2-8
鎮守の杜を出て境内まで戻ると、ちょうど社務所から目にも鮮やかな水色の袴姿の男性が出てくるところだった。
「やあ、二人とも久しぶり」
「ご無沙汰してます」
「こんにちわ、おじさん」
俺たちは揃って頭を下げる。
片手をあげて挨拶をするのはこの神社の宮司で、早貴さんのお父さんの井奈作治さんだ。
おじさんの頭にはところどころ白いものが目立っているが優しげな顔立ちをしており、物腰も柔らかい。
気さくな人で神社の敷地を我が物顔で歩き回っていた小さい頃の俺たちにも今日のように気軽に挨拶してくれていた。
「おや、カナちゃんも圭二くんたちと一緒だったんだね」
「うん」
カナは昌美と繋いでいた手を放すと、おじさんのもとに駆け寄る。足元に抱きついているところはまるで本当の親子のようだ。おじさんは穏やかな顔をしてカナの頭を撫でている。
「ははは、ありがとう。カナちゃんはいい子だねえ」
「おじさん、その子は……」
「ああ、親戚の子でね。カナちゃんというんだ。家庭の事情で今はうちで預かっていてね。カナちゃん、圭二くんたちにもうご挨拶はしたのかな」
「うん、したよ」
「そうか。えらいえらい」
おじさんの目じりは下がりっぱなしである。
突然の成り行きに呆然としていたが、カナが意味ありげな視線を向けたので森での会話を思い出した。おそらく魅了の術を使ったからなのだろう。なかなか便利な能力だった。
「早貴から聞いてるよ。今日は忙しいところを悪かったね」
「いえ、そんな事ないです。奥の森を見てきましたけど、東側にあるお社の土台が崩れそうになってたぐらいで他に気になるところはありませんでした」
もっとも悪しきモノを封印していたカナが目覚めたのだから、本当は危険な状態なのかもしれない。
ただそれがどの程度のレベルなのか想像する事すらできないんだけど。
「そうか、わざわざありがとう。あとで見ておくとするよ。
カナちゃん、おやつがあるから手を洗っておいで」
「うん」
「またお姉ちゃんと遊ぼうね」
昌美がかけた声に、にっこりとカナは笑って頷いた。
「俺もまたくるよ」
「お兄ちゃんにはいろいろ教えてあげるね」
いささか奇妙な反応だったが、カナの発言の意図に気がついたのは俺だけだったようだ。
「じゃあね」
ぱっと裾を翻し、生活場所となっている離れへと走っていく。その後ろ姿はいかにも年相応の女の子といった感じだった。
「元気な子ですね」
「うちのも孫ができたみたいだと喜んでいるよ。早貴も年の離れた妹みたいにかわいがってくれているしね」
にこにこ笑っているおじさんは自分が術にかけられている自覚はないようだった。
「そういえば早貴さんからこの神社にはいくつか封印があるって聞いたんですけど、もしかしてそれって危ないものだったりするんですか」
カナの記憶に頼れないのなら、この神社の管理者であるおじさんに聞くのが一番だ。
「ははは。それなりに古い神社だからそういった話の一つや二つはあるねえ」
「じゃあ、どんなものを封印しているか聞いてもいいですか」
おじさんは手をアゴに当てて思案気な顔をする。
「危ないものだとちょっと嫌だねえ」
その回答に落胆する。
どうやらおじさんも詳しくは知らないようだ。
「がっかりさせてしまったかな。かわりと言ってはなんだが、ひとつ昔話をしてあげよう。
昔の都――今でいう京都だね。そこで悪さをした狐がいたんだ。なんでも天皇陛下のご息女を妖術で病気にしたんだとか。陛下は原因を探るように部下に命じて、狐が悪さをしている事を突き止めた。ついには配下の武将がその狐を弓で射って成敗したんだけど、皇女様の容体はちっともよくならなくてね。偉い学者様に相談をしたら狐の呪いによるものだから亡骸をよき地に封じ込めておくがよいとアドバイスをもらって、この神社の場所が選ばれたんだそうだよ。実はその時に狐を射った弓が鼎神社のご神体なんだよ」
そういえば神社の概要を記した看板にもそんな事が書いてあったように思う。じっくり読んでないから詳しいところまでは覚えてないけど、概ねおじさんが話してくれたような内容だったはずだ。
