ConCerto コンチェルト
協奏曲
ロンドンの街並みを覆う霧は、
どこか冷たく重かった。
石畳の路地、等間隔に
配置されたエーテルガス灯が
ぼんやりとした橙色の光を投げかけている
シルクは私邸の扉の前に立っていた。
その手には、信頼の証として託された
「ディテクティブ製品の輪」が握られている
しかるべき凹みに嵌め込むことで
鍵となるその輪を操作し、
彼女は静かに足を踏み入れた。
書斎の隅には以前は見かけなかった
棚が新たに設えられていた。
そこには著名な書本や、
動物の習性を記した日記が並べられている
シルクの指先が本棚の背表紙を滑り、
一冊の本でぴたりと止まった。
その表紙に触れた瞬間、
頭の中で聞き覚えのある知的な声が響いた。
「D」「E」「T」「E」「C」「T」「I」
「V」「E」
(もしかして……)
シルクは直感した。
この部屋の仕掛けを解く鍵は、
この本の題名、そして、
提示された英単語の頭文字にあるのだと。
即座に知覚した頭文字の並びを記憶し、
シルクは確信を持って本を並べ替えていく
パズルの欠片を埋めるように
整頓を完了したそのとき——。ゴゴ……と
重厚な音を立てて書本棚が変動した。
その背後から立ち上る 極めて高純度の魔力
気配を感じて振り返ると、そこには
この私邸の主人であるヴァンデルンが、
穏やかな微笑を浮かべて立っていた。
「待ってましたよ……
君なら解けると思っていました」
「今回の問題は少し難しかったです」
「そうですか……
では、次回はもっと難題にしますね?」
「はい! お願いします」
シルクの笑顔に満足そうに頷くと、
ヴァンデルンはひとつの品を取り出した。
魔法の保存が可能であると記された、
あの「約束の品」である。それを手渡されたシルクの胸に密やかな高鳴りが宿る。
謎は解けた。だが、この物語はまだ序章に過ぎないのだ。
その夜、シルクは主人であるヴァンデルンを自身の私邸へと招待した。
部屋を満たす静寂の中、シルクはピアノの前に座り、鍵盤の上に指を走らせた。ヴァンデルンはワイングラスを片手に、その洗練された演奏に静かに耳を傾けていた。
「とても良かったです!」
「ありがとうございます」
二人の間に流れる時間は、事件の緊張感を忘れさせるほどに温かかった。
翌朝。
探偵ヴァンデルンは、残る眠気を払うように珈琲を口にした。
「少し苦味がありますね……」
そう呟くと、彼が呼び出したのは、
給仕を司る複数の魔法の品々
『ラマン』と呼ばれる手袋たちであった。
「ラマン! 角砂糖を……」
浮遊する手袋たちが手際よく角砂糖をカップへ投入する。その隣で、シルクは魔法で文字が自動更新されていく「動く新聞」に目を落としていた。紙面には、死卿の関与が疑われる暗い事件の報や、近日執り行われる王族の戴冠式の案内などが刻刻と書き換えられていく。
「そろそろ、出かけましょうか?」
ヴァンデルンが立ち上がる。
「そうですね!」
助手であるシルクは厳重に鍵を施錠し、
共に邸宅を後にした。
石畳の道を歩いていくと、二人の前に不思議な存在が姿を現した。守衛兵の紋章が刻まれた自律式の靴が、カツカツと音を立てて先行していく。その靴に道案内された場所には、一人の行使者が物言わぬ姿で倒れていた。
宙に漂う粒子状の魔力が、目に見えぬ真実を語りかけている。
ヴァンデルンは右手を顔にかざし、その半分を覆い隠すようにして『魔化』を発動させた。眼光を鋭く光らせ、遺体を見つめる。そして、居合わせた守衛兵に問いかけた。
「遺体を発見したのは今日ですね?」
「ええ……間違いありません」
と答えたのは守衛兵のエテノだった。
「やはり……」
「何故……分かったのですか?」
困惑するエテノに対し、
ヴァンデルンは淡々と解説を加えた。
「空気中の魔力には『残留率』があります。
経過した時間に比例し、粒子状の魔力は増減する。なので、それらを計算すれば殺害時刻の推定は容易……つまり、事件が発生したのは昨日です」
「……的確な洞察ですね。ご協力感謝します」
「いえ」
シルクが前に踏み出し、頼もしい笑みを浮かべた。
