3-8
勉強会へ向かう昌美たちと別れ、俺は鼎神社を訪れていた。
実はイインチョーも誘う事も考えたが、昨日の今日で話を聞きに行っても先方の都合もあるだろうし、試験前というのもあるからまた後日にしようと思っている。
「あら、圭二くん。今日は早い時間ね」
「こんにちは。早貴さんはお仕事……ですか」
石鳥居の周囲を箒ではいていた早貴さんが手をとめて微笑む。
「ここは神様がお通りする場所だもの、いつもきれいにしておかないといけないのよ」
そんな大事な鳥居の笠木に小石をのせようとしていた俺たちは大変な罰当たりをしていた事になる。
「そうだ、圭二くんは鳥居の正しい通り方って知ってるかな」
「普通に歩いて通ってたんですけど、それだとまずかったですか。手水舎での身の清め方と参拝の仕方ぐらいなら知ってますけど」
「あら、偉いわね。だったら鳥居の通り方もついでに覚えておいて」
身の清め方については、小さい頃に手水舎で水遊びをしていた時におじさんから教えてもらった。あの時、叱らないで正しい使い方を教えてくれたおじさんには感謝しないといけない。
「神社は神様のおわす場所――神域なのはわかるわよね。鳥居はみんなが暮らしているこの世から神域という結界に入るための入口なの。この前、敷地内にいくつか結界があるって話したけど、そもそも神社自体が一つの大きな結界だと思ってね」
神社そのものが結界と言われると、そういうものかと納得できる。境内に入ると暑い夏の日であってもひんやりとしたものを感じられるのは神様の気配を感じ取っているからなのかもしれない。
もちろん樹木の作り出す日陰や蒸散によって周囲の気温が下がるという科学的な理由もあるのだが。
「鳥居の前に来たらどちらかの柱に寄って一礼をしてからくぐってね。真ん中は神様の通り道だから避けること。これは境内にある参道も同じよ」
「堂々と真ん中を通ってました……ごめんなさい」
「うふふ、いいのよ。次から気をつけてくれたら」
朗らかな微笑みで過去の懺悔を受け入れてくれた。
「今日はなにか用事かしら」
「えーと、カナちゃんに会いに来たんですけど、います?」
「ごめんね。今日はお母さんとお出かけしてるのよ。いつ戻るかはちょっとわからないわ」
「そうですか……」
肩透かしを食らってしまった。
昨日の別れ際にカナに会いに来る事を伝えておくべきだったと思うが後の祭りだ。
「じゃあ、また出直してきます」
「ごめんね。明日また同じ時間に来られるようならカナちゃんにそう伝えておくけど」
二日続けて勉強会をサボる事になるが仕方がない。
「じゃあ、キツネについて聞きたい事があるって伝えてもらえますか。明日、同じような時間に来ますから」
「キツネのことね。わかったわ」
明日の約束を取り付けると、もう少し掃除を続けるという早貴さんに手を振って別れた。
本屋で適当に時間を潰しつつ、日が暮れかけてきたところで帰路につく。
もう少しで家というところで人影に気付いた。
この時間なら父さんはまだ帰ってこないし、母さんは夕食を用意している頃だ。用心のために内ポケットに手を入れる。
「あ、圭二だ。遅いよ。どこ行ってたの」
聞き慣れた暢気な声に脱力した。自転車から降りて家の前で止まる。
「お前こそ、なんで俺ン家の前で突っ立ってるんだよ。危うく自転車で引きかけたぞ」
「そんなのあっさりかわしちゃうもんねーだ」
昌美の運動神経ならば、ハリウッド映画ばりな華麗な回避を見せてくれるはずだ。
「それより試験勉強はもう終わったのか」
「うん、そうなんだけどさ。圭二がいないからちょっと早めに切り上げたんだ」
何故だか密着するような位置に昌美は立つ。
ほのかに漂ってくる女の子の体臭に思わず喉が鳴った。
「ねえ、圭二。大丈夫なの?」
「な、何がさ」
「なんか無理してない? あたしに隠してることない?」
上目遣いで見つめながら、昌美はさらに体を寄せてくる。ハンドルを持っている腕に胸が押し当てられていた。
先日、穴に落ちた時に胸を握ってしまった事を思い出す。女の子の胸というのは小さくても柔らかいという真理を一生忘れない自信がある。
「お、俺は別に大丈夫だけど……むしろお前の勉強のが不安だろ」
「あたしのことはいいの。今は圭二のことを話してるんだから。それで、本当に大丈夫なんでしょうね」
昌美の人差し指が、触れるか触れないかの微妙な距離を保ってつつーと俺の腕の形を確かめるようになぞっていく。
「お、おう……大丈夫だ」
昌美はにっこりとほほ笑む。
つられて笑うが、引きつっているのが自分でもわかった。
「――ちょ、おい……」
昌美は背伸びをして体を預けるようにもたれかかってくる。
後ろに下がりたくても自転車があってはそれもできない。
まるでキスをするかのように昌美に唇が迫ってくる。
ほのかにピンク色をした柔らかそうな唇に視線が引き寄せられる。
ほ、ん、と、う、に?
熱くて、優しくて、丸い吐息が頬に触れる。
たったそれだけで全身に電流が流れたように痺れた。
頭がクラクラする。目の前にある艶めいた唇に吸い付きたいという暴力的な欲情がフツフツと湧き上がる。息ができないほど力いっぱい抱きしめたくなる。
「あたし、圭二がなにをしてるかなんてぜーんぶ知ってるんだから。張り切るのもいいけど、ほどほどにしときなさいよ」
すいっと昌美の体が離れていく。
抱きしめられるほど近くにあった熱量が急に失われて寒さを覚える。
「じゃ、明日ね」
手を振って自分の家へ向かう昌美の背中が見えなくなるまで、俺は呆然と佇んでいた。




