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喫煙所に行って煙草を一本だけ吸った後、私は再びバイクに跨って目的の集落へと走り出した。私が走る高速道路は大型トラックやトレーラー車が多かったが、近づいても恐怖は感じなかった。普段からあくせく働いているプロドライバーの運転は、無駄がないのだ。
目的の高速道路出口で下道に降り、料金所から下道に続く道の近くにバイクを一旦止めて、美菜子さんに高速を降りたというLINEを送った。目の前を横切る国道を山間部へと向かう方向に進む。国道を二キロほど進んで歩道橋のある交差点を左折し、さらに二車線の県道を進む。県道は近くに砕石場があるのか、道路が白っぽく誇りにまみれており、砂利を積んだダンプカーと何台かすれ違った。
目的地までもうすぐだ。私は自分に言い聞かせて、頭上の交通標識の地名に注意を払った。そして目的の集落の名前が表示された交通案内の標識が現れると、その指示に従って交差点を右折した。
山間の田畑が点在する地域を一・五キロほど走ると、目の前に橋のかかった小川が横切っているのが見えた。そして小川の向こうに私が世話になる集落があり、その奥には山々が聳えていた。田畑と集落と山々、何もないように思えるのは、文明の利器に毒された人間だけだろうと私は思った。
小川を超えて集落に入り、速度を落として世話になる建物を探す。私が二日間世話になるのは、黒いマツダのCX‐5が駐車場に停まっている、『飯塚』の表札が付いた家だ。『飯塚』の表札はすぐには見つけられそうにないので、まずは黒いCX‐5がある家を探した。
時速二〇キロほどで周囲を見回しながら、集落の家々を注意深く観察していると、集落の中心部から少し離れた、刈り取られた田畑の中に、黒いCX‐5が駐車スペースに停まっている、比較的デザインが新しい二階建ての家を見つけた。確認の為に近づいてみると、道路と家の敷地を隔てる門の表札には『飯塚』と書かれていた。
私はハーレーのエンジンを切り、バイクを降りて表札近くのインターホンを押した。壁の向こうで反響したような電子音が聞こえて、電気的な接続が行われたような雑音がした。
「はい、どちら様でしょうか?」
インターホンのスピーカーから、先程電話した時と同じ美菜子さんの声が聞こえてきた。
「こんにちは。お世話になる金本です」
私はインターホン越しに名乗った。
「ああ、金本さん!ようこそ、遠い所をわざわざありがとうございます。今出ますね」
美菜子さんはそこでインターホン越しの会話を終わらせた。向こう側の家でごそごそと人が動く気配がして、玄関のロックが解除される音がすると、ドアが開いて美菜子さんが出てきた。美菜子さんは夫と子どもがおり、私よりも五歳年上だったが、それを感じさせないくらいに若々しく、一つ二つ年上の、学校で憧れる先輩のような不思議な魅力を持った女性だった。髪を少し茶色に染めているのは、若くして結婚した地方在住の女性だからだろうか。
「初めまして、金本さん。しょぼくれた田舎だけれどようこそ」
「いいえ、こちらこそよろしくお願いいたします」
私は美菜子さんに頭を下げた。あまり緊張しないのは美菜子さんの人柄だからだろうか、それとも同性だからなのだろうか。
「いま門を開けますね、バイクはどうします?」
「敷地の中に、お邪魔ではない場所に置けることが出来れば」
「じゃあ、車の近くのスペースに」
美菜子さんは門を開いた後、車が停めてあるカーポート近くのスペースを指し示した。私は再びハーレーに跨りエンジンを掛けて、指示されたスペースに自走させた。エンジンを切って再び降りると、私のハーレーを見つめる美菜子さんの驚いたような眼差しが分かった。
「すごいですね。ハーレーなんて」
「よく言われます。でも一度自分の物にしてしまえば普通ですよ」
私はヘルメットを脱ぎながら答えた。一度世間では特別とされる物を自分の物にしてしまえば、自分にとっては特別な物ではなくなるのだ。
私はハーレーから荷物を降ろし、飯塚家へと上がった。地方の民家という事もあり、アニメーション映画に登場するような古い日本家屋を想像していたのだが、都心から少し離れたベッドタウンに建ち並んでいる、明るい内外装のデザインをしたありふれた二階建ての家だった。その事は都会とは違う刺激を求めていた私には少し期待外れだったが、余計な緊張をせずに済むと自分に言い聞かせる事にした。
私はリビングに通され、美菜子さんに暖かい緑茶を入れてもらった。緑茶というのは実に日本的な飲み物だったが、イスとテーブルの席で招かれるのは現代的だった。
「ありがとうございます。旦那さんとお子さんはどちらに?」
「夫と子どもは近くの山に遊びに行っています。二人とも地元の自然が大好きで」
美菜子さんは謙遜するように答えた。地方の自然に満ちた空間で、父親と子どもが楽しい時間を共有する光景を想像すると、何とも言えない微笑ましい雰囲気が漂う。ここ最近は都市部での体験格差が言われているが、この飯塚家に限ってみれば、野外で楽しい時間を過ごす事の問題は無なそうだった。
「取材とかには行かれるのですか?」
美菜子さんは続けて私に質問した。美菜子さんは一人の人間としての信念を持っているのか、あるいは現在の状況にとても満足しているのか、若々しさと美しさ、人間としての強さが両立して、とても魅力的な女性に見えた。こういう人と結ばれ、母親として育ててもらう存在はそれだけで幸せなのかもしれない。
「はい、旦那さんとお子さんにご挨拶が住んだら、散策も兼ねてこの辺りを一回りしてきます」
「この辺りの地区は意外と広いですよ。歩くのは少し大変じゃないですか?」
「大丈夫です。その為のコレですから」
私はハーレーのハンドルを握るジェスチャーをして、得意げに答えた。すると、私の上がってきた玄関から、「ただいまー!」という元気のいい男の子の声が聞こえた。