「小さいころに神社のあっちこっちで遊んだつもりだけど、弓なんて見たことないよね」
「ははは。それはそうだよ。ご神体は一般の人の目に触れないようにしてあるからね。普段は公開していない本殿に大切にしまってあるんだ。
ほら、下の境内に馬に乗ったお侍さんの像があるだろう。あの人が持っているのも弓なのを知っていたかな。小さい頃に昌美ちゃんが登って大騒ぎになったあの像だよ」
「おじさん、その話題は勘弁してください……」
しょんぼりした表情で昌美は俯いていた。
昌美がしでかしたいくつかは伝説として語り継がれている。そのほとんどに俺もかかわっているのだがそれはそれ。
「あっはっは。おじさんもたくさんの子供を見てきたけど、昌美ちゃんと圭二くんみたいな元気な子は他に知らないねえ」
目を細めて笑いかけられる。
言外にいろいろと含みがある事を感じ取れる程度には付き合いも長い。
「他にも悪霊を石で封じこめているなんて言い伝えがあってね。要石とか封印石って呼ばれているんだけど」
イインチョー――美門が鼎神社にも要石があると言っていたのを思い出す。
「それが危ないものを封じている封印って事ですか」
カナが眠っていたお社の土台は石積みだった。あれが要石だった可能性はある。
「うーん、封印といえば封印なんだろうけど、どうなんだろうねえ」
「でもさ、その要石っていうのも見たことないよね」
昌美に聞かれて曖昧な表情をするしかなかった。確かにそれらしいものを見た記憶はない。
おじさんはにっこりと笑い、俺たちの後ろを指差した。
「見た事ぐらいはあると思うよ。ほら、そこにあるのが要石だ」
おじさんが指差した先には周囲2メートルほどの空間が石の垣根に囲われていて、中心に大きさ30センチ程度、地面から10センチほどの高さのややいびつな六角形の石が埋もれている。
石自体は苔むしているわけでもなく、鈍く光り輝いているわけでもない。
「これが?」
もっと大きなものを想像していたので拍子抜けする。というか、どこかにひっかかりがある。記憶違いでなければ小さい頃に昌美と一緒に掘り返そうとした石ではなかったか。
「要石というと鹿島神宮や香取神社のものが有名だね。どちらも地震を起こす大鯰を押さえつけている石と言われているけど、この神社にあるものはちょっと変わった言い伝えがあってね。なんというか姿形のはっきりしない霧みたいな生き物が出てこないように重石をしているという事なんだよ。だから封印石とも言われているんだ」
「へー、これが要石なんだー。すごーい」
「ははは。何年も前の事だけど、この石の周りを掘り起こそうとするいたずらっ子たちがいてね。それ以来、そうやって周囲に囲いをつけるようにしたんだよ」
間違いなかった。
不思議な形だからひっくり返してみようと昌美に言われて二人で掘り返そうとした石がこの要石だったのだ。なんという無謀な事をしようとしていたのか。
「その節はすみませんでした」
頭を下げる。隣で突っ立っている昌美の頭も無理やり下げさせた。
「ちょ、なにするのよ」
「いいからここは頭下げとけ」
「ははは、いいんだよ、二人とも。もう昔の事だからね」
他にも聞いてみたい事はあったが、下手をしたら昔の悪事を掘り返す事になりかねないので早々に退散する事にした。
「そういえばさ」
一の鳥居をくぐり階段を半ばまで降りかけたところで振り返って声をかけると、昌美は鳥居の下をわざわざ避けているところだった。
「どうした」
「ん、なにが?」
階段の段差のせいで自然と見上げる形になる。
「どうかしたの。あたしの顔になんかついてる?」
「あー、いや、なんでもないよ」
鎮守の杜で別れてから、いつもの昌美らしくないと思ったのだが気のせいかもしれない。
「最近はここにもあまりこなかったけどさ、またいっしょに遊びにこようね。カナちゃんって新しい友達もできたわけだし」
屈託のない笑顔に思わずため息をつく。
「それはいいけど、馬の像にまたがるとかはなしだからな」
「えー、そんなことしないって。子供じゃないんだし」
肩をすくめてみせると昌美の頬がぷっくりと膨らんだ。




