程度自分で納得できるようになったところでまた見せに来るがいい」
「ああ、その時は頼むよ。さっきみたいな事には絶対ならないから」
「ふん。期待せずに待つとしよう」
昌美のように強すぎる正義感は持ち合わせてないが、自分を鍛えて成長したいという欲求は人並み程度にはある。
おばあちゃんから譲り受けるという偶然で手にした能力ではあるが、それに磨きをかける事は単純に面白そうでもあった。
しばらくは試験に向けての準備を優先しなければならないが、息抜きにこの力を試すというのは悪くない。
俺はかなりの充実を感じていた。




