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竜敦国教会異端審問録 case.1―A.D.1888 霧裂きジャック事件―  作者: 竜敦国教会審問局
本審編(後):霧に残された名前
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第25話 ダモクレスの弾丸

case.1最終章直前まで短期集中投稿設定済み

 アレクサンドラとテオドリックがホワイト・タワーへ向かうより少し前。薄闇(テムズ)川付近の街中にて。


「事件当時、竜敦塔でカラスが一斉に飛び立った、ねえ……」


 ヴィクターは街角の壁に寄りかかり、行き交う人々の世間話に耳を澄ませていた。


 いつかアレクサンドラを使い走りに出した時と同じやり方だ。

 人は、審問官の前では口を閉ざすことも多い。だが、通りの雑踏の中では、驚くほど不用意に真実の端を零すものだ。



 事件をめぐる噂の大半は、根も葉もない尾ひれだった。

 記憶する価値もない。


 だが、その一言だけは違った。

 竜敦塔。カラス。一斉に飛び立ったという、不自然な群れの動き。


 唯一その情報だけは彼の注意を引き、霧に紛れて薄っすらと見える遠くの要塞へと彼の目を向けさせる。


 もし、ヘンリーが狙撃されたとして。


 狙撃の条件を満たすと考えていた場所で、カラスが一斉に飛び立ったのは果たして偶然なのか。


 考えるまでもなく、ヴィクターは壁を軽く蹴るようにして身を起こすと、そのまま竜敦塔へ足を向けた。



 ◇ ◇ ◇



 同じ頃、竜敦塔ホワイト・タワーの上。


「ヴィクター……」


 アレクサンドラは、そっと手を伸ばし、自分の腰に佩いたダモクレスの剣に触れた。


 軽く目を伏せて今ここにいないヴィクターと、そしてウォルターの顔を思い浮かべる。


 ……まあ、あの程度でどうこうなるタマでもない。

 今もどうせ、謹慎命令を無視してどこかをふらふら出歩き、勝手に情報収集でもしているに決まっている。


 心配するだけ無駄だ。

 アレクサンドラはそう思うことにした。


「ふむ。ここからなら街の全景がよく見えますね。よいしょ、っと……」


 物見台から竜敦全体を見下ろしながら、アレクサンドラは言った。

 彼女はそのまま、双眼鏡を覗き込む。


「ああ、あそこですね。ホワイトチャペル教区。事件現場の袋小路もよく見えますよ。これは、巡回中の警邏隊員の位置も把握できるでしょうねぇ」

「どれどれ……おおっ、たしかに良く見えるね」

「ここから事件現場までは1マイルほどでしょうか。風の流れが合えば狙撃も不可能ではないのでは?もちろん、竜敦の霧をものともしない実力が不可欠でしょうが……ん?」


 すると、アレクサンドラの視界に、あるものが入ってきた。


「あれ?……なんか一瞬見覚えのある白い影が見えたような……。何してんだあのインテリ白もやし」

「えっ……謹慎中、だったよね?」

「ヴィクターがそんなのに素直に従うわけないじゃないですか。というか相変わらず目立つなあいつ」


 セバスチャンは、二人のやり取りを黙って聞いていた。

 笑みは崩れていない。

 しかしその眼鏡の奥は、アレクサンドラの手元──双眼鏡と、腰のダモクレスの剣とを順に追っていた。


「うーん。これ、知ってて黙ってたら私も怒られるんだろうか。あいつの巻き込まれで怒られるのもう何十回めか分からないくらいなんだが……まあいいか、どうでも」

「ヴィクターも、じっとしてはいられないんだろう。見なかったことにしておいてあげようか」



 ◇ ◇ ◇



 一方、竜敦塔へ歩みを進めながら、ヴィクターは考えていた。


 竜裔を殺せる凶器とは何か。


 少なくとも一つは確定している。

 ダモクレスの剣だ。

 他ならぬ自分の目の前で、それがウォルターを死に至らしめた。


 だが他にどんなものならば、竜裔を死に至らしめることができるのか?