「犯人の特定は私達にお任せ下さい。
ヴァンデルン、行きましょう」
「ええ」
現場での調査を終え、帰路についた二人。
だが、石畳を叩く二人の足音に混じり、微妙な異変が混ざり込んでいた。一定の距離を保ち、消えることもなく、かといって近づいてもこない足音。
「先程の魔力に酷似してますね?」
「そうですね……」
「アラート!」
ヴァンデルンの短い合図と同時に、
シルクが即座に対応する
二人は視線を交わし、わざと逃げ場のない
袋小路の路地裏へと滑り込んだ。追跡者にとっては、願ってもない絶好の機会に見えたことだろう。
「今だ!!!」
武器を手にした三人の男たちが、
路地裏の闇から一斉に躍り出た。
しかし、勝敗は足を踏み入れた瞬間に決していた。
「ラナ!」
黒魔術が展開され、シルクの陰影と
気配が霧のように希薄化していく。
一人目の男は、ヴァンデルンの放った見えない衝撃波に吹き飛ばされて壁に激突。
二人目の男は、透明化したシルクによって背後から腕を掴まれ、正確に関節を外されて苦悶の叫びと共に膝をついた。
最後の一人が恐怖に顔を歪め、後退しようとしたが——すでに遅い。シルクはその足を払い、倒れ込んだ男の喉元へ鋭く短杖を突き立てていた。
「動かないで」
ヴァンデルンが長杖の先端を男に向け、
冷徹な声を突きつける。
「誰の差し金ですか?」
「答えて」とシルクも追及する。
捕らえられた男——マダンは、
全身を震わせながら絞り出すように答えた。
「ク……クリミナル!」
「クリミナル? 聞き覚えがないですね。
その方は誰ですか?」
「顔は見てない……
壁の向こう側から声が聞こえたんだ……!」
直後、マダンの体が異常な緊張と共に硬直した。
「何が目的か知っていますか?」
ヴァンデルンが問うと、
マダンは絶望に満ちた瞳で二人を見上げた。
「貴方の魔力……」
次の瞬間、マダンの目の色が不気味に変質した。それを最後に、彼の喉の奥から黒い煙のような息が噴き出す。その煙は地面に落ちる前に霧散し、
何者かに操作されていた彼の意識は完全に消失した。
終わりの始まり。
夜の闇が深まるロンドンの路地裏で、
探偵と助手は見えない敵の存在を強く実感していた。
「どうやら……
私達が調査される側に回ったようですね」
「はい……いつか相対する日が来たら、
必ず捕まえましょう」
「ええ」
守衛兵へ事後処理の連絡を入れる。
立ち去る二人の影がエーテルガス灯の
光によって長く伸びていた。
後日。
探偵のもとに届いた匿名の通報。
その誘いに乗り辿り着いた先は、
極めて作為的な現場だった。
倒れた椅子。月明かりを不規則に跳ね返す、
粉々に砕け散った硝子の破片。
「物が散乱していますね」
ヴァンデルンの低い声に、シルクは無言で応じた。
彼女は壁際に静かに座り込み、
指先で床に残された乾いた染みに触れる。
「はい……床や壁にも
少量の血痕が残っています」
ヴァンデルンは
周囲を一瞥し、眉をひそめた。
「不自然な点が幾つかありますね?」
「はい……争った跡に見えますが、
どこか人為的なものを感じます」
ヴァンデルンは深く頷くと、
懐から一本のモノクルを取り出した。
黒縁の片眼鏡を左目に装着した瞬間——
世界の輪郭が僅かに歪む。可視の現実の奥底、もう一層深い「真実の層」が滲み出すように浮かび上がってきた。
「なるほど」
「何か分かりましたか?」
シルクの問いに、ヴァンデルンは
モノクル越しに見える異質な景色を言葉にした。
「壁のひび割れ、床の血痕……その隙間に、魔法の象徴である黒紫色の痕跡が絡み付いている。犯人は敢えて……証拠を隠さずに残していますね」
シルクは立ち上がり、
主人の隣でその空間を見つめた。
「情報を与え……
こちらを誘っているように感じます」
その言葉に、
ヴァンデルンは不敵な笑みを浮かべた。
「ええ……罠かもしれませんが、
乗ってみましょうか?」
「分かりました……」
(危険なことは分かっているはず……)と
心の中で呟きつつも、
シルクの決意は揺るがない。
「では……シルク!
