2-7
「もっとも、夜属相手なら問題はないがな」
その声に顔を上げたが、さっきまで目の前に座っていたのにカナの姿が見あたらない。
「お、おい、どこにいったんだよ!」
「わしはここにおるぞ」
「うわっ!?」
背後からかけられた声に驚いて咄嗟に振り返る。
そこにはニヤニヤとした笑いを浮かべたカナが立っていた。
「いつの間に……」
「わしはこうして一時的にだが姿を消す事ができる。他には自分を仲間と思わせたり癒しの力を使う事もできるが、これが一番わかりやすかろ」
「わかったよ。でもいきなり背後から現れるのはやめてくれ。心臓に悪い」
「ふん、胆の小さい奴じゃ」
大きなお世話だ。
「っていうかさ、そもそもカナはなんでここにいるんだよ。封印がどうとか言ってたけど」
「ああ、簡単な事じゃ。悪しきモノを封じる際にわしが一緒に封印された。木霊は大地との結びつきが強いため、封印の要として使われる事があるのじゃ」
「……それって人身御供って事じゃないか」
小さな子を犠牲にするなんてとフツフツと怒りが湧いてくる。
それこそ兵馬俑のように形代となる人形でもよかったのではないか。
「何をそんなに怒っておる」
「だって許せないだろ。こんな小さな子を一人だけ犠牲にしてさ。他の大人たちは何を考えてたんだ。みんなが助かる方法を考えるべきだろ」
「そう声を荒げるな。封印の要となるのは木霊であり巫女の血筋であるわしにしかできぬ事であったから仕方ない。あそこでわしが断っておれば、より大きな被害が出るとなれば自然の成り行きじゃ」
当たり前の事を口にするようなカナに対しても苛立ちが募る。
俺には残酷な事にしか思えない。
「しかし、その封印も綻びかけておる。わしが目覚めてしまったものは仕方がない。今からでもやれる事をせねばな」
カナを封印の要に使った事の是非はひとまず置いておくとして、気になるのは封印されていたモノの事だ。
今までいろいろ話をしていたが、もしかしたらカナが封印していたモノが近くに潜んでいるかもしれない。
「それだよ、それ。早貴さんがこの神社には悪しきモノが封印されているって言ってたんだけど、もしかしたらカナが封印していたのがそれって事なのか」
「うーむ……」
カナは難しい顔をして首をひねっている。
「封じておったモノがなんなのか、わしもよくわからんのじゃ。その事を思い出そうとしても、まるで霞がかかっておるかのようで判然とせん。思わぬ形で封印が綻んでしまったのが原因なのかもしれぬがさて……」
しきりに首をひねるがどうしても思い出せないみたいだった。
「封印の要であるカナがこうやって目覚めているって事は、その封印されていたモノも蘇ったって考えるべきだよな。それってすげぇヤバいんじゃないか」
「そう考える事もできるが、封印されている時間が長ければそれだけ力も失われておるはず。存外、大した事はないかもしれぬ」
「そんないい加減な……」
「今のところ大きな問題は起きてないようじゃし、たぶん大丈夫じゃろ」
「たぶんじゃ困るんだって。封印が綻んでるって早貴さんに伝えるべきだよなあ……」
「伝えてもできる事はないぞ。あやつらは特別な力を持っておらんようだし。そもそも既にわしの術にかかっておるしな」
「術ってどういう事だ」
「さっきも言ったであろう。わしには自分を仲間だと思わせる魅了の術があるとな」
早貴さんにしろこの神社の宮司をしている早貴さんのお父さんにしろ、人はいいけど異能の力があるようには見えない。
カナの言うとおり実際に力を持ってないのだろう。むしろそれが普通だ。
「腹が空いた時は庫裏に忍び込んでつまみ食いをしておったんじゃが、それもそろそろ限界だったのでやむなくな。どうやらこの時代で生きていかねばならぬようだし、住処をなんとかせねばならん。無論、綻んだ封印の事も気になるしの」
「それでも問題山積みじゃないか。どうしたらいいんだよ……」
封印の事、カナのこれからの事。どちらも俺の手に負えるものではない。
封印されていたという事は人に害悪をまき散らす存在だろうし、子供一人とはいえ生活力のない俺では支えてやる事もできない。
