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急いで神社へ向かう途中、ぎょっとして思わずペダルをこいでいた足の力が抜けた。
進行方向先に見た事のないシルエットがある。それは妙にゴテゴテしていておよそ人の姿には見えない。
お近づきになりたくない雰囲気がぷんぷんとしていたので、努めて冷静を装って通り過ぎようとする。
「あら、泉くん。ごきげんよう」
声に驚いてブレーキをかけてしまった。
「もしかして、桜井寺?」
「ええ、そうですけど。どうかしまして?」
どうかしていると言えばしている。桜井寺の格好はなんていうか、あまり普通ではない。
黒を基調としたレースやフリル、リボンがいっぱいついていて、好意的に言えば幻想的な、そうでなければ装飾過剰な服を着ている。おまけに雨が降っているわけでもないのに黒くてふんだんにレースがあしらわれた傘までさしていた。
これはいわゆるゴシックロリータというやつではないだろうか。初めて見た。っていうか、これが噂に聞くコスプレなのか。まさか桜井寺がそんな趣味を持っていたとは驚きだ。
「なんていうか、学校の時と印象が違ってさ。ちょっとびっくりしただけ」
「そうなんですか。ふふ、泉くんは面白いことをおっしゃいますね」
丁寧な口調とあいまいって、その装いは似合っていると言えなくもなかった。ただこんな田舎の町で、しかも夕暮れ時にすれ違いたいかと問われれば首をかしげざるを得ない。むしろ驚くから勘弁して欲しい。
嫋やかな手が俺に向かって伸ばされる。
「ん? どうかした?」
「握手をしましょう。せっかくこうして外でお会いしたのですから」
「う、うん……いいけど」
上着で手のひらをこすってから、指先までレースで覆われた手を握る。
直接触れているわけではないのに、教室の時と同じ感覚が流れ込んでくる。手のひらから腕を伝い、肩、胸、そして全身へと広がる。
「どうかしました?」
「あ、いや、別に」
離れた手が寂しいと感じる。まるで自分の中から大切なものが失われてしまったかのような感覚があった。
「ところで、泉くんはそんなに慌ててどこへ行かれるんですか」
「あー、ちょっとね、その先にある神社に用事があって」
「神社ですか。御朱印でもいただくのですか」
「ごしゅいん?」
聞き慣れない言葉だった。
そういえば朱印船貿易っていうのが豊臣秀吉の頃にあったけど、それと関係があるんだろうか。
「神社やお寺でいただける印章のことですよ。それを目的に参拝される方もいらっしゃられるそうなので、泉くんも同じようなご趣味をお持ちなのかと思いまして」
「そんな立派なものじゃないって。知り合いがいるから会いに行くだけなんだ」
「そうですか」
ふわりと微笑みかけられると、胸がドキリとした。
日が沈み、雲のない西空から名残の茜色が徐々に消えつつある中、ゴテゴテとした衣装を着た美少女が浮かべる微笑み――何もかもが完璧なシチュエーションだった。
「それは黄昏時の逢瀬ですね。とてもすてきです」
「……ああ、そういえばさっきは桜井寺の事、誰かと思ったよ」
黄昏とは誰彼だ。「誰そ、彼」――そこにいるのが誰なのかわからない。
「ふふふ、泉くんはよくご存じですね」
きゅっと口角があがる。そこに奇妙なものを見る。笑顔を形作っているのに笑っているようには見えない。
桜井寺の顔が真っ黒な傘で隠れる。こうなると表情はわからなくなる。
空から赤が失われ、藍色が広がる時間帯――禍時の出会いのような得体の知れなさがあった。
「ごめんなさい。二人の逢瀬の邪魔をするようなことをしてしまって。もう行ってあげてください。また明日、学校で」
桜井寺は表情を見せないまま、くるりと踵を返すと立ち去る。
俺はしばらくの間、小さくなっていく背中を見送っていた。
宵闇の暗さに慣れて、桜井寺の背中が見えなくなった頃にふと我に返る。
さっきまでの事がまるで夢のようだった。確かにここでクラスメイトと出会って、少しだけ会話をした。なのにそれがひどく曖昧で、不確かで、しっくりこなかった。
「なんだったんだろう……さっきの」
頭を振って気持ちを切り替える。
今は一刻も早く鼎神社へ向かわなければ。