 ヴィクターはペースを落とすことのないまま、歩みを止めぬままに想像と記憶とを巡らせ続けていた。


 ヘンリーが死んだ瞬間を想像する。

 ウォルターの死に際を思い出す。

 ただ、延々と。



 ◇ ◇ ◇



「……あれ。あいつこっち来てないかもしかして。いやヴィクターはどうでもいいんだった。あいつのあの銀髪、妙に目を引くからなぁ……内密に行動するとか、絶対向いてないな」


 アレクサンドラは呆れたように言った。


「仮に狙撃に成功したとして、竜裔を殺すことは不可能。どんな道具なら竜裔を殺せるかといえばダモクレスの剣だが……厳重に管理されていて、盗難・紛失の憂き目にあったことはなかったはず」


 アレクサンドラは、双眼鏡を目から離して独り言つ。


「……ん?テオ先輩。ダモクレスの剣って、紛失したことはなくても、欠けたことはあるんでしたよね」

「ん? あ、ああ」


 テオドリックの表情が、そこでわずかに引き締まった。


「着任初日に伝えたやつだね。実は以前、異端者の挑発に乗って、その相手を切り捨てようとダモクレスの剣を抜いた不届き者がいてね。異端者の手にしていた武器と切り結んだ結果、ダモクレスの剣の刀身は欠けて、一振り使えなくなってしまったんだよ」


 テオドリックは、目の前の新人審問官が着任した初日に、戒めとして告げた過去の不祥事を再び伝える。


「実戦に足るものではなくなってしまったけど、もちろん剣本体は回収されて保管されている。これでも代々受け継がれてきた聖具だからね……」


 剣本体は。

 その言葉に、アレクサンドラの思考が引っかかった。


 彼女は、腰のダモクレスの剣に触れた。


 竜裔を殺せる刃。

 欠けた刀身。

 回収されたはずの破片。


 そして、狙撃。


「……テオ先輩。もし、その破片を弾丸に加工できたとしたら、狙撃で竜裔を殺せるのではありませんか? だって、一度は欠けて破片になっているのです。もし、それを手に入れた者がいたら……?」


 その言葉を聞いた瞬間、セバスチャンの笑みが止まった。


 ほんの一瞬。

 だが、アレクサンドラは見逃さなかった。


 次の瞬間、首筋に冷たいものが走る。

 殺気だった。


「────!」


 金属音が弾けた。


 アレクサンドラの喉元へ向かっていた刃が、横合いから差し込まれた別の刃に受け止められている。


 殺気の主はセバスチャンだった。

 袖口に隠していた暗器を、いつの間にか抜き放っていたのだ。



「ッ、ちゃんと周囲見ろこの阿呆が!」

「……まさか、防がれるとは」


 しかし、セバスチャンの凶刃はアレクサンドラには届かなかった。


 アレクサンドラが振り向けば、そこには、息を切らせたヴィクターが刀剣を片手にセバスチャンと対峙していた。


 ヴィクターが握っているのは、ダモクレスの剣ではなかった。

 アレクサンドラにも見覚えのない、古い意匠の刀剣。


 後に聞けば、それはエヴァンズ家に伝わる宝剣だった。

 本来なら、屋敷の壁に飾られているだけの置物に近い。


 だが今、ヴィクターはそれを、誰かを守るための武器として握っていた。

 今度こそ、目の前で誰も死なせないために。


「ヴィクター?!」

「おまえ、意外と動けるんだな……じゃない、助かった!」

「ヴィクター、アレクサンドラ! 大丈夫か!?────うぁっぷ、なんだ、カラス!?」


 セバスチャンが、手袋の指を小さく動かした。


「近寄らせません!」


 テオドリックが二人に駆け寄ろうとするも、何処からか飛来してきたカラスに妨げられる。

 セバスチャンが操っているのだろう。


「しかし、まさかそこまで掴んでいるとは、侮れませんね。念のため、お二人に同行した甲斐がありました」


 セバスチャンは手に持った暗器を、コートの袖にするりと隠し入れ、居直って言った。


「貴方がたには、ここで一晩を明かしてもらいます────と言いたいところですが、さすがに三対一は多勢に無勢ですね。ここは退かせていただきましょう」


 黒い羽音が、一斉に湧いた。

 カラスたちが塔の縁から飛び立ち、視界を覆う。


 その黒い羽の幕の向こうで、セバスチャンは身を翻した。

 黒い影が、塔の外へ落ちる。


 ヴィクターは急ぎ駆け寄って、飛び降りた方をのぞき込む。


「……!」

「……チッ、逃げやがった」


 ヴィクターは、心底悔しげに言った。


「得体の知れない奴め……」


 下を覗き込んでみても、黒いフロックコートの人物の姿はどこにもなかった。


 ただ、塔の周囲を旋回するカラスだけが、何事もなかったかのように鳴いていた。


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