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 夢の中で私は今、深い場所にいる。具体的な深さは分からないが、とても深い場所だ。しかし不安や恐怖という物は無く、人肌のぬくもりに包まれている。そこには規則的な鼓動が聞こえる場所で、奇妙な安心感がある。この安心感は美菜子さんのぬくもりだろうか、美菜子さんのぬくもりと優しさが、私を包み込んで優しく浸透してくるのが分かった。その心地よい浸透圧に身体を任せて、身体の芯まで心地よい感覚が到達すると、私は目を覚ました。

 瞼を開け、呼吸を整える。横になったまま身体の状態を確認すると、眠っている間に熱が出たのだろうか、着ていたシャツがにじみ出た汗で濡れて、肌にまとわりついているのが分かった。少し身体を動かすと、思いのほか身体が軽く動く事に気づいた。胃の中の物を全て吐き出し、熱を出して夢を見たら体調が戻ったようだった。

 私は上体を起こし、布団から這い出る。一連の動作は身体から色々な付き物が落ちたように軽く、節々が滑らかに動いた。窓に掛かったカーテンを開けると、外は雲一つない晴れ空で、暖かな日差しが大地を照らして、優しく温めている。何もない平和な光景。それが今の私にはとても美しく、愛に満ちた光景のように見えた。

 私は安心感に包まれると、今度は猛烈な空腹感に襲われた。昨日の昼に食べた物はすべて吐き出してしまったし、昨日の昼から何も口にしていない。空っぽになってしまった私の肉体は生きるための栄養を手に入れろと理性に命令して、私をリビングへと向かわせた。

 リビングに降りると、薄暗い空間に美菜子さんを始めとする家人の姿は無かった。何かないだろうかと周囲を見回すと、テーブルの上に、ラップに包まれたおにぎりが二つと、小さなメモ紙あった。近づいて確認すると、メモには「体調がよくなったらたべてください」という、美菜子さんが書いたであろうメッセージが書かれていた。

 私は嬉しくなり、すぐにラップの包みをほどいておにぎりにかぶりついた。おにぎりの種は細かく刻んだ野菜の味噌漬けが入っていて、塩気が汗をかいた身体に心地良かった。

 二個のおにぎりを食べ終えると、今度は身体が水分とカリウムを欲している事に気づき、何か麦茶でもないかと冷蔵庫へと向かい、扉に手を掛けると、左半身に誰かの視線を感じた。誰だと思って振り向くと、リビングに入るドアの、ドアノブよりも少し下の所に寝間着姿の男の子が、何か不思議そうな表情で立っているのが見えた。彼の瞳はまるで家に進入した泥棒をサンタクロースか何かと認識しているような純粋さを持っていて、ファミリー向けの映画のワンシーンにあるような、奇妙な空白を私にもたらした。

「もしかして、勇将くん?」

 私が頭の中に浮かんだ疑問を思わず口にすると、勇将くんは私を見たまま頷いた。

「そうだよ」

 勇将くんは口を動かしてそう答えた。今の勇将くんには昨日まで存在していなかった口を動かして言葉を話し、二つある瞳を使ってまっすぐ私を見つめている。その当たり前の行為と光景が、今の私には驚きと、ずっと居座っていた苦痛から解放されたような感覚を与えてくれた。

「おはよう。もう起きたの?」

 私は当たり障りのない言葉を勇将くんに掛けたが、自分でも意外なくらい自然に声掛けしている事に気づいた。人間に顔があるだけで、こうも自然に言葉が出るのだろうか。

「うん」

「昨日はごめんね、みんなに迷惑をかけてしまって」

 私が素直に謝ると、半開きになっていたドアの向こうから大人の人影が動くのが見えた。誰だと思って身構えると、入ってきた人間の顔を見ると信一郎さんだというのがすぐに分かった。

「信一郎さん、おはようございます」

 私はどこかぎこちない感じで挨拶をした。

「おはようございます、ゆりねさん。具合の方はどうですか?」

 信一郎さんはまだ眠気が完全に抜けきっていない様子で答えた。まだ開ききっていない瞼が、どういう訳だか私に安心感をもたらしてくれた。

「はい、一晩寝たらかなり楽になりました」

 私が事実を簡単に述べると、信一郎さんは頬を緩ませて小さく笑みを漏らした。整った顔立ちの男性に微笑んでもらう事が、とても心地よく感じたのは初めてだった。

「そうですか、食欲も戻られたみたいですね」

 信一郎さんは一旦テーブルの上にあった皿を見た後、そう続けた。

「はい」

 私は微笑みながら答えた、信一郎さんに笑顔を見せたのは、それが初めてだった。さらに賑やかになったリビングに気づいたのか、美菜子さんもやって来た。看病をしてくれた美菜子さんは、私が回復している事に安心したのか、優しく微笑んでくれた。

「よかった、回復されたんですね」

「はい」

 私は心の中から沸々と沸き上がる喜びを感じながら答えた。


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