『魔化』をお願いします」
シルクは右手の指で輪を作り、それを瞳の前へと掲げた。直後、周囲の空気が微かに震え、重苦しい魔の圧力が広がっていく。ヴァンデルンはその変化を一瞬たりとも見逃さなかった。
「探知できましたか?」
数秒の沈黙ののち、
シルクの瞳が一点を射抜いた。
「はい! 首都圏内、
あちらから犯人の魔力を感じます」
彼女が指し示した方向——
そこには、打ち捨てられた教会の跡地が寂しく佇んでいた。
辿り着いた二人は、目の前の異様な光景に息を呑んだ。
「これは……もしかして」
「生きている……?」
「ええ……それに、鼓動が聴こえますね」
かつて聖域であったはずの建造物は、今や巨大な臓器のようにドクンドクンと脈動していた。二人が近づくと、重い扉は意思を持っているかのように勝手に開き、彼らを暗い深淵へと招き入れた。
闇の奥へ進むと、冷酷な魔声が空間に響き渡った。
——【カーヴム】
その瞬間、シルクが立っていた足元の床に巨大な穴が穿たれた。
そのまま落下していくシルク。闇から現れた異形の存在——ノネムが、
彼女の体を残酷に斬り付けた。
「分断に成功」
ノネムが呟き、シルクの血を得ることに成功する。
ヴァンデルンは状況を打開すべく、二人を隔てる立ちはだかる黒壁に強大な魔術を放った。しかし、穿たれた傷は瞬時に細胞が再生し、塞がってしまう。
「ならば……策を講じましょう」
ヴァンデルンは『魔化』によって自身の魔力の絶対量を極限まで増大させた。
「【アトリビュート】!」
凄まじい光が放たれ、闇を切り裂く。だが——それこそが敵の狙いだった。
「ヴァンデルンの力を接収した。
これで条件は満たされた……!」
ノネムの歓喜に歪んだ声が響く。直後、闇が膨れ上がり、敵は巨大な肉塊と不気味な触手が蠢く異形へと変貌を遂げた。だが、その一瞬の隙を見逃さず、シルクは転移術によってヴァンデルンの元へと帰還していた。傷を負いながらも、主人は彼女の耳元で素早く囁く。
「ある箇所に核である心臓が
隠されているはずです! 位置の把握を……」
「はい!」
シルクは再び『マカ』を発動。同時に、手にしている『ソングの書本』に自らの魔力を注ぎ込む。
——協奏曲。
二人の意識と行動を完全と同調させる術式。ヴァンデルンはこの瞬間のために、事前に彼女の力を増幅させる準備を整えていたのだ。
異形が放つ鋭利な触手が、二人を貫こうと束になって迫る。
だが、シルクが奏でる『歪曲の音符』がその軌道を物理的に捻じ曲げ、続く攻撃を『屈曲の音符』で相殺。さらに『輪曲の音符』が、何層にも重なる異形の細胞壁を破壊していく。
「見つけました!」
「光の標を……」
「はい! 付けました。後は頼みます!」
「ええ……!」
ヴァンデルンが
長杖を構えて魔力を収束させる。
「一線魔法!」
シルクが刻んだ標——最奥にある心臓部へ向け、
一条の光が一点の狂いもなく突き刺さった。
超高密度に圧縮された破壊の魔力は、触れるもの全てを分子レベルで消滅させ、
巨大な肉塊を内側から劇的に爆発させた。
「ギ、ガ、アアアアアアッ!?」
鼓膜を震わせる異形の断末魔。
接収されたはずのヴァンデルンの膨大な魔力と、
奪われたシルクの血の結晶が霧散し、
黒い霧の中から剥ぎ取られるようにして
二人の元へと還っていく。
条件を満たし完全なる存在へ至るはずだったノネムの肉体は、核を失ったことで急激な細胞崩壊を起こし、
ただの灰となって崩れ去った。
脈動していた壁や床が動きを止める。
巨大な臓器のようだった不気味な教会は、
一瞬にしてただの静まり返った廃墟へと戻っていた。
シルクは手にしていた書本を閉じ、
息を整えながら杖を下ろした。
「疲れましたね……?」
「そうですね!」
「……何か、浮かない顔をしてますね?」
「ええ……少し気になる点がありましてね」
ヴァンデルンの視線の先には、