「そんなに深刻に考えるな、世の中は意外となんとかなるものじゃ」
「もう少し真剣に考えてもらいたいけどな……」
そんないい加減な事で本当に大丈夫なのだろうか。
「おーい、圭二ぃ! どこー?」
暢気な昌美の大声に顔を上げた。
慌てて時間を確かめると、別れてから既に一時間も経っている。戻ってこない俺を心配して探しにきたのだろう。
腰を上げかけてカナを見る。
「もしかして他の人にはカナの姿が見えないとか?」
「いや、姿隠しを使わなければ問題はないが」
「それならいいけど……むしろその格好のがまずいかなあ」
この年頃の子で普段着が和服というのはまずない。これがせめて夏ならば浴衣を着て遊んでいると言い訳もできるのだが、今はまだ五月だ。
「あー、いたいた。いるんなら返事ぐらいしなさいよ。ちっとも帰ってこないから心配してたんだからね」
「悪い。ちょっとあってな」
「あっちのほうは特になかったよ――って、その子、だれ?」
カナの存在に気がついたのか、昌美は駆け寄ってカナの前にしゃがみ込んだ。
「えーと、この子は……」
なんと説明するべきか悩む。
実は長い間ここに封印されていたんだよなんて言って信じてもらえるとは思えない。
「はじめまして。あたしは三木昌美。圭二とは幼なじみなんだよ。あなたのお名前は?」
「わたしはカナです。はじめまして、昌美お姉ちゃん」
カナのあまりの猫かぶりに思わずまじまじと見てしまった。
さっきまでの俺に対する偉そうな態度はどこへいってしまったというのか。
「カナちゃんね。こんなところでなにをしていたのかな。もしかして圭二がよからぬことでもしてたとか」
「馬鹿、こんな小さい子に興味なんてないよ」
「ふーん、そうなんだ」
あっさりした反応に拍子抜けする。
普段ならここからカナに対して興味本位の質問が続いたり、俺に対してあれこれ言ってくるところだ。
「どうしたんだよ。知恵熱でもあるのか」
「そんなことないけど」
またも薄い反応だった。
いつもなら、からかうような言葉に大いに盛り上がる展開が待っているところだ。それに名前の呼び方もいつもと違う気がする。これではこちらの調子が狂ってしまう。
「もしかして本当に調子が悪いのか」
「なあに、そんなにヘン?」
「変といえば変なんだけどさ……あー、悪い、ちょっと時間かかりすぎだったな。ごめん」
合流が遅れた事に腹を立てているのかもしれないと思い謝る。
「そうだよ、圭二ったら約束の時間になってもこないしさ。心配してたんだよ」
「すまん。見回っていたらたまたまこの子を見かけてさ。迷子なのかと思ってあれこれ話をしてたら時間取られちゃって」
「カナちゃんはこのあたりに住んでる子なのかな?」
こくりとカナが頷くと、切りそろえられた黒髪がさらりと揺れた。
「今はここの神社でお世話になってます」
「そうだったんだ。早貴さんはなにもいってなかったよね」
「まあ、俺たちに教える必要のない事だし仕方ないさ」
そんな設定になっている事すら俺も知らなかったのだから他に言いようがない。
咄嗟に口裏を合わせる事になったが、ちゃんと筋が通っているか怪しいものだ。
「じゃあ、お姉ちゃんたちと神社に戻ろうか。早貴さんが心配してるかもだしね」
「うん」
昌美が差し出した手を握るとカナは歩き出す。
俺も慌てて二人の後に続いた。
「それで、こっちはどんな感じだったの」
「さっきのところにあったお社が崩れそうになってたぐらいだな。他に気になるところはなかったよ。そっちは何もなかったんだっけ」
「うん。あっちはお社とかもないしね。ざっと見た感じ、倒れた木とかもなかったかな」
「そっか、じゃあ地震の影響はほとんどなかったって事か」
「たぶんね」
封印が綻びかけていて、そのせいでカナが目覚めてしまったという話をするのは諦めた。
そもそもどう説明すればいいのか俺にもわかっていないし、中途半端な説明をして心配させるぐらいなら黙っておいた方がいいとも言える。
何より夜の世界に関する事を昌美に話して巻き込みたくはなかった。