崩壊したノネムの残骸があった。
それを注視すると、そこには不気味な「紋章学」の図形が刻み付けられていたのだ。それはあの路地裏で襲撃してきた男・マダンが最期に口にした、意味不明な言葉を強く連想させた。
「これは……クリミナル!?」
「おそらく……あの人もまた、
一個の手駒に過ぎなかったのでしょう」
「ええ……」
「私達の魔力を集め、何を企んでいるのか。
それも追求しないといけませんね?」
「そうですね……」
目の前の脅威は去った。だが、ロンドンの深い夜霧の向こうには、さらに巨大な陰謀の影が蠢いている。
「行きましょうか、シルク。
本格的な調査はここからのようです」
「はい……ヴァンデルン様、
どこまでもお供します」
崩壊した教会を後にする二人の背中を、
冷たい月明かりが静かに照らしていた。
敵の策略を打ち破った激闘から数日後。
探偵の邸宅にある隠された書斎で、二人は次なる戦いに向けて机を挟んで向き合っていた。窓の外には、いつものようにロンドンの重い夜霧が立ち込めている。
シルクは数々の資料やこれまでの事件の記録を前に、
真剣な面持ちでペンを置いた。
「ヴァンデルン! 今回の黒幕である
『クリミナル』に関する既知の情報を、
私なりに要約してみました」
「聞きましょう……」
ヴァンデルンは手元にあった温かい珈琲のカップを置き、椅子の背にもたれかかった。
「私の推察によると……あの人の術式には明確な発動条件があります。それは呪いの行使者の【声】です。それにより、標的は壁の向こうから『声』に縛られ、肉体を完全に操作されて自由を奪われてしまうのです。路地裏で捕らえたあの男……マダンの状況が正にそれでした」
「なるほど……声ですか」
ヴァンデルンは顎に手を当て、
深く思考の海へと沈んだ。
「それなら合点がいきますね!」
「はい」
「早急に対策を考えなければいけませんね」
「はい……」
書斎に沈黙が降り立つ。時を刻む時計の音だけが響く中、ヴァンデルンはゆっくりと目を閉じ、
脳内で複雑な魔術理論を組み立てていく。
数分後——彼はゆっくりと目を開けると、
その唇に不敵な笑みを浮かべ、
思いもよらない解決策を口にした。
「では……私たちの
『両耳を沈黙』させましょう」
「えっ! どういうことですか……?」
シルクは思わず小首をかしげた。
「文字通りの意味ですよ。奴の呪いが『声』を媒介にするのであれば、最初からその声を物理的に遮断してしまえばいい。魔力を増大させる際に使う私たちの固有魔法『魔化』を応用し、鼓膜の器官を一時的に魔力で閉塞するのです」
シルクの瞳が一瞬輝いたが、
すぐに懸念の色が混ざる。
「なるほど……! ですが、ヴァンデルン様。それでは戦闘中の指示や周囲の状況把握が困難になります。それはあまりにも危険では……」
「だから、君の力が必要なんです」
ヴァンデルンはまっすぐにシルクを見つめた。
「耳を閉ざすその瞬間……君は『ソングの書本』を展開してください。あの『協奏曲』の術式で私たちの意識を深く同調させれば、音に頼らずとも互いの思考と共鳴だけで、完璧に連携が取れるはずです」
音を失った世界で、
魂の旋律だけを重ね合わせて戦う。
それは常人には不可能な、強い絆を持つ二人だからこそ成せる極限の試み。
シルクの表情から迷いが消え、
心強い頼もしげな笑みがこぼれた。
「なるほど……!
それなら、どんなに見えない壁の向こうから
囁かれようと、完全に無効化できますね」
「ええ」
ヴァンデルンは再び珈琲のカップを掲げ、
闇の奥に潜む黒幕へ挑戦状を叩きつけるように、
静かに微笑んだのだった。
作品が良かったら
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私のファミリーがpixivで活動していて
一倉一晴と言います。
小説の挿絵を描いてもらうか悩み中です。




